企業が建ててあげた校舎:ディーテック高校
Vol. 212
今月は、新しくピッカピカの校舎が完成した、学校のお話をいたしましょう。
<オラクルが高校を!>
ちょっと意外なニュースを耳にしました。ビジネス向けソフトウェアで名高いオラクル(Oracle、本社:サンフランシスコ近郊レッドウッドシティー)が、公立高校のキャンパスを建ててあげたというのです。
どうしてそれが「意外」だったかというと、慈善事業で名を上げる他のシリコンバレーのテクノロジー企業と比べて、失礼ながら、個人的にオラクルには社会貢献というイメージを持たなかったからです。
社会貢献と聞くと、たとえば、サイエンスや教育分野のさまざまなプロジェクトや奨学金で知られるアルファベット(グーグルの親会社)、サンフランシスコ総合病院の看板に名を連ねるフェイスブック創設者マーク・ザッカーバーグ氏と小児科医のプリシラさん夫妻、カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)小児病院の移転改築に寄与したセールスフォース・ドットコムの創設者マーク・ベニオフ氏と、地元に深く根を下ろした企業や創設者の理念を思い浮かべます。(写真は、UCSF小児病院のMRI室。部屋全体は虹色に変化し、壁にはイラストが浮かんだり消えたりと、小児患者が怖がらないような配慮が見られます)
一方、オラクル社に関しては、創設者のラリー・エリソン氏が日本文化に造詣が深かったり、趣味のヨットが高じてヨットレース『アメリカ杯』をサンフランシスコに招致したり、自ら操縦するプライベートジェット機が規則を曲げて夜中に離着陸して問題視されたりと、道楽が先行するイメージがありました。2年前にエリソン氏が南カリフォルニア大学に2億ドル(100円換算で200億円)を寄附して、最先端のがん研究センターの設立を目指していることなど、あまり人々の記憶に残っていないかもしれません。(写真は、左がエリソン氏、右が初代センター長のデイヴィッド・アガス医学博士)
もちろん、一流企業であるかぎり、オラクル社は全社を挙げて「人の助けになる(philanthropy)」理念を掲げていらっしゃいますし、オラクル社員のみなさんも事あるごとにボランティア活動に汗を流していらっしゃいます。その一環として登場したのが、新たに完成した高校のキャンパス。その名は、デザインテック高校(Design Tech High School)、愛称はディーテック(d.tech)ハイスクール。
ディーテック校は、オラクル本社の地元のサンマテオ統合高校学区に、4年前に設立された公立のチャーター・ハイスクール。チャーター校というのは、特別認可を受けて設立する新しいタイプの試験的な学校で、多くは科学や芸術に特化した、いわゆる「普通校」とは異なる学校です。
近年、チャーター校は米国内で増加傾向にあるようですが、ディーテックは、テクノロジー分野を中心に音楽やアート、文学や社会科学にも特化した高校。ちっと前にポピュラーだった科学・工学にフォーカスした「STEM(ステム)教育」を一歩進めて、芸術や社会環境も重視する「STEAM(スティーム:Science, Technology, Engineering, Arts and Mathematics)教育」を目指しています。
ディーテック校の授業料は無料で、カリフォルニア州の生徒だったら誰でも入る資格を持つそうです。が、なにせ資金に限りがあるので、創立時から他の高校の空きスペースを利用したり、車体工場に間借りしたりと、分散して授業を行っていました。そこで、オラクル社が4千万ドル強(100円換算で43億円)を寄附して、自社キャンパス内に真新しい高校の校舎を建ててあげたのです。(写真は、今年1月に行われたディーテック校の落成式。真ん中の黒をまとった方が、オラクル現CEOのサフラ・キャッツ氏)
一昨年の秋以来、個人的に日本滞在の時間が増えていたので、このディーテック高校の話題は初耳でした。地元ニュース番組の紹介によると、生徒たちの自主性を尊重するため、校舎には始業ベルが鳴り響くこともなく、教室内ではグループ学習で互いに協力し合うとともに、発想を刺激し合う形式が重んじられているとか。
高校で過ごす間に、できるだけたくさんの刺激を受けて、自分には何が向いているのか、何に情熱を持てるのかを模索する期間とする。それが、ディーテック校のモットーでもあるようです。ですから、学期の合間に年に4回「インターセッション」という中間期間を設けて、オラクル社などテクノロジー企業の社員ボランティアをはじめとして、さまざまな業界から人を招いて、生徒たちの指南役を務めてもらうそうです。(写真は、ウェルズファーゴ銀行の担当者から、金融一般について学んでいるところ)
ニュース番組では、マイクを向けられた男の子が「最初は宿題がないからって嬉しかったんだけど、グループでいろんなことを学ぶ環境って、とってもためになると思うんだ」と答えます。大人びた雰囲気の彼が白板を背に授業をリードする姿は、生徒というよりも若い先生にしか見えません。
そして、シャカシャカとコンピュータのキーボードを叩く女の子に「学校の名前でもあり、みんなが目指している design thinking(デザイン思考)って何?」と尋ねると、「そうねぇ、他の人の立場に立って、彼らが何を欲しているかを追求してデザインすることかしら」と、これまた大人びた回答をしてくれます。もしかすると、彼女はエンジニアを目指していて、大学もたくさんエンジニアを輩出する工学系に進むのかもしれません。
