Language barrier (言葉の壁)
アメリカに住んでいて、言葉が一番不自由だと感じるのはどこでしょうか。
人によって事情は違うでしょうが、わたしにとっては、学校でも病院でもありません。アメリカの学校には何年か通ったし、医学論文だってちょっとなら読めます。並みのアメリカ人よりも、よほど専門用語を知っているかもしれません。
けれども、これだけは苦手なのです。髪の毛を切ることです。やっぱり日本人の美容師さんじゃないといやなのです。
そのわりに、アメリカには日本人の美容師さんが少ないので、気に入る人を探すのにひと苦労。
今までいろんな日本人の美容師さんにやってもらいました。シリコンバレーのサンノゼに、仲良しの美容師さんができましたが、彼女はアメリカでトレーニングを受けたので、ある意味で、アメリカ人の美容師さんのようでもあります。
サンフランシスコのジャパンタウン(日本街)まで通って、若い人にやってもらったことがあります。残念ながら、ちょっと技術不足な気もしました。
サンフランシスコのユニオンスクウェアを見下ろす美容室で、店を構えるオーナーにもやってもらいました。楽しいゲイの男性で、ベイエリアの日本人コミュニティーではちょっと有名な方です。
「あらぁ、あなたは短いほうが似合うわよ~」と言いながら、じゃんじゃん切られてしまいました。その後、迎えに来てくれた連れ合いの愕然(がくぜん)とした顔を、今でも忘れられません。
そこで、サンノゼのおしゃれなショッピングモールにある美容室に電話をしてみました。日本で「カリスマ美容師」と呼ばれていた方がいらっしゃって、値段が高いのにもかかわらず、なかなか予約が取れないと聞きます。一度、予約をトライしましたが、2ヶ月先と言われ、断念したこともあります。
電話を取った若い男性に、こう尋ねてみました。
“I’d like to make an appointment with S(Sさんの予約を取りたいんですけど)”
すると、彼はこう答えます。
“Oh, it’s been quite a while since he had left(あ~、彼が辞めてだいぶたちますよ)”
どうも、この男性が勤め始める前にSさんは店を辞めてしまったそうで、どこに行ったのかも知らないと言うのです。
ここであきらめてはいけないと、こう質問しました。
“Is there any Japanese hairdresser there?(そちらに、日本人の美容師さんはいらっしゃる?)”
答えはノーでしたが、みんな自分たちの流儀のトレーニングをちゃんと受けているので、うまいよと宣伝します。
う~んと、こちらが即答を渋っていると、彼はこう聞いてきたのでした。
“Is this more of a language barrier?(これって、どちらかというと、言葉の障壁ってことですか?)”
(barrierは柵とか障壁とかいう意味で、language barrierは「言葉の壁」という意味ですね。ここでmore of ~と言っているのは、「どちらかというと」といったニュアンスです。)
彼にしてみれば、自分から予約をお願いしておきながら、予約を渋っているのは、何か事情があると思ったに違いありません。自分たちのスタッフは、技術的には何の支障もないという自負もあるでしょうから。
そこで、わたしはこう答えました。
“Yeah, for me it’s easier to talk to a Japanese hairdresser(そうなの、わたしにとっては日本人の美容師さんと話す方が簡単だから)”
そして、“Let me think about it(ちょっと考えさせてちょうだい)”と、この場を一旦逃げることにしました。
(最後のitは、一連のやりとり全体を指します。Let me ~というのは、よく使う文型で、「わたしに~をさせてちょうだい」という意味ですね。)
まあ、この場は、お店の人の気分をそこねることなく、うまく切り抜けたわけですが、ふと考えてしまいました。自分は本当に日本人の美容師さんじゃないといけないんだろうかと。
冷静になって考えてみると、どこへ行くにも、基本的な単語がわかっていれば、それを繋げればいいはずです。たとえば、美容室だったらこんなもの。
カットはhaircut、パーマはperm。前髪はbangs、髪を分けるはpart the hair、カールはcurlで、ボリュームはbody。段をつけるのはlayered hairで、どこかを隠したいんだったらcomb over。
スターバックスにだって、コーヒーの種類だけではなく、どの大きさだとか、どんな牛乳にするだとか、それなりの専門用語はあるわけです。「言葉の障壁」というよりも、単に、慣れの問題なのかもしれません。
けれども、別のわたしはこう言うのです。言葉だけの問題ではないよと。日本人の髪の質や好みを知っているのは、日本人の美容師さんだけだよと。
そんなわけで、最近はもっぱら、日本に戻ったとき東京で髪をやってもらうことにしているのです。少なくとも3ヶ月は髪の毛を切れないわけですが、行きつけの美容師さんなので、3ヶ月くらいはもつ髪にしてくれます。
数年来の付き合いの彼は、過去の髪型を細かく覚えていて、「今回はちょっと前髪を変えてみましょう」などと、こちらが何を言うまでもなく、全部おまかせできるのです。
日本に行くたびに、「結婚式だから」とか「久しぶりにお正月を」とか「桜を愛でに」などと理由を付けるのですが、その実、髪の毛をやってもらいに足繁く日本に通うようなものなのですね。
次回は、いったいいつ行けるかなあ、と考えているところです。
追記:写真のこけしは、群馬県在住の創作こけし作家、宮下はじめ氏の作品です。