スタートの季節:我が家のPくんとグーグルのペイジ氏
Vol. 141
スタートの季節:我が家のPくんとグーグルのペイジ氏
いつの間にか、2011年も4月となりました。今月は、そんな4月にふさわしいお話にいたしましょう。
第1話は、人の成長について。第2話は、企業の成長について、グーグルを例にとったお話となっております。
<成長の受け皿>
4月は、新しい季節。学校に入学したり、会社に入社したり、はたまた転職してみたりと、新しいスタートを切られた方々もたくさんいらっしゃることでしょう。
そんなスタートラインにいらっしゃる方にとっては、もう無我夢中で走り始めるしかないわけではありますが、スタートを切ってかなり間のあるわたしにとっては、スタートを切ったばかりの方の「走りぶり」が、如実に見えることもあるのです。
たとえば、我が家のファイナンシャルアドバイザー。「Pくん」と名付けましょうか。彼が我が家の担当になったときには、それこそ大学を卒業したばかりの「はな垂れ小僧くん」でした。
「ドットコム・バブル(Dot-com bubble)」という名のインターネットバブルもパチンとはじけ、金融業界が大きく傾いていた2002年末、それまでつき合っていたファイナンシャルアドバイザーが他の金融機関に移るのを機に、一緒に移ったPくんにバトンタッチしてもらったのでした。
「あんなに市場が好調なときでも、まったく何もしてくれなかったじゃないか。だから、もうアンタは信用できない!」と主張する連れ合いに対して、元のアドバイザー氏はPくんにバトンタッチすることを承諾したのでした。
まあ、元アドバイザー氏が何もしてくれなかったというのは事実なのですが、その頃は、シリコンバレーに住む多くが好調のとき。彼らが働くスタートアップ会社の株式公開(IPO、initial public offering)で「ミリオネア」「ビリオネア」になる可能性を秘めていたとき。我が家のような「小口」の顧客は、真剣に相手をする暇もなかったのでしょう。
それに、元アドバイザー氏は、コロラド州出身のアングロサクソン。どんなにカリフォルニアに長くとも、どこかに「有色人種」に対する偏見があったのかもしれません。
そんなこんなで、新たに我が家のアドバイザーになったPくんとは、それから長い付き合いとなるのです。
けれども、やっぱり、金融業界のみならず、実社会での経験が短いのが災いして、なかなか彼の業績は上がりません。良いと思って一生懸命にやっていることでも、かわいそうに裏目に出ることが多いのです。
ま、投資なんて「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の部分がありますから、すべてが当たって欲しいなんて願ってはいませんが、プロの投資家としてはちょっと疑わしいような判断をすることもあったのです。
たとえば、世の中のアナリストの大部分が「今は絶対に航空業界に手を出してはいけない」と言っているときに、航空会社の株を買ってみるとか・・・。要するに、下降線にある銘柄を買うのが早すぎたり、逆に、乗り遅れて一番高くなったときに買ってみたりと、なんとなくテンポがずれているとでも言いましょうか・・・。
ところが、そんなPくんにも、大きな転機がやって来るのです! それは、Pくんにとって3回目の転職。
この4社目の会社は、投資銀行(investment bank)の老舗で、それまで何年か勤めていた銀行の投資部とはまったく違ったのです。
アメリカの場合、銀行と投資銀行は歴史的にも異なる存在として共存してきたので、「どっちが良い悪い」の議論はべつとして、各々の機関のマインドはまったく違うわけですね。
投資銀行は、その名のとおり「投資」を目的としていますので、すべてのエネルギーは「投資リターン(return on investment)」に向けられています。要するに、顧客にたくさん儲けさせて、その分け前を我が社もいただきましょう、というアプローチですね。
ですから、投資銀行には、日々のデータ解析をカリカリと行っているお利口さんたちに加えて、世界各地に食指を広げ「おいしそうな投資」を見つけてくるお利口さんたちもいっぱいいて、そんな投資銀行に入ったPくんにとっては、お勉強する機会も材料もグンと増えたわけなのです。
その良質のお勉強材料や新しい物の見方は、まさに、目からウロコが落ちるようだったに違いありません。
