サンフランシスコの赤い海
先日、わたしが初めてアメリカにやって来て30周年を迎えました。その最初の「冒険」についてちょっとだけ書いたことがあるのですが、今日は、そのお話に出てきたエピソードについてつづってみることにいたしましょう。
エピソードというのは、こんなものでした。
30年前の5月、成田から飛び立った飛行機がいよいよサンフランシスコ空港に近づくと、とにかくびっくりすることがありました。それは、海が真っ赤なこと。
だって、こんなに赤い海は、日本では「赤潮」と呼ばれ、汚染された海の象徴ではありませんか。
それまで、わたしはサンフランシスコという街にきれいなイメージしか抱いていなかったので、いきなり赤い海を見せられて、「こんなに公害だらけなの?」と愕然としてしまったのでした。
それこそ、到着する以前から、ガラガラと街のイメージが崩れていくのを感じたのでした。
けれども、これは公害なんかではなかったのですね。ずいぶんとあとで知ったのですが、これには、ちゃんとしたわけがあったのです。
サンフランシスコ空港が面しているサンフランシスコ湾(San Francisco Bay)では、1850年代から塩をつくる伝統がありまして、飛行機の窓から見える赤い海は、その製塩作業の一過程だったのです。
昔ながらの製塩というと、海を区切って海水を蒸発させて、塩の結晶をつくる方法がとられますが、サンフランシスコ湾でも、一世紀以上の間、この方法で塩がつくられてきました。
蒸発の過程で、海水の塩分の濃度がだんだんと高くなってきますが、そうなると、塩分を好むエビ(brine shrimp)が大発生して、海が赤く見えるそうなのです。
そして、もっと濃度が高くなると、今度は赤い藻(algae)が発生して、血のような真っ赤な海に見えるのです。
サンフランシスコ湾の塩田(salt ponds)は、おもにサンフランシスコ空港の南と湾の南東部分にぐるりとあって、ちょうど空港に着陸しようとすると、バンと目に入ってくる位置になるのです。
たとえば、日本からの飛行機は、サンフランシスコの北にあるボデーガ湾(Bodega Bay)辺りから海岸線を南下してくるのですが、一旦、サンフランシスコ空港を通り過ぎて湾上をUターンして、南から滑走路に着陸するのです。ということは、塩田もバッチリと目に入るコースとなっているわけですね。
(こちらの写真は、湾上を南下中で、湾の南東部分を西から眺めているところになります。海にかかる橋は、ダンバートン橋(Dumbarton Bridge)です)
ですから、わたしはいつも心配になってしまうのです。初めてサンフランシスコに到着した方たちは、「なんと汚い海!」と憤慨してしまうのではないかと。
だって、わたし自身もそう思ったのですから、多くの方が同じことを感じるのではないかと思うのですよ。
それに、赤い海だけではないのです。空港のまわりは、なんだか茶色っぽい海岸線が遠浅になっていて、その中に、まるで蛇がニョロニョロと這ったみたいに川が蛇行しているのです。上から見ていると、ほんとに気味が悪いくらい。
実は、こちらの茶色いウニャウニャ地帯は、自然のままの湿地帯(wetland、marsh)なのです。
その昔、サンフランシスコ湾の沿岸は、すべてこのような海水の湿地帯(saline tidal marsh)になっていたのですね。いろんな水草が生えていたり、その水草を食べる水鳥が住み着いたりと、それこそ自然の宝庫だったのです。
けれども、1848年のカリフォルニアの金鉱発見以来、サンフランシスコや近隣の街の人口も増えていって、湾内の湿地帯を埋め立てて家を建てたり、畑にしたり、塩田にしたり、港にしたりと、急激に開発が進んでいったのでした。
以前、「シリコンバレーってどこでしょう?」というお話でも書きましたが、戦後すぐの1950年代の高度成長期には、「いっそのことサンフランシスコ湾全体を埋め立ててしまおうや!」なんて、とんでもない案が浮上したこともあるそうです。それほど、人間が自然を制しようとする意識が盛んだった時期なのでしょう。
1959年には、湾内の湿地帯1万ヘクタールが塩田と化し、年間百万トンの塩を生産するまでになっていたそうです。(カリフォルニア大学デーヴィス校の環境インパクトに関するウェブサイトを参照)
おかげで、今までに湿地帯の8割が失われてしまったそうですが、それでもある時、みんながふと我に返ったのでした。このままでは、サンフランシスコ湾の自然がすべて壊されてしまう!と。
