A walking dictionary(歩く辞書)
<英語のひとくちメモ その168>
いつの間にか、今年も12月下旬となりました。
近頃は、月日が行き過ぎるのも、どんどん加速しているように感じられます。
ついこの前、暑い夏が終わったと思ったら、ようやく紅葉の時期がやって来て、鮮やかな木々の葉が散ったなと思ったら、もう年末が近づいています。
あの四季がはっきりしていた日本の気候は、どこへ行ったのだろう? 日本もカリフォルニアみたいに「二季」になってしまったのだろうか? と、昔が懐かしくも感じます。
そんな師走のあわただしい中、ふと思ったことがありました。
それは、「あの英語の表現は、今はもう死語なんだろうなぁ」ということ。
たとえば、こちら。
She is a walking dictionary
たぶん、こちらは日本の学校でも教科書に出てくる表現だと思いますが、「歩く辞書(a walking dictionary)」ということは、「辞書みたいに言葉をよく知っている人」という意味。
「彼女は、まるで歩く辞書みたいに、あらゆる言葉を知っているよね」という文章です。
幅広く物事を知っている人を、こんな風にも表現します。
He is a walking encyclopedia
「歩く百科事典(a walking encyclopedia)」ということで、「百科事典みたいに物事をよく知っている人」という意味。
「彼は、まるで百科事典のように、あらゆる世の中の事象を知っているよね」という文章になります。
それで、こういった表現がもう使われないのかもしれないと感じたのは、今どき、辞書や百科事典を見たことがない人もいるんじゃないかな? と思ったから。
昔は、いえ、ちょっと前までは、知らない言葉は辞書のページをめくって意味を調べたものでした。
そして、世界の人物や歴史的出来事、惑星の名前や火山の仕組みと、なにかしら知りたいことがあれば、絵や写真つきで詳しく解説してくれる百科事典で調べたものでした。
「あ行」から並ぶ大きな百科事典を書棚から出して来て、ヨイショと机の上で開くときには、何が飛び出してくるのかとワクワク感が伴います。時には、目的の事項にたどり着く前に、別の絵や写真に気を取られて、まったく違った事項にのめり込んだものでした。
誌面で調べるということは、そういった「ワクワク感」や「寄り道」がたくさんあって、それがまた調べる楽しさを倍増させたのではないでしょうか。
今では、知りたいことがあれば、インターネットで調べるでしょう。
辞書を出していた出版社は、すべからくオンラインサービスを提供していますし、書籍形式の百科事典(encyclopedia)もオンライン化されています。「みんなでつくる」簡略化された百科事典 Wikipedia もあります。
その代わり、どことなく情報が画一化され、辞書・百科事典編纂者の個性が消えてしまったし、調べものに付き物だった「寄り道」もなくなってしまいました。
こんな表現もまた、消えかかっているのかもしれません。
She is a bookworm
こちらも教科書に出てきた表現かもしれませんが、「本の虫(a bookworm)」ということで、「本に巣食っている虫、つまり、本好きの人」という意味ですね。
「彼女は、まるで本に巣食う虫みたいに、いつも本ばかり読んでいるよね」という文章です。
言い換えれば、She is an avid reader(彼女は、熱心な読書家だよね)
なんでも、本に使う紙を好む虫は種類がたくさんあるそうで、小さなカブトムシや蛾の仲間、アリやシロアリの仲間と、本棚にはいろんな虫が生息するそう。
逆に、虫が巣食わない本なんて、いったい何でできているんだろう? と心配になってしまいますが、「書架に巣食うほど本が好きな人」にとっては、虫との闘いも生活の一部なのかもしれません。
けれども、今の時代、それほど本が好きな人も激減しているのではないでしょうか。
街角の本屋さんも書籍コーナーを縮小したり、姿を消してしまったりしています。
ところで、消えそうな言葉に加えて、もともとの意味から使い方が変化した言葉もたくさんありますよね。
とくに、言葉の成り立ちが古い日本語では、長い歴史の中で自然と変化していった言葉も多いことでしょう。
先日、気づいたのは、「晩生(おくて)」という言葉。
もともとは、稲の栽培に使う言葉で、早い時期に実を結ぶ品種を「早生(わせ)」、そのあと実を結ぶ品種を「中生(なかて)」、遅く実を結ぶ品種を「晩生(おくて)」と呼んだそうです。
江戸時代には、各藩が収穫量を上げようと、農民に対して農書と呼ばれる教科書を出していたそうで、「晩生は一般的に収穫が増えるが、冷害などの災害が来ると収量が減るので、なるべく中生を植えるように」などと指示していたそうです。(参照:『稲の日本史』佐藤陽一郎氏著、角川ソフィア文庫、2018年、p208)
今では、作物に関して早生(わせ)という言葉は耳にしますが、「おくて」と言われると違った意味を思い浮かべますよね。そう、「成熟が遅く、恋愛などに無関心の人」といった意味。
もともとは、「晩生」「奥手(おくて)」といえば、人ではなく、稲のことだったんですね!
時代が流れ、多くの人々が稲づくりから離れても、昔から使っていた表現は新しい意味となって受け継がれています。
同じように、着物を着る文化から受け継がれた言葉には、「折り目正しい」とか「襟(えり)を正す」がありますね。
もともとは、着物をきちんと折り目正しくたたんだり、着物の襟元をしっかりと直したりすることを表しましたが、今では「行儀作法にかなっている」「気持ちを引き締めて物事に向かう」といった意味に変化しています。
というわけで、いつの間にか日本語のお話になってしまいましたが、言葉は生きている。ゆえに、消えつつある言葉もあれば、意味が変化した言葉もある。
話し手がいて、言語が受け継がれていく以上、その言語の表現は、時代のニーズに合わせてどんどん変化していく。
表現が消えてしまう前に、
She is a walking dictionary
He is a walking encyclopedia
She is a bookworm
と、誰かに言ってみたいものですね。