Monkey off my back(猿よ、去れ!)
たとえば、こんなものがあるでしょうか。
犬も歩けば棒に当たる
スズメ百まで踊り忘れず
それから、猿も木から落ちる、というのもありますね。
それと同じように、英語にも、動物が出てくる表現は多いです。
日頃よく耳にする中には、こんなものがあるでしょうか。
Monkey see, monkey do
こちらは、わざと文法を間違えて、子供や英語を習いたての人が使うような稚拙な表現にしてありますが、「猿は見て(Monkey see)、行動する(Monkey do)」というわけです。
ですから、「猿は、見よう見まねで行動する、新しいことを学ぶ」といった感じでしょうか。日本語にも「猿マネ」という言葉がありますが、親や周りの人のマネをしているうちに、自然と新しい知識や技を身につけることをさします。
考えてみると、日本文化には「とにかく最初はマネをして、体で覚えろ、理屈はあとでついてくる」という考えも根強いですよね。日本舞踊とか茶道、料理なども、そういった面があるのかもしれません。
きっと世の中には、物事の筋道を考えながら習得するものと、猿マネをするうちに自然と会得するものと、両方の学び方があるのでしょう。
お猿さんといえば、日光東照宮の神厩舎(しんきゅうしゃ:ご神馬の厩)にいる、かの有名な「三猿(さんざる)」の彫刻を思い浮かべます。
猿はとっても賢いので、相手に対して礼を失するようなことは「見ない、聞かない、言わない」と、自己を律するワザを会得している、というわけです。そんな賢い猿に比べると、「自分は、お猿さんにも劣っているな」とハッとすることもたびたびでしょうか。(Photo of Three wise monkeys by Jakub Hałun, from Wikimedia Commons)
そして、今日のお題にもなっていますが、猿を使った表現には、こんな不思議なものもあります。
Get a monkey off my back
「猿をわたしの背中からおろす」というわけですが、
今まで(わたしを悩ませていた)問題を克服する、悪い癖をきっぱりと断ち切る、といった痛快な意味になります。
この場合、わたしの背中に乗っかっている猿(a monkey on my back)というと、「心にひっかかっている難題、障壁」とか「どうしてもやめられない悪い癖」といった意味があります。
ですから、その「猿(難題、悪い癖)を背中から引きずり下ろす(get a monkey off my back)」ことで、「問題におさらばできた、解放された」「晴れて障壁を克服した」と、心がすっきりしたようなニュアンスになります。
とっても印象深いシーンがあって、それは、アメリカンフットボールのサンフランシスコ49ers(フォーティーナイナーズ)が久しぶりにチャンピオンになったとき。
1980年代に4回も優勝した黄金期からメンバーも入れ替わり、どうしても勝てない時期が続いていた、1994年のシーズン。久しぶりにチームがチャンピオンに返り咲き、攻撃の司令塔であるクウォーターバック、スティーブ・ヤング選手が見せた不思議な行動。
それは、「誰か、お願いだからこの猿を背中から取ってくれよ!(Would somebody please get this monkey off my back!)」と叫びながら、チームメートに駆け寄るシーン。
ヤング選手に背中を向けられたチームメートは、彼の背中にくっついている見えない猿をガブガブと「噛み切ってあげた」のでした!
そうなんです、「なかなか勝てないねぇ」「あんたは、先代のスーパースター、ジョー・モンタナとは違うんだよ」とプレッシャーに押しつぶされそうになっていたところ、ようやく優勝を勝ち取ったので、「大きな壁を克服したぞ!」と喜び勇んで、猿を背中から引きずり下ろしてもらったのでした。
この猿は、相当に大きかったのか、それとも何匹も乗っかっていたのか、優勝トロフィーの授与式でも、ヤング選手は自分の背中から何度も、何度も猿を引きずり下ろすジェスチャーを披露してくれたのでした。
それ以来、またまた49ersは優勝から遠のいていますが、次にチャンピオントロフィーをもらったときにも、「背中から猿を引きずり下ろす」選手が出てくるでしょうか?
