雨季明けの6月: アンドロイドくんと石川遼くん
Vol. 131
雨季明けの6月: アンドロイドくんと石川遼くん
もう明けることはないのかと思うほど、長く続いた雨季でしたが、北カリフォルニアにもようやく初夏がやって来ました。
そんな6月は、全米での予備選挙、ワールドカップ・サッカーの開幕、アップルの新製品「iPhone 4」の発売と、話題が尽きないところではあります。
が、パワー全開の今月は、それだけではありません。
そこで、今月は、アメリカで話題のアンドロイド搭載機、携帯キャリアの陰の苦労、ゴルフの石川遼選手のメジャー挑戦と、3つのお話をいたしましょう。いつもよりも長めなので、どうぞごゆるりとお読みくださいませ。
<スプリントが誇る「EVO 4G」>
6月4日の金曜日、米携帯キャリア三番手のSprint Nextel(スプリント・ネクステル)から、注目のスマートフォンが登場いたしました。
その名もHTC「EVO 4G」(「イーヴォー・フォージー」と発音)。アンドロイド搭載機の先駆者ともいえる台湾メーカー、HTCの最新のアンドロイド機です。
OS(基本ソフト)にはアンドロイド2.1を搭載し、現行の3.5G(EV-DO)ネットワークとともに、Sprintが「全米初の4G(第4世代)」と銘打つWiMax(ワイマックス)ネットワークにも対応しています。
おまけに、クアルコムの1GHz プロセッサ「Snapdragon(スナップドラゴン)」を搭載するので、処理能力は申し分ないくらいに速いときています。
ゆえに、今アメリカ市場に出ているアンドロイド機の中では、最高位機種という位置づけです。
このHTC「EVO 4G」は、今年3月ラスヴェガスで開かれたCTIAで発表されたのですが、3月号でも触れた通り、現地にいたわたしは、広い会場ですっかり見落としてしまいました。そんなわけで、「どうしても見てみたい機種」のひとつとなっていたのでした。
そこで、発売当日の6月4日、さっそくSprintショップに出かけてみました。混雑を避け、のんびりした場所が望ましいと、サンノゼ市の南端にあるOakridge Mallというショッピングモールを選びました。ここには、新しくてこぎれいなSprintショップがあるのです。
日差しの明るい金曜の午後、お店に足を踏み入れると、お客は誰もいません。「やっぱりSprintらしいな」と思ったところで、スタッフのお姉さんがにこやかに近づいて来ます。
「これが見たかったのよ!」とこちらが「EVO 4G」に近寄ると、「そうなのよ、今日発売よ!」と目を輝かしたのも束の間、「でも、とくに説明することなんてないから、好きに遊んでちょうだい」と、すぐにその場を離れて行きます(なんとも商売っ気がないものです)。
それから数分間、好きに触らせてもらったのですが、何はともあれ、第一印象は「大きい!」でした。アップルのiPhone 3GS(アイフォーン第3世代)と比べると、少し大きいようですが、画面が大きくて機種のかなりの面積を占めるので、「ずいぶんとでかい」印象を与えます。
けれども、筐体は薄いし、そんなに重くはないし、持ちやすいことは確かです。そして、画面が大きい(4.3インチ)ということは、YouTubeなんかのビデオも観やすいのです(写真は、Sprint TVというテレビのストリーミングサービスで、スポーツやニュースの中継番組やダイジェスト版が観られます)。
さすがにプログラムの読み込みも速いし、マルチタスクなので、いろんなアプリケーションを平行して走らせることもできます。アンドロイド向けのアプリショップ(Android Marketplace)にもサクッと繋がるので、欲しいアプリも簡単にダウンロードできます。
FacebookやTwitterといった流行りのソーシャルネットワークとも連携プレーができていて、たとえば「EVO 4G」で撮影した写真やビデオをその場でヒョイッと友達に紹介することもできるのです。
デジカメは二つ付いていて、裏側の8メガピクセルのカメラでは、高画質のビデオも撮影できます。
「Qik(クイック)」というモバイル向けビデオストリーミング技術も使えるので、表側の小さなカメラは、ビデオ通話(video chat)にも重宝すると評判になっています。相手が電話に出ないと、ビデオメッセージを残すこともできるとか(あまりの評判にサーバがパンクして、発売翌日から数日間Qikサービスが使えなくなりました)。
そして、高機能のわりに、本体価格は2年サービス契約で200ドルと、リーゾナブルなお値段になっているのです。
そんな出来の良い新機種の登場ではありますが、わたしはかねがね「どうしてSprintなのかな?」と疑問を抱いていたのでした。
