二度目のマウイ: 火と風を感じる
Vol. 179
二度目のマウイ: 火と風を感じる
6月の第一週、遠く旅に出てみました。
というわけで、今月は、久しぶりに訪れたハワイ(Hawai’i)のお話をいたしましょう。
<ハワイの調べ>
今回の旅は、マウイ島(Maui)の4泊5日。ハワイ諸島・主要8島の中では、ハワイ島に次いで2番目に大きく、2番目に新しい島です。
これまでハワイは何度も訪れ、そのたびに違った島々に滞在し、それぞれの魅力を堪能しましたが、マウイ島は二度目。以前は、賑やかな西マウイのカアナパリ(Kaanapali)に宿泊したので、今回は静かな南マウイのワイレア(Wailea)を選びました。
「シリコンバレーの首都」サンノゼからはマウイ島に直行便が出ていて、ハワイアン航空45便で5時間弱のフライト。
この便は、4月下旬、ソマリア出身の15歳の少年ヤーヤくんが車輪格納庫に隠れて飛行し、一躍有名になった路線。エチオピアの難民キャンプにいる実のお母さんに会いたい一心で家出を試みたわけですが、たまたま潜り込んだ便の飛行時間が5時間程度で良かったです(同じ15番ゲートから出るANA1075便・ボーイング787型機だったら、成田まで11時間!)。
そんなわけで、朝ご飯を食べてひと眠りしたらマウイ島カフルイ空港に到着しましたが、まあ、そこには、まったりとした空気が流れていました。
極度に乾燥したシリコンバレーと比べて、肌にまとわりつく湿気。そして、人を包み込むような適度な暖かさと南国特有のモクモクとした雲。
そんなものが体じゅうにインプットされると、「今、何時だっけ?」とか「あ、手にバイキンが・・・」なんていう杞憂は一気に消し飛んでしまうのです。
だいたい、あのハワイアンミュージックだって、何かしら、からみつくような魔力があるとは思いませんか?
そもそも、ハワイを今回の旅の目的地に選んだのは、ハワイアンミュージックだったのです。
自宅のApple TV(アップルのメディア・音楽配信サービス)のiTunesラジオでハワイアンミュージック・チャンネルを聴いていたら、無性にハワイが懐かしくなって、「よし、ハワイに行こう!」と連れ合いと意気投合したのでした。
まあ、のんびりとした印象とは裏腹に、近頃はハワイのミュージシャンもテクノロジーの力を借りることもあるようで、スラックキーギター(kiho’alu)の若手第一人者であるMakana(マカナ)さんは、アルバム制作のために、昨年Kickstarter(キックスターター)を利用して一般の方々から資金を調達(crowdfunding)なさったとか。
2008年の金融危機(リーマンショック)のあと、彼の歌『We Are The Many』はオキュパイ(占拠)運動のテーマソングにもなったそうで、きっと若いファン層からは、すぐに資金が集まったことでしょう。
Makanaさんのように、ハワイの音楽を通して問題提起をなさるのは珍しいケースですが、やっぱりハワイに似つかわしいのは、わざとチューニングをはずしたギターや独特の発声法による語り歌。
飛行機で渡されたiPadミニの映画・音楽サービスや、ホテルのプールサイドに流れるバックグラウンドミュージックを聴いていると、自然と体の力が抜けていって、もう何年もハワイに住んでいるような、リラックスした気分にしてくれるのです。
<ハワイの火と風:「火」>
ハワイの島々に来ると、大自然と親しめるのも、ハワイ観光の醍醐味でしょうか。
たとえば、宿泊先のワイレアは、南マウイの立派なリゾート地でしたが、そこからちょっと足を伸ばしただけで、人も住まないような溶岩流の跡地を訪れることができます。
そうなんです。ワイレアの街は、一見ハイウェイの終点地に見えますが、ここから南に細い道が続いていて、ずんずん運転していくと、溶岩流の真ん中を突き抜けて、南端のラペロウス・ベイ(La Perouse Bay)という小さな湾に出てきます。
ここは、1786年5月、西洋人として初めてフランス艦隊のジャン=フランソワ・ラペロウス提督が着岸したところで、今は彼の名が付いていますが、もともとはKeone’ō’io(周辺で豊富だった魚を表す名)と呼ばれ、昔の方々が築いたと思われる溶岩の石垣も史跡として残っています。
ここで目を引くのが、はるか遠く雲に煙るハレアカラの山から流れてきた、黒々とした溶岩流(lava flow)の痕跡。
個人的には溶岩流を見ると「自然の脅威」と「人々の驚愕」を感じて、しばらく車の中で震え上がってしまうのですが、ここで連れ合いと議論になったのが、いったいいつ流れ出した溶岩だろう? ということでした。
連れ合いは、もう何百年も昔のものだろうと言い、わたしは、これだけ黒々としているのだから、ほんの百年ほど前のものだろうと主張したのでした。
ご存じのとおり、ハワイ諸島は、地底から沸き上がったマントルの上昇流(mantle plume)の上を地殻がスライドしていって、北から順繰りにカウアイ、オアフ、マウイ、ハワイと形成されましたので、南の方はまだ「カッカと燃えて」います。
中でも、このマウイ島のハレアカラと、ハワイ島内と海底にある4つの活火山は、あまりにマグマが豊富なので、噴火のたびに次から次へと地表を覆いつくし、溶岩がいつの時代に流れたのか推定しにくいそうです。
それで、今までは、フランスのラペロウス提督が1786年に描いた地形図と、そのあと1793年にイギリス海軍のバンクーバー艦長が描いた地形図を比べて、その間の1790年にラペロウス湾に向かって最後の溶岩が流れたんだろうと言われていました。
