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2004年05月28日

春の旅路:我が家にシーサーがやって来た

Vol.58
 

春の旅路:我が家にシーサーがやって来た

そうなんです。ゴールデンウィークに、はるばる沖縄に行ってきました。今回は、筆者初体験の沖縄旅行をのんびりと綴ってみたいと思います。


<宮古の思い出>

那覇に着いてすぐ、宮古島に向かいました。本島から離れた島に行ってみたかったのです。市街地からちょっと離れた小高い丘にある民宿に入り、まず海まで散歩しようということになりました。湿気でむしむしする夕方、誰も通らない立派な舗装道路を15分くらい歩いて、ようやく海岸までたどりつきました。その頃には、慣れないサンダルのせいで足にまめができて、もう歩きたくありません。
見ると、そこはリゾートの建設現場となっていて、大きな木の下で、7、8人の男性が酒盛りをしています。楽しそうに語らっているので、よほど仲間に入れてもらおうかと思いましたが、筆者の両親もいるので思いとどまり、タクシーを呼ぼうということになりました。
そこに、呼びもしないのに、一台のタクシーが救世主のように現れ、クーラーの効いた快適な車で、市街地まで連れて行ってくれました。やはり沖縄は車がないとだめなのだと、初日から思い知らされたのでしたが、ここで会ったのも何かの縁と、翌日は、その運転手さんに島内を案内してもらうことになりました。

今思うと、とてもいい運転手さんに巡り合ったもので、お陰で、24時間しかいなかった宮古のことをたくさん知ることができました。たとえば、水の話があります。
いつかハワイの深刻な水不足をお伝えしたことがありますが、島にとって、水は大切な財産です(2002年9月23日掲載)。特に、宮古のように、山や大きな川がない地形では、すぐに水不足になるのではないかと、他人ながら心配になります。
ところが、実にうまくできたもので、珊瑚礁が隆起してできた宮古の場合、地下の堆積珊瑚の石灰岩層がスポンジの役目を果たし、地中の豊かな水源となっているのです。この石灰岩層は、天然のろ過作用も果たし、海に向かってきれいな湧水を放出します。
この湧水を利用するために、昔から、海岸線に小さなダムを作る工法も発達していたようです。ムイガーと呼ばれる代表的な例が、城辺(うすくべ)町の断崖の下に見られます。お陰で宮古では、雨が2年ほど降らなくても飲み水に困らないと言います。

これに対し、沖縄本島では、家々の平らな屋根に取り付けられた水のタンクをよく目にします。本島の人口や観光客の増加で、例年夏は水不足に見舞われていたようですが、各戸にタンクを取り付けるようになり、その問題も緩和されたそうです。

宮古の自然はまた、"世界一" のものを生み出します。塩です。さきほどご説明した堆積珊瑚の石灰岩層は、水をよく通すので、海の水も地中に浸透して来ます。
この天然にろ過された海水を汲み上げ、製塩所でパッと過熱し、水分を蒸発させると、サラサラの片栗粉のような塩のできあがりです(弁士のような雪塩製塩所案内役のお姉さんによると、あっと言う間に、2秒で塩ができるそうです。だから製造工程を見ていてもつまらないのよと)。
この塩の何が "世界一" なのかと言うと、確認されている含有ミネラルの種類が18と、世界で一番多いとか。マグネシウム、カリウム、カルシウム、鉄など、体にいい "にがり" の宝庫なのだそうです。2000年8月には、ギネス協会から世界一の認定を受けています(それまでの記録保持者は、14種類のミネラルを含む沖縄の塩だったとか。やはり長寿と塩は関係するのでしょうか?)。

この塩は、つけ塩や料理一般に使うだけではなく、水に溶かしてスポーツドリンクにしたり、歯磨き粉の代わりに使ったりと、健康増進にも幅広く利用できるとか。浴槽に溶かすと、アトピー性皮膚炎にも効果ありと言われているそうです。でも、もったいないので、まずはおにぎりを作ってみようと思います。