もちろん、現時点では、SprintのWiMaxがアメリカ市場で一番速い携帯ネットワーク技術となっています。「スピード」を売りたいのだったら、Sprintは最適なキャリアパートナーとなるでしょう。
けれども、販売台数の観点からすると、キャリア三番手のSprintではなくて、同じくCDMA陣営 のVerizon Wireless(ヴェライゾン・ワイヤレス)という手もあったでしょうに、と思うのです。
なぜなら、Sprintは三番手と言いながら、カバレッジ(サービス範囲)がいまいち悪いと、最大手のVerizonと二番手のAT&T Mobility(AT&Tモビリティー)に加入者数で大きく水をあけられているからです。(The Associated Press社によると、Verizonは9,280万人、AT&Tは8,700万人、Sprintは4,810万人、T-Mobile USAは3,370万人)
数の力は、金の力。新技術展開の底力。すでに大手二社の顧客となった人が、そう簡単にSprintに乗り換えることはないでしょう。
この過ちをおかしたのが、モバイル端末の老舗Palm(パーム)ですね。Palmといえば、「Palm Pilot(パーム・パイロット)」「Treo(トリオ)」を始めとするPDA(携帯情報端末)の先駆的存在であり、シリコンバレーのイコンともいえるメーカーです。
2003年発売の「Treo 270」(写真)などは、PDAと携帯電話のハイブリッド製品として絶賛されました(Palmのスピンオフ、ハンドスプリング社製ですが、直後にハンドスプリングはPalmに吸収合併され、Treo製品はPalmブランドとなります)。
ところが、近年ヒット作に恵まれず、昨年6月、最後の望みを託す切り札としてスマートフォン「Pre(プリー)」を発売しました。が、Sprintから独占販売したおかげで、販売台数は伸びず。遅れてVerizonやAT&Tからも「Pre」と姉妹機「Pixi(ピクシー)」を出したのはいいけれど、時すでに遅し。
今年4月中旬には身売り先を探し始め、最終的にはシリコンバレーのパワーハウス、HP(ヒューレットパッカード)に買われることとなりました。
昨年6月号では、「Pre発売の6月6日という6の羅列は、新約聖書『ヨハネの黙示録』に出てくる666みたいで縁起が悪そう」と書いてみたのですが、まさに、その通りになったのでした。
まあ、Sprintの先行独占販売も足かせとはなったのでしょうが、Preの基本ソフトであるwebOSも、一般消費者にはわかりにくい、テクノロジーギークっぽいところが災いしたのかもしれません。
そのwebOSには、HPは熱い期待を寄せていて、現在、Palmの再起を懸けてコマーシャル合戦を繰り広げているとともに、次回のタブレット型はwebOSを搭載するぞ!と意気込んでいます。
そんな良からぬ前例のあるSprintですが、華々しく「EVO 4G」を売り出したものの、シリコンバレーやサンフランシスコでは、いまだにWiMaxネットワークは利用できません。
でも、それまでは、WiMax対応としてプレミアム料金10ドルを毎月払い続けなければならないのです。たとえば、一番安価な「EVO 4G」サービス月額料金は、450分通話・データ通信定額70ドルに「4Gプレミアム料金」10ドルが加算され80ドルとなりますが、これに国・州・地方自治体の各種税金10ドル強が乗っかってくるので、決してお安くはないでしょう。
しかも、「EVO 4G」発売当日には、「WiMaxは思ったよりも速くない! 3Gよりも10倍速いなんていうのはウソだ!」といった辛口の批評も出回りました。
たとえば、PC World誌は、6都市での実地テストの平均受信速度は2.5Mbpsであり、Sprintの「3~6Mbps、ときに10Mbps」といううたい文句を大幅に下回っているとしています。
WiMaxの特徴として、場所によってスピードが異なる点も挙げられています。USA Today紙によると、フィラデルフィア市で実地テストを行った結果、WiMaxのない地域よりは速いが、10Mbpsには到達しないし、市内の区域によっても、市役所のまわりは速いが駅は遅いと、受信ムラが大きい。しかも、WiMaxネットワークを探すうちに、電池の消費量が著しく、一日の労働時間は保たないとしています。
WiMaxは、基本的にWiFi(無線LAN)を大きく広げたようなネットワークですから、WiMax基地局が近くにないと、電波の減衰が著しいのでしょう。