それで、どうして悪いことが「猿」なのか? とずうっと疑問に感じていたのですが、どうやら、語源は定かではないようです。
でも、猿は他の動物に乗っかって意のままに蹂躙(じゅうりん)するとか、猿は「悪い魂である」とする文化圏もあるようなので、そこから英語の表現に転じたのだろう、という説もあるようです。
いずれにしても、「賢い猿」に恐れを抱いた人間が、勝手につくりあげたイメージのようではありますが、他にも、動物が好ましくない使われ方をしている例もあるんです。
たとえば、ゴリラ。
800-pound gorilla
つまり、「800ポンドのゴリラ」というのがあります。
800ポンド(発音は「パウンド」)というと、360キログラムですが、それほど大きな、力強いゴリラ、というわけです。
こちらは、「太刀打ちできないような大きな存在」という意味になります。
たとえば、業界を牛耳る大企業とか、大物政治家や政党、軍事的な勢力や司法機関と、庶民がどんなにがんばって抗(あらが)おうとしても、絶対に勝てない相手、といった意味があります。
そういった大きな存在が、「強大な力を利用して、自分のやり方をごり押しする」といったニュアンスが含まれていることもあります。
例としては、ファストフード界のマクドナルドとか、流通産業のウォールマート、iPhoneで有名なアップル、そして、中国なども 800-pound gorilla として比喩されたことがあるようです。
実際には、ゴリラは200キロ(430ポンド)を超えることは珍しいようなので、800ポンドのゴリラというのは、ひどく誇張した表現になります。
ですから、「普段はあり得ないような、巨大な力」という意味で、誰かが使い始めたのかもしれません。(Photo of “Koko” from The Gorilla Foundation’s Website, “Koko loves your bday cards” taken by Ron Cohn on August 29, 2017)
似たような表現には、こんなものがあります。
Elephant in the room
つまり、「部屋の中にいる象」というわけです。
There is an elephant in the room
こんな風に、「部屋の中に象がいる」といった使い方をします。
そう、象さんが部屋の中にいれば、誰もが気づくわけではありますが、そんな大きな存在(問題)ですら、無視したい、語りたくない、といった意味になります。
当初は、博物館で虫の標本を観察する昆虫学者が象に気づかなかったところから、「小さなものばかり見ていると、大きな存在に気づかない」という意味だったようです。が、時代とともに「誰もがわかっていることなのに、表だって議論することを避けたい難題」という風に変わってきたみたいです。
もしかすると、議論することで、さらに厄介な難題が降りかかってくるのかもしれません。または、言葉にすること自体がタブーとされているのかもしれません。
いずれにしても、誰もが見えているのに、「いないことにしよう」と頭の中で存在を消そうとしているのが、elephant in the room というわけです。
というわけで、動物を使った英語の表現には、好ましくないものもありますが、ここで一番迷惑だと思っているのは、動物たち本人かもしれませんよね。
お猿さんだって、ゴリラさんだって、象さんだって、「なんで自分が引き合いに出されるの?」と、首をかしげていることでしょう。
でも、考えてみると、いろんな文化圏のことわざに動物が登場するのは、人間が動物の中に「自分たち」を見つけるからかもしれません。
自分たちに似ているところを発見して、自身のことを学んだり、はたまた動物たちから新しいワザを教えてもらったりと、そんな自然界への畏敬の念をことわざにしてきたのかもしれません。
<追記>
蛇足ではありますが、文中のゴリラの写真「Koko(ココ)」ちゃんについて、ちょっと解説をいたしましょう。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、このココちゃんは、ゴリラの中でも超有名人で、1971年にサンフランシスコ動物園で生まれたローランドゴリラのメスです。生後6ヶ月に大病をしたことで、お母さんゴリラではなく、飼育員が代わって世話をすることになりました。
ちょうどその頃、近くのスタンフォード大学で動物心理学を研究していたフランシーン“ペニー”・パターソンさんが、「ゴリラに手話(sign language)を教える」ことを博士課程の研究題材に選び、動物園にいるココのもとに足繁く通って、手話を教え始めました。先に1960年代には、「Washoe (ワショー)」というメスのチンパンジーに手話を教えるプロジェクトがあって、それにヒントを得たのです。
最初の2年で、ココは80の手話単語を覚え、3年目からはスタンフォード大学でペニーさんがお母さんになって飼育することになり、学習速度がグンと加速。彼女が論文を完成するまでには300の言葉を習得した、とされています。
たとえば、最初に覚えた言葉には「食べる(eat)」「飲む(drink)」「もっと(more)」「鍵(key)」「開ける(open)」などがありますが、ドアの前にいるココが、ペニーさんに向かって「Key Open Key Out The Gorilla(ドアを開けてわたしを出して)」とジェスチャーをしているシーンも記録されています。(英BBCのドキュメンタリー番組『Koko: The Gorilla Who Talks To People (2016年制作)』より)
手話を動物に教える試みは、1980年代以降はあまり行われていませんが、その後の研究では、自然界の中でもゴリラをはじめとして動物同士の身ぶり手ぶりを使ったコミュニケーションが確認されています。ですから、教え方によっては、人間界の手話だって、うまく習得できるのかもしれません。
ココちゃんは、ペニーさんの論文発表後は近くのウッドサイドに設立された「ゴリラ財団(The Gorilla Foundation)」で暮らしておりましたが、今年6月、惜しまれながら46歳で永眠いたしました。
上の写真のバースデーカードを「読む」姿が、最後の誕生日となりました。(Photo of “Koko”, “Sweet Dreams, Koko” taken by Ron Cohn in June 2015, from The Gorilla Foundation’s Website)