ですから、Pくんは変わりましたよ。まず、自信がつきましたね。最初は「我が社のアナリストはこう言っている」から始まりましたが、そのうちに「僕自信は違う意見を持っている」と、自身の解釈を入れながら、自分の言葉で主張するようになりました。
そして、さすがに素人が知らないような投資チャンスを見つけて来ては、「そろそろこっちを売り払って、長期的に安定性のあるこっちに乗り換えましょう」と、有意義なアドバイスをするようになったのです。
今までは避け気味だった「今年の業績」なんていうのも、自分からミーティングを提案するようになって、ちょっと低迷していたにしても、「これから市場は上向きなんです」と、悪びれずに予測を伝える術(すべ)も覚えたようです。
たぶん、それまでの頭の中の「濁流」が、時間や経験とともに「清流」となってきて、世の中の動きや押さえどころが見えてくるようになったのでしょう。
だから、無駄を省いて、鋭い判断をするようになったし、結果が良い方向にころがり始めると、自信もついてきて、判断にもさらに磨きがかかる。精神的に余裕が出てくると、経験豊富な顧客に学ぶところも増え、視野も広がってきたのでしょう。
もちろん、いいことばかりではありませんよ。2008年秋の「世界金融危機(いわゆるリーマンショック)」には、大きな痛手を被り、疲れた表情を見せていた時期もありました。が、そのつまずきを逆手(投資チャンス)に取って、その後は盛り返す、といった技も見せてくれているようではあります。
そんなPくんを見ていると、こう思い始めたのでした。もちろん、もともとの素質(向き、不向き)もあるのだろうけれど、人の成長に大事なことは「受け皿」なのだなと。
今まで経験したこともないようなポジションに就くとか、大きなプロジェクトを任されるとか、新しい環境に飛び込んでみるとか、何かしら大きな受け皿に入ってみると、プレッシャーに負けずに大きく成長する人もいるのだなと。
ま、Pくんの場合には、「受け皿探し」に何年もかかったわけですけれどね。
ちなみに、わたし自身がPくんに仕事を任せてみようと思った理由は、彼の初対面の自己紹介にあったのでした。
彼は、こう断言してくれたのです。「僕の父は投資に失敗して、全財産をなくしたばかりか、家族とも別れることになってしまった。だから、父のような思いは、僕の顧客には絶対にさせたくない」と。
ま、Pくんがアングロサクソンではなくて、子供の頃に韓国からやって来たアメリカ人だということもあったでしょうか。だって、ワールドサッカーで韓国が敗退し、日本が残っているときには、一生懸命に日本を応援してくれるような人ですから。
やっぱり、そういうことって、人と人との付き合いには大事ですよね!
<グーグルのシュミット氏とペイジ氏>
人が成長していくのと同じように、企業もどんどん成長していきますね。企業の場合は、どちらかというと、蝶のように脱皮を繰り返しながら「変態(metamorphosis)」していく部分もあるでしょうか。
たとえば、自宅に仲間が集って数人で始めた会社が、手伝ってくれるエンジニアを雇っているうちに数十人、数百人の会社になり、新しい市場を求めて外国に進出し現地採用を始めたら、いつの間にやら数万人の会社になっていた、というようなサクセスストーリー。
その成長の過程では、舵取りをする経営陣がキーとなってきますが、シリコンバレーの場合、企業の「変態の段階」によって投入される経営陣がガラリと変わってくるのです。
たとえば、グーグル(Google)が良い例となるでしょうか。ご存知のとおり、グーグルは、名門スタンフォード大学のコンピュータサイエンス博士課程に在籍中だったラリー・ペイジ氏とセルゲイ・ブリン氏が共同設立した会社ですが、1998年の創設から3年ほどは、ふたりが共同経営者(co-presidents)となっていました。
グーグルはインターネットの「検索エンジン」という技術の会社でしたから、シリコンバレーの多くのスタートアップと同様、「みんなでワイワイとモノをつくって、後から売りさばくことを考える」みたいな、エンジニアリング主導の会社としてスタートしたわけですね。
けれども、ユーザが増えるにしたがって、モノづくりが多様化し、ビジネス規模が拡大してくると、いよいよ「経営のプロ」が必要となってきます。もう「ここにこんな機能を付けたらおもしろいんじゃない?」といった技術的な話では収まらなくなりますからね。
