シリコンバレーの輪廻転生: 盛衰と再生

2009年4月19日

Vol. 117

       シリコンバレーの輪廻転生: 盛衰と再生

 

P1160745small.jpg 4月は新しいスタートの時。そして、すがすがしいスタートを彩る、桜の季節でもありますね。我が家の八重桜も、4月上旬には早々に満開を迎えましたが、そのぽってりとした、かわいいピンクの花も翌週の突風で散り散りとなり、今はしっかりと若葉が芽吹いています。

 そんな花と若葉の4月は、シリコンバレーのお話といたしましょう。今まで、この豊かな谷間にはいろんな企業が栄え、散っていったわけですが、単に散り行くばかりではありません。そういったお話です。

 IT業界に長い方には、ちょっと懐かしい話題も出てきますが、まずは、アンチウイルスソフトのシマンテックのお話から始めましょう。


<シマンテックさん、ありがとう>
 先日4月15日は、アメリカ人にとってはちょっと嫌な日でした。なぜって、確定申告(tax return filing)の締め切り日だったからです。

 ご存じの通り、アメリカでは収入のある人は誰でも確定申告をしなくてはならない仕組みになっていて、サラリーマンであっても、ご丁寧なことに、国の税務署と州の税務署に二通り申告しなくてはならないのですね。
 そして、多くの場合、税金が戻ってくるよりも追加で支払うことになる。我が家も例外ではなくて、今年は追加分を払いました。

 アメリカでは、手元に現金が不足して税金が払えない場合、支払いを延期したり、ローンを組んだりと税務署と交渉できるようになっているのです。税務署の方だって、何とかして払ってもらいたいですからね。
 けれども、その選択を採ると、ペナルティーと日割りの利子を払うことになるので考えものなのです。そして、税務署と支払いローンを組んだりすれば、金融業界では「払いが悪い人」と、ちょっとしたブラックリストに載ってしまう。ということは、多少無理をしてでも、税金支払いの締め切りは守るべき・・・ということになりますでしょうか。

 そんな風に年に一度の嫌な日が巡ってくると、自分たちは国や州に税金を支払うためにせっせと働いているのかな? とひがんでしまうわけですが、先日、珍しくいいことがありました。なんと、お金が戻ってきたのです!

 長年、わたしはマイクロソフトのウィンドウズOSを愛用していたのですが、ウィンドウズを使う必須条件は、アンチウイルスソフト(antivirus software)ですよね。OS上のセキュリティーのアラを突き抜けて入ってくるウイルスを、常に監視し撃退しなくてはなりません。
 つい先日も、エープリルフールを目がけて、「Conficker(コンフィッカー)」というウイルスが世間を騒がせたばかりでした。幸いなことに、甚大な被害は報告されていないようですが、世界のあちらこちらで経済が不安定になると、コンピュータやインターネットに対する攻撃(ハッカー個人によるものから組織的な犯罪まで)が激増するのは確かなのです。

 アメリカの場合、一般ユーザーの間で最もポピュラーなアンチウイルスソフトといえば、シマンテック(Symantec)のNorton AntiVirusと、マカフィー(McAfee)のVirusScanでしょうか。
 両社は、それぞれPeter Norton ComputingとMcAfeeというアンチウイルスの老舗を買収した経歴があって、実績、知名度ともにトップクラスといえます(McAfeeを買収したのはNetwork Associatesという会社ですが、その後、よく知られたMcAfeeという名に社名変更しています)。
 ご多分にもれず、わたしの場合も、シマンテックのNorton AntiVirusサービスに加入していました。新しいソフトのアップデートが出るとオンラインで簡単に入れられるし、週に一度、パソコンの中のファイルを全部スキャンして感染の有無をチェックしてくれます。それに、クレジットカードの番号を登録しておけば、年間契約は自動的に更新されるし、とても楽なのです。

