日本の印象
今は、日本に滞在して、色づく木々の変化を楽しんでいるところです。
先日、英語のコーナーでは「Knock on wood(木をコンコン)」というお話をしておりました。
ラトヴィア出身の親友が、「これはロシアの習慣よ」と言いながらテーブルをコンコンと叩いたという、アメリカでも共通の習慣のお話でした。
このラトヴィアの友人には久しぶりに会ったのですが、彼女がわたしに会いたがっていたのには理由がありました。それは、10月上旬に夫と義理の妹と三人で日本を旅行したから。
彼らがアメリカから参加したのは、ドイツ在住のロシア人ガイドさんが率いる日本ツアー。
なんとも複雑な設定ですが、ガイドさんはかなりの「日本通」なんでしょう。
まずは、東京から横浜・鎌倉、日光と関東をめぐり、そこから神戸・京都・奈良、伊勢志摩、倉敷、広島・宮島と西日本に足を伸ばす。
それから東京に戻ってきて、銀座めぐりや忍者屋敷見学と、これだけの観光地をわずか一週間に詰め込んだ強行軍のスケジュールです。
忙しい日程でゆっくりとお買い物もできなかったのが心残りだったようですが、それでも日本の庭園や仏像、お茶の作法や日本料理と古来の文化を味わった一方、きらびやかな近代的ビルや美しく整った街角の様子と、いろんな表情を満喫したみたいです。
彼女にとっては初めての日本訪問なので、記憶の新しいうちに、どうしてもわたしと話をしたい、それが久しぶりの再会の理由でした。
どこに行っても人は親切だし、電車をはじめとして公共の交通機関は、いつも時間通り。街は安全なので、犯罪なんか起きるはずもないように見受けられる。
道を歩けば、幼稚園の園児のような小さな子供たちだって、お行儀よく並んで歩く「隊列」とすれ違い、学生たちは、きちんと制服を着こなして、いつもルールを守っているように感じられる。
それが、彼女の日本に対する印象でした。
そんな好印象が詰まった日本訪問の中で、彼女がとっても不思議に思ったことがありました。
日本の人って、あなたみたいにいつも polite で(お行儀がよくて)、言葉が通じなくても心を尽くして懸命に説明してくれるのよね。それに、5ドル(550円)もしないような物を買っても、驚くほど丁寧に綺麗に包んでくれたりするのよ。ほんとに感心するわぁ。
でも、あんなに丁寧で優しい人たちなのに、急に怒ることがあるのよ。
上野の国立西洋美術館(The National Museum of Western Art)に行ったときのこと。ガイドさんがいろんなところに連れ回したせいで、5時の閉館までにあと30分しかなかったの。でも、ガイドさんは芸術が好きだから、絵画の一枚々々をじっくりと説明したくてしょうがないのよ。
だから、「閉館ですよ」と言いに来た担当者には「あと2、3分でいいから絵の説明をさせてください」と頼んだんだけど、相手は「ダメ、ダメ、もう閉めるから出て行ってくれ」の一点張り。
しまいには、「出て行け!」ってカンカンに怒り出すのよ。
わたしはあれを見てビックリしちゃったわぁ。だって、たった数分のことなのに、あんなに怒り出すなんて・・・。あれは、彼個人の問題なのかしら、それとも、日本人みんながそうなのかしら?
と、しきりと首をひねるのです。
ですから、わたしはこう説明してあげました。
それは、彼が意地悪な人だからではなくて、「5時閉館」という規則には従わないといけないから、仕方なく厳しく追い立てたのよ。彼には規則を曲げる権限がないから、上司から責めを負わないためには、きちんと規則に従うしかないの。
わたしだって、「ほんの2、3分で買い物を済ませるから、お店に入れてよ」と頼んだら、「いえ、もう9時の閉店時間ですから店内にお入れすることはできません」って、鼻先でドアを閉められたことがあったの。
ルールに従うとなったら、ほんとにキッチリと従う、それが日本の人たちなのよ、と説明してみたのでした。
わたしの説明は当たらずとも遠からずではないかと思ってはいるのですが、それでも、彼女の言う通りに、もうちょっと flexible(臨機応変)であってもいいのかもしれないなぁ、と思ったことでした。
まあ、規則には従わないといけないという立場は十分に理解できますが、個人の裁量で「これくらいは大目に見てもいいのかもしれない」と判断できれば、ちょっとだけ規則を曲げても悪くはないんじゃないかと思うんです。
そうすると、人と人の間もギクシャクしなくていいこともあるんじゃないかな、と。
とくに、上野の国立西洋美術館といえば、実業家の故・松方幸次郎氏がヨーロッパで集めた数々の名画を展示するために建てられた美術館。
戦中、「松方コレクション」は、ナチスの没収を避けてフランスの片田舎で必死に守られたそうですが、戦後、ようやく日本に渡ってきて、晴れて上野の地でお披露目となりました。
松方氏は生前、「共楽(きょうらく)美術館」を建てることを目指していらっしゃったそうで、西洋の優れた絵画を日本の人たちと分かち合い、共に楽しむのが夢でした。
ここまで世界が小さくなって、日本にも外国から訪れる方々が増えてきた今、もはや日本にある芸術を「日本の人たちと分かち合う」のではなく、世界の人たちと分かち合う時代になっています。
ですから、場合によっては、もうちょっとだけ楽しませてあげてもいいんじゃないかなぁ、と痛感した親友との再会でした。