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新年号:ニューヨークあれこれ
Vol.66
先月号で、2004年は災害が多い一年だったと書いた途端、信じられない規模の津波がインド洋で起きました。自然を甘く見るなよというサインでしょうか。
連れ合いは、"地球が怒っているんだ"と言い、太極拳の師は、その怒った地球が、悪運を吹き飛ばそうとブルブルっと身震いし、自分に抗体を注射しているんだと言います。
40億年の地球の生物史上、生き物に対する災難は定期的に起きています。2億5千万年ほど前、海洋生物の9割、地上種の7割が死滅したことがありました。
これは、二畳紀の終わりから三畳紀の始めにかけての1千5百万年、度重なる火山噴火で噴出された硫黄によって、地上の温度が上がり、酸素の濃度が下がったことが原因とされています。この時は、長い、ゆっくりとした死滅のプロセスだったようです(科学ジャーナルScience誌に発表された説)。
いずれにしても、各国で被災した方々は、これからが大変な時期です。少しでもまわりの人が援助できればと願っています。
さて、そんな辛いニュースが続く一年のスタートとなりましたが、今回は、年末・年始に行ってきたニューヨークのお話などいたしましょう。
ニューヨークで風邪をもらってきたので、ラスヴェガスでのIT業界の一大行事、コンスーマ・エレクトロニクスショー(CES)は、さぼってしまいました。あしからず。
<大晦日のタイムズ・スクウェア>
ニューヨークの空港に着き、まずターミナルで目にしたものは、"Atlantic(大西洋)"というバーでした。西海岸なら、何でも"Pacific(太平洋)なんちゃら"となるところなのにと、遠くへやって来たことを実感します。
サンフランシスコからは、行きは4時間45分、帰りは6時間20分の行程で、アメリカ大陸の大きさも充分に体感です。
ニューヨーク市は、6年前の7月以来、二度目なのですが、どうして自分はいつも混む時期を選んでしまうのだろうと、タイミングの悪さを恨みます。
6年前は、独立記念日の前後だったので、自由の女神は混んでいて登れる状態ではないし、記念日の花火も、人でギューギュー詰めのフリーウェイからは、よく見えませんでした。
今回も、エンパイヤ・ステートビルは2時間待ちだと言うし、大晦日の目玉であるカウントダウンとボールドロッピングも、結局見ずじまいでした。
実は、今回の旅の目的は、このタイムズ・スクウェアでの大晦日を楽しもうというものでした。けれども、あまりの人の数で、雑踏で何時間も待つ気がしなかったのです。そんなに若くもないですし。
大晦日前後は、思いのほかの暖冬だったし、タイムズ・スクウェアでのお祝い百周年ということもあり、例年の倍の約百万人が、うなぎの寝床状のスクウェアに殺到しました。きっと、ドル安の影響で、ヨーロッパから来たお買い物観光客も、相当数いたに違いありません(昨年一年間で、6千億ドルを超えたとみられる米国貿易赤字が、ドル安に拍車をかけています)。
2001年のテロ以来、年末の警戒は厳しく、クリスタルボールが落とされるブロードウェイと42番ストリートあたりから北は、大晦日の午後4時以降、理由がないとバリケード内に入れません。
警察官の数も驚くほど多く、オーストラリアから来た女の子は、自国全土の警察官よりも多いなどと表現していました。彼らに支払う残業代も、2百万ドルだとか。
筆者たちは、ホテルのコンシェルジュのお陰で、バリケード内の42番ストリートのレストランで午後7時から食事をし、それからノコノコと見学に向かいました(バリケードをくぐるのに、ホテル発行の予約証明書を持参しました)。
けれども、長い人は朝の10時あたりから陣取っているらしく、ボールドロッピングをきれいに見られる場所にはとても到達できるものではありません。そこで、その場を離れ、比較的静かな5番街をそぞろ歩きしました。
旅の目玉を逃したから言うわけではありませんが、だいたいにして、なんでタイムズ・スクウェアのカウントダウンがこんなに人気があるのでしょう? 歴史があるからでしょうか。
ボールドロッピング自体の歴史は96年だそうですが、それにしたって、"英知"を表す車輪の模様のクリスタルボールが降りて来て、新年とともに、貧弱な花火がパチパチと上がり、紙吹雪が舞うだけではありませんか。
それなのに、きらきらと光るクリスタルボールの落下を、世界中から集まった百万もの人が拝む。まるで、何かの宗教のようではありませんか。
人間というものは、よほど"象徴"を好む生き物らしいです。
<ニューヨーカー>
大晦日の前夜、すし屋のカウンターで、変なニューヨーカーに出会いました。
彼は、五十を過ぎているのに、なかなか精悍な男性で、ニューヨーカーらしく、せっかちな雰囲気をまとっています。
連れが来る間、耳に着けたBluetoothイヤフォンで誰かと会話していたかと思うと、次の瞬間、顔なじみの板前さんやウェイトレスと会話を始めます。まだ携帯は繋がったままで。
