Neurodivergent(ニューロ ダイバージェント)
<英語ひとくちメモ その174>
6月に入っても、なかなか梅雨になりませんでしたが、ようやく北部九州も17日に梅雨入りが発表されました。
それまで早々と咲き誇っていた紫陽花も、「やっと本来のあでやかな姿を見せられる」とホッとしていることでしょう。
近年は、色も形もさまざまな紫陽花。各地で開かれる「あじさい祭り」では、お気に入りの品種を探すのも楽しいイベントとなりました。
(写真は、福岡市東区箱崎にある筥崎宮(はこざきぐう)。本殿奥の「あじさい苑」には、約100種、3,500株の花々が美を競い合います。)
というわけで、今日のお題は、こちら。
ちょっと長いですが、neurodivergent(ニューロ ダイバージェント)という形容詞。
いやはや、わたし自身がこの言葉を認識したのは、つい最近のこと。
ニューヨークで neurodivergent people を雇うカフェがオープンした、というお話を聞いたとき。
いわゆる「発達障害」を持つ人たちをスタッフとして雇い、接客を担当したり、カウンター内で飲み物を準備したりと、自分たちが得意とする分野で才能を発揮してもらおうというコンセプトに基づいたカフェです。
こういったカフェは、日本でも各地にオープンしていますが、ニューヨークのカフェは、フランスで始まったカフェのアメリカ初の支店なんだそう。
このカフェのモットーに使われていた言葉が、neurodivergent people 。
なんとも難しい響きですが、neurodivergent という形容詞は、二つの言葉をつなげたもの。
「脳・神経」を表す接頭語 neuro と、「平均とはちょっと違う」という意味の形容詞 divergent をつなげた造語です。
平均的な人と比べて、脳の働きがちょっと違っているがゆえに、コミュニケーションの取り方や物の学び方、まわりの環境の認識の仕方と、ユニークな物事のとらえ方をする方々を表します。
後ろの divergent という形容詞に似た言葉で、「ダイバーシティ(diversity)」というカタカナ用語をよく耳にしますよね。
「多様性」と訳される名詞ですが、一人ひとりの属性や個性を尊重し、社会や組織の中で活躍してもらう、といった意味合いがあります。
属性といえば人種、性別、年齢、宗教などを思い浮かべますが、個性といえば、環境への適応能力とかまわりの世界のとらえ方と、いろんな要因が含まれるのでしょう。
ごく平均的な人でも各々の個性があるものですが、neurodivergent というと、いろんなケースがあって、さらに鮮やかな個性が光るのでしょう。
独特の色彩感覚や形のとらえ方から、人気アーティストとなる方も多いですよね。
一人ひとりの特徴を「障害」などではなく、「個性」ととらえるべき。そんな世間へのアピールから、neurodivergent という言葉が生まれたのではないでしょうか。
似たような言葉がいろいろと出てきたので、ここでちょっと整理いたしましょう。
カタカナ用語「ダイバーシティ(diversity)」 の形容詞は、diverse(ダイバース)となり、「多様な」という意味になります。
これに対して、neurodivergent に使われる divergent(ダイバージェント)という形容詞は、ちょっとニュアンスが違って「〜から離れる」といった意味になります。
何かしら基準となるものがあって、そこから外れていく、みたいな意味合いがありますね。
そして、 この divergent の動詞形は、diverge(ダイバージ)となります。「いろんな方向に進む、標準から逸脱する」という意味です。
一方、「ダイバーシティ」の形容詞 diverse は、動詞になると diversify(ディバーシファイ)となります。「多様化させる、分散する」といった意味です。
動詞 diverge と diversify を使うと、たとえば、こんな例文があるでしょうか。
Their hiking paths diverged at the lake
彼らのハイキングトレールは湖のところで(左右に)分かれた
You should diversity your portfolio
資産構成(投資先)は分散化しなければなりません
ところで、今日のお題 neurodivergent と聞くと、こういった言葉を思い浮かべます。
それは、mentally challenged という形容詞。
こちらは「精神的に、知的にチャレンジのある」というわけで、「学ぶ上で何らかの支障がある、何かしら精神的な症状がある」といった状態を表す言葉。
今日のお題 neurodivergent と比べると、一般的に広く使われている言葉ではあります。
昔は、それこそ「おバカさん」というようなストレートな言葉もありましたが、こういった侮蔑的な表現を避けるために、mentally handicapped 「知的ハンディキャップのある」という表現が生まれました。
さらに、そこから mentally challenged 「チャレンジを持っているだけ」というやんわりとした表現に変身します。
時が流れ、人の理解も変化し、そんな新たな認識や心づかいから生まれた婉曲的な表現になります。
さらに一歩進めて、ここから neurodivergent という言葉が生まれたようです。
同様に、身体的に何かしら難しい面があるような場合は、physically challenged といいます。
以前は physically handicapped、つまり「身体的にハンディキャップのある」という風に表現されていましたが、時世の流れによって、「単に身体的なチャレンジを持っているだけ」というとらえ方に変わっています。
誰だって、心に問題を抱えることもあるし、大けがをして足が動かなくなることもある。後遺症の残る病気(debilitating disease)にかかることもある。
ですから、それはチャレンジを与えられた状態であって、決してハンディキャップ(障害、disability)などではない。そんな認識に基づいた言葉でしょうか。
というわけで、今日のお題は、neurodivergent という難しい形容詞でした。
いろんな心情に配慮した英語の表現に慣れてみると、日本語の「発達障害」という言い方には、ちょっとびっくりしてしまうのです。
人と違った物のとらえ方をするのは、その人の個性。光る個性は、ひとつの型にはめようとせず、そのまま伸ばすのが社会のためになるのではないか、そんな風に感じます。
ちなみに、neurodivergent に対して、平均的な人のことは neurotypical(ニューロ ティピカル)と言うそうです。
後ろの typical、つまり「典型的な」という言葉が、なんとも退屈な響きをかもし出しています。
ワインを造るブドウの畑(vineyards)でも、ブドウの木の脇には、バラをはじめとして花々を植えることが多いです。
色とりどりのバラの花とブドウの葉の取り合わせは、見ていて美しいものですが、それだけではありません。
バラは、ブドウの受粉(pollination)を助けるミツバチや蝶を引き寄せる、強い香りで害虫を避ける、土壌を豊かにする、そして、ブドウの実の味わいを深める、とさまざまな利点を持っているそうです。
写真は、ワイン産地として有名な北カリフォルニア・ナパバレー(Napa Valley)にあるベリンジャー(Beringer Vineyards)というワイナリー。ブドウの木の脇には、バラだけではなく、紫色のサルビアや色とりどりのポピーも育っています。
違った種が一緒に育つことで、互いを助け、高め合う。
日々の生活のシーンでも、いろんな人たちが混じっていた方が刺激になるし、学ぶこともたくさんあるのかもしれませんね。