 ところが、このサービスに加入していたパソコンを使わなくなったので、契約を打ち切ることにいたしました。といっても、カスタマーサポートに連絡するにしても、シリアル番号だの製品キーだのと恐ろしく長い番号が必要となるので、ついつい面倒くさいと先延ばしにしていたのですが、先日、思い切ってシマンテックにメールしてみました。
 すると、すぐに返事があって、「年間サービス料を返還してあげましょうか?」と、向こうから提案してくるのです。しかも、全額39ドル99セントをそっくりそのまま返してあげますよと!
 これには、さすがに驚いてしまいました。なぜなら、年間サービスの更新日は1月10日だったのに対し、もう3月も終わろうとしていた頃だったから。え、2ヶ月間分はタダにしてくれるんですか?と、ちょっと得した気分になってしまいました。

 アメリカという国は、ときに恐ろしく暢気な部分があって、お客様が製品を返すよとか、取り替えてよというときには、黙って従うところがあるのです。たとえば、連れ合いのゴルフシューズなどは、近年買い替えたことがありません。なぜなら、不具合があると申し出ると、いつも新品に交換してくれるから! 多分「その方が、評判が上がる」と、メーカー側も踏んでいるのでしょう。

 というわけで、めでたくアンチウイルスソフトの件は解決できたわけですけれども、そもそもどうしてサービスが必要なくなったかというと、4年間愛用していたIBMのノートパソコンをアップル(Apple)のおしゃれなデスクトップiMacに乗り換えたからなんです。まあ、厳密にいうと、Macにしたってアンチウイルスのサービスには加入した方がいいということではありますが、今のところ、まわりのアップルユーザーの先輩の方々に従って保留としております。
 

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 それにしても、最初はびっくりしてしまいましたね。わたしは今までアップルさんのコンピュータは使ったことがないので、「iMacの本体はいったいどこ?」って探してしまいましたよ! なんと頭脳の部分はディスプレイの裏にちんまりと収まっているんですね。なるほど、さすがに美しいデザインではあります。

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 美しい上に、サクサクと速い。しかも、一年前から我が家で使っているアップルさんのAirPort Extreme(IEEE 802.11n対応のWiFiステーション)とも相性がいい。そして、おもしろいことに、アップルストアでiMacを買ったら、キャノンのプリンタがおまけで付いてきましたよ。タダならもらっておきましょうと、ありがたくいただいておきました。

 思えば、IT業界に勤めて以来、アップルさんのMacintoshとはなかなか縁がありませんでした。それが、いきなり、アップルさまの僕(しもべ)になっちゃいましたよ!
 まあ、シリコンバレーでは、学生さんやエンジニアなどの若い層に加えて、ベンチャーキャピタリストだって、こぞってMacを使っていますものね。「僕」はそこら中にゴロゴロしているのです。
 わたしはアップルさまのロゴを車に貼ったりはしませんけれど、少しだけ「シリコンバレー風おしゃれ」になったというところでしょうか。


追記: 先日、友人から教えてもらったのですが、昔のシリコンバレーのテクノロジー紹介番組をネットで鑑賞できるようになっております。『Computer Chronicles(コンピュータ・クロニクル)』という30分番組のシリーズ物なのですが、たとえば、1988年に放映された「Apple II Forever(アップルIIよ、永遠に)」では、その年の9月に出された新製品 Apple IIc+ を紹介しております。

 Apple IIc+ は、Apple IIファミリーの最終モデルで、教育現場では人気の高かったキーボード一体型ですが、こちらは、本体に電源ユニットを内蔵しているし、プロセッサ速度を1 MHzと4 MHzに切り替えできるようになっているんだよと、アップルの開発責任者は番組の中で自慢しております。そして、外付けのフロッピーディスク装置も従来の5インチではなくて、3.5インチなんだよとも。これには、「おぉ、これからは新しい規格の時代となるのか」と、ため息がもれます。
 ふむふむ、1 MHzですか(ギガヘルツじゃないですよ!)。そんな時代もありましたかね。そして、今どきフロッピーなど知らない方も多いのかもしれませんが、昔は、フロッピーディスクなるペラペラした記憶媒体があって、5インチの前は、8インチというのがありましたね・・・(最初にIBMがフロッピーを開発したときは、直径8インチから始まったのです)。

