ゴミ大国アメリカ
それにしても、なんでこんなに毎日ゴミが出るのでしょう。
新聞紙にミルクのカートン、ペットボトルにミートトレイ。ああ、アメリカ名物のジャンクメール(ダイレクトメールの類)もありますね。
新聞なんて、日曜版ときたら、宣伝が本文の倍の厚さ。お店の景気が良いのはいいけれど、こんなにもらったってしょうがないです。
どうせ、そのまま、ゴミ箱行きなのに。
だいたい、アメリカで、カタログやインターネットで物を買おうとすると、その過剰包装に驚いてしまいます。
アメリカ人は、細かく工夫するのが得意じゃないし、いろいろ細かいことを考えるのは時間の無駄だと思っているふしがあるので、それはもう、単に大きな箱に物を詰め込み、壊れないように詰め物をしましょう、くらいしかアイデアが浮かばないようなのです。
たとえば、こんなもの。あるとき、カタログで、マガジン・バトラー(雑誌立て)と宝石入れを買ったときのこと。ふたつは別々の箱で届いたのですが、両方とも、そのでっかい外箱にびっくり。何か間違って届いたのかと思いました。
大きな外箱を開けてみると、なかなか目当ての物が出てきません。「ピーナッツ」と呼ばれる詰め物を掻き分け、宝探し。そして、商品はといえば、あのロシアのお人形みたい。どんどん人形を開けると、もっと小さな人形が現れるという。
で、包装をどんどんむいてしまうと、中身はごく小さい。だいたい、宝石だってそんなにたくさん持ってるわけじゃなし、小さな入れ物で充分なんです。
それに比べて、日本の梱包材は、優れていますよね。これは、液晶モニターを保護していたもの。
まるで、折り紙のような、繊細な紙製の梱包材。
小さな箱に収まるように、空間を無駄なく使っています。そのもの自体が、芸術品。
アメリカ人は、折り紙が苦手です。やっぱり、そんな国民性が、梱包材にも表れているのですね。
それで、巨大な梱包材が手元に来ると、リサイクルすることになりますよね。
我が家のあるサンノゼ市の場合、ゴミ容器は3種類あります。生ゴミ、リサイクル、そして、木の枝や葉っぱ用。
木の枝の容器は、専門の会社が回収に来ますが、生ゴミとリサイクルは、ひとつの会社のトラックがいっぺんに回収します(ちなみに、このベテラン会社は、市長と癒着していたということで、来年7月から、別の2社が分担して担当することになります)。
週に一回、大きな回収トラックが、ご近所にまわって来ます。そして、家々の前に出された容器をガオ〜っと担ぎ、自分の背中にほうります。いや、ほんとに、ガオ〜っていう感じなんです。
我が家のリサイクルの容器は、中くらいの大きさなのですが、一番大きなものだと、小さい人間なら3人は入りそうな大きさなのです。
そんな容器が満杯になると、たいそう重くなる。だから、トラックの腕も相当強靭なはずです。
昔は、リサイクルには、こんな容器を使っていました。紙用、新聞紙用、ビン・プラスティック用の3つに分かれていました。
でも、いちいち人間が3つの容器をトラックの回収口に持ち上げるのは大変だし、第一、人件費がかかり過ぎます。それに、消費者の側も、3つに分別するのが面倒くさくて、リサイクル率は非常に悪かったのです。
そこで、今は、リサイクル可能な物を何でもリサイクル容器に入れられるようになったし、回収もトラック一台で自動的にできるようになったのです。
だから、トラックには、一台に付き運転手ひとりしか乗っていません。
ということは、容器に収まっていないものは、持って行ってはくれません。
そこで、問題発生。容器に収まらないものは、どうしよう?
ある日、我が家の古いオフィス机を、捨てることにしました。けれども、ドアの外に出ないので、解体して木のパーツにしてしまいました。
そして、市のサービス課に電話すると、粗大ゴミの有料トラックを手配しなさい、3つまで25ドルだから、と言います。けれども、机は一品目と数えられるけれど、解体したものは、そのひとつひとつが一品目だよと。
ということは、何十ドル、何百ドルかかるかわからない!
そこで、最終手段。自分たちで、埋立地に持って行くしかない。
実は、大きなサンノゼ市には、人が住んでいる場所とは似ても似つかない場所がありまして、サンフランシスコ湾に面する市の北部、ちょうどフリーウェイ237号線から北は、殺伐とした埋立地になるのですね。
Alviso と呼ばれるこの地域には、巨大なゴミ捨て場があって、産業廃棄物以外、いろんな粗大ゴミを受け付けるようになっています。自分で持って行けるなら、市民も利用可能です。
フリーウェイを降りて、ハイテク会社や巨大な教会、新興住宅なんかを行き過ぎると、ほこりっぽいくねくね道になって、これは迷ったぞと思った頃に、目の前に埋立地の門が見えてきます。
門を入ると、まず、入り口で、車の重さを量ります。地面に大きな秤が埋め込まれていて、これで、妙に重い廃棄物を持っていないかチェックを受けます。
まあ、我が家が持って行ったのは、机の残骸と、段ボール箱。かわいいものです。だから、入場料として、20ドルを支払います。
なんとなく、あちらのチェックもいい加減で、もっとたくさん持って来ればよかったと、ちょっと後悔。
そして、入り口で言われたとおり、丘に向かって、どんどん登って行きます。途中、大きなトラックなんかとすれ違いますが、道路には柵もなく、ちょっと怖いです。
表面は泥でカバーしていますが、どうもこの丘全体は、廃棄物でできているみたいです。
丘のてっぺんに着くと、また別の案内人がいて、机の残骸なら、あっちのゴミの山に行けと指示します。てっぺんとは言え、かなり広いフィールドになっていて、あちらこちらにゴミの山。
大きなブルドーザーが行き来する中、どんどんまっすぐ進んで行くと、そこは、木製の物を捨てる専用の場所。見上げるほどに積み上げられ、数メートルはあろうかと思われる山になっています。
クギなんかを踏まないように注意深く車を近づけ、さっそく、わたしたちもゴミを捨てます。
ふと見上げると、山のてっぺんには、まるで勝ち誇ったかのようにカラスが一羽。自分の領土とばかりに、真っ青な空をバックにあたりを見回しています。
まさに空にそびえ立つようなゴミの山。ほとんどは、もともと何だったのか想像もつかない木の切れ端になっています。
そんな中に、形を留める物がひとつふたつ。鏡台の椅子とベッドのマットレス。まだそんなに古ぼけてはいないし、捨てられて間もないようです。
地べたに転がった椅子には、藤色のクッションが張られていて、まったく汚れてもいません。つい昨日まで、誰かが腰掛けていたような匂い。
そんな小さな椅子を見ていると、近くに無残に横たわるマットレスに、こう話しかけているように思えてきました。
「ねえ、マットレスさん。私たちは、もう二度とあのお家には帰れないのよね。」
「そうだねぇ、椅子さん。別に僕たち、そんなに悪いことをしたとは思わないけど、きっともう、人間さんたちのお気に召さなくなっちゃったんだね。」
この殺伐とした丘のてっぺんで、文明の裏側を垣間見たような気分になったのでした。
追記:残念ながら、この日、カメラを持って行くのを忘れてしまいました。いつかまた粗大ゴミを捨てることがあったら、この場所の写真を撮って来ますね。