Carry on a conversation(会話をする)
今日の話題は、carry on a conversation。
つまり、「会話をする」というお話です。
いえ、単なる世間話ですので、どうぞ気楽にお読みください。
どうして、こんな話題を選んだかというと、先日、クリスマスパーティーで雑談をしていたら、こう嘆いた方がいらっしゃったから。
Some of the young people nowadays don’t know how to carry on a conversation
「近ごろの若い人の中には、どうやって会話をしていいのかわからない人がいる」というのです。
もちろん、これをおっしゃった方はそんなに若くはないですが、そんなにお歳を召した方でもありません。
近ごろ、オフィスとかレストランとか、コーヒー屋さんとか、いろんな場で知らない若い人と隣同士になって気軽に話しかけたりするんだけれど、まるで「この人って誰? なんで僕に話しかけているの?」といぶかるかのように、反応が悪く、会話が成り立たない人が多すぎる、と。
こうおっしゃるまで彼は、日本を訪問した体験談などを披露されていました。筑波の研究機関では、お米のゲノム(遺伝情報)を解明するシステム構築のお手伝いをしたこともあって、滞在中に日本の食べ物も好きになったというようなお話。
I have acquired taste for sashimi and sake, and now I love the Japanese food
「わたしは刺身や日本酒の味がわかるようになって、今では日本食が大好きになったよ」と。
そんなお話をなさっていたので、「もしかすると、会話ができないというのは、日本の若者のことですか?」と確認してみたのですが、彼は、すぐさま否定するのです。「いやいや、こちら(アメリカ)の話だよ」と。
なるほど、これまでアメリカでは、知らない人同士でも、楽しく会話をすることを「国是(こくぜ)」としているようなところがあって、相手が誰であっても、何かしら共通の話題を見つけて、たえずペチャクチャと雑談をしている印象がありました。
まるで、言葉を交わすことで、人とのつながりを楽しんでいるみたいに。
ところが、近ごろは、ごく限られた人(自分がよく知っている人)としか会話をしないぞ! と決め込んでいる若者が多いようだ、という彼の認識でした。
おそらく、インターネットが普及したことによって、会話のやり方や会話の相手すらも仮想空間に移ってきたから、という理由もあるのでしょう。べつに、生きた(目の前の)人間と話さなくても、僕には他に話をする相手はいくらでもいるし、その方が同じ興味を分かちあって話が通じやすくて楽だ、というのでしょう。
そうなんです、遊園地で行列に並んでいるときとか、パーティーで知らない人と会ったときには、まずは、相手がどんな人であるかを観察して、この相手と友好的に話すにはどんなトピックを選んだらいいのかな? と、瞬時に判断しなければなりません。
もしも相手が話に乗ってこなかったり、表情がこわばったりしていたら、それは避けた方がいい話題なのかもしれませんし、逆に、ニコニコして饒舌になったら、相手にとっては楽しい話題なのでしょう。
そう、「知らない人と会話をする」ということは、そういった脳や五感を総動員する高度な技なのかもしれません。
まるで相手の球を受けたり、打ち返したりという、高度な卓球の技のようなもの。
ですから、ごく自然なことではありますが、それが得意な人と苦手な人が出てくるのでしょう。
そして、日本人にとっては、英語の会話は苦手というケースもあるかもしれません。
先日、NHKの『ドキュメント72時間』という番組を観ていたら、大阪の英会話学校が撮影場所になっていて、みなさん一様に英会話の習得に努力なさっているようでした。
この番組は、一定の場所に72時間(3日間)カメラを置いて、そこを訪れる方々に話を聞く、という面白い企画。どなたも自分を飾ることなく、さまざまな人生体験をサラリとご披露なさるところが魅力です。
この英会話学校の回では、もうすぐ海外赴任をするからとか、思うところあって自分を変えたいからとか、両親を海外旅行に連れて行って親孝行をしたいからとか、いろんな理由で英会話を学びに来られていました。
テキストを使った予習や復習も怠らず、どなたも真面目に取り組んでいらっしゃいましたが、実際に40分間にわたる先生との一対一セッションとなると、なかなか会話が続きません。
多くの場合は、伝えたいことはたくさんあるのに、言葉が口から出て来ない、という感じでした。
それを見ていて、わたし自身は、少し不思議に思ったのでした。「もしかすると、これは英語だけの問題じゃないのでは?」と。
そう、母国語であっても、普段から自分の考えていること、感じたことを言葉にして表現することに慣れていない方もいらっしゃるのかもしれない、と思い当たったのです。
もちろん、日本語ではうまく表現できるのに、英語になるとできない、というケースはあるでしょう。こういった場合は、少しずつ形容詞や動詞などの語句の蓄積を増やしていけばいいのでしょう。
けれども、もしかすると「母国語であっても、言葉で表現する」ことが苦手なケースもあるのではないでしょうか。
だとすると、それは「どの言語を使うか」という問題ではなく、「言葉を使って対象をどう表現すればいいのか」という問題になるのでしょう。