ところで、最初に登場した酒盛りのお歴々ですが、筆者はリゾートの工事関係者と思いきや、さにあらず。あとで運転手さんに聞いたところ、彼の同業者だったそうです。仲間の一人が海で魚を釣ってきたので、皆で輪になって酒を(多分泡盛を)酌み交わしていたとのこと。我らが運転手はお迎え役で、あの後3回も往復して、皆を無事に家まで送り届けたとか(こんな場合があるので、"どんなにべっぴんさんでも、運転免許がないとお嫁に行けない" そうです)。今度宮古に行ったら、絶対に仲間に入れてもらおうっと。



<沖縄の人>

宮古の素泊まり民宿に足を踏み入れて、まずびっくり。近代的な造りの天井には、監視カメラが2台据え付けてあるのです。丸い黒ガラスで覆ってはありますが、そんなことで騙される筆者ではありません。おまけに、"勝手にやってよ" というオーナーでは、食後の団欒 "ゆんたく" なんて微塵もないし、朝の連続テレビ小説 『ちゅらさん』 に出てきた、小浜島の民宿はどこへやら。
それだけ島の生活も本土と変わりがなくなってきたということでしょうが、昨今、沖縄本島にも本土からの "侵食" が起きています。企業のコールセンターの移管です。テクノロジー系、金融系を問わず、かなりの企業が電話でのお客様サービスを沖縄に移しているといいます。政府の音頭取りもあり、コストの面で利点を見出した企業の裁断です。
ところが、この業務移管の内部事情を知る人と話してみると、必ずしもスムーズな滑り出しではなかったようです。移管後しばらくは、お客様の受けが芳しくなかったとか。応対する側に、"早く切り上げたい" という態度が見え隠れするというのです。この点では、環太平洋国で採用した日本人のコールセンターと比べても、低い評価だったといいます。

いい悪いの議論はさて置き、筆者はこれを、端的に県民性の違いだと思っています。コンピュータの部品が5千円であろうと4999円であろうと、それは命にかかわることではないでしょう。今までそうやって生活してきたのに、急に1円を細かく議論することなぞできないではありませんか(これは、あくまでも勝手なたとえ話です)。
たとえば、筆者が那覇でのレンタカーを予約した時の話です。ゴールデンウィーク中だったし、おまけに先延ばししていたせいで、一社を除いて全部満車でした。その大手Jレンタカーの予約センター(多分沖縄以外の場所にある)に望みを託したところ、交渉の最後の段になって "あなたには貸せません" と言うのです。筆者が日本のパスポートを持ちながら、国際免許であることが許せないらしいのです。筆者は日本の住民ではないので、日本の免許を取ることはできないのですが、中央の予約センターは、そういった外国の永住権や長期滞在の権利を持った日本国籍のケースを想定していないらしいのです。
よほどJレンタカーの社長に文句のひとつでも言おうかと思いましたが、その前に、現地に聴いてみようと、さっそく那覇空港支店に電話してみました。車はあると言うので、国際免許でも大丈夫かと尋ねると、暢気な声で "大丈夫ですよ~" との答え。ふっふっふっ、勝ったゾ!沖縄の人間は、そんなに了見の狭い人たちではないのです。(実際、車を借りた時も、国際免許証とカリフォルニアの免許証を提示しただけで、どこの国籍かは関係がなかったです。けれども、これが規則に則った本来のやり方なのです。)

県民性と言えば、一説によると、沖縄地方は頻繁に激しい台風に見舞われ、いつ嵐が去るともわからないので、イライラせず、我慢強く待つ性格が培われたといいます。しかし、連れ合いに言わせると、"青い海" だそうです。ハワイと同じで、あんなにきれいな海を毎日眺めていると、せこせこした性格にはならないのだと主張します。
"青い海説" の真偽はわかりませんが、海は、ハワイよりもきれいだと思います。その豊かな自然が、企業のコールセンターで破壊されるわけではありませんが、移管先は、沖縄にしてもらいたくはないと思うのです。


