2011: 記憶に残る一年
Vol. 149
2011: 記憶に残る一年
2011年も、あとわずか。今年は大変な年ではありましたが、今月は、一年を振り返って、アメリカのお話をいたしましょう。
景気、テクノロジー業界、社会の動きと、3つのお話となっておりますので、お好きなものから、どうぞ。
<今年のパロディー>
2008年のリーマンショックが引き金となった「大不景気」とやらは、もうとっくに脱しているそうですね。でも、今年は、まだまだ世知辛いニュースばかりの一年でした。
そんな時勢を反映して、今年印象に残ったパロディーをひとつ。
アメリカでは、車が一番売れるのは年末。
そんなバラ色の季節を当て込んで、トヨタは過去30年も「トヨタソン(Toyotathon)」と呼ばれる年末商戦を繰り広げます。
今年のイメージカラーは、シルバー。明るく輝く車のコマーシャルを見ていると、自分も新車が欲しくなるのが人情なのです。
そして、何年か前からは、レクサス(Lexus)ブランドの年末商戦も活発になり、こちらは「レクサス、記憶に残る12月(Lexus December to Remember)」と銘打って、いろんなバージョンのコマーシャルが流れるのです。
このレクサスCMが印象深い理由は、音楽。毎年どのCMも同じメロディーを使っているので、今となっては、このメロディーを耳にすると、アメリカ人のほとんどがレクサスの宣伝だとわかるように教育されています。
そんなイメージ作戦もあって、今やレクサスという言葉は、「金持ち」の婉曲語ともなっています。
たとえば、「レクサス車線(Lexus lanes)」なるものがあって、普段は複数人数の乗った車しか通れない車線だって、お金を払えば、ちゃっかり通れる制度を指します(正式名称はHOT車線、High Occupancy/Toll lanes)。
というわけで、レクサスの今年の主力CMは、こちら。題して「オルゴール」。まずは、本物のCMをご覧あれ。
そう、プレゼントのオルゴールから、レクサスのメロディーを聴き取った奥方は、目を輝かせるのです。そして、外に飛び出した彼女の前には、レクサスの新車が!
まあ、ステキ! 赤いおリボンの新車だわ!
これに対して、人気コメディアン、ジェイ・レノさんのパロディーは、こちら。題して「認識と現実」。
(The Tonight Show with Jay Leno: “Perception vs. Reality”, aired by NBC on December 1st, 2011)
オルゴールを開けてレクサスのメロディーを聴き取った奥方は、すぐに外に飛び出すのです。が、車はどこにも見当たらない!
「あなたぁ、わたしの車はどこ?(Baby, where’s my car?)」と尋ねる奥方に、
「え、きみには車をあげたんじゃないよ。オルゴールをあげたんだよ(I didn’t give you a car. I gave you a music box)」と答えるダンナさま。
エイッとオルゴールを放り出した奥方は、たぶんダンナを家から放り出すことでしょう。
いや、なんとも、身につまされるパロディーではありました。
お断り: わたし自身は、過去10年間トヨタ製の車に乗っていますが、決してトヨタの宣伝をしているつもりはありません。
3月の東日本大震災、7月のタイ洪水と、大打撃を受けた方々が一日も早く元通りになれますようにと、切に願っているところです。
<今年の一大事>
テクノロジー業界の一年を振り返ると、実にいろんなことがありました。近頃は、みんなのコミュニケーションが速いので、それにつられて物事の進みも加速の一途をたどっています。
そんな目まぐるしい一年で、一番印象に残ったのが、スティーヴ・ジョブス氏の逝去。
いうまでもなく、10月5日にパロアルトのご自宅で亡くなった、アップル共同設立者であり前CEOの「伝説の人」。(写真は、半旗が掲げられるアップル本社)
僭越ながら、10月号ではジョブス氏のことを書かせていただきましたが、わたし自身は、彼の逝去は「人類史上、取り返しのつかない一大事」だと思っているのです。
また、大袈裟だなぁ、と思われる方もいらっしゃることでしょう。けれども、ジョブスさんがいなくなったことで、時流に棹(さお)を差す人物がいなくなってしまったように感じるのです。
コミュニケーションが加速し、情報が一瞬にして伝播するようになると、目まぐるしく物事が変化します。迅速になる分、便利だとも言えますが、その反面、時流に流されることも多くなるでしょう。
そこに、ジョブスさんのような「全体をとらえ、未来をしっかりと見据える」人物がいらっしゃると、違った視点から物を見る助けにもなるでしょう。
すると、今いる自分の位置だとか、環境全体だとか、これからの方向性だとか、そんなことがすっきりと見えてくると思うのです。
たとえば、こんな業界の逸話があるでしょうか。