ですから、まずは、目の前の景色や出来事や自分の考えていることを言葉にしてみる。それを習慣化することで、言葉で表現することに慣れていけばいいのではないかな、とも感じたのでした。
たとえば、自分は「これが好き、嫌い」だけではなく、「なぜそう思うのか」を突き詰めて考えてみて、知らない人に説明するにはどうすればいいのかな? と言葉を組み立ててみるとか。
アメリカの子供たちは、「どうして?」という部分を大事にしなさいと習いますが、新しい言葉で考えて、表現するというのは、子供が大人へと成長する過程に似ているのかもしれません。
そう、日本語という言語は、叙情的なポエティック(詩的)な言葉ではありますが、それに比べて、英語はわりと論理的な言語です。ですから、話し手も自然と「なぜ?(because)」の部分にこだわりを持つようになるのでしょう。
たとえば、冬の始まり(the first day of winter)というと、日本では11月上旬の「二十四節気の立冬」とされますが、アメリカでは、冬至(winter solstice、今年は12月21日)の午後2時23分(太平洋標準時間)などと、きっちりと天文学的に定義されます。
こういうのも、言語や考え方を反映した「お国柄」なのかもしれません。
番組『ドキュメント72時間』の英会話学校では、ある女性が、こんなに簡単な言葉で自分の思いを表現されていました。
I want to see aurora
「わたしはオーロラが見てみたいです」と。
とにかく、子供の頃から「きれいなオーロラが見てみたい!」というのが夢だったそうですが、その心意気がドンと伝わってくるような、ストレートないい表現だと思います。
ちょっと気取って表現しようと思ったら、このように言い換えることもできるかもしれません。
I want to visit the Arctic countries and see the northern lights
「わたしは北極圏の国々を訪ねて、オーロラが見てみたい」と、少しだけ情報を付け加えてみたらいかがでしょうか。(オーロラは、northern lights と表現することが多いですね)
そう、どんなにつたない「I want to 〜」の構文であっても、思いは十分にドンと相手に伝わるはずなのです。
11月中旬、成田空港からサンフランシスコに戻る飛行機に搭乗する前、航空会社の地上乗務員の方と話をする機会がありました。
彼女は、生まれてすぐにシリコンバレーに引っ越して、3歳まで過ごしたそうです。ですから、耳は英語に慣れていて、聞くことは得意だとおっしゃいます。
けれども、自分から話すことには慣れていないので、もう少し英語がうまくなって、将来はアメリカなどの英語圏の国で働きたいとおっしゃっていました。
空港では、外国人のお客さんと英語で話すことも多いけれど、話す内容が限られているので、もっと幅広いトピックで会話ができるようになりたい。なぜなら、英語圏の方々は自分の好き嫌いを自覚していて、自己表現に長けていらっしゃるので、話をしていても相手を理解しやすいから、と。
そんな彼女に対して、わたしは二つお伝えしたことがありました。
まずは、英語はあくまでも互いに心を交わす「媒体(medium)」であるということ。
そう、何語であっても、言葉というものは、気持ちや考えを伝える手段でしかありません。ですから、一番大事なことは、「言葉がうまくなる」ことではなく、言葉で伝えたい「何かを持つ」ことではないでしょうか。
誰かに伝えたい何かをたくさん持っているからこそ、伝える手段である言葉も上達したくなる、ということでしょうか。だって言葉がうまくたって、伝える内容を持っていなければ、いったい何を話したらいいのでしょうか?
ですから、わたし自身は、まずは母国語でいいから、伝える内容を自分の中に蓄積することが先決ではないかと思っているのです。
そして、もうひとつ彼女にお伝えしたことは、上達について。
普段、どんなに懸命に努力していても、自分の上達が見えずにがっくりすることもあるけれど、実は、上達を自覚する瞬間は突然にやって来る、ということ。
たぶん、楽器を弾くとか、跳び箱をクリアするのと同じなんだと思いますが、言葉の上達というものは、右肩上がりに少しずつ感じるものではなく、何かのきっかけで、突然、自覚するものだと思っているのです。
たとえば、海外で一年を過ごして日本に里帰りしたあと、また外国語の生活に戻ったときとか、久しぶりに誰かに会って前よりもスムーズに会話ができたときとか、突然「自分ってうまくなったかも?」と感じるものではないでしょうか。
ですから、日々「自分はなかなか上達しない」などと悲観することなく、気長に積み重ねていけばいいのではないかと思っているのです。(だって、何十年も英語圏にいるわたしなどでも、新聞記事を読んでいると、人生で一度も見たこともない単語にひょっこりと出くわすのですから、人の言葉というものは、奥深くて難しいのです。)
というわけで、これから大きく羽ばたいていく彼女にとっては、わたしの意見など何のアドバイスにもなっていなかったでしょうけれど、せっかく「耳が慣れている」方なので、何かしら言ってさしあげようと思った次第でした。
そう、会話というものは、相手を知りたいし、自分を伝えたいという願望から生まれたもの。
どんなに世の中が便利になっても、やっぱり、目の前にいる人の表情を読みながら、うまく話を進めていきたい(carry on a conversation)と願うものではないでしょうか。