<祭>

"筆者が歩けば祭に当たる" と言えるほど、日本を旅すると様々な祭に出会います。計画もせずに行った先で偶然に何事かに出会うと、喜びも倍増です。6月中旬、南部駒の産地である岩手・盛岡で、馬の守護神に詣でる "チャグチャグ馬コ" の行列に遭遇したことがありました。馬や子供たちがカラフルなおべべを着せられ、長い道のりを静かに歩くものです。8月上旬、新潟市内で、地元の民謡にあわせてグループで踊り歩く "大民謡流し" に出くわしたこともあります。揃いの浴衣で連を組んで踊る様は、躍動感があり、圧巻です。
一年前に行った出雲大社では、島根県の無形民俗文化財である "出雲国大原神主神楽" を堪能させてもらいました。"国譲(くにゆずり)" のお題目の中で、神主から配られた赤い鯛の切り紙は、今でも大切に持っています。祭囃子や太鼓の音が遠くから聞こえて来ると、心うきうきと、子供のように駆け出したくなるものです。

今回の沖縄の旅では、那覇ハーリーに出会いました。夏に行われる長崎のペーロンと起源を同じくし、中国式の竜をかたどった船(ハーリー)を漕ぎ、速さを競うものです。五穀豊穣と無病息災を願う行事だそうです。このハーリーは、漁港の街・糸満でも月遅れで行われますが、那覇では5月3日から5日が祭の期間となっていて、最終日に本戦が行われます。

ふらっと会場に出かけて行った筆者の前では、まさに予選レースが繰り広げられようとしていて、何よりもまず、船が思ったより大きいのにびっくりでした。漕ぎ手は30人くらいいるのでしょうか。太鼓や鉦の音に合わせ、皆で掛け声をあげながら勇壮に漕ぐのですが、これがなかなか速いのです。偶然行き合わせた、筆者の出身会社のチームを応援しながら観戦していたら、あっと言う間に、往復のコースを終わってしまいました。他のレースの勝者に比べると、ちょっと見劣りのするタイムではありましたが、3隻の中で1等賞だったことが単純に嬉しかったです(どうやら、今でも若干の忠誠心は持ち合わせているようです)。

今回の旅では逃してしまいましたが、沖縄では、4月に "清明祭(シーミー)" が行われます。これは普通の祭とはちょっと違い、お墓参りの豪華版のようなものです。以前、メキシコ版のお盆 "死者の日" をご紹介しましたが(2001年11月14日掲載)、シーミーもこれによく似ています。
まず、お墓をきれいに掃除し清めた後、集まった一族で酒や重箱料理をお供えし、あの世でのお金(ウチカビ)を焼き、祖先に手を合わせます。その後、持参したご馳走を広げ、皆で食し、時には歌や踊りも飛び出すという、父系出自(血縁)集団 "門中" の年中行事です。

沖縄の墓は、個人用ではなく、長子が受け継ぐ代々の家のようなもので(形も家に似ています)、庭にあたるところで、親戚一同が和気あいあいと再会を楽しむのです。子供にとっても、ご馳走が食べられる楽しみな日といいます。昔は、多くの農家がサツマイモを常食とし、米のご飯は祭や何かしらの行事の日にしか食べられなかったので、ご馳走にありつけるシーミーは、特別な意味を持っていたのでしょう。
沖縄では、4月中がシーミーの期間となっていて、その間、市場ではパッケージに入ったシーミー用のお惣菜が売られたりしています。一方、宮古では、旧暦の1月16日(新暦の2月中旬)と決められています。この日には、学校も午後からお休みとなります。遠方の学生も、正月ではなく、この日に帰省する場合が多いので、飛行機の臨時便まで出るそうです。

中国、香港、台湾でも、清明祭はチンミンと呼ばれ、新暦4月5日頃の大事な年中行事となっています。中国系の多いサンフランシスコでも、チンミンの習慣はしっかりと守られています。地理的、歴史的に中国と近い沖縄には、中国文化の影響が色濃く残っているようです。


<祈り>

沖縄地方では、人も祖先も木々の精霊も、分け隔てなく息づいているようです。洞窟、木のうろ、アカギの大木などあらゆる所が祈りの場となっていて、沖縄の人(うちなんちゅ)でない人間には何でもないと思われるものが、石垣で囲まれ聖なる場所となっています。祈りの原形とも言えるアニミズムを、沖縄で見た気がします。
また、集落ごとに、神々や祖霊と接する御嶽(うたき)が置かれ、日常と超現実、自然と造形物が近しく混在しています。首里城に近い園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)の石門でも、観光客が忙しく行きかう中、静かな祈りが行われていました。


