麦秋(ばくしゅう)と田植え
<エッセイ その212>
5月は、麦秋(ばくしゅう)とも称されます。
「秋」という文字が入っていますが、麦の穂がこうべをたれ、収穫期に入った初夏のことだそうです。
ちょうど「小春日和(こはるびより)」が初冬の暖かい日を表すのと同じように、「春」や「秋」という文字に惑わされてはいけないようですね。
この麦秋という言葉を意識したのは、福岡市の西のお隣、糸島(いとしま)市にドライブしたとき。
糸島から戻った連れ合いが、「糸島では麦が実っているから見に行こうよ」と誘ってくれたのでした。
麦といえば、福岡県のお隣、佐賀県も有名です。佐賀平野をドライブしていると、辺りが麦の穂の金色に変わっていて、これが麦畑なのか! と感動した覚えがあります。
けれども、海産物のイメージの強い糸島半島で麦? と思いながら現地に行ってみると、ご覧のとおり。麦畑が一面に広がっているのでした。
こちらは、4月末の様子。まだまだ収穫には日数がかかるようですが、立派に穂が育っていて、右へ左へとこうべをたれているよう。
麦といえば、大麦、小麦、はだか麦、もち麦と種類もいろいろあるようですが、こちらは小麦でしょうか。広くパンや麺に使われる小麦にも、「ゆめちから」や「ミナミノカオリ」と、いろんな銘柄があるそうですね。
近くのレストランに入らせてもらって、大きな窓から麦畑を眺めていると、「きれいでしょう」と後ろから男性スタッフが声をかけてきます。なんでも、5月に入ったらもっと重く穂が実り、それから間もなく収穫期を迎えるのだとか。
糸島といえば、「糸島富士」とも称される可也山(かやさん)が有名です。
見る角度によって、富士山のように見えたり、なだらかな山に見えたり、変幻自在な姿ですが、レストランのスタッフも、可也山をバックに麦畑の広がる窓の景色がご自慢のご様子。
緑深い山肌に金色の麦畑は、なんとも美しい取り合わせです。
帰りがけに、路肩に車を停めて「糸島富士」らしい可也山の写真を撮っていたら、「ここに車を停めなさい」と自宅前の小道に導く女性がいらっしゃいました。
「わたしも福岡市内から移ってきたんだけど、毎日、可也山を眺めながらのんびりと過ごしていますよ」と、自宅脇の畑と花壇の手入れを楽しんでいるご様子。
家のすぐ裏には「パン」というのぼり旗が立っていて、「あそこのパン屋は美味しいから行ってみなさい」と、玄関と離れの間を通らせてもらってパン屋さんへ。
幹線道路の一本裏には『麦パン』というお店があって、引き戸を開けて店内に入ると、店主の女性が夕方の準備をされています。
「こちらは3個で200円、こちらはひとつ買ったら、もうひとつはおまけですよ」と、お会計800円で8個も分けてくださいました。その夜はさっそく、おまけの「メンチカツサンド」を美味しくいただきました。
一昨年まで30年間、夫婦二人でオシャレなトラックでパンを売り歩いていたそうですが、修理しようにもトラックの部品が手に入らなくなり、店舗販売に専念することにしたそう。それと同時に、遠く神奈川県川崎市で修行していた息子さんが帰ってきて、お店を継いでくださったとのこと。
そんなお話を伺っていると、さきほどの道路脇の女性が引き戸を開けて顔を出し、「これからわたしは猫にご飯をやってきますので」と挨拶されます。きっと彼女は、通りがかりの人には声をかけて、自主的にこちらのお店の宣伝係を担当されているのでしょう。
代替わりでパンの種類も味も若干変わったのかもしれませんが、近所のパン屋さんをとっても大事にされているご様子。
後日、連れ合いが糸島在住の方に『麦パン』の話をしたら、「わたしもよく買いに行くんですよ!」と即答されたとか。きっとこの界隈では、人気のパン屋さんなのでしょう。
麦畑を見に行ったら、『麦パン』に行き着いたとは、面白い展開の午後でした。
そして、今は、田植えの時期でもありますね。
田植えの前には、「田起こし」や「代掻き(しろかき)」という大事な作業もあります。
糸島へ麦畑を見に行く数日前、福岡市から東へ、内陸部にある田川郡福智町(ふくちまち)を訪れました。
