「郵便占い」: 今年の景気の見通しは?

2012年4月29日

Vol. 153

「郵便占い」: 今年の景気の見通しは?


 今月は、アメリカの景気のお話から始めましょう。そのあとは、ちょっと哲学的なお話が続きます。


<郵便で占うアメリカ経済>
 家を何日か留守にすると、郵便がたまってしまいますよね。どんなにネットが発達しても、こればっかりは、簡単にはなくなりません。
 

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 日本の場合は、郵便受けにどっさりとたまることもあるようですが、アメリカの場合は、国の経営する郵便局(the United States Postal Service、通称USPS)が、最長一ヶ月は配達を保留してくれて、希望の日付にたまった郵便物を配達してくれます。
 それもオンラインで申し込みができるので、便利だし、間違いも少ないのです。

 そう、アメリカの場合、たまった郵便物を盗まれて個人情報盗難(identity theft)などの犯罪に使われたりすることもあるので、郵便受けにためるのは好ましくありませんね。

 というわけで、配達保留は便利な制度ではありますが、我が家は、海外に行っていて2、3週間留守にするケースが多いので、一気に配達された郵便物を処理するのも、結構大変な作業です。

 今月初め、両親の(大掛かりな)引っ越しを手伝い日本から戻って来たのですが、ちょっと驚いたことがありました。
 昨年に比べて、いやに郵便物が多い! まだまだカタログ販売などの上等な冊子は少ないのですが、やれ、これを買わないかとか、こちらのサービスに乗り換えないかと、勧誘のジャンクメールがぐんと増えているのです。

 中には、こんなものもありましたよ。名指しで来た手紙なのですが、開けてみると近隣の不動産業者のもので、こんなことが書いてありました。
 「あなたのすぐ近所で、僕が売り家を担当したんですが、売り出してたった2週間で話がまとまりました。あなたの家のタイプだったら、今、買い手はたくさんいますので、すぐに売ることができますよ。興味がありましたら、僕にご連絡くださいね」と。

 この方は、自身も近くに住むエージェントで、連れ合いも一緒にゴルフをしたことのある「ご近所さん」。決して怪しい人ではありません。
 けれども、家を売る気はさらさらないので、手紙はさっさと捨ててしまいました。が、ふと思ったのでした。
 

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 このジャンクメールの量といい、「家を売りませんか?」という勧誘といい、近頃、アメリカ経済は上向きなんだろうか? と。

 ちょっと振り返ってみると、2008年秋にリーマン・ショック(世界金融危機)が起きたあと、ダウ平均株価は 6,626 という「どん底」を経験しています。
 が、今年2月末には、4年ぶりに 13,000 を超え、今も好調をキープしています。

 それに、住宅市場も少しは温かくなってきているようで、シリコンバレーの中心地サンタクララ郡では、80万ドル(約6千6百万円)を超える一戸建ての中古物件が「ひどく品薄」になっているとか。

 そんなこんなで、巷(ちまた)の空気は、「そろそろ低迷した経済がグイッと上向いてもいいんじゃない?」といった感じでしょうか。

 とは言うものの、実は、専門家に言わせると、「今年は、あまり経済成長は望めない」ということです。

 なるほど、なかなか厳しい読みではありますが、たとえば、投資銀行ゴールドマン・サックスは、S&P 500の年末ターゲットを 1,250 としています(3月23日発表)。
 これは、昨年末の最終取引日とほぼ同じですので、現在、調子良く 1,400 のあたりをウロチョロしているものが、年末に向けて下がる(!)と予測しているようです。

 そして、もう一社モルガン・スタンレーは、今年のGDP成長率(平均予測)として、アメリカは 2%、ヨーロッパは -0.3%、日本は 1.1%、そして、中国は 8.4% としています(3月23日発表)。

