A blessing in disguise(変装した天の恵み?)
でも、a blessing in disguise というのは、日常よく使われる表現です。
ま、長い名詞になるのですが、直訳すると「変装した天の恵み」。
最初の a blessing というのは、「神さまの恩恵」とか「天からの贈り物」といった意味。
次の in disguise は、「変装している」という意味です。
ちなみに、disguise(発音は ディスガイズ、「ガ」にアクセント)は、「変装」とか「~を変装させる、他のものに見せかける、隠す」という意味。
この in disguise に似た言葉で、incognito(インコグニート)「お忍びで」という表現もありますね。
それで、ふたつをつなげた a blessing in disguise となると、
「最初は悪く思えたけれど、あとになって考えてみると、とっても良いこと」という意味合いになるのです。
ですから、「最初はイヤだったけれど、あとから考えてみると、とってもラッキーなことだったなぁ」と、喜ばしい出来事を表現したものですね。
それで、この表現は、ごく最近、ある方がおっしゃったものでした。
先日フォトギャラリーでご紹介した、Manresa(マンリーサ)というシリコンバレーの「二つ星」レストラン。
このお店のある男性スタッフの方が、a blessing in disguise と表現なさったのです。
マンリーサは、昨年7月に「ほぼ全焼」という災難に遭ったのですが、お店が再開するまでの6ヶ月、スタッフの方々は「自宅待機」となりました。
中には、他の場所でアルバイトをなさった方もいらしたそうですが、この方は、6ヶ月をずっと家で過ごされたとか。
災禍の時は、まだ1歳半の女の子がいらっしゃって、2歳になるまでの半年間、この子と遊んで暮らしたそうです。
I spent quality time with my daughter, and bonded with her
娘ととってもいい時間を過ごして、大の仲良しになりました
(quality time は「上質の時間」、bond は「絆(きずな)を深める」という動詞)
夜しか営業しないレストランではありますが、娘が起きた頃には出勤していて、帰宅した頃には、彼女はすでに夢の中。
そのため、彼女が起きている間になかなか会えなかったし、ましてや、一緒に遊ぶなんて・・・。
が、思いもよらずに「自宅待機」となり、ずっと一緒にいられた。
ですから、
It was a blessing in disguise
それ(災禍で娘と過ごせたこと)が、この上なくラッキーなことだった
たとえ、その間、給料が入ってこなくても、娘の人生で大事な時期(crucial time of her life)を一緒に過ごせたのは、とっても良かったよ、そうおっしゃっていたのでした。
それにしても、半年の自宅待機の末、お店のスタッフ全員が戻って来られたそうですから、オーナーシェフのデイヴィッドさんは、みなさんに慕われているのでしょうね。
そのときには大変に感じられたけれども、あとから考えてみると、ラッキーなこと。
人生には、そんなことが結構たくさんあるような気がするのです。