冒険小説:「勇者」とは?
Vol. 193
冒険小説:「勇者」とは?
カリフォルニアは、まだまだ暑い日が続いています。そんな今月は、本のお話をいたしましょう。
<冒険小説をどうぞ>
夏って、「冒険小説」を読みたい気分になりませんか?
人それぞれにいろんな名作を心に秘めていることでしょうが、たとえば、少年少女向けには、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』、ロバート・スティーヴンソンの『宝島』、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』。
大人向けのものでは、ミゲル・デ・セルバンテスの『ドン・キホーテ』やアレキサンドル・デュマの『三銃士』などを思い浮かべるでしょうか。
個人的には、子供の頃に読んだ『ロビン・フッドの冒険』にひどく感動した思い出があります。
ロビン・フッドは、イギリスの伝説上の義賊で、日本でいうと「鼠小僧」みたいなものですが、「強きをくじき弱きを助ける」典型みたいな行いの数々に、やっぱり人間はこうじゃなきゃいけない! と、子供ながらに「世の不条理」と「義」を学んだような気がします。
今となっては、どなたの原作の編訳を読んだのかはわかりませんが、最後にロビン・フッドが捕らえられ、極刑に処されるくだりは涙が止まらなかったのを鮮明に覚えています。
彼のような義をくじくなんて、それこそ、世の中は不条理のかたまりではないか? と。
そして、この夏も、いい冒険小説を読みました。
森村誠一氏の『勇者(ゆうしゃ)の証明』という小説で、1998年の作品を文庫化したもの。文庫版はこれまで三社から出ていて、今年は、集英社文庫が出したという人気小説です。
主人公は、関東内陸部で生まれ育った13歳の少年。
第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)7月末、3人の仲間とともにドイツ人の少女ザビーネをはるばる長崎の祖父の元まで送り届ける任を負うのですが、無謀にも、アメリカ軍に空爆される日本列島を列車で横断する旅に出る、という風変わりな冒険小説となっています。
この『勇者の証明』からは、当時の「戦時下の庶民生活」がいろいろと読み取れるのですが、ハイライトとなるのは、どうにも劣悪な命がけの列車の旅事情と、遠くから体験した広島と長崎の原爆投下でしょうか。
昭和20年8月6日、陸軍司令部の置かれる広島市の上空で、原子爆弾「リトルボーイ」が炸裂。広島を超えて岩国に差しかかった列車は目のくらむような閃光を浴び、巨大なキノコ雲(火柱)の熱風と風圧に追われながらも、一行は命拾いをします。
広島から逃れた被爆者を乗せ「救援列車」となった列車は、翌朝、西に向かって発車し、その翌朝めでたく長崎に到着します。が、翌8月9日、ザビーネの祖父の住む長崎で、またまた原子爆弾「ファットマン」が炸裂。
もともと陸軍造兵廠(ぞうへいしょう、兵器工場)のある小倉に向かったB-29爆撃機ボックスカーは、天候不順から投下をあきらめ第二目標の長崎に向かい、奇跡的にできた雲の裂け目から三菱重工業長崎兵器製作所・大橋、茂里町両工場を目視し、「ファットマン」を投下。
が、ここでも山陰の漁港にいた一行は、命拾いをするのです。
(写真は、長崎市郊外の香焼島から松田 弘道氏が撮影、長崎原爆資料館 所蔵)
そんな大冒険を果たした少年たちが郷里に戻ると、後半のハイライトに突入。「仇討ち」とも呼べるような、教師や先輩の抑圧に報いる快進撃が始まるのです。
戦時下、学校には配属将校が派遣され、軍隊組織化した学校では、先輩が後輩の日々の生活を牛耳り、教師や先輩は「絶対君主」のようなものでした。
教練の時間には、校庭で敵に見立てたワラ人形に竹槍を突き立て、敵国の言語である英語を使えば、スパイとみなされる。
「撃ちてし止まん(うちてしやまん、敵を討って駆逐する)」の精神のもと、この戦争を国家総力で戦い、地球上から米英を抹殺する! それが「聖戦」目的と掲げられていたのですから、今からは想像もつかない学校生活なのです。
実際、「陸軍現役将校学校配属令」というのがあって、中学以上の学校には現役将校が配属され、「学校教練」という名のもと、軍事教練は正式科目でした。
『勇者の証明』からは少々逸脱しますが、知り合いの韓国系アメリカ人の方から、こんな話を伺ったことがあります。
彼が小学生の頃、日本の統治下にあった韓国では、教師は日本から派遣され、日本語教育がなされていました。
1937年に閣議決定された「国民精神総動員実施要綱」が、翌年には「国家総動員法」として制定され、朝鮮半島、台湾、南洋諸島など外地においても住民を「皇民化」しようとしていたのでした。
そんな中、彼の小学校のクラス担任は、そろそろ老齢にさしかかる日本人女性教師。
まあ、この女性教師が意地の悪い(mean)人で、雨の日も晴れの日も長靴を履いているんです。その長靴のかかとには、馬の蹄鉄みたいな分厚い金属が付いていて、子供たちが言うことを聞かないと思うと、長靴を手に取って、子供の顔を右から左へと金属のかかとで殴打するのです。
子供たちは怖いから、言うことを聞くようになるのですが、それこそ「聖戦」をまっとうするために、皇国の臣民は狂気に踊っていた時代なのでした。
そんなわけで、『勇者の証明』のザビーネと少年たちが体験した空爆や権力による暴力、そして原爆によって一瞬にして破壊し尽くされた街と人々。そんな一個の人間にはどうしようもできない不条理の数々を、読者ひとりひとりが余すところなく疑似体験できる。それが、この冒険小説の魅力だと思うのです。
これまで、森村氏の作品は数冊読んだだけですが、いつもその文章の美しさに感心させられます。仰々しく美辞を連ねるわけでもなく、逆に、無駄を一切削ぎ落とした簡潔でテンポの良い文章が、表現の美を引き立たせる。この『勇者の証明』も、辛い時勢を描くわりには、親しみやすい読み物に感じます。
春秋に富む若者たちは無限の可能性に富み、人生の方途を自分で選ぶ自由を持っている。だが、国は彼らの自由を奪い、戦力の中核として必死の(「必ず死ぬ」の意)作戦に放り込んだのである。
若者たちは大したことを望んでいるわけではない。少なくとも自分の意思によらない人生の方位や、生き方(死に方)を強制されない世界を求めているだけである。(P214より引用、「必死」の注釈は付けさせていただきました)
そして自由は奪われてこそ、その尊さがわかる。(P312より)
ご本人の解説(公式サイトの「著書リスト」より)によると、小学校時代、町外れに「おばけ屋敷」と呼ばれる外国人母娘(おやこ)の住む古い屋敷があって、戦争の勃発とともに、母娘は消息を絶ってしまったとか。その思い出が、少年たちの旅の出立点として登場しているようです。
こちらは、もともと大人向けに書かれた冒険紀行だと思いますが、戦争を疑似体験できるという意味では、ぜひ、少年少女や(ヤングレディーも含めた)青年のみなさんに読んでほしい小説だと思っているのです。
夏来 潤(なつき じゅん)