大学って?: 日本とアメリカはちょっと違うような・・・

2012年2月28日

Vol. 151

大学って?: 日本とアメリカはちょっと違うような・・・



 新しい年も、はや2月末。

 気ぜわしい今月は、先日滞在していた日本のお話にいたしましょう。ちょっと話題は古いですが、なんとなく不思議だなぁ・・・という、つぶやきをどうぞ。

 つぶやきのあとは、アメリカの大学のお話が続きます。


<本末転倒?>

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 ある日の日経新聞に「Todai」という文字を背景にした「おじさん」の写真が載っていて、これが目をひいたのでした。

 「え、Todaiって、ホノルルの食べ放題のレストラン?」と思いきや、「Todai」とは東京大学のことで、「おじさん」は学長さんだそうです。
 なんでも、東大が秋入学を検討している、という内容でした。

 と言うよりも、実際には、もっと強硬な記者会見だったようで、春入学を廃止し、「国際標準」である秋入学に全面移行する、そして、その時期については「5年前後で実施したい」ということでした。(1月21日付け日本経済新聞・第一面を参照)

 で、この目的は、自分の学校が「国際化」できればいいな、とのことですが、この話を知ったわたしの頭には、まず、こんな言葉が浮かんだのでした。

 本末転倒。

 いえ、決して東京大学を揶揄(やゆ)するつもりはありませんが、もしも「国際化」できていないと感じるのであれば、その理由は「春入学か秋入学か」といった些細な問題ではなく、もしかすると学校に魅力を感じないから、外国人留学生が来なんじゃないかな? と思ったのです。

 ですから、もしも外国人留学生がジャンジャンやって来て「国際化」を図りたいのだったら、本質的に学校を変えるべきではないか、問題の所在をすりかえて「秋入学」を語るということは、本末転倒なんじゃないか、と思ったのでした。

 いえ、そんな偉そうなことを言って、もしもわたしが日本の大学を受験していたならば、東京大学なんて難し過ぎて入れなかったのかもしれません。

 それに、父は某国立大学の学部長まで勤め上げ、今は名誉教授となっている人です。生涯を日本の大学に捧げた父を持ちながら、「日本一」と呼ばれる最高学府をけなすつもりなど毛頭ありません。

 けれども、わたしにとっては、単純にこう思えるのです。入学試験で「狭き門」であることと、学校として「理想の学びの場」であることとは、何の因果関係も無いのではないかと。
 

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 学校という場は、恩師に教えを請い、学友と切磋琢磨して、自分自身の力で何かを学び取るところです。どんなに「狭き門」であったにしても、どんなに優秀な学生が入って来たとしても、学びの場として何かしら足りない部分があれば、学校としては魅力的には映らないんじゃないか・・・と。

 いえ、わたしは日本の現状には疎いので、その「足りない部分」が何なのかはわかりません。けれども、入学の時期を変更しようと議論する前に、もっと学内で議論すべきことはいっぱいあるんじゃないかと思うのです。

 もしかすると、先生たちが国際社会に羽ばたいて、学外で自由に研究することが難しい組織になっているのかもしれません。たとえば、一度組織から離れれば、二度と受け入れてもらえないような閉鎖的な仕組みになっていて、いかんせん研究者が「井の中の蛙」になっているとか。

 あるいは、研究費や助成金がどこかにかたよっていて、ある分野の研究者にとっては、満足に研究できない環境になっているのかもしれません。目玉分野にはドッとお金が集まり、地道な分野は干される、というのが世の常ですから。

 はたまた、学校に対するみんなの考えが、妨げとなっているのかもしれません。もしも多くの人にとって「大学はブランド品」であり、ブランド学校に入りさえすれば、あとの人生は順風満帆! と考えているのだったら、大学は単に「入るところ」であって、学びの場ではなくなってしまうのでしょう。
 

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 と、偉そうにご託を並べてみたものの、わたしが「秋入学」にこだわりを感じている理由は、案外、単純なものかもしれません。

