テクノロジーと社会:使い方にはご用心

2005年4月27日

Vol.69
 

テクノロジーと社会:使い方にはご用心


 3月末の復活祭以降、あたりに他州の車が増えたような気がします。ワイオミング、カンザス、オクラホマと、普段は見かけない田舎の車です。春の陽気に誘われて、カリフォルニアにやって来たのでしょうか。連日、全米でガソリンが最高値を記録する中、はるばるここまでやって来るのも庶民にとっては大変です。(ちなみに復活祭とは、イエス・キリストの復活を祝う祭で、クリスマスと並び、キリスト教では最も重要な祭礼のことです。)

 さて、本題ですが、今月もまた、全体的にテクノロジー調のお話となっています。5つ目の締めくくりは、まったく趣の異なるお話になっています。


<エイプリルフール>

 今年は日本各地で桜の開花が遅れ、4月1日の入社式には満開とはいかなかったようですが、この日はまた、楽しいエイプリルフールでもあります。このSilicon Valley Nowシリーズを掲載してくださっているインテリシンク株式会社では、ちょっと笑えないいたずらを社長さんがしかけたそうです。
 インテリシンク株式会社(東京都千代田区二番町)は、シリコンバレー・サンノゼにあるIntellisync Corporationの100パーセント子会社なので、バリバリの外資系です。ですから、あまり厳しい規則もなく、みなさんのびのびと、自由闊達な雰囲気でお仕事なさっているのです。
 そこで社長さん、みんなをびっくりさせてやろうと、こんな電子メールを配布しました。"朝は9時に出勤し、毎日朝礼を欠かさないこと。昼休みも45分とし、会社持ちの宴会などは一切禁止、云々"と、細かい就業規則をずらりと箇条書きにしています。これを見せてもらった筆者も、冗談にしてはちょっと念が入り過ぎていると、冷や汗が出てきたほどです。本気にして、"わたし会社辞めます!"と言い出す人が出てくると思ったのです。

 ところがどっこい、若干2名これを本気にした人がいた以外、"ふん、どうせ冗談でしょ"と、みんな冷静沈着だったそうです。おまけに、4月上旬にお花見をするから、今度シリコンバレーから日本に来る時は、ナパのワインを持参するようにと、社長さんに指示が飛んだそうです。
 社長さんも社長さんですが、いたずらを物ともしない社員も大物ですね。


<行動追跡>

 昨年8月、RFID(radio frequency identification)の具体例のお話をしたとき、学校に通う子供にRFIDタグを付けるのは、プライバシーの観点から、欧米では嫌われるだろうと書きました。さっそく出ましたよ、実例が。
 ちょっと前の話になりますが、今年2月、カリフォルニア州都サクラメントの北西にあるユバという田舎町で、7年生と8年生が、RFIDタグ付きの大きな名札を首から下げるよう、試験的に義務付けられました(従わないと退学処分という脅し付きで)。
 生徒たちは、登校時から名札を首に下げ、教室に足を踏み入れた途端、出入り口の真上に設置された読取装置で、名前、学年、顔写真のデータを読み取られます。データは、学校の中枢サーバを介し、先生たちのPDAに伝達され、どの生徒が教室内にいるかわかる仕組みになっています。
 アメリカでRFIDというと、どうしても家畜や犬猫のペットに取り付けるものという印象があります(2002年8月号で、ペットにタグを埋め込む話をいたしました)。そのRFIDで人間を追跡するなんて、全体主義国家を彷彿とさせます。
 しかも、保護者への通達や了解なしに制度が導入されたので、またたく間に喧々諤々の議論を呼びました。保護者ばかりではなく、あちらこちらのプライバシー・人権グループも参加し、テストを即刻中止するよう学校に迫りました。
 これに対し、学校側は、制度はあくまでも出席簿の代わりであり、個人情報を悪用はできないと主張しています。

 そして、2週間後、この学校に装置一式を納入していたInComというスタートアップ会社は、突然、完全撤退を発表しました。プライバシーの問題もありますが、どうやら、会社の創設者と学校側との深い繋がりを取り沙汰されたことも、撤退の理由のひとつだったようです。何はともあれ、カリフォルニア初のRFID学校導入例は、テスト段階であえなくお流れとなったのでした。