ちなみに、Sprintは「WiMaxは4G(第4世代)」とうたっているわけですが、ITU(国際電気通信連合)は、「4G」とは移動受信最大100Mbpsと定めており、SprintのWiMaxはそれには遠く及びません。
そんな(ちょっと複雑な)新製品の登場ではありますが、発売当日、Sprintショップにはひっきりなしに人が入って来るのです。
わたしが足を踏み入れたときには誰もいなかった店内ではありましたが、チョコチョコと遊んでいるうちに、二人連れの若いお兄さんだとか、お母さんと一緒の中学生くらいの男の子だとか、次々と人が訪れるのです。
これには、さすがに驚いてしまいました。なぜって、Sprintは発売前に「EVO 4G」を大々的に宣伝していたわけではありませんし、そんな派手さの無いSprintは、普段は客の寄りも地味だからです。これだけ人が集まって来るということは、「EVO 4G」に関心を抱く購買層がかなり存在することを意味しているのでしょう。
ふと後ろに人の気配を感じたので、デモ機を独り占めしてはいけないと、さっそく男の子にハイッと手渡したのでした。
もちろん、シリコンバレーでWiMaxが使えない以上、「EVO 4G」は評判通りのブツであるかどうかはわかりません。だって、店頭では「速く動くように見せる」工夫なんてしないのが、アメリカの携帯ショップです(あるシリコンバレーのAT&Tショップなんて、「うちは、AT&Tのネットワークには繋がらないんだよねぇ」と平気でのたまうくらいですから)。
けれども、店頭で遊んでみた限り、「使いやすいし、売れるかも」「ひょっとしたらSprintも顧客数を伸ばすかも」と、かなりの手応えを感じた新製品ではありました。
後日、同じSprintショップに寄ってみると、「サンフランシスコ近郊では、9月末までにWiMaxが使えるようになる」との新情報をキャッチしました。
この日も、ティーンエージャー数人がショップを訪れ、ひとしきり「EVO 4G」で遊んでいきましたが、「Hey, dude, look, it’s so cool!(おい、見てみろよ、かっこいいぜ)」との仰せでした。もしかすると、WiMaxを皮切りに、ぐんぐん売れるようになるのかもしれません。
6月4日の発売初日には、推定32万台の「EVO 4G」が売れたそうですが、そのうちの10万台はSprintへの新規加入者が購入したようです。
同社は、今年第1四半期に58万人もユーザを失っているので、まさに「EVO 4G」は、顧客を呼び戻す救世主となるのかもしれません。
だって、キャリアの「デュオポリー(duopoly、二社が市場を席巻すること)」よりも、「三つどもえ」の方がずっとおもしろくなりますからね!
というわけで、お次はデュオポリーの片翼、AT&Tのお話です。
<AT&Tの「マイクロセル」>
先日、AT&Tからダイレクトメールが届きました。なんでも、自宅に置く「3G MicroCell(マイクロセル)」という新商品のプロモーションらしいです。
これを見て、わたしはAT&Tが展開するテレビサービス「U-Verse(ユーヴァース)」に新製品が加わったのかと思ったのでした。「U-Verse」は、機能的にはケーブルテレビ会社のサービスよりも優れているものの、いまいち画質が悪いという評判を耳にします。それで、より高画質にする機械でも売り出したのかと。
が、さにあらず。「3G MicroCell」の「3G(第3世代)」が示す通り、携帯電話向けの製品だったのです。それも、おもにアップルのiPhoneを使うユーザをターゲットとした製品。
AT&Tの携帯ネットワークが隅々まで行き届かないので、カバレッジ(サービス範囲)から漏れ、自宅でiPhoneが使えない人が多い。ゆえに、WiFiホットスポットみたいな「MicroCell」を自宅に置けば、WiFiにも対応するiPhoneがサクサクと使えるようになるでしょう、というAT&Tの苦肉の策だったのです。
(正式には「3G MicroCell フェムトセル(femtocell)」という名称で、ブロードバンド回線に繋ぐ家庭用小型基地局です。iPhoneのようなWiFi対応スマートフォンと3Gケータイ向けで、通話とデータ通信に利用できます。そして、今のところアメリカでは、AT&TがiPhoneを独占販売しております。)
ところが、この新製品が無料でないところが、消費者の怒りを買ったのでした。
こちらは、一流企業シスコ・システムズ製のコンパクトな製品で、AT&Tのイメージカラーであるオレンジをおしゃれにフィーチャーしております。定価は150ドルですが、もし「MicroCell」を無制限に使える月額プランにご加入いただいた場合は、そこから100ドル引いて50ドルでお分けいたしましょう。月額プランには、毎月20ドルかかりますがね。