カリキュラムの4本柱のひとつである「デザインアドバイザリー」という分野は、スタンフォード大学にあるデザイン研究所、愛称ディースクール(d.school)に習ったそうですが、その発想の源にあるのは、デザイン。デザインに用いるインタラクティブな(対話式の)手法を使って、アートのジャンルを超え、ビジネスや日常生活とさまざまな問題に立ち向かう創造性や対応性を高める、という意味だとか。科学の手法が「こうやって、ああやって」とキチキチと定められているのに反して、デザイン的な手法というのは、枠にとらわれない「なんでもあり」の柔軟な発想で、互いに刺激し合って考えを進めたり物事を成し遂げたりする、といった感じなのでしょうか。
アメリカの教育現場で優れた点は、物怖じしないところ(わからないことは、恥ずかしがらずにとことん追求する態度)と、人の意見に耳を傾けるところだと個人的には思っているのですが、グループ学習は、そういった長所をうまく伸ばしてくれるのかもしれません。
なにせ、ディーテック校は4年前に設立されたばかりなので、今年6月に初めて卒業生が誕生します(カリフォルニアの公立高校は4年制)。ですから、「学校の評価」ができるのは、まだまだ先の話です。
けれども、一企業が自社キャンパス内に公立校の校舎を建ててあげて、しかも、社員が教育の面でも協力してあげるなんて、とても珍しいケースであるのは確かです。評判が評判を呼んで、今は一学年150名の定員に対して、1000人が応募するほど知名度上昇中。そんなディーテック高校は、これから目が離せない学校となることでしょう。
<キャンパスが建つ土地柄>
ついでに世間話をいたしましょうか。このディーテック高校が建つオラクル本社のキャンパスというのが、おもしろい土地柄なんですよ。
実は、この辺には昔「マリーンワールド(Marine World)」という遊園地がありました。わたしが遊びに行っていた1980年代前半には、「マリーンワールド・アフリカUSA」という長たらしい名前でしたが、動物園と水族館を合わせたような遊園地だったんです。
こちらの航空写真(東側のサンフランシスコ湾上空から撮影)では、真ん中の池を囲んだ高層ビル群がオラクル本社のキャンパスであり、昔の遊園地一帯。ご覧のように敷地は広く、園内にはボート遊びができる池や、動物を放し飼いにする柵があったりして、のんびりとした遊戯施設でした。サンフランシスコ空港の少し南と、市内からも近いので、ピクニックには最適な場所だったのです。もうちょっと足を伸ばすと、フリーウェイ101号線沿い(メンロパーク市)にはミニチュアゴルフとゴーカートの施設もありましたし、さらに南に行くと、今のシリコンバレー(サンタクララ市)にはグレートアメリカ遊園地もあって、101号線沿いは、楽しい場所のオンパレードでした。
今となっては、マリーンワールドが北に移転して久しいし、ミニチュアゴルフ施設は、つい最近「再開発」の波に乗って姿を消してしまいました。が、この元遊園地の場所には、子供から大人までみんなが楽しく過ごした「想い」が詰まっていて、気持ちの良い風が流れているように感じるのです。
上でも書きましたが、オラクルの創設者ラリー・エリソン氏の趣味のひとつは、ヨット。2013年9月、ヨットレースとしては世界的に有名な「アメリカ杯」をサンフランシスコに招致し、自ら率いるアメリカチームが堂々と優勝したことも記憶に新しいです。スペインで開かれた前大会でも勝利し、そのときのヨットは、本社キャンパスの池に誇らしげに停泊しています。その勇姿は、池に流れる心地よい風に似つかわしくも感じられます。
そして、キャンパス内に完成したディーテック校の校舎は、蛇行する運河と散策路を背に建っています。この辺りからサンフランシスコ湾の南側は、国や州、自治体の自然保護区となっていて、簡単には開発できない地域です。
もともとサンフランシスコ湾を取りまく海岸線は、すべて湿地帯(tidal marsh:海岸線の海水の湿地)になっていて、魚や鳥、小動物たちの生息地となっていました。先住民族が住んでいた時代には、それこそ空が真っ暗になるほど数多(あまた)の鳥が飛来していたし、水面を歩けるほどの大量の魚や小型のサメすら泳いでいたといいます。
時が流れ開発が進むと、次々と湿地帯が埋め立てられていって、1950年代にはサンフランシスコ湾を埋め立てよう(!)というプランまで持ち上がりました。が、近年は逆に、昔の環境に戻そうとする動きも見られます。湿地には、高波による海岸線の侵食を防いだり、汚染水を浄化して土壌をきれいに保ったりと、ありがたい効果があるからです。それだけではなく、鳥たちが飛来する静かな環境を眺めているだけでも、心の洗濯になるのかもしれません。
そんな豊かな環境で学ぶ生徒たちも、近年多発する銃乱射事件に備えて「Run, hide, fight(逃げろ、隠れろ、さもなくば戦え)」と、物騒なモットーを叩き込まれているのでしょうか。
運河から元遊園地に吹き抜ける、さわやかな風を肌に受けると、そんなことを教えるのは果たして正しいことなんだろうか? と、不可思議に感じるのでした。
そして、自然を愛でるサンフランシスコ・ベイエリアの住民の多くが、同じように違和感を抱いていることでしょう。
夏来 潤(なつき じゅん)