 だって、日本文化では、桜の咲く頃に新入生や新入社員を迎えるのが、しきたりとなっているではありませんか。

 桜の花を愛し、つぼみはいつ開くのかと心待ちにすることは、日本人のDNAに深く刻み込まれているのです。

 めでたい花の季節に、めでたく新入生を迎えるのは、日本人にとってごく自然なことなのに・・・

 どうしてそこまで外国に迎合するの?・・・と釈然としないのでした。


<アメリカの大学って?>
 自分のことを棚に上げて、偉そうなことを申し上げましたが、わたし自身は、たいした学校は出ていません。

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 振り返ってみると、ろくに英語もしゃべれないような学生が、3年半で、しかも「成績優秀(マグナ カム ロード)」とやらで学士号が取れたのですから、名門校と比べると、まったくお話にもならない学校だったに違いありません。
(アメリカの大学は、「学年」という意識が薄いので、その気になれば、3年で単位を取り終え、学士号(Bachelor’s degree)を取得することも可能です。)

 けれども、どんな学校であろうと、わたしはあることに誇りを持っているのです。それは、学生が多種多様だったこと。

 コミュニティーに根ざした州立大学ということで、私立大学よりも、人種が混じっていたこともあります。
 おまけに、年齢層だって、バラエティーに富んでいます。日本の大学のように、高校を卒業したばかりの年齢層だけではなく、もっと上の方々も熱心に通って来ていました。

 高校を卒業して、働きながら2年制のコミュニティーカレッジ(community college)を卒業し、やっとの思いで4年制に転入して来た学生もいます。
 ストレートで入ったものの、働きながら授業を取っているので、いつの間にやら、20代後半に突入した学生もいます。
 一度、社会に出たあと、どうしても学位を取りたいと大学に戻って来た人もいます。

 公立校の中でも、とくに都市部の大学だったので、働いている学生は多かったのです。

 あるクラスでは、隣にいつも銀髪のレディーが座っていたのですが、彼女は、生涯学習(continuing education)の学生でした。
 たぶん何かの学位を持っていて、生活にゆとりができた今、新しい挑戦をしようと学校に戻って来たのでしょう。60歳は軽く超えていたと思いますが、物を覚えたりするのは大変だろうと、いつも彼女の熱意に感心させられました。

 こんなに年齢がバラバラだと、教室が社会の縮図みたいになっていて、経験の少ないわたしにとっては、ずいぶんと勉強になりました。
 社会科学のクラスで、世の問題を語るとき、どんなに自分が「未熟者」であるかを痛感するハメにもなりました。

 大学院にいたっては、全員がフルタイムで働く社会人であることを前提として、授業は夜の7時スタートでした。

 そして、アメリカの大学では、オトナたちばかりではなく、18歳に満たないティーンエージャーだって、堂々と肩を並べて勉強できるのです。

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 わたしの知り合いに、18歳でマサチューセッツ工科大学(通称MIT)の博士課程2年目のコがいるんです!

 南カリフォルニアで育った彼は、ホームスクーリング(home schooling、家族が家で教えること)で学んだあと、14歳でコミュニティーカレッジを卒業しました。
 数学も、科学も、音楽も、すべてに秀でた彼ですが、やはり社会に出て行って、人と一緒に勉強した方がいいだろうと、とりあえず2年制大学に通ったのです。

 そこからカリフォルニア大学バークレー校に転入したあたりから、「よし、自分はコンピュータを人間の脳みたいにしてやろう!」と目標を定め、16歳でバークレーの修士号を取ったあとは、MITの博士課程で勉強することになりました。

 なんでも、計算論的神経科学(computational neuroscience)といって、人間の脳の働きを数理的にモデル化し、それを応用してコンピュータやロボットを人間に近づけようではないか、という分野だそうです。MITだと、脳を使った実験がしやすいので、MITを選んだとか。

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 わたしが最初に出会ったのは、彼がまだ小さい頃。かわいらしく、メイフラワー号でやって来た祖先のお話を披露してくれました。が、一度パズルで負かしたら、ほんとに悔しそうな顔をしていましたね。