でも、この無制限使用プランに入っていただかないと、WiFi経由でかけた通話時間も、すべて通常の携帯料金体系に乗っかってきますからね。そこのところは、よろしくご理解願いますよ。
というわけで、消費者にとっては、家でiPhoneが使えるようになる代わりに、最初に50ドル、その後は月々20ドルも余計に払わされることになるのでした。
「わたしは、iPhoneには毎月130ドルも払ってるのよ! いったいあといくら払えば、ちゃんと電話が使えるようになるのよ!」とは、ニューヨーク・タイムズ紙に紹介された若い女性の憤懣です。この方は、ビルの5階にあるアパートで通話できない悩みがあるそうです。
近頃、アメリカでは、iPhoneやその他のスマートフォンの普及に伴って、携帯ネットワークへの負荷が大き過ぎると問題視されるようになりました。ニューヨークやサンフランシスコと、人口密度の高い都市部ほど「繋がらない」悩みは増えています。これから、iPhone 4(アイフォーン第4世代)が裾野を広げるとなると、問題はさらに深刻化するでしょう。
そこで、今月からAT&Tは、新規加入者のデータ通信定額制を改め、制限を設けるようになりました。(月額30ドルの定額制を、200MBまでのデータ通信料は月々15ドル、2GBまでは25ドルと改定。AT&Tは「データユーザの98%が月2GB未満の使用量なので、改定はユーザにとっても有利」としています。)
さらに、同社は、空港やレストランなど、全米2万箇所以上に持つWiFiホットスポットをスマートフォンユーザに無料開放するようになりました。上でご紹介した自宅向けの「MicroCell」作戦も、「ホットスポットの近くにいるときには、WiFiを使うように」というネットメッセージの一環なのでしょう。
スマートフォンばかりではなく、今後、iPadや電子ブックなど、通信機能を持つモバイル製品が増えていくことを考えると、今のうちに「WiFi推奨」の手を打っておかないと大変なことになるのかもしれません。(ちなみに、日本でもWiFi対応機種を念頭に、ソフトバンクがオフィス向け「WiFiスポット」を提供していますが、こちらは無料でレンタル提供となっています。)
なんでも、今年AT&Tは、携帯電話網拡大に80億ドル(約7,200億円)を投資する計画だそうです。たぶん「MicroCell」で徴収したサービス料も、そちらの方へつぎ込まれるのでしょうが、そんなものは雀の涙に過ぎないでしょう。
そうやって、携帯ネットワークには毎年膨大な投資がなされているわけですが、アメリカはとてつもなく広い国。どんなに基地局を整備したところで、漏れる場所は際限なく存在するのでしょう。そして、加入者が増えれば増えるほど、「ここでは使えない!」という苦情も確実に増えていく。
キャリアにとっては、なんとも頭の痛いところではあります。
というわけで、お次はガラリと話題が変わりまして、ゴルフの石川遼選手のお話です。
<石川選手、及ばず>
6月20日の「父の日」の日曜日、観光名所として名高いモントレーに向かいました。ゴルフの全米オープンの最終日だったからです。
ゴルフをなさらない方にはあまり関心のない事かもしれませんが、6月に開かれる「全米オープン(U. S. Open)」というのは、世界の4大メジャー大会のひとつでして、4月のマスターズ、7月の全英オープン、8月のPGAチャンピオンシップと並んで、世界中のゴルフファンの注目を集める名誉ある大会なのです。
その中でも、全米オープンとPGAチャンピオンシップは、毎年あちこちの米国内のゴルフ場で開かれるので、「今年はどこかなぁ?」とみんなが楽しみにしているイベントとなっています。
今年の全米オープンは、ペブルビーチ・ゴルフリンクス(Pebble Beach Golf Links)という有名なゴルフ場で開かれました。シリコンバレーから1時間ほど南のモントレー・カーメル地区にあります。(プロの大会は撮影禁止なので、以下の写真は、毎年2月にペブルビーチで開かれる「AT&Tプロアマ」の予選ラウンドのものとなります。)
このペブルビーチは、海に突き出たモントレー半島をうまく利用したリンクスコース(海沿いのコース)で、世界的にも風光明媚なコースであるとともに、とても難しいことで名を馳せています。
そんな難関に、日本の石川遼選手が挑戦しました。初日、二日目と調子良く予選を通過してくれたので、こちらも「最終日のチケットを購入していて良かった」と、意気揚々とモントレーに向かいました。
最終日は7位タイ(3日間通算3オーバー)でスタートだったので、まだまだ勝てる望みはあるではありませんか!