 日本でも、横浜の市立小学校とその学区内で同様の制度が導入されたりしていますが、RFIDは、子供の居場所を把握するには有効な手段なわけです。しかし、少なくとも理論的には、読取装置さえあれば、見ず知らずの他人でもタグから個人情報を入手できます。名前で呼びかけ子供をひるませ、誘拐することも可能なのです。上記のユバの例でも、この点が挙げられました。
 また、8月からアメリカで導入されるパスポートへのRFIDチップ付加も、同様の懸念があります(まずは外交関係者に適用され、一般市民向けには来年あたりから導入されます)。
 このチップには、氏名、パスポート番号、顔写真など、パスポートに記載される情報がすべて入っています(偽造防止のための写真データには、現時点では、2次元の顔面認識テクノロジーが使われています)。こんなパスポートを持ち歩くアメリカ人は、"私はアメリカ人よ" と世間に宣伝しているようなもので、テロ組織の恰好のターゲットとなる恐れがあるのです。
 これに対し、米国政府は、4インチ(10cm)以内の至近距離でないと、チップの情報を正確に読み取れないとしています。しかし、数フィート(約1.5m)離れても読み取り可能だったとの、民間の実験結果も発表されています。

 これから議論は更に白熱化すると思われますが、テクノロジーが進むにつれ、個人のプライバシーが希少な存在となっていくのは避けられないようです。
 なんでも、InComがユバから撤退したあと、同社には全米の学校から問い合わせが殺到したとか。


<情報発掘>

 4月1日、日本では個人情報保護法が施行されたそうですが、さっそくシュレッダーの売り上げが激増しているようで、データ保護に関する市民の関心の高さを物語っています。中でも、ハードディスクに保存されたデータを強力な磁気で消去する装置が売れているそうで、これなどは、機密情報を扱う場所には最適な製品かもしれません。
 ハードディスク上のデータを消すのは、思ったほど簡単なことではなく、ちょっとやそっとでは消えてくれません。よほど特別なコマンドを使わない限り、普通にデータを削除しても、保存場所を示すポインターがなくなっただけで、データ自体はしっかり生き残っています。ハードディスクを丁寧にフォーマットし直しても、データの残留信号はいくらか残ります。ハードディスクをハンマーで叩いてもダメだし、火災で焼けても、データは壊れずに残る場合があるとか。完全に消そうと思ったら、ディスク自体を粉々に砕くか、熔解する必要があるそうです。上記の製品のように、強力な磁気も有効なわけです。
 勿論、一般ユーザは、そこまで神経質になる必要はないわけですが、パソコンを捨てるときなどは、個人情報が残っていないか、ちょっと気にした方がいいですね。
 
 アメリカでは、今、コンピュータ犯罪科学(computer forensics)が花盛りです。文字通り、コンピュータを使った犯罪を捜査する手法です。たとえば、ある会社が不正を働き、警察が踏み込む前に一切の裏取引データを消したとします。しかし、警察やFBIの特殊捜査官たちは、消されたデータを楽々と取り戻し、不正を立証します。
 中でも、会計処理上の不正を暴く分野は、犯罪科学会計(forensic accounting)などと呼ばれ、重宝がられています。エネルギー取引で、空前絶後の詐欺を働いたエンロン社の不正が白日の下に晒されて以来、違法性のある取引や、利益を膨らましたかに見える決算書などは、すぐに捜査の対象となっています。隠された数字は、決して嘘はつかないのです。
 来年の裁判に向け現在も捜査中のエンロンに加え、保険会社AIGの大規模な不正会計なども近頃ホットな話題となっています。子会社を隠れ蓑とする裏取引と決算書の粉飾が問題となっているAIGのケースでは、米司法省、米証券取引委員会、ニューヨーク州司法局と保険部がこぞって捜査に乗り出しています。日に日に進化する不正に対峙し、捜査陣の方も、着々と腕を磨いているのです。


<数学ドラマ>

 2月号で、ComcastのDVR(digital video player)のお話をした時、筆者が好きになるアメリカのドラマは、たいてい一シーズンで打ち切られると愚痴を言いました。実は今、はまっているドラマがあって、もうそろそろ行方が気になっている季節です。
 
 このドラマは、今年1月下旬にデビューした、"Numbers" というCBSの犯罪捜査ドラマです。"数字" という名前からしてちょっと意外な響きですが、ロスアンジェルスにある工科大学の若き数学教授が、兄であるFBI捜査官の事件解決を数学の力で助けるという新手のドラマシリーズです。
 好き嫌いは別として、身の回りには、あらゆる所に数学がころがっています。天気予報だとかロケット打ち上げもそうですが、犯罪捜査にしても、過去の犯罪の統計化、犯人のプロファイル化、犯罪予測など、数学が使われる場面は多岐にわたっています。たとえば、犯罪発生現場のパターンから、犯人の住む場所を特定するとか、伝染病の広がり具合から、病原菌の震源地を見極めるとか。