 アメリカに限っていえば、もし11月の大統領選で(オバマ大統領に対抗する)共和党候補が勝てば、国の支出が激減し、ちょっとした不景気に陥る可能性があるので、成長率はほぼゼロ(0.6%)という見方もあり得ると。

 なるほど、たしかに米政府の発表をみると、昨年第4四半期のGDP成長率(前期比)が年率 3% だったものが、今年第1四半期には年率 2.2% に失速しています。

 だとすると、巷の空気とは、温度差があるようですね。

 巷の庶民は、「401(k) なんかの個人年金口座も増えて来たことだし、そろそろ不景気とはおさらばさ!」と希望を抱いている一方、シャカシャカと冷静に数字をはじく方たちは、「う〜ん、まだまだ予断は許さない」と、渋い顔をなさっているのです。


 まあ、個人的には、「景気は上向きかも」という、わたしの『郵便占い』が当たって欲しいと思っているのですが・・・。


<北米大陸的な考え方?>
 話はガラッと変わりますが、4月8日は、花祭でした。正式には「灌仏会(かんぶつえ)」と呼ばれるそうですが、お釈迦様の誕生日を祝う仏教行事ですね。

 同じく8日の日曜日は、復活祭(Easter)でした。こちらは、金曜日に十字架にかけられたイエス・キリストが3日目の日曜日に復活したことを祝う、キリスト教の祭日ですね。
 

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 復活祭というと、あちらこちらに隠された卵を見つける「エッグハント」や、芝生で卵をころがす「エッグロール」の競争と、子供たちにとっては楽しい一日です。
 エッグロールなどは、130年前から、ホワイトハウスの復活祭の恒例行事となっていて、今年もオバマ大統領が、小さな子供たちに混じって卵をころがしていらっしゃいました(Photograph by Chip Somodevilla/Getty Images)

 そんな楽しいイメージの復活祭ですが、「キリストの復活」や「生命」を祝うこの日は、キリスト教の祭日の中でも重要なものです。
 ですから、この日が近づくと、キリスト教国では「神」にまつわる話題がグンと増えるのですね。

 先日、公共放送を観ていたら、こんな番組が流れていました。

 「神の存在を探ることは、人間にとって本質的にあいまいな、つかみどころのない疑問なのか?」
 つまり、「人は、神の存在(もしくは存在しないこと)を知ることはできるのか?」と。
(宇宙観・認識・神といったトピックを取りあげる『Closer to Truth』というシリーズより)

 いえ、ここでは、そんな難しい命題を議論するつもりはありません。

 ただ、その中に登場した哲学者の話に対して、ちょっと不思議な気がしたのでした。

 この哲学者は、カナダでは知られた方のようですが、「神は存在しない」立場から、こうおっしゃっていました。

 人は何世紀にも渡って、神の存在を支持する神学者(theologian)と、否定的な科学者(scientist)に分かれて議論をし続けてきた。が、もし神が存在するとするならば、人間が繰り広げる、そんなあいまいな、出口の無い議論を続けさせることはないだろう。
 神は全知全能の存在であって、完全なものである。だから、神の存在を確実に人に認識せしめないなどという、不完全なことをお許しになるわけがない。

 ゆえに、神は存在しないと結論するのが妥当であると。

 それを聞いて、わたしは反射的にこう思ったのでした。

 神は、人間がどう思ってようと、構わないんじゃないの? と。

 いえ、べつに神の存在を主張しているわけではありませんが、もし全知全能の完全な神がいたとしても、人が神の存在を疑問視することを、まったく何とも思ってないんじゃないかと。

 だって、人間なんて、たぶん何かの偶然でひょっこりと生まれて来たもので、そんな宇宙の中では小さな存在がどう思ってようと、神はまったく気にしていないんじゃないかと思ったのです。

 そして、もうひとつ、このカナダの哲学者の論理展開は、人間を世界の中心に置きたがる、ひどく「西洋的な」考えにも思えたのでした。
 

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 だって、東洋の文化では、人間は自然の一部であって、自然によって生かされているものでしょう。人が自然を支配し、地球で一番卓越した存在などとは夢にも思っていないでしょう。