 フロッピーといえば、わたしが今まで使っていたノートパソコンでは、デジカメのメモリーをPCMCIAカードに挿して、パソコンのスロットに挿入して読み取っていたのですが、東京・有楽町のビックカメラのお兄さんには「PCMCIAって何ですか?」と聞かれました。そのときばかりは、自分は原始人かと思ってしまいました。

 あ、そうそう、「Apple II Forever」(英語番組)をご覧になりたい方はこちらへどうぞ。


<シリコングラフィックスさん、さようなら>
 フロッピーディスクだの、PCMCIAカードだのと懐かしいものが出てきたところで、シリコンバレーの一企業の歩みを振り返ってみることにいたしましょう。

 先日、ちょっとびっくりするようなニュースが立て続けに流れました。なんでも、シリコンバレーの有名企業が買収されるというのです。ひとつは、UNIXサーバでかつては世を席巻したサン・マイクロシステムズ(Sun Microsystems)がIBMに買収されようとしているというもの。
 もうひとつは、3次元コンピュータグラフィックスの先駆者ともいえるシリコングラフィックス(Silicon Graphics, Inc.)が、あまり知られていないラッカブルシステムズ(Rackable Systems)というシリコンバレーの会社に買収されようとしているというもの。

 ご存じの通り、サン・マイクロシステムズの方は、「買収価格が安過ぎる」と途中で話が物別れに終わったあと、水面下では買収案が再燃しているとも伝えられています。創設者であり取締役会会長であるスコット・マクニーリ氏を始めとする「売りたくない」派と、現CEOであるジョナサン・シュワルツ氏の「売りたい」派がなかなか合意できないともいわれています。
 そして、シリコングラフィックスの方は、二度目の連邦倒産法第11章(通称チャプター・イレヴンと呼ばれる会社更生法)の適用申請をすると同時に、ラッカブルシステムズに2,500万ドル(約25億円)で身売りすることに合意し、現在、裁判所の許可を待っている状態です。

 このシリコングラフィックスという会社は、一般のコンピュータユーザーにはあまり縁がありませんが、3次元画像処理の分野では草分け的存在です。
 1982年、スタンフォード大学で3次元画像処理の研究をしていたジム・クラーク准教授が、研究室の大学院生数人とともに会社を設立し、起業間もなく、3次元グラフィックス端末やワークステーションを次々と発表して、コンピュータグラフィックスの先駆企業となりました。有名なハリウッド映画『ジュラシック・パーク(Jurassic Park)』の制作にも、同社のテクノロジーが使われています。
 『ジュラシック・パーク』が公開された1993年には、当時のビル・クリントン大統領とテクノロジー通のアル・ゴア副大統領も同社を訪れ、コンピュータグラフィックスの可能性に大いに魅了されていたようですし、会社の売り上げが順調に伸びる中、スーパーコンピュータのメーカーとして名を馳せたクレイ・リサーチ(Cray Research)を買収するなど、事業内容もどんどん拡大していきました。

 けれども、いい時代は永遠には続きません。短期間に手広く事業を拡大し過ぎたことと、より安価な類似製品を出す競合会社の出現によって、シリコングラフィックスの売り上げも年々下降線をたどります。

P1160795small.jpg そんな中、2000年にはクレイ・リサーチを手放し、2003年には、マウンテンヴューにあった本社ビルをグーグルに貸し出すなど、大幅な支出削減を図りましたが、とうとう2006年には、チャプター・イレヴンの適用を申請することになるのです。

 その後、浮き沈みをくり返しながら、いよいよ昨年12月には、株式公開していたナスダック市場から「今のままだと除名するぞ」との警告を受け、そして今月1日には、とうとう二回目のチャプター・イレヴンの申請とともに、ラッカブルシステムズへの身売りを発表することになりました。
 これをエープリルフールのジョークとして笑い飛ばせないのが、なんとも辛いところです。(写真は、翌日のサンノゼ・マーキュリー紙のビジネス欄を飾った関連記事。映画の題名をもじって「End of a Jurassic era(ジュラ紀の終焉)」という見出しが、なんとも象徴的ではあります。)