 たとえば、こんなエピソードがありました。ある時、女の子が自宅から誘拐されたのですが、その子のお父さんは、過去15年間、リーマン仮説(the Riemann hypothesis)を証明しようと、ずっと家にこもって研究している人でした(リーマンは、19世紀のドイツの数学者で、リーマン幾何学で有名な人です)。もしかしたら、犯人のお目当ては、この仮説の証明にかかっている懸賞金百万ドルじゃないかと、FBI捜査官たちは推論します。しかし、主人公の数学教授は、それは違うと宣言します。インターネットのエンクリプション(暗号)を開ける鍵に関係していると。
 インターネット上のやり取りは、セキュリティーの観点から暗号化されるわけですが、これを解くには、大きな桁数の数字の鍵が必要です。この鍵は、未知数の素数の掛け算で構成されていて、これら素数に因数分解する方法がわかると、鍵を手に入れたことになります(忘れた方のために、素数prime numberとは、1と自分自身でしか割れない正の整数のことで、2、3、5、7など、不規則な間隔で無限に存在します)。
 ところが、この因数分解が大変な作業で、たとえば、127桁の数字の因数分解に、何百人がかりの手作業で17年かかると、かつてScientific American誌で論じられたこともあるくらいだそうです(だからこそ、暗号化の意味があるわけです)。
 そこで登場するのが、リーマン仮説です。どうも、この仮説の証明の仕方がわかると、複雑な素数の組み合わせを見つけ出す方法がわかるらしいのです(詳細は筆者にはまったくわかりませんが、少なくとも、ドラマのストーリーはそうでした)。そして、誘拐犯グループは、この方法を使って、連邦準備理事会が定める新たなプライムレートを発表前に盗み出し、大儲けをしようとたくらんでいたのでした。
 結局、誘拐された女の子の父親は、リーマン仮説の証明には到達していなかったものの、主人公と協力して偽の鍵を犯人に渡し、偽のファイヤウォールに侵入したところを逆探知し、犯人逮捕に持ち込んだのでした。めでたし、めでたし。

 毎回、このドラマは、頭を使いながら見るものなのですが、この回は特に、DVR録画を何回か巻き戻しながら観賞しました(意識下で学生時代を思い出したのか、その夜、論文の再提出を24時間以内に求められている怖~い夢を見ました)。実際、撮影現場には、カリフォルニア工科大学の数学の学部長が待機し、ドラマの数学的現実性を厳しくチェックしているとか。
 けれども、そのチャレンジングなところが大きな魅力となっていると、筆者なんかは思っています。ただ、アメリカにいっぱいいる数学アレルギーたちにとっては、"数字" というタイトルを見ただけで、身の毛がよだつのかもしれません。

 もしかしたら、夏頃には、"Numbers" はもう過去のドラマシリーズになっているのかなあ。


<Life Goes On>

 話はガラリと変わります。4月2日、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が他界されました。
 思えば、法王という存在を認識したのは、1978年10月、システィーナ礼拝堂の煙突から白い煙が上がったときでした。ヨハネ・パウロ2世が法王に選ばれたときです。なんか変わった儀式があるもんだと、強烈な印象が残っています(おまけにあの長い煙突は、コンクラーヴェの儀式用に継ぎ足されるというではありませんか)。
 筆者は何の教徒でもありませんが、何となくヨハネ・パウロ2世が気に入っていて、毎年のクリスマスイヴ、全世界に向けて放映されるヴァチカンのクリスマスミサは、欠かしたことがありません。そして、実際に、法王を見たことがあるのです。

 2000年8月、イタリアを旅行したとき、ローマにも立ち寄りました。いつもの通り、特別なプランもなく、ふらっとヴァチカン市国を訪れてみると、サンピエトロ広場は、一面人で埋まっています。この日は、法王が広場の信者を祝福する日曜日ではなく、水曜日でした。どうしたのだろうと人の波の向こうを眺めてみると、サンピエトロ寺院の正面で、婚姻の儀式が執り行われているところでした。
 儀式の最中、広場は外界から隔離され中に入ることはできませんでしたが、広場を囲む大きな柱の陰から、法王が20組くらいの若いカップルを次々と祝福しているのが見えました。ごま粒くらいにしか見えませんでしたが、見たことに変わりはありません。

