Essay エッセイ
2015年05月11日

母の日のあいさつ

ここ何年か、母の日になるとフラワーアレンジメントを贈るようにしています。

母の日に一緒にいられることは滅多にありませんし、母は花が大好きなので、きれいな花かごが届くと、無条件に喜んでくれるからです。

花はお腹の足しにはなりませんが、母にとっては、お菓子をもらうよりも、ずいぶんと嬉しいみたいです。


そして、母の日の日曜日、ご近所さんとお隣さんにも電話してみました。

前回の『病病介護(?)』というエッセイでもご紹介しましたが、転倒して両手をひどく痛めたお隣さんと、その彼女を親身に世話するご近所さんのことです。

ふたりとも「お母さん」ですから、母の日に「お元気?」と電話してみても、おかしいことはないでしょう。

ご近所さんには「ちょっと4、5日留守にしますよ」と断っておこうとも思ったのですが、こちらが尋ねるまでもなく、開口一番、お隣さんの近況報告をなさいます。

痛み止めの処方薬を取り替えても、副作用は続いているけれど、少なくとも気分が落ち着く時はあって、少しは食事がのどを通るし、身の回りの雑用もできているみたい、と。

明日はまた、リハビリのため病院に連れて行くのよという彼女も、母の日の日曜日ばかりは、息子夫婦をはじめとして、6人で「母の日ブランチ」に出かけるのと、きらびやかな声を出していました。

夫は夜の飛行機で日本とオーストラリアに向けて出張するし、火曜日になったら、娘が南カリフォルニアからやって来るので、ちょうど月曜日は、お世話に専念できるのよとおっしゃる彼女。

言外に「あなたは心配しなくていいのよ」と安心させてくれているんですよね。

時間があるなら、あなたも「母の日ブランチ」に参加なさる? と誘っていただいたのですが、「これからサンフランシスコに向かいますので」と辞退しながらも、あぁ、彼女はほんとに気さくで、優しい方だなぁと再認識するのです。

そこで、ハッピー・マザーズデイ(Happy Mother’s Day)! と母の日のごあいさつをして、会話を終えたのでした。


お次は、勇気をふりしぼって、お隣さんにも電話をかけてみました。

お隣さんは、いつも留守番メッセージを残していると電話に出たり、出なかったりするので、メッセージを残すことにしました。

「今日は母の日、おめでとう。ご近所さんが世話してくれているのは知っているけれど、何かあったらいつでも電話してね」と録音していると、「ハロー?」と途中で受話器を取ってくれました。

そこで、彼女は、ひとしきり激しい痛みと吐き気が交互に襲ってきて、気分はもう最悪なのよと説明してくれるのですが、突然、竜巻(tornado)の話題に切り替わるのです。

え、竜巻? と思ったものの、あ、さっきご近所さんが説明してくれたテキサス州の竜巻かと合点がいったので、こちらは、おとなしく話の続きに耳を傾けます。

なんでも、母の日の週末、普段は竜巻に縁のないテキサス州を、次から次へと竜巻が襲っていて、下の息子が住むダラスも危険区域に指定されたとか。

幸い、さっきテキストメッセージが来て、息子の家族は無事だとわかったそうですが、向こう数日間は竜巻が続く恐れがあって、警戒警報(tornado watch)は解かれていないとか。

風がビュンビュン吹きまくるし、家はブルブルと揺れるし、竜巻なんて経験したこともない、いたいけな子供たち(little ones)が、竜巻をこわがって泣き叫ぶのよ。

辺りには、砂嵐だって巻き起こるし、壊れた家の破片も飛んでくるし、竜巻の多いカンザスやオクラホマみたいに、地下の避難場所がないとダメなのよ。でも、テキサス州では地下壕をつくることは許されていないから、逃げ場がないみたいなの

と、そんな風に、息子家族の心配をするお隣さんは、すっかり「お母さん」や「おばあちゃん」に戻っています。

辛いことを話すと辛い気分になるのか、「もう、これ以上話せないわ」と悲しそうな声を出すので、こちらは「十分に休んでね」とあいさつをして、早々に電話を切ったのでした。

それにしても、ご近所さんもおっしゃっていたとおり、自分だって病人のはずなのに、いつのときにも、自分よりも息子や孫たちが優先するんですよね。

それが「母親」というものだとは思うのですが、こればかりは、古今東西変わらぬ真実なんだろうと、神妙な気分にもなったのでした。


というわけで、ほんの少し社会勉強をした、母の日の日曜日。

この日は、ハッピー・マザーズデイ! とごあいさつ。

こちらは、世の中のお母さん、すべてに向けて発信できる言葉なんです。


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