京の半夏生(はんげしょう)
<エッセイ その192>
半夏生(はんげしょう)という不思議な言葉に出会いました。
6月上旬、梅雨入りの頃に旅した、京都でした。
なんでも、半夏生の花が咲くので、お寺の庭園が今だけ特別に拝観できる、と。
半夏生には読み仮名もふられていなかったので、どう読むのか、どんな花かもわからないまま、お寺に向かいました。
場所は、古都・京都のシンボル「八坂の塔」で有名な法観寺のほど近く。東山区にある臨済宗・建仁寺(けんにんじ)塔頭(たっちゅう)の両足院(りょうそくいん)。塔頭寺院とは、大きな寺に寄り添って建つ小院のことで、建仁寺の広い境内の中にあります。
両足院の書院前庭には立派な池があって、そのまわりにたくさんの半夏生が植えられています。
毎年6月から夏にかけて、この半夏生の葉が「白く」色づき、まるで白粉(おしろい)を塗った舞妓さんのお顔のようになります。半分だけお化粧したようでもあるので、「半化粧」とも呼ばれるとか。
そう、白くなるのは葉っぱの部分で、稲穂のように垂れているのが花。葉っぱが白くなるのは虫を誘いこむためで、花が虫によって受粉されると、葉っぱは白から緑色に戻るのだとか!
なんでも、半夏生とは花の名でもあり、季節の区切り目でもあるそうです。「節分」や「八十八夜」「土用」と同じように暦の区切りを表し、昔は夏至から数えて11日目、だいたい7月2日頃を半夏生と呼んでいたとか。
この日までには「田植えを終える」という目安になっていて、各地に半夏生にまつわる風習が残っているそうです。
この日は田畑には入らない、お供え物や振る舞い物をいただくといったものですが、きっと「怠けることなく、ちゃんとこの日までには田植えを終えなさい」「無事に終えたら、田の神様に感謝しなさい」「大仕事が済んだのだから、少しは骨休めしなさい」といった戒めが、さまざまな風習に結びついたのかもしれませんね。
京都で見た半夏生は、実に不思議な、美しい植物でした。わたしのように初めて両足院を訪れた人々の心にも深く刻まれたことでしょう。
この京都の旅は、もともとは一泊二日のご招待(!)だったのですが、そのあとは二泊延ばして、少しだけゆっくりできました。
ご招待イベントでは、比叡山延暦寺にある大書院で精進料理をいただいたり、ホテルのディナーでは舞妓さん、芸妓さんの舞を観賞したあと、彼女たちと歓談させていただいたりと、京都でしか味わえない「おもてなし」を体験しました。
延暦寺の大書院は、普段は一般公開されていないお屋敷で、昭和天皇や上皇・上皇后ご夫妻が休まれたという由緒正しい建築物。
なんでも、材木王が建てた立派なお屋敷を比叡山に移築したそうですが、宿泊施設ではないので、お台所もないという歴史的建造物だそう。ここで食事をさせていただいたのは、一般市民としては初めてだったとか!
まあ、なんとも不思議な体験をさせていただきましたが、もうひとつ不思議な体験といえば、モリアオガエルの鳴き声(!)でしょうか。
モリアオガエルとは、鮮やかな緑色のカエルで、おもに木の上で生息しています。昔は日本のいたるところに生息していたものの、今では絶滅危惧種に指定される日本固有のカエルさん。京都府では登録天然記念物に指定されています。
そう、イラストに描かれる「カエル」といえば、この緑色のカエルを思い浮かべるくらいですが、実物を見たことのある人は少ないのではないでしょうか?
その珍しいモリアオガエルの鳴き声を聞きながら、京懐石をいただきました。
場所は、豊臣秀吉の奥方、ねね(北政所)が晩年を過ごした高台寺のほど近く。この静かな東山の足下にたたずむ料亭、京大和(きょうやまと)です。
1877年に大阪で開業後、戦後すぐに京都でも営業を始めた老舗の料亭で、次から次へと出される懐石料理のコースは、美しく盛られた「器の中の小宇宙」といった印象です。
普段はコース料理を残してしまうわたしも、「これが本場の京懐石なのか!」と、ペロリとたいらげてしまいました。
こちらの京大和で通されたのは「もみじの間」。広々とした和室で、縁側からは斜面に造られた庭園が臨めます。
庭園の中央には、もみじや松の緑に囲まれた池があって、どうやら、この池にモリアオガエルが生息しているようなのです。
辺りが薄暗くなってきて、ほどよく酔いもまわってきた頃、昔の大正ガラスがはめ込まれた窓の外は、だんだんと騒がしくなってきます。
最初は一匹が喉試しに鳴いていただけだったのに、そのうちに一匹が鳴くと、それに呼応するかのように別の一匹も鳴き始め、鳴き声の応酬となっていくのです。
ケロケロ、ケロケロといった、可愛らしいものではありません。どちらかというと、グルルルルルルッ、ゴッゴッゴッゴッゴッゴッゴッと、まるで闘うかのように声を荒げていくのです。
残念ながら、姿はまったく見えませんでしたが、時には窓ガラスに丸い指を吸いつけて中を覗くこともあるそうです。
大部分の時間を木の上で過ごすモリアオガエルは、梅雨の時期に繁殖期を迎え、水辺にやってきます。窓の外で大騒ぎをするのはオスのカエルたち。メスの気を引こうと、争って美声を聞かせるのです。
