漆黒(しっこく)のパニック
シリコンバレー・サンノゼと成田を結ぶ新しい空路ができるというので、さっそく飛行機に乗って日本に向かいました。
1月11日に就航したANA(全日空)のボーイング787「ドリームライナー」で、初就航は逃したものの、翌日の便に乗り込みました。
やっぱり家から一番近い空港から日本に飛び立てるなんて、嬉しいものなのです。
成田に到着した夕方は、晴れた暖かいお天気でしたが、翌日は一転。日本各地で大雪となりました。
そう、あの「成人の日の大雪」で、午前中に降り始めた雪は、都心でも7、8センチの積雪となり、一日が終わってみると、7年ぶりの大雪だったとか・・・。
あまりにも突然の積雪に、わたしも祝日のイベントを、ことごとくキャンセルするハメになってしまいました。
そんな番狂わせがあったものの、「どうせ外に出られないなら」と、ホテルに隣接したショッピングビルで、のんびりとサングラスなどを選んでいました。
ところが、世の中が大混乱におちいったこの日は、無事には済まないのです。
わたしにとっての受難は、べつのところにあったのでした。
それは、泊っていたホテルの計画停電。
たぶん、「成人の日」の泊まり客は少なかったのか、この晩、午後11時以降に客室の電気をぜんぶ止めて、電力設備の法定定期検査を行うというのです。
泊っていた部屋には寝られないというので、荷物はそのまま置いて、就寝時だけ階下の部屋に移ることになりました。
お風呂にも入って、寝るだけの格好で階下へと。
ま、その代替えの部屋も問題があって、別の部屋に移ったり・・・と一悶着あったのですが、本物の受難は、寝入ってからのこと。
アメリカから到着したばかりで時差ぼけだったこともあり、11時に電気が止まる頃には、ぐっすりと寝込んでいたのです。が、夜中に、ふと「殺気」を感じて目が覚めたのです。
なんと、ベッドサイドのライトも、うっすらと明るい空気清浄機の光もまったく消えてしまって、鼻をつままれてもわからないくらいの漆黒(しっこく)の闇が広がっているではありませんか!
これにはもうびっくりしてしまって、呼吸もできないくらいにパニックになってしまったのでした。
ベッドを飛び出し、なんとか光源を探そうと、手探りで廊下をたどって入り口まで行ってみると、幸い、部屋の外の廊下は、暖かい光で満ちています。
ほんの少し落ち着きを取り戻したところで、クローゼットの中に非常用の懐中電灯があったことを思い出し、ベッドのところまで戻ることにしたのですが、これがまた一苦労。だって、不慣れな部屋で、形をよく覚えていないのです。
壁をさぐりながら、いろんなものにつまづきながら、ようやくクローゼットにたどり着いて非常灯を取り出すと、その瞬間にパッと明るい光が飛び出し、部屋じゅうを照らし出します。
ほっこりとした光にありついて、ひと安心してベッドにもぐり込んだまではいいのですが、「電池が切れて、停電の間に非常灯が消えてしまったらどうしよう・・・」と、今度は、べつの恐怖が頭をよぎります。
あ、そうだ、窓の遮蔽(しゃへい)のブラインドを開ければいいんだ!
そこで、なんとかブラインドをこじ開けようとトライするのですが、電動モーターで開け閉めするブラインドは、貝のようにかたく閉じたままで、指先すら入る隙間はありません。
こういうとき、文明の利器って使えない!
仕方がないので、外の光が入ってくるようにと、ドアを少し開けたままにして寝ることにしました。
5時半になると、ウィーンという冷蔵庫の音がして、部屋じゅうの電灯がつき始めます。
どうやら予定より早く、法定定期検査とやらが終了したようです。
連れ合いが目を覚まさないようにと、ベッドから出て電気を消したのですが、6時になると、今度は、遮蔽のブラインドがガ~ッと開き始めます。
勝手に作動するなんて、こういうとき、文明の利器って使えない!
それにしても、あの漆黒のパニックは、自分にとっても新しい発見でした。
ほんとに呼吸ができないくらいに、パニックになってしまうのです。
世の中には、Nyctophobia(暗闇恐怖症)なるものがあるそうですが、もしかすると、わたしもそうなのかもしれませんね。
べつに暗闇に何かが住みついているようで恐い、というわけではないのです。
ただただ漆黒の闇が顔におおいかぶさって、息ができなくなってしまうのです。
まるで、黒い真綿が鼻と口をふさぐみたいに・・・。
そんな恐怖の一夜が明けて、戻ってきた部屋の窓からは、たっぷりと雪をかぶった富士山が見えました。
それが、なんともいえないくらいに平和で、静かな風景に見えたのでした。