 今はもう立派な青年になって、研究のかたわら、小学生や中学生に脳の科学を教えています。18歳になったので、選挙権だって取得したことでしょう。

 まあ、わたしのまわりには、彼みたいに若いコはいなかったですけれど、14歳の男の子と銀髪のレディーが大学で机を並べている様子を想像すると、ちょっと奇妙ですよね。

 そう、アメリカの大学は、基本的に「来る者は拒まず」みたいな部分があるんです。学びたいという熱意を持って門をたたく者は、「どうぞ、どうぞ」と入れてあげる。

 その代わり、「ちゃんと勉強してもらわないと、絶対に出してあげませんからね」「成績が悪いと、すぐにたたき出しますからね」と、みんなに学ぶことを強いているのです。


<アメリカの問題点>
 と、良いところを並べてみたものの、世にパラダイスなんて存在しませんので、アメリカの教育分野にも問題が山積みです。

 とくに、昨今の上から下への財政難は、高等教育(higher education)にも暗い影を落としています。
 そう、大学に行きたくても、行けない人が増えているのです。

 たとえば、カリフォルニアの公立校を例にとってみましょう。

 カリフォルニアの公立大学には、112の2年制コミュニティーカレッジ、23のキャンパスを持つカリフォルニア州立大学(California State University、CSU)システム、10のキャンパスを持つカリフォルニア大学(University of California、UC)システムがあります。

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 カリフォルニアの高校を卒業した生徒のうち、トップ12パーセントはUCシステムに、トップ30パーセントはCSUシステムに入れる原則になっています。
 なんとなく緩やかな基準にも思えますが、カリフォルニアで高校を卒業するのは4人に3人ですから、在学中に対象外となる生徒もたくさんいるのです。

 この基準からもれたとしても、2年制大学で勉強したあと、4年制大学に転入することは可能です。

 実際には、願書が提出されると、高校の成績、SATやACTの共通テストスコア、スポーツやボランティアの課外活動、作文、それから、出身校の人種構成、家庭の財政事情などで、ひとりひとりが審査されます。
 けれども、今までは、カリフォルニアの高校を卒業した生徒を優先する制度となっていました。なにせ、州立大学は、州民の教育が第一目標ですから。

 ところが、昨今の経済状況下、地元の公立大学に受け入れてもらえないケースが増えてきたのです。

 ひとつは、授業料の高い私立校を避け、公立校を志望する動きが強まり、競争倍率が高くなったことがあります。

 たとえば、今年秋にUCシステムに入学を希望する願書は、前年の2割増(10キャンパス全体で16万通)でした。
 シリコンバレーのCSUシステム、サンノゼ州立大学では、過去最高の出願者数(4万2千人)で、倍率は、昨年の1.3倍から2倍に跳ね上がっています(合格しても入学しない学生もいるので、例年、合格通知は多めに出されます)。

 そして、州の教育予算が大幅にカットされた影響で、大学側が「州外(out-of-state)」や「外国(international)」の学生を多く受け入れるようになったことも災いしています。
 州内の居住者でなければ、授業料はグンと跳ね上がり、大学の収入は増えるのです。「背に腹はかえられない」との大学側の苦肉の策かもしれませんが、その分、地元の学生は選考からもれるのです。

 たとえば、UCシステムの名門と呼ばれるバークレー校とロスアンジェルス校では、昨年の合格者の3割が州外や外国の学生となり、物議をかもしました。
 

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 さらに、今までは大いに奨励された2年制大学からの転入ですが、希望の4年制に転入できないケースも増えています。
 ひとつは、全般に競争倍率が増えたこと。もうひとつは、教育予算のカットで、必修科目の授業がカットされ、転入に必要な単位が取りにくくなったことがあります。

 首尾よく4年制に転入できたとしても、授業が減ったせいで、卒業が大幅に遅れる学生も増えています。

 その上、近年、授業料が高騰したおかげで、「とっても払えない!」と、大学入学や転入をあきらめた学生も少なくないことでしょう。

 今年、UCシステムの平均年間授業料(州の居住者)は、12,192ドル。CSUシステムは、5,472ドル。
 これは、過去9年に3倍という急激な伸びで、生活費も入れると、なかなか厳しい状況です。
(実際には、授業料はキャンパスごとに異なります。そして、UCシステムの場合、非居住者の平均年間授業料は3万数千ドルにも達しますので、私立とあんまり変わらないのかもしれません。)

 そう考えると、アメリカでは、大学に行くことは当たり前ではなくて、「特権(privilege)」なのかもしれませんね。

 というわけで、今回は、公立校に焦点をしぼりましたが、また機会がありましたら、財政難が私立校に及ぼす影響などもお話しいたしましょう。


夏来 潤(なつき じゅん)
 

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