 けれども、この哲学者の論理は、まるで「人間が地球の主人公」「神が対峙(たいじ)する唯一の存在」と言っているように感じたのでした。
 そう、悪く言えば、何かを説明するために、自分にグイッと理屈を引き寄せているような「ご都合主義」な感じ。

 もしかしたら、ヨーロッパでは、自分の都合で神を引っ張り出したりはしないのかもしれませんし、これは「西洋的」と言うよりも、「北米大陸的」な論理展開と言うべきなのかもしれません。

 そう、なんとなく、アメリカやカナダではびこっているような話の持って行き方・・・なのかも。


<風に舞う塵(ちり)>
 というわけで、北米大陸では、みんながみんな「ご都合主義」なのかと問われれば、そんなことは決してないのです。

 ときに、難しい言葉で人を煙に巻くような哲学者よりも、よっぽど心に響くことをおっしゃる方がいます。そして、ときに歌だって、神髄をついていて、心にジンとくるものがあります。
 

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 たとえば、1970年代のアメリカのロックバンド「カンザス(Kansas)」の『ダスト・イン・ザ・ウィンド(Dust in the Wind)』。

 近頃、わたしは70年代のロックに凝っているのですが、とくに、この曲は、聴き惚れるような名曲なんですよ。
 ま、そう思った方も多かったらしく、カンザスの出した曲の中でも、一番のヒット曲となりました。

 アコースティックギターの静かな前奏で始まる、なんとも美しい歌なのですが、歌詞がまた、なんとも哲学的なんですよ。

 というわけで、以下に引用してみましょう(自分なりに日本語訳をさせていただきました)。


目を閉じてみる、ほんの一瞬だけ。すると、瞬間はとっくに過ぎ去っている
I close my eyes, only for a moment, and the moment's gone
すべての夢は、目の前を通り過ぎていく、おもしろいくらいに
All my dreams pass before my eyes, a curiosity
風に舞う塵(ちり)
Dust in the wind
すべては、風に舞う塵
All they are is dust in the wind

代わり映えのしない歌、そんなものは果てしない海の一滴でしかない
Same old song, just a drop of water in an endless sea
みんな目をそむけようとするけれど、僕たちのやっていることは、いつしか地に崩れ去っていく
All we do crumbles to the ground though we refuse to see
風に舞う塵
Dust in the wind
僕たちは、風に舞う塵
All we are is dust in the wind

そんなにしがみつこうとしてはいけないよ。だって、地と空のほかに、永遠に続くものなんてないんだから
Now, don't hang on, nothing lasts forever but the earth and sky
するりと逃げていく。持ってるお金を全部つぎこんだって、一分たりとも買えやしない
It slips away, and all your money won't another minute buy
風に舞う塵
Dust in the wind
僕たちは、風に舞う塵なのさ
All we are is dust in the wind
風に舞う塵
Dust in the wind
すべては、風に舞う塵でしかないのさ
Everything is dust in the wind


 どうでしょう?

 ひどく日本的な感じもしませんか? だって、日本語にも「風の前の塵」という表現があって、「はかない存在」をさしますものね。

 でも、こちらのカンザスの歌は、アメリカ先住民族の言い伝えをもとにしているそうですよ。「人間は、風に舞う塵にしか過ぎない」と。
 

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 いずれにしても、果てしない宇宙と比べると、人はちっぽけな新参者。

 137億年前にできた宇宙に、ひょっこりと顔を出し、よかれと思ってやってることも、見事に裏目に出るような問題児の寄せ集め。

 そんな悲しくなるような、小さな存在ではありますが、自分を見つめ、「塵みたいな矮小(わいしょう)さ」を自覚しているところが、人間の偉いところでもありますよね!


夏来 潤(なつき じゅん)
 

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