 そんなシリコングラフィックスが全盛期を迎えたのは、1980年代後半から1990年代前半にかけて。この時代は、コンピュータの技術革新が最も目覚ましい時期でもあり、そういう意味では、シリコングラフィックスはシリコンバレーの進化とともに歩んできた会社といえるのかもしれません。
 一時は、映画界のみならず、地球の気象シミュレーションや車の設計など、広くアカデミアやビジネス界、そして政府の諜報機関にも愛用されていたシリコングラフィックスの高度技術ですが、やはり、時代の流れには勝てなかったようです。テクノロジーがどんどん進み、「何でも速く、しかも安く」の時代になってくると、大きなシステムを売る会社ほど身動きが取れなくなってくるのでしょう。
 それにしても、一時は年間売上高が37億ドル(現在の換算レートで約3,700億円)もあった会社が、わずか2,500万ドル(約25億円)で売られるなんて。しかも、「シリコングラフィックス」というシンボルが、風前の灯(ともしび)となるなんて。

 奇しくも、冒頭に出てきたサン・マイクロシステムズとシリコングラフィックスは、ともに1982年に創設された会社です。両社ともスタンフォード大学で開発されたテクノロジーを基礎に発展した、シリコンバレー典型の有名企業ともいえます。
 そんな二社が買収過程にあるという話を聞くと、「あぁ、ひとつの時代が終わったのか」と、一抹の寂しさが心をよぎるのです。

 けれども、悲しんでばかりはいられません。なぜなら、怪我の功名ともいえるのでしょうか、シリコングラフィックスを去ったエンジニアたちは、パソコンやゲーム機向けのグラフィックチップで有名なエヌビディア(Nvidia)を始めとする新たな動きを守り立てていくことになるのです。

 まさに、人と技術は、輪廻転生。古いものは絶え、その根っこからは新しいものが再生する。それが、シリコンバレーの原動力でもあるでしょうか。


<ジムさんとマークさん:その1. ジムさん>
 上のお話でも出てきたように、シリコングラフィックスを設立したのはジム・クラークさんですが、この方はシリコンバレーの超有名人ともいえるお方ですね。そう、あのインターネット隆盛の立役者でもあるネットスケープ・コミュニケーションズ(Netscape Communications、以下ネットスケープ)を設立した人物。相棒は、ご存じ、マーク・アンドリーセンさん。

 実は、ジムさんは、1982年にシリコングラフィックスを起業したあと、1994年には同社を去って、マークさんとともにネットスケープを設立していたんですね。きっとシリコングラフィックスも安定期に入ったことだし、「起業家虫」がウズウズし始めたのでしょう。
 そんなわけで、相棒のマークさんがイリノイ大学で「モゼイク(Mosaic)」というインターネットブラウザ(閲覧)ソフトを作った経験を踏まえ、新しいブラウザの会社を立ち上げたのですが、その新ブラウザ「ネットスケープ・ナビゲーター(Netscape Navigator)」が、何とも大当たり!
 インターネットはどんどん一般のユーザーにまで広まり、世の中をガラリと変えてしまいました。そして、世界を「ドットコム・バブル(Dot-com bubble)」という名のネットバブルへといざなう。

 そんなネットスケープの大成功には飽き足らず、「今度は、インターネットを人々の役に立つような実用的なものにしてやろう」と、ジムさんは考えるのです。そして、あまりに巨大で、複雑怪奇な仕組みに膨張する医療業界と金融業界へと果敢に挑戦するのです。
 医療分野では、病院と保険会社の無駄の多いやり取りを効率化・システム化しようとHealtheon(ヘルシオン)という会社を設立し、金融業界では、個人の財産管理をネットでやり易くしようとmyCFO(マイCFO)という会社を設立するのです。(Healtheonと医療関連ネット企業に関しては、2000年12月15日号でお伝えしております)。

 当初の狙いに反して、Healtheonと myCFOいずれも、ネットスケープほどには成果を収めなかったわけではありますが、ジムさんにとっては、「思う存分、新しい分野を開拓してやったぞ」といったところなのでしょう。

 そんなジムさんは、仕事に趣味のヨットにと、新しいものに挑戦する心はいつまでも持ち続けているようでして、今年3月には、36歳も年下のオーストラリアのモデルさんと結婚したそうです!(まさに順風満帆!?)