そこで、湾の自然を昔の状態に戻そうよという動きが生まれ、国や州、地方自治体や草の根の活動家たちが一緒になって、プロジェクトを立ち上げました。
「South Bay Salt Pond Restoration Project(湾南塩田復活プロジェクト)」という名前ですが、まずは塩田を買い取って、区切っていた海を開け放ち、少しずつ昔のような湿地に戻そうよという、壮大なプロジェクトなのです。(South Bay(湾南)というのは、文字通り、サンフランシスコ湾の南側のことで、サンノゼ辺りもこのように呼ばれることもあります。)
サンフランシスコ湾の塩田は、もともとは複数の製塩会社が所有していましたが、戦前にレスリー製塩会社という会社が経営統合します。さらに、これを1978年にカーギル(Cargill)という会社が買い取ります。
そして、2000年、カーギル社は湾内あちらこちらの製塩作業を統合して、塩田の6割(6700ヘクタール)を国や州に売り払うことに合意します。
2003年、実際に塩田が買収されるときには、国や州の資金だけではなく、自然保護を目的とする個人財団の助けもありました。
カーギルが買収に合意してからは、どうやって塩田を湿地帯に戻せばいいだろうかと綿密な計画が練られましたが、2004年、初めての水門が開け放たれることになります。
塩田の塩の濃度はとても高いのです。一気にそれを湾に流せば、たちまち湾内の生態系が壊れてしまいます。
ですから、最初はごく一部。湾の水を少しずつ塩田に流し込み、塩分を薄め、自然の流れで徐々に塩田を湿地帯に戻す方法がとられました。
そして、この方法が効果的であることがわかったので、翌年には1000ヘクタール、その翌年には300ヘクタールと、段階的に湿地帯に戻しているところなのです。
今まで湿地に戻ったところは、こちらのウェブサイトでご覧になれます。まさに「使用前・使用後」みたいに、同じ場所のふたつの写真を比較することができるのです。
現在もプロジェクトは進行中ですが、買い取った塩田の半分を元に戻すだけでも、あと十数年はかかるそうです。全体が自然に戻るには50年。まさに、気の長い、壮大な計画なのですね。
それにしても、どうしてそこまでみんなが昔のままの湿地帯にこだわっているのかというと、湿地は、サンフランシスコ湾周辺で大事な役目を果たしているからなのです。
たとえば、周辺都市に雨が降れば、それが湾に流れ込みます。けれども、都市から流れ出した雨水には、さまざまな人間の営みが混ざっています。
普段、なにげなく庭に合成肥料をまくこともあるでしょう。家の前で車を洗うこともあるでしょう。そんな日々の生活のもろもろが混ざった水が湾に直接注ぎ込む前に、湿地帯は浄化の役目を果たしてくれているのです。そう、ちょうどフィルターで水を浄化するみたいに。
それだけではなくて、自然の堤防の役割も果たしてくれています。サンフランシスコ湾は内海なので、普段はそんなに波が高いわけではありませんが、それでも、海岸線の浸食をおさえていてくれていますし、嵐で水かさが増したときなどは、都市に水が流れ込まないように、自然の防波堤にもなっているのです。
さらに、湿地帯は、植物、魚、鳥、小動物と、生き物を育む守り神ともなっています。
昔は、それこそ先住のオローニ族(the Olone)が生活していた頃は、湾には何百という種類の鳥がいて、小さいながらもサメだってたくさんいたそうです。でも、それも今は激減しているのです。
今でも鴨やガチョウ、カモメ、ワシ、シギなどの類は、多くの種類が生息していますが、たとえば、カリフォルニアにしかいないクイナの仲間(California Clapper Rail、くちばしと首の長い、飛ばない水鳥)など、絶滅の危機に瀕している種もあります。
そんな生き物たちが絶滅してしまわないようにと、今から手を打っておかなければ、すっかり手遅れになってしまうのかもしれません。
そして、湿地帯のような自然があるということは、そのまわりを歩いたり、生き物を観察したりと、人間さんにとってもなんとも心地よいものではありませんか。
カリフォルニアの人たちは、自然を愛する気持ちが強いのです。だからこそ、そんな熱い気持ちを抱きながら、塩田という人間の創造物を自然界に戻そうとがんばっているのです。
ですから、空港のまわりで赤い海を見かけても、「公害だ!」なんて思わないでくださいね。