祈りはまた、戦争で犠牲になった人たちにも捧げられます。ひめゆりの塔は、沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒が、陸軍病院に学徒隊として駆り出され、その多くが南部撤退先の外科壕や解散命令後の掃討戦で命を落としたことで知られています。
しかし、学徒のための鎮魂の塔は、これだけではありません。合わせて2千人の学徒が命を失っています。激しい戦闘が終わってみると、沖縄県民の4人にひとりが亡くなっていました。今でも、毎日のように不発弾が発見され、完全処理にかかる歳月は、50年とも150年とも言われています。

ひめゆり同窓会は、1989年の平和祈念資料館設立に際し、こう書いています。"あれから40年以上たちましたが、戦場の惨状は、私たちの脳裏を離れません。私たちに何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れていません。戦争を知らない世代が人口の過半数を超え、未だ紛争の絶えない国内・国際情勢を思うにつけ、私たちは一人ひとりの体験した戦争の恐ろしさを語り継いでいく必要があると痛感せざるをえません。" (ひめゆり平和祈念資料館冊子から "設立について" を抜粋)

"私はもう逃げられないからこれを履いて逃げて" と友に靴を渡された者は、それを語り継ぐ義務があるし、まわりの者はそれを自分の事として聴く義務があるのです。ひめゆりの塔では、日本人に混じって、アメリカ人の生徒たちも見かけました。


追記:
祖霊を崇め畏怖する文化では、多くの場合、死の状況は重要な意味を持ちます。病死や自然死は "祖霊となる死" とされる一方、事故、自殺、他殺、戦争などによる不慮の死は "未成熟な死" と分類されます。もし沖縄にもそのような考え方が歴史的に存在していたならば、戦争の犠牲者への鎮魂は、想像以上に重い意義を持っているはずです。

<沖縄名物>

沖縄の思い出にと、那覇の公設市場でシーサーを買い、大切にアメリカまで持ち帰りました。あのどこか間の抜けた顔に似合わず、魔物(マジムン)を追い払ってくれるそうです。
先日、我が家の玄関先にデビューしましたが、二匹の配置を間違ってはいけません。向かって右が、口を開けた雄。左が口を閉じた雌です。開けた口で福を呼び、それを逃がさないように、雌はしっかりと口を閉じているのです(最後の締めは、やはり雄ではだめなようです)。
この決め事は、シリコンバレーの中国系の店先でも忠実に守られているのです。

沖縄名物と言えば、言葉もまたしかりです。中でも、"めんそーれ(いらっしゃい)" などは代表的なものですね。3泊の旅が終わる頃には、あの独特のイントネーションもうまく真似できるようになりましたが、残念ながら、東京に戻った途端、すっかり忘れてしまいました。やはり言葉は、まわりの空気でうまくなるものでしょうか。
それにしても、本島の"めんそーれ"と宮古島の "んみゃーち" は、まったく響きが違います。地理的には近いのに、どうしてここまで違うのでしょう。民俗学者の柳田国男は、日本人が最初に住み着いたのは宮古島との説を唱えていたそうですが、宮古の言葉が沖縄に派生したのでしょうか。
それから、薩摩の侵略で財政難に見舞われた琉球王府が、宮古・八重山にだけ過酷な人頭税(生産高の8割とも言われる重税)を課していたのも解せません。これは、次回の宿題ですね。

宮古名物のひとつである長い橋を見下ろし、連れ合いが運転手さんにこう言いました。"宮古って豊かなんですね。" 百数十名の住民が住む来間島(くりまじま)に、何十億円をかけて立派な大橋を架けてしまうからです。

 それに対し、長年本土で暮らした運転手さんはこう言いました。 "宮古ではね、お金がなくたって、2ヶ月は生活していけるね。ずっと友達の家をまわってね" と。

夏来 潤(なつき じゅん)



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