Life in California
ライフ in カリフォルニア/歴史・習慣
Life in California ライフ in カリフォルニア
2009年06月12日

歴史の証人 ~ サンフランシスコ大地震編

前回は「歴史の証人~タイタニック編」と題して、タイタニック号の最後の生存者が亡くなったお話をいたしました。

今回は、そのタイタニックの悲劇のちょっと前に起こった、サンフランシスコ大地震についてお話いたしましょう。

3年ほど前に、「サンフランシスコ大地震100周年」と題して、1906年4月18日に起きたサンフランシスコ大地震から、ちょうど100周年を迎えたというお話をいたしました。

その100周年記念祭のときに、数少ない生存者として式典に参加していたハーバート・ハムロールさんが、今年2月に亡くなりました。

100周年の式典では、まだ明けやらぬ寒空の中、昔のオープンカーに乗って笑顔を振りまきながら、その健全ぶりを発揮しておりました。

今年1月には、106歳の誕生日を迎え、ステーキハウスで盛大にお誕生パーティーを開いたばかりでした。

そして、ちょっとびっくりですが、そのお誕生日の頃までは、元気に現役で働いていらっしゃったのです!


ハーバートさんは、サンフランシスコ大地震が起きたときは、まだ3歳になったばかりでした。でも、お母さんの腕に抱かれて崩れ落ちる建物から逃げ出したことはよく覚えておりました。

「母が左腕で僕を抱え、右手で階段の手すりをつかんで」命からがら避難したのだそうです。

一家は、市内の目抜き通りであるマーケット通りのすぐ南に住んでいて、この建物が密集した地区(South of Market)は、地震で大打撃を受けたようです。地震のあとの火災でも、相当な被害を受けたことでしょう。

(こちらの写真は、現在のSouth of Market、通称SOMA地区です。)

そんなハーバートさんは、長じてスーパーマーケットを経営していましたが、64歳のときに一旦引退いたしました。
 けれども、引退生活は長くは続けられない性分(しょうぶん)だったのでしょう。それから42年間、市内のアンドロニコス(Andronico’s)というおしゃれなスーパーマーケットに勤めて、在庫管理などを担当しておりました。(アンドロニコスは、創業80年のベイエリア老舗のマーケットです。)

近年は、週に2回通って来ては、入り口でお客様にあいさつをする顧客係を担当していたそうです。きっとこのお店では、「名物おじいちゃん」で通っていたことでしょう。

ちょっと驚いてしまうのは、彼自身はサンフランシスコ市に隣接するデイリーシティーに住んでいたので、バスと電車を乗り継いで来て、駅からは歩いて出勤していたそうです。しかも、亡くなるちょっと前まで。

そんな独立心旺盛なハーバートさんは、90代になるまで葉巻をくゆらせていたそうですが、長生きの秘訣は何かと問われると、「ワイルドな女性といい酒だよ(wild women and good liquor)」と語っていたのだとか。

きっと若い頃から「いなせ」な方だったのでしょうね。


この名物おじいちゃんのハーバートさんが2月に亡くなって、「あ~、これでサンフランシスコ大地震の生存者もいなくなってしまったのかなぁ」と、みんなが寂しい思いをしておりました。

なにせ、昨年の地震記念祭に出席した生存者は、ハーバートさんだけでしたから。

けれども、今年4月の103年祭の直前になって、新たな生存者が「発見」されたのでした。しかも、同時にふたりも。

ひとりは106歳のレディー、ローズ・クライヴァーさん。そして、もうひとりは103歳の紳士、ウィリアム(ビル)・デルモンテさんです。

当時、ローズさんの一家は、市の南東部に位置するバーナルハイツ(Bernal Heights)という高台に住んでいました。その頃は、サンフランシスコの市街地も今ほど大きくはなかったので、バーナルハイツの辺りには馬だのヤギだのが飼われていたり、畑が広がったりという、のんびりとした光景だったそうです。

そして、1906年4月18日午前5時12分、突然、大きな地震が襲ってきました。「これは大変!」と、ローズさん一家はみんなでバーナルハイツのてっぺんに登って、サンフランシスコの街が焼き尽くされていくのを見守っていたそうです。

けれども、自分たちの家も半壊してしまったので、家に入ることは許されませんでした。仕方がないので、しばらくは裏庭にテントを張って生活していたそうです。

その後、サンフランシスコの街全体が復興を遂げる中、ローズさんの家も元通りに修理され、103年たった今でも、バーナルハイツのゲイツ通りにしっかりと建っているそうです。


一方、ビルさんの方は、大地震のときには生まれたばかりだったので、記憶はまったくありません。けれども、家族からは、「道路の両脇にそびえ立つ火の壁の中を走って、必死に海岸まで逃げた」ことを聞いているそうです。

ビルさんのお父さんは、市の北東部にあるノースビーチ(North Beach)でイタリアンレストランを経営していたのですが、この海に近い下町の地域は、火災による被害がひどかったことでしょう。

けれども、間もなくレストランは再建され、今でも同じ「フィオール・ド・イタリア(Fior d’Italia)」という名前で営業を続けています。
 なんでも、このレストランは、アメリカで一番古いイタリアンレストランといわれているそうですが、ビルさんのお父さんが、123年前(1886年)にノースビーチで始めたお店だそうです。

そう、このノースビーチ地区には、19世紀後半からイタリア系移民が多く住み着き、今でもイタリアンレストランが軒を並べる賑やかな地域となっていますね。

(上の写真では、丘の上のコイトタワーの左側がノースビーチ地区となります。下の写真は元旦のノースビーチの様子ですが、正月早々、人通りが多いのです。)


このローズさんとビルさんのふたりは、100年もサンフランシスコに住んでいるわりに、今まで大地震の記念祭には顔を出したことがありませんでした。だから、式典関係者も彼らの存在をまったく知らなかったようです。

ということは、おふたりも初対面。今年の103年祭の前夜に開かれたディナーで「初めまして」となったのですが、ビルさんは茶目っ気たっぷりにこうコメントしています。

これは、立派にブラインド・デートさ。僕は、年上の女性が好きなんだよね。
It’s a blind date. I like older women)。

ご存じのように、ブラインド・デート(blind date)というのは、初対面の人たちを結びつけてあげようと、まわりがデートをセットアップすることですね。でも、ローズさんの方は、77歳の息子ドンさんが一緒だったので、残念ながら、純粋な「デート」とはいかなかったようです。

けれども、いくつになってもユーモアと茶目っ気を忘れない。そんな大先輩の方々には、こちらも学ぶことがたくさんありますよね。

そして、ローズさんはというと、お医者さんからも「115歳まで大丈夫」とお墨付きをいただいているそうなので、亡くなったハーバートさんに代わって、これからはローズさんとビルさんが毎年記念祭に出席なさることでしょう!


追記:
ハーバートさんについては、今年2月6日のAssociated Press社の記事を参考にさせていただきました。ローズさんとビルさんについては、4月14日のサンフランシスコ・エグザミナー紙と4月19日のサンフランシスコ・クロニクル紙の記事を参考にさせていただきました。(お三方の写真は、KTVUの報道より)


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