生前、ジョブスさんが猛反対していたものに、アドビ「フラッシュ(Flash)」というのがあります。
動画やゲームといったコンテンツをリッチにするウェブ規格ですが、当初「あんなに広く使われているフラッシュなのに、どうしてあそこまで猛反対するのだろう?」と、ほとんどの人は首をかしげたのでした。
ジョブスさんの論点はいくつかあって、「オープンな規格ではなくて、一社に握られている」とか「セキュリティーの問題がある」「モバイル製品では性能が悪い」「タッチ方式には向かない」と、彼自身は、オープン規格であるHTML5を推奨していました。
自社のiPhone、iPod、iPadといったモバイル製品にも、頑としてフラッシュを採用しませんでした。
(昨年4月、ジョブスさんが書かれた論点(原文)は、こちらでお読みになれます。文章の感じから、ご本人の言葉をそのまま誰かに書き取ってもらったものと思われますが、最後の文章「アドビ社は、アップルなんか責めてないで、将来のためにHTML5のツール開発に励んだら?」とは、彼の負けん気の強さを表しています)
けれども、多くの人にとっては、これは、ジョブスさんがアドビ社を目の敵にしているとしか映らなかったのでした。
こんなにゴチャゴチャとご託を並べて、何か個人的に恨みでもあるんじゃないの? と。
ところが、ジョブスさんが亡くなってすぐに、アドビ社は負けを認めることになるのです。
先月9日、こう発表したのでした。
「今やモバイル環境のコンテンツでは、HTML5が事実上の一般規格となっており、今後、モバイル向けフラッシュの開発・機能拡張を中止する」と。
加えていわく、「我々は、アップルに負けたのではない。顧客の声に耳を傾けただけだ」
(アドビ社CFOマーク・ギャレット氏がThe Associate Press社に語った見解)
まあ、ストレートに負けは認めたくないのでしょうけれど、アドビ側もジョブスさんと同じ結論に達したのでしょうね。やっぱり、HTML5の方がいいみたいって。
そして、ここで多くの人は気づいたわけです。やっぱり、ジョブスさんは正しかったんだぁ・・・と。
まあ、そんなわけで、ジョブスさんは「時流に棹を差す人物」だったと思うのですが、そんな人がいなくなったら、世の中が一色にぬりつぶされて、おもしろくないではありませんか。
これから先、当たり前の顔をした人が、当たり前のことを言うようになるのだと思うと、ちょっとゾッとしてしまうのです。
当たり前といえば、「当たり前のアップル」はすでに片鱗を見せている、とおっしゃる方もいらっしゃいますね。
たとえば、最新のiPhone(アイフォーン4S)のデビューとともに話題となった、「Siri」。こちらが会話形式で尋ねたことに、女性の声で応答してくれる機能ですが、これが、うまく答えてくれないことがあって、実用的ではないとおっしゃるのです。
いえ、わたしは英語のネイティヴスピーカーではないので、何とも主張しようがないのですが、自分で遊んでみた感じでは、たとえば、音楽をプレーする、スケジュールを入れる、誰かに電話やメールをするといった、単純な作業には便利なようです。
お天気や株価をチェックしたり、近くのお店を調べたりと、簡単なネット検索にも向いています。
けれども、そこから一歩踏み込んだ作業になると、まったく見当違いの答えが返ってきたりして、まだまだ実用には向かない、と主張するネイティヴの方もいらっしゃるのです。
まあ、Siriは、なかなか気まぐれな、態度のデカいところがあって、同じ質問にも違った答えを出してくることもあるようです。が、この方は、こう断言していらっしゃいました。
もしスティーヴ・ジョブスが存命だったならば、とってもこんな状態では世に出してはいないだろうと。
なるほど、アップル製品のコマーシャルが流れるテレビ番組まで、全部ご自分で吟味なさったジョブスさんです(日本語の番組もそうだったと聞いています)。
新しい機能だったら、もっともっと厳しい目で審査なさったことでしょう。
まあ、こういうのは、ほんの一部の例に過ぎないのですが、ジョブスさんが亡くなって以来、「もし彼が生きていれば・・・」と思うようなことは、いくつもありましたね。
だって、世の中、財力に物を言わせて「ヘタな鉄砲も数撃ちゃ当たる」方式がウジャウジャしています。ジョブスさんのような人にしかできないことって、いっぱいあるんですよ。
とにかく、残念なことではありましたが、ふと思い出したことがありました。
あれは、2007年6月29日、金曜日の午後6時をまわった頃。初代iPhoneが発売となり、大騒ぎの渦中にあったパロアルトのアップルショップには、ジョブスさんと奥方がお忍びでいらっしゃっていました。
考えてみれば、あんなに秘密主義のジョブスさんがわざわざ足を運んだということは、iPhoneの発売がよっぽど嬉しかったということなのでしょう。
そんなに喜ばしい、美しいものができあがって、よかったですね、ジョブスさん!