福智町には、定禅寺(じょうぜんじ)というお寺があって、境内に咲く有名な藤の花を見に行ったのでした。
樹齢500年と伝わる大藤は『迎接(こうじょう)の藤』と称され、県の天然記念物にも指定されています(迎接とは人を歓迎し受け入れることで、「誰もが楽しんでいただけるように」と命名されたそう)。
藤を目当てに遠路ドライブしてきた方々も、近くのホームから息抜きにいらっしゃった方々も、大きな藤棚の下でかぐわしい薄紫の花を楽しみます。
定禅寺の帰り道、「陶器まつり」というのぼり旗を見かけて、旗に導かれるまま会場となる陶芸館に着きました。
4月末の陶器まつりには早かったものの、ここは名高い「上野焼(あがのやき)」の里です。
上野焼の歴史は古く、開窯は1602年。織田信長に仕え、千利休から教えを受けた大名茶人・細川忠興(ほそかわただおき)が、釉薬(ゆうやく)の採取に適したこの地で、李朝の陶工・尊楷(そんかい、和名:上野喜蔵高国)に窯を興させたのが始まりだとか。
ゆえに、ルーツは茶会に使われる茶陶ではあるものの、現代は多種の釉薬が使われ、多彩であることが特徴とのこと。
福智山(ふくちやま)を見上げる静かな里には、三十もの窯元が点在し、それぞれの窯元では個性豊かな、趣(おもむき)の違った作品が生み出されています。
陶芸館では好みの器を選ぶこともできるので、鮮やかな色彩に惹かれてマグカップと茶碗を購入してみました(マグカップは「守窯」熊谷守氏の作、茶碗は「梶原窯」梶原陽光氏の作)。
空を思わせる鮮やかなブルーのグラデーションと、宇宙の星雲にも似た薄紫と白の文様。思わず引き込まれそうな色合いに、陶器とはこんなにさまざまな色彩を放つものかと、新たな認識でした。
と、話題がそれていますが、田んぼのお話です。
この福智町の陶芸館の前には、見渡すかぎり田んぼが広がっています。
ちょうど「田起こし」にとりかかる時期なのでしょう。手前の田んぼでは、トラクターが土を掘り起こした跡があります。
田起こしは、田植えの前に行う大事な準備のひとつ。土を掘り起こして乾燥させ、前年の切り株などの有機物を分解し、植物が吸収できる栄養素たっぷりの土にしておきます。
ひとつの田んぼが終わったら、次の田んぼへ。4月末の「陶芸まつり」が終わるころには、田起こしはすっかり完了したことでしょう。
福知山は、かつて最澄や空海が渡海の安全を祈願した霊山。山麓には福智川、伊方(いかた)川、弁城(べんじょう)川の清流もあり、「ホタルの乱舞」で知られます。
ちょうど今は小満(しょうまん)のころ。時を悟ったホタルは薄緑の幻想的な光を放ち、色づき始めたアジサイの花々を照らしていることでしょう。
そして、こちらは、時が進んで5月中旬。熊本県の阿蘇地方、南阿蘇村(みなみあそむら)です。
南阿蘇村の宿をあとにして、天草へ向かう途中、阿蘇の山々に囲まれた平野には、たくさんの田んぼや畑が広がり、「代掻き」を終えた田んぼも見かけました。
代掻きとは、水を入れて2、3日たったころに田んぼの表面を平らにする作業。田植えの数日前に行われ、土をさらに細かく砕き、丁寧にかき混ぜます。苗を植えやすくなるし、苗がムラなく安定して発育し、雑草も生えにくくなるんだそうです。
この南阿蘇村は、阿蘇山の噴火口を中心とした阿蘇五岳と、五岳を取り囲む外輪山(がいりんざん)の間にある平野に位置します。
ひとくちに阿蘇山といっても、その巨大な火山は二重構造になっていて、今も噴火を続ける中岳に連なる烏帽子岳、杵島岳(きしまだけ)、高岳、根子岳(ねこだけ)の阿蘇五岳と、これらをぐるりと取り囲む900メートル級の外輪山があります。
その間の「火口原」は広大な平野になっていて、北に阿蘇市、南に高森町と南阿蘇村が形成され、約5万人の方々が暮らしています。
外輪山の周囲は128キロ。北側にはJR豊肥本線、南側には南阿蘇鉄道も通り、火口原に暮らしているという実感はないのでしょう(写真は、外輪山の北側から見下ろす阿蘇市。向こうの阿蘇五岳は雲でかすみます)。
そんな火口原の集落、南阿蘇村をドライブしていると、田んぼ脇に田植えのトラクターを発見!