と、ここで選ばれたのが、エリック・シュミット氏です。この方は、コンピュータエンジニアリングの博士号(カリフォルニア大学バークレー校)を持つ元技術者。その後、サン・マイクロシステムズでCTO(chief technology officer、最高技術責任者)、ノベルでCEO(chief executive officer、最高経営責任者)を務め、IT企業の経営陣としての経験も豊富です。
「グーグルの創設者ふたりは、何を考えているのか計り知れないほどの天才たち」と評しながらも、自身も相当に頭が切れる方のようにお見受けします。そして、眼鏡のまじめな風貌とは裏腹に、ユーモアのセンスもたっぷりとお持ちのようです。
バランスのとれたシュミット氏は、従業員200人の成長企業の経営者としては、まさに適任とも言える方でした。
シュミット氏の采配のもと、ロードマップ(製品開発戦略)、雇用計画・企業買収戦略、モノづくりのステップともなる開発プロセスと、会社としての基本的なルールや体制がつくり上げられたのでした。
グーグルは、自由な開発の雰囲気に包まれた「研究者集団」のような会社ですので、「ロードマップをつくろう!」なんて言われても、最初は何のことだか誰もわからないところからスタートしたことでしょう。
経営規模が拡大するに従って、対外的にも企業のあり方は複雑になってきます。たとえば、国内外の政府機関との折衝、競合やユーザから起こされた訴訟、株価を損なわないための株主へのアピールといった、大企業にとっては避けられない諸問題と向かい合うスキルも必要となってきます。
この点でも、シュミット氏は存分に手腕をふるったわけですが、そうやって、今のグーグルの押しも押されもせぬ立場を築き上げたのが、彼を頂点とする経営陣でした。そう、シュミット氏が来た頃には200人だった会社が、いまや2万6千人強の多国籍企業!
けれども、グーグルの変わっているところは、経営のトップがまた元に戻ったということでしょうか。
4月からは、シュミット氏が会長(executive chairman)に退き、創設者のひとりであり、新規開発の指揮を執るラリー・ペイジ氏がCEOに就いたのでした。
通常、シリコンバレーの企業が株式公開などを機に大きく脱皮し、次のトップにバトンタッチされると、もともとの経営者(ほとんどの場合、創設者)は、もう戻って来ないのが半ば常識ともなっています。
それは、ビジネスの「起業」の部分が楽しくて、安定期に入って人手に渡したものには興味を失う起業家が多いからですね。どうせなら、また新しい会社をつくっちゃいましょう、というノリの人が多いわけです。
たとえば、シリコングラフィックスやネットスケープといった有名企業を立ち上げたジム・クラークさん(2009年4月号の第3話「ジムさんとマークさん」でご紹介)などは、常に新しいことにチャレンジしていたいと「起業家虫」がウズウズするタイプの方でしょう。
ところが、グーグルの場合は、創設者であるペイジ氏に経営権が戻った。まあ、似たような生い立ちのヤフー(Yahoo!)のように、一時期経営から離れていた共同設立者ジェリー・ヤン氏が、暫定的にCEOに就いた例はありますが、こういったケースはそう多くはないでしょう。(CEOの「返り咲き」で一番有名な例は、アップルのスティーヴ・ジョブス氏ですが、それはまた、べつの機会のお話ですね。)
ごく最近、人気つぶやきサイトのトゥイッター(Twitter)では、共同設立者であり当初のCEOジャック・ドーシー氏が戻って来ましたが、CEOというポジションではなく、自ら立ち上げた他の会社(スマートフォンを使ったモバイル決済サービスのSquare)のCEOをやりながらの会長職という立場です。
けれども、立場は違ったにしても、コンセプトは2社に共通しているのかもしれません。それは、「創設者を呼び戻すことで、当初の息吹を吹き込みたい」というもの。つまり、大きくなった会社に、もう一度スタートアップの頃の熱い情熱を呼び戻したい、ということではないでしょうか。
ペイジ氏がCEOに就いたことで、グーグルの組織はより平たくなったようです。4月からは、スマートフォン/タブレット型コンピュータOS「アンドロイド(Android)」、ウェブブラウザ/OS「クローム(Chrome)」、広告配信サービス「アドセンス(AdSense)」、動画サイト「ユーチューブ(YouTube)」といった主力製品の責任者7人が、直接CEOのペイジ氏に報告する体制となりました。