 儀式が終わり、法王が黒いオープンカーで建物の中に入っていくと、いよいよ、広場の信者は寺院に入ることを許されます。この頃になると、柱の外で待っていた人々も、何万人とも知れない広場の信者に混じり、寺院へ向かいます。
 それこそ世界中から巡礼に訪れた信者の集まりで、さまざまな言葉で祈りを捧げながら、寺院に向かって足を運びます。地から湧くような低い声で、日本の念仏のようにも聞こえます。寺院に入りたいという願望は同じなので、言葉や文化や信条を超え、彼らには不思議な連帯感さえ抱きました。

 アメリカに戻って、カトリックの友達が言うに、法王を見ると、それまでの罪はすべて償われるということです。カトリックであろうとなかろうと、それは俗人にはありがたいことかもしれません。この旅以来、自宅の居間には、望遠レンズで撮った法王の写真が飾られています。
 この年は、キリスト降誕二千年を祝う年であり、法王という立場で聖地エルサレム・ベツレヘム訪問も実現し、法王にとっても記念すべき一年だったようです。

 ヨハネ・パウロ2世は、ナチス占領下、それに続く共産体制のポーランドで若い頃を過ごした影響で、民主化を推進し、自由や人権、社会正義を強く擁護する人でした。過去二千年の教会のさまざまな過ちを認め、正式謝罪したのも彼だし、ユダヤ教やイスラム教との深い対話を求めた初の法王でもありました。
 しかし、その一方で、保守的な面も併せ持っていました。離婚、妊娠中絶、尊厳死、同性愛、女性の聖職授任を断固として否定し、節制と貞節を説き、AIDS撲滅運動の一環である避妊具さえ禁止していました。晩年は特に教義を守り抜く姿勢を固持し、ともすると欧米の教会と見解を異にしていました。
 けれども、この改革と保守の二面性は、彼の中では相反することではなく、ひとつの論理に貫かれたことでした。

 法王はまた、スキーやハイキングを愛するスポーツマンである一方、十数ヶ国語を操る詩人・文人であり、神学と哲学の博士号を持つ学徒でもありました。反ナチスを唱える地下劇団の俳優でもあり、独特のユーモアの持ち主でした。
 ある時、スペインの若い神父が、病気で衰えた法王に会い、もう二度とあなたにお会いすることはできないでしょうと、その場で泣き崩れました。すると、法王はこう言ったそうです。"どうしてですか、あなたは病気なのですか?"。苦しみは生きていることの証と悟っていた法王は、病気に立ち向かう姿を世に示したとも言われます。

 子供が大好きで、心の底から若者に親しく話しかける法王を慕って、お葬式には世界中から大勢が駆け付けました。頭に "Viva Il Papa(法王万歳)" と書かれたバンダナを巻く子供や、"Santo Subito(早く聖人に)" の横断幕を掲げる若者もたくさん見られました。彼ら若い層を指し、"JP II (John Paul II)ジェネレーション" という言葉まで存在するのです(1585年、間もなく84年の生涯を閉じることになる親日家グレゴリオ13世にローマで謁見した天正少年使節の4人も、きっと現代のJP II世代の若者と同じ感銘を受けていたのかもしれません)。
 3時間に及ぶ葬礼では、何度も拍手が沸き起こり、最後の賛美の際は、式を進めるラツィンガー枢機卿(現ベネディクト16世)の祈祷が5分間中断される場面もありました。

 カトリック教徒の多い筆者の生まれ故郷に、法王が訪れたことがあります。まだ寒さ厳しい二月末のことでした。法王をお迎えする支度の総仕上げは、突然前夜から降り始めた雪でした。当日、あたりは一面純白の絨毯に覆われ、まるで、地上の醜さをすべて包み込むようだったと聞いています。

 今年の復活祭で無言の祝福を与えた直後、法王がいよいよ危篤と
なって、世界中の人が気を揉んでいるとき、シリコンバレーでは、今まで見たこともないような不思議な蝶の大群が見られました。
 南からの渡りの途中なのか、何千、何万という蝶が一方向に向かって飛んでいくので
す。

 もしかすると、
これは新しい生命を誕生させるための旅だったのかもしれません。

 

夏来 潤(なつき じゅん)

 

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