ところが、最近の研究で、溶岩が誕生したときの磁場配向を調べてみると(地球の北と南の磁極の反転から溶岩の古さを推定する方法)、1480年から1600年くらいに、この辺で最後の噴火があったんだろう、ということです。(Reference cited: “Youngest lava flows on East Maui probably older than A.D. 1790”, United States Geological Survey-Hawaiian Volcano Observatory, September 9, 1999)
だとすると、この黒々とした溶岩流は、少なくとも400年前のものということになるのですが、わたしとしましては、なんとも信じ難い気がするのです。
べつに科学者を疑うわけではありませんが、「祖父母が噴火を見た」という1840年代の口承の歴史もあるそうですし、この辺りで感じる「人々の叫び」は、もっと新しい気がするんですが・・・。
まあ、謎は残るラペロウス湾の溶岩流ですが、このすぐ北には、アヒヒ・キナウ自然保護区(’Āhihi-Kīna’u Natural Area Reserve)という海岸があって、現地の人しか知らないようなスノーケリングの穴場になっています。
100人来るといっぱいになるような、「ビーチ」とも呼べない、ごく小さな湾ですが、岩場に立っているだけで(!)透明な波間に鮮やかな魚が泳いでいるのがわかりますし、岩場の水たまりには小さなカニやウニが生息していて、うっかり泳ぐ準備をしていなくても十分に磯遊びできる場所なのです。
沖には、船で行くスノーケリングツアーで有名なモロキニ島(Molokini)も浮かんでいますが、ワイレア地区から気軽に足を伸ばせるアヒヒ・キナウのスノーケリングと、ラペロウス湾の溶岩散策は、マウイの自然と親しめるオススメコースでしょうか。
<ハワイの火と風:「風」>
ワイレアからはちょっとだけ南のラペロウス湾ですが、ここから先に足を伸ばそうとすると、海沿いには道がないので、グルッと遠回りをしなければなりません。
ワイレアからは、わざわざ北のカフルイ空港まで戻り、そこからアップカントリー(Upcountry:高原地帯)を通って、南端の断崖までドライブする経路です。
アップカントリーには、「カウボーイの街」と呼ばれるマカワオ(Makawao)があって、20世紀初頭の街並は西部劇の舞台のようですが、この辺は、人よりも馬や牛、羊やヤギの家畜が多い地域。
ハレアカラの中腹の涼しい緑地帯からは、足下にワイレアやキヘイのリゾート地、右手に西マウイの半島、沖にはカホオラウェア島が臨めます。
ハレアカラ国立公園に向かう登山道入口を過ぎると、州道31号線は海に向かってクネクネと降下していきます。道路は片側一車線ですし、「Cattle Xing(crossing)家畜が横切る-注意」や「No Shoulder 路肩なし」の看板も出てきて、徐行運転が望まれます。
この辺りは、ハレアカラ噴火の最後の溶岩流が流れた地域だそうで、そうやって見てみると、アスファルトの道路がやけに上下左右にクネクネしています。
さらに進み、ときに車が一台しか通れない箇所が出てくると、そこはマウイ最南端の断崖絶壁。ここから臨むのは、だだっ広い太平洋の海原だけ。
小さな島もない紺青の景色には、人の気配はまったくなく、大海原にポツンと取り残された孤独を感じます。
そして、この強風。海から断崖に向かって絶えず強風が吹いていて、足を踏ん張らないと、吹き飛ばされそうです。もしも風の渦が巻き起こったら、逆向きの風に、一瞬のうちに海に落っことされることでしょう。
そんな大自然の中に、文明の利器がありました。風力発電のタービンです。イースター島のモアイ像よろしく、お行儀よく8本並んでいます。
アウワヒ・ウィンド(Auwahi Wind)と呼ばれる風力発電施設で、2012年12月に完成し、現在、マウイ島の1万世帯に電力供給しています。「2030年までに電力の40パーセントを再生可能エネルギーとする」というハワイ州の目標にも、大いに貢献しているのです。
当初は、16本建てる予定の風力タービンでしたが、地域の自然保護のために8本に減らした経緯があるとか。
周辺には、ハワイ諸島唯一の自生陸上哺乳類「オーペアペア(ōpe’ape’a)」というコウモリ(Hawaiian hoary bat)や、ハワイ・ウミツバメ(Hawaiian petrel)が生息するそうで、可能な限り自然に溶け込もうとする配慮が見られます。
欠かすことのないマウイの風。変わりやすい島の天気は、この風のせいかもしれませんが、風はまた、自然の恩恵でもあるようです。
<後記>
この旅で宿泊したのは、昨年9月にオープンしたばかりのアンダーズ・マウイ(Andaz Maui)。ハイアット系列の新しいブティックホテルで、モダンでシンプルなインテリアと、フレンドリーな契約スタッフが特徴です。
もうすぐ結婚式! というカップルや、ハネムーンのハワイは二島目の若夫婦、そして、海軍の士官学校を出たばかりの青年の卒業パーティーと、辺りには華やかな空気が流れていました。
ガリガリとマリンスポーツをする人も、わたしのようにビーチやプールサイドで雲を眺めている人も、何でもOKなのがマウイ島。ここでは、何が正しいとか、正しくないとか、そんなものは存在しません(There is no right or wrong when it comes to how to spend time in Maui)。
十数年ぶりに訪れた二度目のマウイは、前回とは違った表情を見せてくれましたが、次回はこのルートで責めてみよう! と、頭の中では構想が生まれている今日この頃です。
夏来 潤(なつき じゅん)