<ジムさんとマークさん:その2. マークさん>
 一方こちらは、「モゼイク」「ネットスケープ・ナビゲーター」という二つのブラウザの開発者でもあるマーク・アンドリーセンさん。1994年にジムさんと設立したネットスケープが、翌年には大々的な株式公開を果たし、当時24歳のマークさんは、まさに時代の寵児となったのでした。
 けれども、それがソフトウェアの大御所マイクロソフトの目に留まり、ネットスケープに対抗するブラウザ「インターネット・エクスプローラ(Internet Explorer、通称IE)」がお目見えする結果ともなりました(イリノイ大学が権利を所有する「モゼイク」をベースに開発)。
 マイクロソフトはIEを自社のウィンドウズOSに組み込み販売したこともあって、あれよという間にIEは市場を駆逐し、あんなに熱かったネットスケープも、1999年にはネット接続サービスのAOLに売られてしまうのです。

 ここでおもしろくないのは、マークさん。買収間もなく、CTO(最高技術責任者)を務めていたAOLを去り、Loudcloud(ラウドクラウド)というウェブホスティングの会社を設立します。そして、わずか2年後の2001年には、まだまだ熱冷めやらぬナスダック市場で株式公開を果たすのです。
 その後、Loudcloudはウェブホスティング事業を売り払い、企業向けのサーバ自動管理システムに特化したOpsware(オプスウェア)として再生するのですが、こちらも大企業のヒューレット・パッカードの目に留まり、買収の運びとなります。

 ネットスケープの株式公開とAOLへの売却、Loudcloudの株式公開とヒューレット・パッカードへの売却と、どれだけ財を築いたのかは計り知れないマークさんですが、そんなことは気にせず、今度は、一般のユーザーに向けてアピールを開始します。
 2004年には、マークさん3つ目の会社となるNing(ニン)を設立します(ニンとは、安寧の「寧」の中国語読み)。翌年には、早々にサービスを開始するのですが、こちらは個人ユーザーが自分自身のソーシャルネットワーキングのサイトを簡単に立ち上げられるプラットフォームとなります。
 まあ、みなさん、いろいろと独自の趣味や興味をお持ちではあるわけですが、ソーシャルネットワーキングといえば、アメリカではMySpace(マイスペース)だのFacebook(フェイスブック)だのと人気の高いサイトがたくさんあります。そういった有名どころに太刀打ちするのは、なかなか難しいことなのかもしれません。
 けれども、近頃は、月に200万人ずつNingの参加者が増え、登録ユーザーはすでに2,000万人を超えているそうです。自分の考えを効率的に有権者に広められると、政治家のユーザーも多いんだとか。(ちなみに、マークさんご自身は、十数のソーシャルネットワーキングサイトに参加し、1億8,000万人の会員を誇るFacebookの取締役会役員でもあります。)
 

P1160830small.jpg そんな「人と繋がる」魅力にひかれるマークさん。Ningを立ち上げた頃から、投資家の世界へも足を踏み入れるのです。ご自身も、「とうとうダークサイド(映画『スターウォーズ』に出てくるような暗黒の世界)に落ちてしまったよ」と冗談でおっしゃっていましたが、おいしそうな会社に初期投資して、成功すれば分け前をいただくというベンチャーキャピタルの役をも務めようとしています。

 現在、長年の同志ベン・ホロウィッツさんと設立した「Andreessen-Horowitz」のファンドを募っているところだそうです。
 すでに、エンジェル(個人投資家)としては、過去3年間36社にシードマネー(起業資金)の一部を提供しているようですが、今は、アマゾンのクラウドコンピューティング・サービス(Amazon EC2)なんかを使えば、2、3人で会社が立ち上がる時代。昔と比べて、あまり高額な初期投資は必要ないのだそうです。

