サンフランシスコのベイブリッジ
先日、サンフランシスコに初めてやって来て35周年を迎えました。
出発の数日前、同じ西海岸のワシントン州でセントヘレンズ山が大噴火となり、なにやら雲行きの怪しい渡航。が、サンフランシスコにたどり着くと、ひんやりとした穏やかな空気に包まれていたのを覚えています。
サンフランシスコでは、5月としては気温の低い日々が続き、「ここまで午後の気温が低いのは、35年ぶりの記録です」と報じられていました。
なるほど、35年前に「ひんやり」と感じたのは、記録的な涼しさだったのですね。
というわけで、今回は、サンフランシスコらしい「橋」のお話をいたしましょう。
と言いましても、よく絵はがきに出てくるゴールデンゲートブリッジ(金門橋)ではありません。
もうひとつの有名な橋、ベイブリッジ(Bay Bridge)のお話です。
ベイブリッジは、正式名称「サンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジ」と言います。
名前の通り、サンフランシスコ湾の両側に位置するサンフランシスコ市とオークランド市を結ぶ橋です。
西のサンフランシスコ側から眺めると、途中のイェルバブエナ島(Yerba Buena Island)に視界をさえぎられて、向こう側が見えません。が、橋は、オークランドに向けて島の東側にもズンズンと続いています。
それで、どこの街にも都市伝説(urban myth)というのがありまして、このベイブリッジにも、まことしやかにささやかれる伝説があるそうな。
それは、1930年代にベイブリッジがつくられたときのこと。
橋脚の足元をセメントで固める作業の際、作業員が足場から転落して、まさに塗り固めようとしている穴に落下。作業員は、今もそのままセメントに埋められている・・・。
しかも、ひとりではなく、何人も・・・というもの。
そこで、サンノゼ・マーキュリー新聞の交通担当コラムニストが、読者の疑問に答えてくれました。
これは、なにもベイブリッジに限ったことではなく、付近の灌漑工事やネヴァダ州のフーヴァーダム(Hoover Dam)のようなダム建設には必ずつきまとう都市伝説です。
そう、伝説ですから、誰もどこにも埋まってはいません。
たしかに、1933年にベイブリッジの工事が始まり、1936年に開通するまでには、足場から転落したり、鉄骨に当たったりと、24名の作業員が命を落とした事実はあります。
が、たとえコンクリートの工事現場に落下したとしても、補強用の鉄筋が張り巡らされているし、第一、人がコンクリートに沈みこむことはありません。
それで、以前は建設当時のカリフォルニア州知事と、作業で犠牲になった方々を偲んで記念碑が置かれていました。が、現在は、橋周辺工事のため移転されたあと、落書きされたりしたので倉庫で保管されています
とのことでした。
(Reference cited: “Mythbusting: No workers entombed in Bay Bridge” by Gary Richards, the San Jose Mercury News, May 8, 2015)
ベイブリッジは、ずいぶんと前に建設された橋ですので、作業の安全面ではずさんな部分があったのは確かなようです。
たとえば、落下を防ぐ転落防止網(safety net)はなかったので、作業員は、海面から150メートルほどの高さでも身ひとつで(命がけで)作業していたとか。
その経験を活かして、もうひとつの橋ゴールデンゲートブリッジの建設では、転落防止網が使われるようになり、犠牲者は半分以下でおさまったと言われます。
(The Golden Gate Bridge, Highway and Transportation District archived photo, from goldengatebridge75.org)
実は、ベイブリッジもゴールデンゲートブリッジも、同じ1933年に建設が始まったのですが、完成はベイブリッジの方がちょっと早く、1936年11月の開通。そして、金門橋は、翌1937年5月に開通しています。
開通の直前の1937年2月、ゴールデンゲートブリッジでは、足場の一角が転落防止網をつき破って落下し、いっぺんに10名が命を落とす惨事となりました。
が、その日も、海面から230メートルの橋脚にペンキ塗りをしていたハリー・フォーグルさんは、「(橋の上は)ものすごく風が強くて、身を切るくらいに寒かったよ。でも、晴れた日には、こんなに最高なことはなかったね」と語っていらっしゃったとか。
3年前に97歳で亡くなったフォーグルさんは、ベイブリッジとゴールデンゲートブリッジ両方に携わった最後の作業員と言われています。
そして、ごく数日前、ゴールデンゲートブリッジ最後の作業員となるガス・ヴィリャルタさんが、息を引き取られました。
この方は、88歳まで元気にテレビ/ラジオ修理店を経営されていたそうですが、開通78周年記念日(5月27日)の前日、98歳で亡くなりました。
フォーグルさんはウィスコンシン州から、ヴィリャルタさんはイタリアから移り住んだ方ですが、当時の大恐慌時代(the Great Depression)、どんなに危険な仕事であっても、仕事があるだけ幸せだったと語られていたとか。
そうなんです、建設が始まった1933年というのは、まさに大恐慌の真っただ中!
よくもまあ、そんな時期に、こんなに大きな橋をふたつもつくったものですね!
(References cited: “Man thought to be likely last Golden Gate Bridge worker dies”, AP, May 30, 2015; “Last surviving worker on Bay Area bridges”, LA Times, February 24, 2011)
というわけで、ベイブリッジと言えば、こんなユニークな特徴もあるんですよ。
それは、「2階建て」であること。
1989年に起きた大地震で、オークランド側(写真では島の向こう側)の2階部分が1階に崩れ落ちて惨事となり、そのために、こちら側の橋は2年前に掛け替えられ、平面構造となりました。
が、それまでは全面的に2階建てだったんです。
そして、現在もサンフランシスコから見える部分(西側)は2階建てのままですね。
上が、オークランドからサンフランシスコに向かう一方通行(東から西)。下が、サンフランシスコからオークランドに向かう一方通行(西から東)。
ところが、ある映画では、逆向きになっているんです!
今でもアメリカ映画の代表作とも言える、1967年リリースの『卒業(The Graduate)』。
(Photo “Graduateposter67”, licensed under Fair use via Wikipedia)
俳優ダスティン・ホフマンさんの出世作とも言える作品ですが、この映画の終盤で、今まさに結婚式を挙げようという「意中の人」イレインを追うベンジャミンが、赤いアルファロメオのスポーツカーを駆るシーン。
設定では、オークランドの隣街バークレーから南カリフォルニアのロスアンジェルスを訪ねたあと、夜を徹して(サンフランシスコ側から)バークレーに舞い戻ることになっています。が、このとき映像では、ベイブリッジの2階部分を走っているのです。
そう、このシーンを空から撮影したときには、車はサンフランシスコに向かって走っていたはずですが、作品上では、サンフランシスコからバークレーに向かっていることになっているのです。
だって、2階を走らないと「絵」になりませんからね。
まあ、ストーリーには何の影響もない細かいことではありますが、地元の人が観ると、「あれ、おかしいよ!」と指摘されるシーンなのでした。
というわけで、ベイブリッジあれこれ。
どちらかと言うと、名高いゴールデンゲートブリッジの陰に隠れて、みそっかす。
でも、サンフランシスコ・ベイエリアの大事な橋であることに変わりはないのです。