A Nose Job (鼻のお仕事?)
直訳すると、鼻のお仕事!?
お鼻がトコトコと出かけていって、何かお仕事?
いえ、何のことはない、a nose jobとは、お鼻の整形手術のことなんです。
医学的には、rhinoplastyと申しまして、美容の目的か、または、治療のために必要な鼻の手術のことなのですね。
ギリシャ語源で、「鼻(Rhinos)」と「形作る(Plastikos)」から来ている言葉だそうです。
なんで突然「鼻のお仕事」かというと、元ブラッド・ピット夫人の女優ジェニファー・アニストンさんが、鼻の手術を受けたのです。これが、果たして美容整形なのか、そうじゃないのかと、話題になっていたのです。
彼女曰く、「鼻の中の膜を治す手術をしただけだわ」だそうで、別に鼻を作りなおしたわけではないと。
「今までわたしがやったことの中で、一番良かったわ(Best thing I ever did)」との仰せです。(えっ、ブラッド・ピットとの結婚よりも?)
まあ、「もしかして美容整形?」という噂が立つくらい、彼女のお鼻は、女優さんにしては、ちょっと丸っこいかもしれませんね。
ちなみに、rhinoplastyは、紀元前500年には、既に行われていたそうです。
古代インドの高名なお医者さんが、刑罰として鼻を削られた人の手術をしてあげたのが最初だそうな。
以前、「Paper or Plastic ? 」という英語のお話の中で、プラスティックには、いろんな意味があるのだとご説明いたしました。
その中に、こういうのが出てきました。
Plastic surgery。 「プラスティックな手術」というと、美容整形なんかの形成手術のことですね。「プラスティック」という言葉には、「思いどおりに形作る」というような意味があるのですね。似たような言葉で、plasticity というと、何にでも適応できる柔軟性のこと。
勿論、形成手術の中には、病気や事故で、体の修復が必要なものもありますよね。そういうときは、reconstructive plastic surgery とも呼ばれています。
Reconstructive、つまり「元どおりに治す」形成手術。
上記の古代インドのケースは、立派な修復手術ですよね。それから、乳がんの切除手術のあと、乳房にシリコンを入れたりするのも、修復手術の代表例ですね。体だけではなく、心の修復もあるのかもしれません。
一方、女優さんがする形成手術というと、当然のことながら、だいたいが美容目的ですよね。
こういう場合だと、cosmetic plastic surgery とも言います。
Cosmetic、つまり「美容の」形成手術。
だって、美しくなりたいんですもの!
(写真は、病院に新しく美容サービス部門ができたよ、という宣伝ハガキ。Enhance the way you look! とは、あなたの見かけをよくしましょう!という、心をくすぐられるようなうたい文句ですね。)
映画の街ハリウッド。実は、この街は、人口に対する美容整形外科医の数が、アメリカで一番多いのです。それほど、需要があるんですね。
ハリウッドの別名って知っていますか?
その名も、Tinseltown (ティンセルタウン)。
Tinsel とは、ぴかぴか光る糸や金属片のことで、転じて、「安ぴかの物」。
つまり、きらびやかだけど、安ぴかの、うわべだけの街というのが語源なんでしょうね。
この街で生きていきたいなら、人を踏みつけても、のし上がりなさい。これがモットーなのだそうです。
追記:表題のNose jobとはちょっとずれてしまいますが、近頃、ヨーロッパやアメリカでは、ファッションモデルの「痩せ過ぎ(too thin、too skinny)」が問題になっていますね。
痩せたいがために、食べ物を無理に拒絶したりと、健康の問題が心配されています。だから、マドリードやミラノでは、ファッションショーで痩せ過ぎのモデルを使ってはいけない、という禁止令まで出されましたよね。
近年、ファッション業界では、問題がどんどんエスカレートしていて、「痩せ」を保てる年齢の13歳や14歳のモデルが好まれているそうです。
そういう若年のモデルを指して、ある業界評論家がこう言っていました。
They have a vacant look (彼女たちは、うつろな表情をしている)
経験から来る、モデルとしての豊かな表情が欠けているという意味なのですね。
それから、ファッションとはまったく関係のない世界で、こうおっしゃっている方がいます。
女性は、姥桜(うばざくら)になりなさい。
これは、今問題になっている性差別発言でもなんでもなくって、京都の桜守(さくらもり)として有名な、第16代・佐野藤右衛門さんのお言葉なのです。
長い年月を重ねたものにこそ、美しい、「色香」のある花が咲く。皺くちゃになった幹の老木は、はっとするほど美しい花をつけるものだ、そういった意味だそうです。
藤右衛門さんご自身のお庭を京都で訪ねたとき、その言葉を体感したのでした。
いつもは通り過ぎてしまう桜の木。ぱっと花を咲かせたとき、人は桜に釘付けになるのです。