こちらの京大和でも、葉の裏にメスが産みつけた白い泡状の卵から小さなおたまじゃくしがかえり、水の中のおたまじゃくしが緑色の小さなカエルに成長していく姿を見かけるそう。そうやって小さなカエルを見かけたなと思ったら、いつの間にか木に戻って、姿を消してしまうそうです。
そう、鳴き声を聞いたり、姿を見かけたりするのは、梅雨の繁殖期と成長期だけ。鳴き声を聞きながら食事をするのは、「シーズン限定」の自然の計らいなのです。
女将さんが見せてくれた動画は、もみじの葉っぱにじっとしている「枝豆」のように小さな緑色のカエル。「わたしはカエルが嫌いなのに、この子たちは、もう小さくて可愛いんですよぉ」と、まるで我が子のように自慢げにおっしゃいます。
実は、京大和の歴史ある建物は、三年ほど前に地震対策の補強工事を経ています。簡単に言うと、建物をそのままふいっと持ち上げて横にずらして土台を補強したそうですが、その間、庭園のモリアオガエルは、施工した工務店の担当者が大事に水槽で保護していらっしゃったとか。
その甲斐あって、お店の再開後も、庭園の池では賑やかなカエルの鳴き声が響くようになりました。
モリアオガエルが自慢の女将さんは、アメリカ東海岸ボストン郊外にあるロードアイランド州プロヴィデンスに3年間暮らしていた経験をお持ちの方。プロヴィデンスといえば、アメリカ合衆国の発祥・東部十三州の街ですが、わたし達がカリフォルニア州に住んでいたと言うと、「本当はわたしもカリフォルニアに行きたかったんですけどねぇ」と人懐っこく白状なさいます。
ご両親の代から世界各地を旅しては、気に入った器を持ち帰り懐石料理の演出に使われていたそうですが、女将さんにとっても、各地の器を取り入れるのは、花や掛け軸を季節に合わせるのと同じように楽しみだとおっしゃいます。
こちらは、スウェーデンで見つけた花柄のガラス皿。京懐石のデザートにもぴったりで、まさに国境を超えた演出でしょうか。
この京都の旅では、初めて東寺(とうじ)を訪れ、国宝級の仏像の数々も拝見しました。
東寺(教王護国寺)は、弘法大師が開いた真言宗の総本山で、美しくも力強い仏像が収められる「講堂」で有名なお寺。わたしにとっては、長年訪れてみたいと願った憧れのお寺でした。
また、「あじさい寺」として知られる三室戸寺(みむろとじ)に出かけて行って、雨に濡れる紫陽花も堪能しました。紫陽花は一番好きな花なので、「あじさい寺」と聞くと、絶対に外せません。
けれども、わたしにとって強烈な印象が残ったのは、宇治市にある三室戸寺への道すがら、タクシーの運転手さんが教えてくれたこと。
タクシーが三室戸寺に近づき、桃山御陵(明治天皇の陵墓)周辺にさしかかると、「あちらに竹林が見えるでしょ、あそこが、明智光秀の最期の地なんですよ」とおっしゃいます。
秀吉に追われた光秀が命を落としたとされる「京都郊外の竹林」が、伏見の辺りである。そんな知識が欠落しているわたしは、もう、びっくり仰天。
そうか、向こうに見える竹林が有名な「竹林」なのか! と、いきなり光秀さんが身近な存在に思えたのでした。
そして、ホテル近くにそびえる八坂の塔。
こちらは、臨済宗建仁寺派の法観寺(ほうかんじ)というお寺に建つ五重塔。聖徳太子が夢に出てきた如意輪観音のお告げで建立したという言い伝えがあるそう。
その長い歴史の中で幾度か焼失し、今の塔は1440年(室町時代)に再興されたものだとか。1440年というと、京都を荒廃させた「応仁の乱」の直前ですが、戦火の下よく無事でしたね!
塔内にはご本尊である五体の如来像が四方に置かれ、お顔をありがたく拝見したあとは、狭い急な階段(はしご?)をつたって二層目までよじ登るのも、実に興味深い体験です。
塔全体を支える黒ずんだ木組みや飛鳥時代から残る中心礎石を身近に観察できるのも、歴史に触れるありがたい体験となっています。
そうやって飛鳥時代に想いを馳せながら、塔の外に出てくると、いきなり、木曾義仲(きそ よしなか)の名が目につきます。
木曾義仲、正式には源義仲(みなもと よしなか)。鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝のいとこに当たる人物です。平氏を倒す際に功績を挙げたものの、いろいろと政治の渦に巻き込まれ、最期は頼朝が送った義経軍によって討たれたという、悲劇の武将です。
その義仲の首塚が、ここ法観寺にあるというのです!
なんでも、義仲が亡くなったのは、現在の滋賀県大津市ですが、首は京都で「さらし首」となり、この法観寺に首塚(朝日塚)として葬られることになったとか(境内にある八坂稲荷神社内)。
義仲は、今やっているNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場したばかりのキャラクター。そんな教科書に出てくるような歴史的人物の首塚が、法観寺の境内にあったなんて!
いやはや、京都というところは、右を向いても、左を向いても、歴史が詰まっている場所ですね。
わたしが京都を訪れたのは、これで6回目になりますが、6回目にして初めて京都の奥深さに気づいたのでした。
来れば来るほど、その魅力が実感できる。知れば知るほど、次が知りたくなる。それが京都なんでしょうね(写真は、建仁寺塔頭 霊源院の庭園)。
なにせ、半夏生すら知らなかったのですから、学ぶことは限りないのです。