旧正月のご馳走
お正月といえば、1月1日の元旦を思い浮かべますが、世の中には、今でも別の日に新年を祝う場所がたくさんあるのですね。
たとえば、中国や韓国、台湾などのアジアの国々があります。こういった所では、太陽暦ではなく、昔式の暦(旧暦)でお正月が決められます。
日本でも、太陽暦を採用した明治5年以前は、旧正月に新年のお祝いをしていたわけですね。
旧正月というのは、太陰太陽暦や宗教暦などにもとづくものですが、太陰暦の場合、29日か30日のひと月が12ヶ月ありますので、太陽暦とは微妙にずれが生じます。
たとえば、今年2006年は、1月29日が旧正月でしたが、昨年は2月9日でした。ずれが大きくならないように、何年かに一度、閏月(うるうづき)を設けて、太陽暦との差を調整するそうです。
アジアの中では、ヴェトナムでも、太陰太陽暦で正月を決めます。ですから、ヴェトナム系の多いシリコンバレーでも、中国系の多いサンフランシスコでも、旧正月は大きな盛り上がりを見せます。
最近は、旧暦とは直接関係のない白人系の人々の間でも、旧正月を歓迎するムードもあります。楽しいことは、多ければ多いほどいいのですね。
そんなわけで、サンフランシスコでは、休日として学校がお休みになります。学区内に中国系の生徒の多い、シリコンバレーのクーパティーノでも、そろそろ旧正月に学校をお休みにしようよという案も出ています。
毎年、サンフランシスコの街中を練り歩く、旧正月の華やかなパレードも、今となっては、サンフランシスコの定番となっています。
19世紀、中国から来た人々が開拓したカリフォルニア内陸部の街でも、小さなパレードが今も健在です。
そして、シリコンバレーでも、同じ時期、ヴェトナムの旧正月、TET(テット)のお祭りが開かれます。
会場の公園には、食べ物や野菜・果物の出店が並び、屋内では、卓球トーナメントやヴェトナム語学校の子供たちのコンテストが開かれます。
子供たちが祖国の歌や語学力を競うだけではなく、お姉さま方の間でも、ミスコンテストが開かれたりします。
どうやら、旧正月を彩る赤や金は、それだけで、人の心をうきうきさせるようですね。
戌年(いぬどし)の始まる1月29日の前夜、ヴェトナム系の親友からディナーのご招待を受けました。親しい友人たちが集まって、親友夫婦の手料理を堪能しようという集まりです。
今年は、ちょうど旧正月が日曜日に当たったので、みんなゆっくりと食事と歓談を楽しめます(いかにカリフォルニアでも、旧正月で仕事は休みにはなりませんので)。
そこで、ここではちょっと、お正月料理のお話などをいたしましょう。今回のディナーは、必ずしも伝統的なものではなく、親友のアレンジがかなり入っていますが、ヴェトナム家庭料理の雰囲気を味わっていただけたらと思います。
まず、コース料理の最初は、スープです。昔は、お正月は7日間のお祝いで、何日も前からたくさんご馳走を準備したものでした。今でも、お正月はゆっくりしたいですから、前もって、鶏がらスープなどを作り置きしておきます。ちょうど、日本のお雑煮のだしみたいなものですね。
親友は、鶏に加え、蟹と海老からだしを取っていますが、祖国では、それは贅沢の範疇に入ります。
このだしに、食べる直前、好きな具を入れます。ここでは、冬が旬の地元の蟹ダンジェネス・クラブと、グリーンアスパラガスが入っていますが、具は何でもいいそうです。アスパラを入れる場合は、普通はホワイトアスパラを使うとか。ライムの絞り汁と、香りの強いシラントロ(中国パセリ)を散らしていただきます。
お次は、クレープ。クレープといっても、甘いわけではありません。米粉、コーンスターチ、ココナッツミルク、サフラン、塩を混ぜ合わせ、クレープのようにフライパンで薄く焼きます。そして、焼き海老をのせ、オーブンに入れて、カリカリに焼き上げます。
これにゆでたもやしをのせてお出ししますが、各人好みでミント、シラントロ、シソの葉を散らし、ちょっとスパイスの効いたフィッシュソース、ヌックマムをかけて食します。黄色い色は、カレー粉ではなく、サフランの色ですね。
ヴェトナム風醤油ヌックマムとクレープの相性は絶妙です(ヌックマムは、小魚に塩と砂糖を加え寝かした、琥珀色の醤油です)。
メインディッシュは、ひとり一尾の大きなメインロブスターでしたが、これは伝統的なものではありません。
けれども、おいしいロブスターをお出ししたいと、親友夫婦は一生懸命ツメの殻までむいてくれました。
古来の伝統料理といえば、お次の“もち米ケーキ・バン(banh)” でしょうか。まあ、ケーキといっても甘いものではなく、どちらかというと、大きなちまき風の主食です。
これには、こんな言い伝えがあるのです。
あるとき、王様が新年に備える料理コンテストを開き、ヴェトナム全土から新しい料理を募りました。その中で、ある男性がこのもち米ケーキを持ち寄ったのです。もち米の中身は、ほぐした豚肉と緑豆でした。
どうしてこの三つの材料を選んだのかと王様が問うと、「これは、大地から収穫するものを表しております」と答えます。米は、主食であり、生活の根幹である。農民は、米を育てることに誇りを持ち、青々と繁る田んぼは、憩いの場ともなって、人々を慰める。
緑豆は、大事なたんぱく源であり、いろんな料理にも重宝する。その点では、生命を表すものと言ってもいい。
そして、田を耕すには、牛を使う。牛は人と近しい存在であるので、代わりに豚を育て、豆とともにたんぱく源にするのですと。
この男の答えに満足した王様は、彼に一等賞を与えたのですが、実は、このもち米ケーキ、結構手間がかかるのです。中国のちまきは、笹の葉で材料を巻き、蒸しあげますが、こちらは大きなバナナの葉で巻かれています。しかも、器用にしっかりと四角形か筒型に巻きあげます。慣れないうちは、なかなかきれいにいかないとか。
この四角と筒型は、天と地を表すそうですが、今では、四角は北部で、筒型は中部や南部地方で好まれているそうです。
あちらこちらの家で夜を徹して“バン”を蒸しあげる様は、正月の風物詩だったそうです。今では、買ってくる場合がほとんどだとか。
実は、バナナも、ヴェトナムの人にとっては、大切で愛着のある植物なのです。実を食べるだけでなく、皮や幹の表皮は家畜に与え、葉は料理や日用品に応用する。何も無駄にするところはないのです。
そして、ヴェトナムの気候にも合い、よく育つので、昔はどの農家の裏庭にも、バナナの木が植わっていたそうです。
ですから、こういった材料でできあがったもち米ケーキには、ヴェトナムの人と命、勤労、国への愛着心などがいっぱい詰まっているわけです。一年で一番大事な正月には、最も適した料理なのですね。
米が主食だったり、もち米ケーキと一緒に干し大根の漬物をいただくあたり、なんかヴェトナムって日本にそっくりだなと思うのです。
けれども、やっぱり、独特の香りのヌックマムやシラントロなどは、ある程度慣れが必要かもしれませんね。
ずうっと昔、サンフランシスコにやって来た頃、初めて食べたインドネシア料理にシラントロが入っていて、もう二度と口にするものかと思ったものでした。
ところが不思議、ヴェトナムのヌードルスープ・フォオ(pho)を食べ続けているうちに、シラントロなしでは、物足りなくなってきたのです。いや、あの臭さが、たまらないです!
要するに、慣れの問題なのでしょうね。