<99パーセントの願いって?>
今年は、世直し旋風が、世界中に吹き荒れた一年でもありましたね。
「アラブの春(Arab Spring)」と呼ばれる、アラブ世界の改革運動。そして、先進国を吹き荒れた「オキュパイ(Occupy)」運動。
先日、アメリカのTime誌が今年の顔に選んだのも、「プロテスター」。つまり、改革・抗議運動に尽力する無名の方々でした。
実は、「オキュパイ(占拠)」の概念は、カナダで生まれたそうなのですが、シリコンバレー界隈でも、サンフランシスコ、オークランド、サンノゼと、街の公園にテントが立ち並びました。
わたしが初めて「テントシティー」を見たのは、イギリスのロンドン。セントポール寺院前には、大きなテントシティーができあがっていて、ちょっとした街の雰囲気でした。
一国の動きが、他国にまたたく間に広まるのが、ソーシャルネットワークの時代です。
アメリカでは、金融街ウォールストリートが占拠運動の発祥地ですが、大手銀行に向けられたシュプレヒコールも、どうも一般市民には受け入れられていない感がありますね。
「1パーセントの金持ちと、我々99パーセントの不平等をなくせ!」というのがスローガンではありますが、99パーセントの人々だって、なんとなく冷ややかな視線を送っているような・・・。
それで、「99パーセント」のわたしとしては、どうしてなのかなぁ? と考えていたのですが、こんなことをおっしゃった方がいらっしゃいます。
ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニスト、デイヴィッド・ブルックス氏は、こう指摘されます。
「99パーセントの人は、べつに不平等を不満に思っているわけではなくて、自分にちゃんと機会が与えられているかを気にしているのだ」と。
(12月21日放映のインタビュー番組『チャーリー・ローズ』より)
つまり、不平等(inequality)というのは、単なる結果論であって、99パーセントの人が一番気にするのは、人と同じように、自分にも等しく機会(opportunity)が与えられているかどうかだ、というご指摘なのです。
アメリカで「機会」というと、教育(education)と同義語のようなものですが、とにかく、どんな生まれであろうと、自分にちゃんと教育を受けられるチャンスが与えられていれば、あとは自分次第。
伸びるか、伸びないかは、すべて自分自身の責任であって、富裕層になろうが、貧困層になろうが、それは人の知ったことではないのです。
もちろん、適材適所というのがありますので、たまたま「適所」に当たらなかった方もいらっしゃることでしょう。でも、適所を見抜くのだって、自分の責任かもしれませんよね。
たとえば、家系を見渡してみて、自分の血に商売人のDNAが入っていなければ、接客業なんかに就いてはいけないでしょう。そんな風に、自分が何に向いているかを見極めるのも、自身の責任となるのでしょう。
とは言うものの、見極めるというのは、見切ることとは違います。「世の中って、こんなもんさ」「自分って、この程度さ」とタカをくくったら、思いもよらない大展開や大失敗が待ち構えていたりするのです。
ですから、人と同じように機会が与えられていれば、あとは、文句は言えない。
懸命に働いて、自分の城を持って、人並みに尊敬(respect)されて、自身に満足できれば、金持ちだろうが、貧乏だろうが、わたしはそれで幸せよ、というのが多くのアメリカ人のマインドであると、ブルックス氏は指摘します。
たしかに、等しい機会(equal opportunity)という言葉は、思想の右、左に関係なく、いろんな方がおっしゃいますね。
たとえば、オバマ大統領も好んで使われますし、アップルのジョブス氏だってそうでした。
ジョブスさんは、こうおっしゃったことがあります。
「僕は、みんなが等しい結末じゃなくて、等しい機会を与えることに大賛成だね。みんなが同じ結末になるなんて、そんなことまったく信じてないよ。だって、残念ながら、人生ってそんなもんじゃないからさ。もし人生がそんな風だったら、世の中って、とってもつまらないところだろう。でも、等しい機会っていうのは、ほんとに心から信じてるよ」
I’m a very big believer in equal opportunity as opposed to equal outcome. I don’t believe in equal outcome because unfortunately life’s not like that. It would be a pretty boring place if it was. But I really believe in equal opportunity.
(1995年、スミソニアン協会/コンピュータワールド誌合同の報奨プログラムが行った、ネクスト/ピクサー時代のジョブス氏へのインタビュー。The Importance of Educationの章より引用)
なるほど、アメリカ人って、きっとこんな感じなんでしょうね。
ギフトボックスに入って、赤いおリボンのかけられた「平等」なんて、そんなもの欲しくもないわ!
だって、「平等」って自分で勝ち取るものでしょ! って。
夏来 潤(なつき じゅん)