トラクターの後ろには、苗を積む田植え機を載せていて、まさに田植えをしようというところ。
急いで車を停めて、田んぼに戻ってみると、農道を下ってきた軽乗用車の運転手と、のんびりと談笑などされています。
そこで声をかけてみると、田植えをしようとここに来たのですが、今は苗が届くのを待っているとのこと。
この方は、毎日のように田植えをしていて、今日はここ、明日はあちらの下の段と、田んぼの場所もバラバラだとか。なぜなら、年々農作業が大変になってきた米農家の方々から「うちもやってくれないか」「うちも頼むよ」と依頼が舞い込むから。
自分としては、あちこちを担当するのは大変だけれど、頼まれればイヤと断れないし、「ここは人助け、やってあげようじゃないか」と腹をくくっていらっしゃるご様子。
まだまだ何年もやっていけそうな、元気に日焼けした笑顔。「ここは景色が美しいから気持ちがいいですね」と申し上げると、「いや、子供のころからここで育っているから、キレイだとか、べつに何も思わないですよ」とおっしゃいます。
富士山を見上げながら静岡県御殿場市で育った方が、「べつに富士山なんて見たくもない」と驚きの発言をされたのですが、それと似たようなご意見ではあります。
ずっと住んでいると、「そんなこと考えもしなかった」と外から来た人に教わることもあるのでしょう。
阿蘇は、きれいな湧水でも有名です。
すぐ近くには『白川水源』という湧水スポットもあって、国内外の旅行者で賑わいます。
お水がきれいということは、お米づくりにも最適な場所。
前日に寄った町の酒屋では、地酒を買おうとしていると、横から「それ、わたしがつくったのよ」と声が聞こえてきます。
カウンターに置いてある、立派な茎のついた紫玉ねぎのことかと思っていると、手にしている『残心(ざんしん)』という純米吟醸酒のことでした。
なんでも、この日焼けしたレディーを中心に、仲間15人で農薬や肥料を一切使わずに「山田錦」を育てていらっしゃるそう(山田錦は、日本酒に使う代表的な米の銘柄)。
農薬を使わないとなると、草取りも大変だし、田んぼにまく稲わらでは、化学肥料のように収穫量は多くないことでしょう。しかも、山田錦の栽培は、食米よりも難しいといいます。
けれども、南阿蘇のきれいな水を農薬や化学肥料で汚したくない、きれいなまま水を流せる米づくりをしたいと、自然栽培に踏み切られたそう。
当初は自然栽培の稲作に戸惑っていらっしゃった地元の米農家さんにも、少しずつ賛同者が増えていって、今では5ヘクタールの栽培面積と初夏の夜に舞うヘイケボタルを誇るようになりました。
南阿蘇・喜多地区から『喜多いきいきくらぶ』と命名されたグループは、熊本、福岡、山口、和歌山の蔵元に米を出荷し、それぞれの蔵元ではご自慢の純米吟醸酒を醸造されています。
ちなみに、地酒かと思った『残心』は、福岡県みやこ町の林龍平酒造場でつくられたお酒。米の香りがしっかりと口に残り、宿で出された黒毛和牛のすき焼きにも負けないお味でした。
残心とは、武道の動作を終えたあとも、緊張を持続する心構えを表す言葉。「余韻を残す」という日本独自の心や美学につながる概念とのこと。
人の分まで田植えに精を出す男性と、自然な米づくりの輪を広げるレディー。それぞれの日焼けした笑顔に、南阿蘇の自然の懐の深さを感じたのでした。
こぼれ話:
ちょうど今ごろは、阿蘇五岳の山肌はピンクがかった茶色に見えます。
火山だからこんな色の土だろうと思っていると、ピンクっぽいのは「ミヤマキリシマ」の群生だそう。
ミヤマキリシマは、九州各地の高山に咲く、ツツジの一種。ツツジの花よりも小型で、鮮やかなピンクのかわいらしい花々です。
南阿蘇ビジターセンターでは、ちょうど阿蘇五岳を臨むバルコニーに望遠鏡を設置して、係員の方がミヤマキリシマの群生を見せてくださいました。
ある年は花々も少なく、またある年は山肌全体がピンク色に染まるほどたくさん咲き、景色は年々変わるものだそう。
たくさんの花が咲き、人は「きれいだね、良かったね」と言うけれど、決していいことばかりではありません。まもなく天災が訪れることを察知したミヤマキリシマは、子孫を残そうと、例年より多い花々を咲かせておくそう。
自然のサインを察知するのも、見落してしまうのも、人の眼力にかかっているのでしょう。