 これまでマークさんが投資したベンチャー企業の中で最も有名なものは、Digg(ディグ)とTwitter(トゥイッター)でしょうか。
 Diggという名は、動詞digにあるように、「〜を好む」という意味があります。星の数ほどあるウェブサイトから、参加者が好きなニュースや画像やブログを選んできて、それを参加者みんなで投票し順番を決めるというような、「視聴者参加型」のサイトです。
 一方、Twitterは日本語版もすでに公開されていますが、簡単にいうと「つぶやき」のサイトですね。140文字以内で、「今こんなことやってるよ」と、短く語るブログサイトです。アメリカのティーンエージャーや20代の若者の間では、ケータイメールではなくて、ごく短いショートメッセージ(SMS、Short Message Services)を好む文化が確立されているので、Twitterのような簡素さが受けているようです。

 とくに今年に入って、猫も杓子もTwitterという言葉を口にする感があって、「Tweet」なる動詞も生まれ(Twitterすること)、有名人のページを追っかける人を「follower(信者)」などとも呼んでいます。今年1月にニューヨークのハドソン川にジェット機が不時着したときも、見学者のみなさんはTweet(現場の生中継)に余念がなかったそうです。(ちなみに、tweetという単語は、「(小鳥の)さえずり」という意味ですね。)
 

P1120477small.jpg この140文字のつぶやきは、タレントや映画俳優といった人気職業の方々だけではなく、連邦議会のお偉いさんたちにも浸透していて、中でも一番たくさん「信者」を持つのは、共和党のジョン・マケイン議員です。昨年11月の大統領選挙でオバマ氏と闘ったご仁ですが、その頃はメールもできないと揶揄(やゆ)されていたのに、今はもうTwitterのチャンピオンとなっているのです!

 そして、Twitterで最初に100万人の信者を確保したのは、俳優のアシュトン・クーチャーさん(女優デミ・ムーアさんの16歳年下のダンナさま)。先日、Twitterの大先輩として、トーク番組の女王オプラ・ウィンフリーさんにも手ほどきをして、オプラさんは、最初の2時間で10万人の信者を獲得したのでした(恐るべし、女王様の力!)。

 140文字といえども、ニュースや画像のサイトにリンクをはったりもできるので、Twitterの使い方はいろいろ。そして、このTwitterが典型的な例ではありますが、インターネットの可能性もどんどん多様化し、日々進化する。使う人が増えれば増えるほど、可能性は無限に広がる、そんな媒体なのです。
 シリコンバレーを自ら体現するマークさんが、一番びっくりしたのもそういうところだそうです。最初は、大学の実験室みたいに小規模だったインターネットが、世界を覆うほどの規模に成長している。しかも、日常生活には不可欠のものになっている。

 そんなマークさんは、インターネットの可能性を追って、新しいアイディアの会社に次々と投資しているわけですが、彼が自身のファンドの投資リターンを望むのは、7年から10年先のことなんだそうです。
 いい時代は永遠に続かないのと同じように、悪い時代も永遠には続かない。だから、今種まきしておけば、いつの間にか悪い時代も通り過ぎ、10年後には花が咲き、実を結ぶ、そういうことなのでしょう。

 こんな風に、決して悲観的にならない。そこがまた、シリコンバレーの原動力なのかもしれません。


追記: マーク・アンドリーセンさんのお話は、今年2月19日放映のインタビュー番組『Charlie Rose』を参考にさせていただきました。マークさんはとても早口なので、聞き取りにくい点はあるかもしれませんが、録画は番組のウェブサイト(charlierose.com)か、グーグル(video.google.com)でご覧になれます。
 「アップルのiPhone(アイフォーン)は未来からビームされた製品さ」とか、「ゲーム機Wiiを作り出した任天堂みたいな会社が、アメリカには何百と必要だよ」とか、いろいろとおもしろい発言をなさっています。
 「モゼイク・ブラウザは良くないと思ったから、イリノイ大学に置いてきたんだけど、それをもとにマイクロソフトが製品化するなんて、びっくりしちゃったよ」と、業界の裏話も飛び出すのです。
 60分も続く早口インタビューなので、トピックは実に盛りだくさん。ご覧になるときは、休憩を入れながらどうぞ。


夏来 潤(なつき じゅん)

 

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