これは、組織の階層を減らし、風通しを良くしたいというペイジ氏の意向であるとともに、彼の経営に対する自信の表れなのかもしれません。シュミット氏から学びとったことを自ら実践してみようじゃないか、という自信の表れ。
そして、ある種の危機感の表れであるのかもしれません。「今の状況は長くは続かない」という経営者が持つ危機感。
新しくペイジ氏が舵取りをするグーグルは、組織的に「岐路に立っている」と言えなくもないでしょう。なぜなら、リーダー格の多くは2004年のIPOで巨額の財を築き、「やってやるぞ!」というハングリー精神に欠ける部分もあるでしょうから。
そして、これから雇いたい優秀なエンジニアにとっては、IPOを済ませ、株価が上がりきったグーグルよりも、競合のフェイスブック(Facebook、世界最大のソーシャルネットワーク)のような非上場企業の方が魅力的かもしれませんから。
おもしろいもので、グーグルの平たい組織変更が可能になったのは、今まで製品開発を統括していたひとりの重役が、シュミット氏とともに退くことが決まったからでした。
この方は、ジョナサン・ローゼンバーグ氏という業界のベテラン重役ですが、彼はシュミット氏のすぐあとにグーグルに参画し、組織づくりに務めた方でした。
なんでも、地元紙サンノゼ・マーキュリー新聞の本人インタビューによると、「製品開発プランのつくり方も知らないようなグーグルのマネージャたちを、根気良くシュミット氏とともに教育してきた」ということです。
このインタビュー記事(4月16日付マーキュリー紙ビジネス欄に掲載)がまた、とっても楽しめるものでして、読んでいると、日頃なかなか伝わって来ないグーグルの内情が、そこはかとなくわかるインタビューとなっているのです。
ローゼンバーグ氏曰く、「(グーグルのスタッフを教育していく上で)グーグルという患者がジョナサン(自身)のドナー細胞を拒絶しているのがわかった」と。
そして、「一年ほどたつと、グーグルでの偉大なリーダーというのは、異なった観点のまとめ役(an aggregator of viewpoints)であって、独裁的な決断者(a dictatorial decision-maker)ではないということがわかってきた」ということです。
「重役会議に出ると、そこには自分のルール、エリック(シュミット氏)のルール、ラリー(ペイジ氏)のルール、セルゲイ(ブリン氏)のルール、そして誰か別の重役のルールが混在していた」とも述べられていて、グーグルを去ったあとは、シュミット氏とともにグーグルを語る本を書くつもりだともおっしゃっています。
多くのシリコンバレーの企業と同様、そこには、技術的な観点から物を言うエンジニアリング陣営と、経営の観点から物を言うオペレーション陣営の駆け引きがあったのでしょう。
蝶のように形を変えるグーグルが次のフォーカスと目しているのは、ソーシャル。この分野では、「グーグル・バズ(Google Buzz)」を始めてはみたものの、フェイスブックなどの競合に先を越されたままの状況となっています。
そして、4月初頭に再選キャンペーンを始めたオバマ大統領が、問答形式のタウンホールミーティングの場に選んだのも「フェイスブック・ライヴ(Facebook Live)」。
4月20日、サンフランシスコに降り立ったオバマさんは、パロアルトにあるフェイスブック本社に直行し、そこから再選に向けた財政ビジョンのライヴストリーミングを行いました。(質疑応答の模様は、ホワイトハウスとフェイスブックのウェブサイトで中継。写真は、ビシッと上着を着て登場したフェイスブックのCEOマーク・ザッカーバーグ氏に向かって「窮屈だろうから、ジャケットは脱いでいいよ」とうながし会場の笑いを誘うオバマ大統領。)
そんなこんなで、ソーシャルの分野ではちょっと出遅れているグーグル。そこで、4月の組織変更にともない、従業員のボーナスの4分の1は「ソーシャル分野の功績で査定する」とも伝えられています。
グーグル、フェイスブック、2社のスタート地点はまったく異なりますが、これから目指すところは同じなのかもしれません。つまり、「あなたのバーチュアルライフ(仮想世界での生活)は全部わたしが面倒みてさしあげましょう」という、どでかい構想。
果たして、そんなことが可能なのかはわかりませんが、夢はでっかく持つ。少なくとも、これが、何でもトライしてみるグーグル精神なのかもしれません。
そして、ここ一、二年は、グーグル精神の源とも言えるペイジ氏の采配ぶりが楽しみになってくるでしょう。
夏来 潤(なつき じゅん)