その石川選手をスタート前に見かけました。まさに、歩道橋を渡って1番ティーに向かう姿だったのですが、薄曇りのお天気でも、なんだか後光がさして見えるのです。それほど、希望に満ちた、若いエネルギーにあふれる姿でした。
なるほど、日本では「はにかみ王子(Bashful Prince)」というニックネームが付けられたと聞きますが、そんな貴公子然とした美しい姿は、「おじさんのスポーツ」のゴルフ界では際立って見えるのです。
この日は、真っ赤なパンツに白のシャツとさわやかな装いでしたが、ギャラリーのアメリカ人がこんなことを言っていましたね。「おい、イシカワは赤のパンツに赤のサンバイザー、それにピンクのゴルフバッグだぜ。お前、あんな格好できるかい?」
すると、連れの若者は、「っていうかさぁ、彼は初日にピンクを着ていたぜ、ピンク!」と返します。
おしゃれな日本人やヨーロッパ人と違って、アメリカの男性は、どこまでも「マッチョ」でなくてはなりません。彼らには、赤やピンクなんて色はご法度なのです。そして、そんな彼らにも、おしゃれな「イシカワ」の名は十分に広まっているのです。
そんな風に、カモシカのような美しい姿で1番ティーをスタートした石川選手でしたが、いきなりボギーと、苦しい最終日の幕開けです。
2番ホールはなんとかパーだったものの、わたしがタイガー(ウッズ)やフィル(ミケルソン)やアーニー・エルスといった有名選手に浮気している間に、3番から7番はパー、ダブルボギー、パー、ボギー、パー(7番まで4オーバー)と大崩れしているではありませんか。
これはいけない!と、そこからは浮気をせずに石川選手に付いてまわったのですが、8番ホールで2打目を打とうとボールに向かった彼は、「もうダメだ」と言わんばかりに首を大きく横に振っているのです。
わたしは「そんなに首を振っちゃダメ!」と心の中で叱咤激励していたのですが、なぜならゴルフというスポーツは、メンタルなスポーツ。気落ちしたところを体で表したが最後、そこからもっと崩れてしまうと思うのです。
案の定、2打目はグリーンに届かず、アプローチでもうまくホールに寄らずに、この日ふたつ目のダブルボギーとなりました。
そんなわけで、10番ホールでは、ティーグランドに向かう石川選手に「がんばれ〜、いしかわ〜」と声援を送ってみました。だって、日本人のギャラリーよりも日本から来た報道陣が多いくらいです。観客ががんばって応援してあげなければと、こちらも使命感が湧いてくるのです。
すると、そんな日本語の声援が功を奏したのでしょうか。右手にカーメル湾とカーメルビーチを臨む、この美しいパー4で、彼はようやくバーディーを取ってくれました。
うまくバーディーを沈めたグリーン上では、エメラルドの海に目をやりホッと一息ついていたようですが、これが、この日唯一のバーティーとなってしまいました。
その後の8つのホールは、4つのパーに4つのボギーと、まさに「忍耐のゴルフ」であり、終わってみれば、その日は9オーバー、4日間通算12オーバーの33位タイと、まったく予想外の成績ではありました。
メジャー大会で33位とは自己最高だそうですが、「もっと行けそうだった」というのが、観客にとっても、ご本人にとっても、正直な感想なのでしょう。(こちらは17番パー3。「忍」の一字で17番、18番とパーを取り最終ラウンドを終えました。)
何がそんなに難しいのかって、素人のわたしにはよくわかりません。けれども、全米オープンの最終日なんて、ものすごく難しい設定になっているのは確かです。
14番ホールでは、石川選手に付いてまわっていた青木功プロが目の前を通って行きましたが、「ここのコースって、あんまりラフがきつくないねぇ」という彼の問いかけに、「まあ、場所によりますかねぇ」という、お付きの人の答えが耳に入ってきました。そうなんです、このコースは、他のアメリカのコースと比べて、そんなにラフはきつくないように見えるのです。
けれども、全米オープンが来るというので、もとから狭いフェアウェイは普段の4分の3ほどの狭さになっていますし、断崖絶壁に落っこちる箇所だってたくさんあります。石川選手がバーディーを取った10番ホールでは、アーニー・エルスは崖で球探しをしていました。
