一枚の写真 その2
以前、「一枚の写真」というエッセイを書きました。
今年3月の東日本大震災の直後、たった一枚の写真を見て、映像よりももっとすごいインパクトを感じたというお話でした。
アメリカ西海岸では、ほぼ生中継で津波のヘリコプター映像を観ていたのですが、それでも、地上のアングルで撮られた一枚の写真は、それを超えるインパクトがあったのです。
見渡す限りの、がれきの山。それは、無言で自然の脅威を伝えるものでした。
ときに、写真は、映像よりももっと鋭く瞬間をとらえることがあるのではないでしょうか。
今日のお話は、ガラリと変わりまして、アメリカの「一枚の写真」です。
先日、地元のサンノゼ・マーキュリー新聞を読んでいて、ある写真にクギづけになってしまったのでした。
(Photograph adopted from the San Jose Mercury News, “Local News” section, dated December 17, 2011, photographed by Lipo Ching)
赤い帽子とシャツの男のコが、エイっておじさんに抱きついています。
ふたりともニコニコと笑って、なにやら、とっても楽しそう。
なんとなく、ふたりは似ていますが、べつに親子じゃないんですって。
男のコは、ダニーくんといって、ある団体に通っている生徒さん。そして、おじさんの方は、デイヴィッドさんで、ここの先生。
団体というのは、インディペンデンス・ネットワーク(Independence Network)といって、いろんな障害とたたかう人たちを、少しでも自立できるように手助けする団体です。
そう、インディペンデンスというのは、「独立」でもあり、「自立」という意味でもありますね。
わたしは、そんな大事な団体が近くにあるなんて、まったく知らなかったのですが、そんなことよりも、なによりも、なぜかしらこの写真には引きつけられてしまうのです。
どうしてなんでしょうね?
もしかすると、それは、ふたりの笑顔かもしれないし、お互いに抱いている親近感とか、信頼感とか、そんなものがじわっと伝わってくるからかもしれません。
よく見ると、ダニーくんは、デイヴィッドさんの片手をしっかりと握っているんですよ。
きっと「先生、つかまえた!」って感じかもしれませんね。
それとも、「ねぇ、先生、遊ぼうよぉ~」なのかもしれません。
それにしても、どうしてこんなにいい笑顔になるのかな? って思うんですよ。
デイヴィッド先生だって、「よし、よし」って言いながら、とっても満足そうではありませんか。
実は、この写真を見たとき、ダニーくんの笑顔もさることながら、デイヴィッド先生に脱帽してしまったのでした。
だって、常識的に考えてみると、団体の先生って、そんなに優遇を受けているわけではないでしょう。
けれども、こんなにいい笑顔を見せているということは、きっと自分の仕事を「天職(calling)」だと思っているからに違いありません。
きっとご自身が、「自分の居場所はここだ」と信じていらっしゃって、それが自然と表情に出ているのではないかと思うのですよ。
この団体では、自分たちでニュースレター(新聞)をつくっていて、仲間に役に立つ情報を配信する、ということもやっています。
そのニュースレターで「社説」を書いているマットさんは、ほとんど目が見えない方だそうです。
それでも、日々の社会の動きや、政治の動きは逃さずに追っていて、自分たちの提案を盛り込んだりして、社説にしていらっしゃるのです。
デイヴィッド先生は、こうおっしゃいます。
新聞を発行することで、「自分たちだって、ここにいるんだ」と声を発したいのだと。
自分だって、人なんだ。学校にも行きたいし、一日10時間もテレビの前に座って、無駄な一日なんて過ごしたくない。
この新聞をつくるには、誰かさんの手作りの古~いコンピュータが使われているのですが、実は、コンピュータをいじることは、とってもいい刺激になるんだそうです。
画面で見るカラフルな写真や言葉は、みんなの「知りたい」って気持ちをうまく引き出してくれるから。
そう考えてみると、自分の信じるところと似ているのかも・・・と思ったのでした。
たとえば、わたしが懸命に旅行の写真を載せたりするのは、そこに行ったことのない方々にも見て欲しいからなんですよね。
写真を掲載するのって、思ったより大変な作業なんですが、そんなことよりも、とにかく「見て欲しい!」って思うんです。
「こんなにいいところがありました」「こんなに楽しい人がいらっしゃいました」とお知らせすることで、まるで現地に行ってきたような気分になっていただきたいんです。
まあ、それが、写真家やライターの原点だとは思うんですけれどね。
というわけで、またまたお話がグイッとそれてしまいましたが、今日のお話は、「一枚の写真」。
グイッと話がそれるほど、写真には語ることが多い、ということなのでしょう。