しかも、海沿いのリンクスコースなので、風が吹くと、風速5マイルごとに倍々で難しくなっていくとも言われているようです。風に打ち勝つ球を打たないと、アプローチも難しくなってきますが、石川選手はアプローチショットがふんわりと高過ぎると、アメリカ人の解説者に指摘されていました。「でも、タイガーだって、あのくらい若い頃はそうだったから、これから練習すればいい」と。(こちらはビーチ沿いの4番パー4。この日、石川選手が今大会初のダブルボギーを叩いたホール。)
さらに、極めつけは、グリーンが小さくて、硬いことでしょうか。14番パー5(580ヤード)では、石川選手は2打目をフェアウェイからドライバーで打ち、グリーンのすぐ手前まで届いたのですが、3打目はグリーンからコロコロと落っこちてきて、ほぼ同じ場所から打ち直しとなりました。そして、パーパットをはずしてボギー。
一緒にまわっていたデービス・ラブIIIも、グリーン左ラフからの3打目が、うまくグリーンをとらえたのも束の間、そこからグリーン手前にいる石川選手の足下まで落っこちてきました。ここでは、ホールのまわり半径1.5メートル以内に球を落とさないと、全部グリーン手前まで落っこちる仕組みになっているようです。
そして、海に浮かぶような半島の先端には7番パー3があって、距離は100ヤードしかないのに、どうしたことか、ほとんどがグリーンを逃すのです。
このように、見た目は「攻め」を誘うようなコースではあるけれど、攻めるやいなや、大幅に崩れる、というような設定にしてあったのかもしれません。
まさに魔物とも言える、美しいゴルフコースではありますが、全米オープンの1週間前にペブルビーチでプレーした人が、「いやぁ、いつもよりも20は多くたたいたね」とあきれ顔でした。言うまでもなく「全米オープン仕様」になっていたわけですが、いつもは80のスコアが100になるということは、いつも100の人は、130か140になるということでしょうか?
わたし自身は、お隣のスパニッシュベイ(the Links at Spanish Bay)でしかプレーしたことはありませんが、こちらも風は強いし、球は飛ばないし、「なんでこんな辛い思いをしてゴルフをしなきゃならないの?」と、何度も自分に問いかけておりました。
そういえば、何年か前、全米オープンの予選に参加した友人が、「もう、あんなゴルフコース見たことないよ!」と嘆いていたことがありました。とにかくラフは伸ばし放題になっているし、グリーンは鏡のようにかたいし、どうやっても歯が立たないと。
彼は、アマチュアとしてはかなり上手いほうではありますが、途中棄権を余儀なくされたのでした。「オープン大会」はアマチュアも予選参加できるのですが、あんまり悪いスコアを出すと、向こう何年間か予選に出場できなくなるので、途中棄権した方が身のためなのです。
全米オープンの最終日、ひとりのプロ選手に付いてまわったおかげで、プロの世界の厳しさを肌で感じたような気がいたします。そして、自分はプレーしていないのに、どっぷりと疲れてしまったのでした。
「ようこそカリフォルニアのゴルフコースへ」と微笑まれながら、こてんぱんにやっつけられる彼らには、同情を禁じ得ないのです。
悪夢のような最終ラウンドの翌日、日本に向かった連れ合いは、偶然にも、全米オープンに出場した日本人選手と飛行機で乗り合わせたそうです。真横には谷口徹選手、その隣には池田勇太選手、そして、後ろを振り返ると、石川選手と彼のキャディーが座っておりました。
石川選手はキャディーとなごやかに話をしていたようですが、彼にとっては、コースを知り尽くした現地の人を雇うよりも、励ましと心の安らぎを与えてくれる「相棒」が最強の味方となるのでしょう。
降り際に、「きのうはペブルビーチで応援してましたよ」と連れ合いが声をかけると、「ありがとうございます」と笑顔で返してくれました。これ以上は全米オープンに触れられたくないだろうと話題を変えると、「全日空さんはスポンサーなので、アメリカに来るときには、いつも乗せていただいています」と丁寧に答えてくれたそうです。どこまでも礼儀正しい、すがすがしい青年なのでした。
そして、この18歳の若き貴公子は、ゲートで待ち受ける何十という報道陣のフラッシュにさっそうと消えて行ったのでした。
夏来 潤(なつき じゅん)