当然、隣に着席していた筆者たちも会話に巻き込まれ、彼の素性を知ることとなります。
思ったとおり、彼は金融関係の人だったようで、1982年までウォールストリートに勤めていたけれど、今は二人の部下を使って、投資の仕事をしているそうです。それも、危ない会社の株を安く買い、後で盛り返した時に高く売るというストラテジーだそうです。
今は取引されてないけど、日本の西武鉄道なんかどうかなあと言いながら、"でもあそこは、PEが悪いからねえ"などと、ひとりでぶつぶつやっています。
彼の言うPEとは、Price to Earnings ratioのことで、ある会社の発行済株式の時価総額を、税引き後の年間利益で割ったものです。値が大き過ぎると危険信号です。日本語では"株価収益率"でしょうか。
ちなみに、同じPEという略語は、学校ではphysical education、つまり体育を指し、救急病棟ではpulmonary embolism、つまり肺の組織壊死、塞栓症を指します。分野によって、いろいろあるものです。
このニューヨーカー氏、ぶつぶつやりながらも、筆者が英語をしゃべることに驚いたようです。どこから見ても、きのう日本からやって来たような雰囲気なので。
そして、"いやあ、君の英語は、カリフォルニアなまりだねえ"などと感心しています。筆者は、あんたの英語は、ニューヨーク弁丸出しだよと、心の中で思っていました。
すし屋にいる手前、筆者が日本食は抗酸化作用があるんだと威張っていたら、彼も負けずに、"ブルーベリーだって抗酸化の食べ物なんだよ"と言ってきます。その"ブルーベリー(blueberry)"という単語が聞き取れなかったのです。二回も聞き直しました。
"ブルー"のウーが口を尖らせたような音だし、"ベリー"のリーにRの音がほとんどなく、短いのです。ルにアクセント付きの"ブルベリ"と言っているように聞こえます(ちなみに、ブルーベリーが抗酸化というのは本当のことで、ついでに、体内のコレステロールや脂肪を分解するpterostilbeneという混合物も持っているらしいです)。
言語学的にいうと、アメリカ全土には、7つの言語圏があるそうですが、ニューヨーク市は、独自の言語圏を固持しています。
それでも、近隣との類似性はあって、ニューヨーク弁や、東ニューイングランド圏のボストン弁は、ともに"Rのない方言(R-less dialects)"と言われ、ボストンから派生したメイン弁と合わせ代表例となっています。気を付けてないと、すぐに語尾のRを落っことしてしまうそうです(たとえば、fatherの最後のRなど)。
一般的に、コロラドあたりが、アナウンサーが使う米国標準の英語を話すと言われています。しかし、カリフォルニア人にとっては、自分たちの英語も充分に標準だと思っているわけで、"カリフォルニア弁だねえ"などと言われると、筆者などもちょっとばかり心外なのです。
少なくともカリフォルニアでは、ブルーベリーはblueberryと、きれいに発音します。
マスメディアの影響で、昔ながらの方言は消え、言語の標準化は進んでいるものの、アメリカ人の話す言葉は、年々多様化していると言語学者は指摘します。
広いアメリカです。しかも、毎年、外国語を話す移民が大挙して押し寄せます。みんな同じ英語(米語)を話せという方が土台無理なのでしょう。
なんでも、マイクロソフトは、どの米語のバージョンも音声認識するカーナビ・ソフトを開発中とのことですが、それはそれは、大変なお仕事ですこと。
メイン弁では、砕けた相槌のyeahを、"アイヤ"と言い(普通はイヤッと発音)、ケンタッキーでは、garageを"グラッジ"と発音するらしいです(普通はガラージと発音)。ここに何か規則性が見つかるのでしょうか?
<ニューヨーク文化>
大晦日の晩、レストランで出会ったイギリスの若いカップルは、"アメリカに初めて行くなら、まずニューヨークに行け"と言われて来たそうです。
筆者もそれは妥当な選択だったと思います。自然やワインを好むなら、カリフォルニアもいいけれど、音楽や絵画などの"文化"を好むなら、やはり、ニューヨークの方が適切です(それに、このカップルは、バリバリのビール党だったし、ワインを楽しむためならコーヒーも口にしない人がいるカリフォルニアには、残念ながらそぐわないです)。
筆者も、今回の旅で、20年前から好きなジャズシンガー、カサンドラ・ウィルソンを聴いたし、ちょっと古いけれど、ミュージカル"Beauty and the Beast"も楽しみました。
メトロポリタン美術館では、絵描きの叔父が若い頃模写していた、ギド・レミの聖母マリアにも出会えたし、昨年11月に新装再開した近代美術館(MOMA)では、ウンベルト・ボッツィオーニという、個性豊かな20世紀初頭の画家・彫刻家を発見しました。
昔、叔父が、美術館では、まず全体を軽く流し、好きなものに後で戻るんだよと教えてくれましたが、どの美術館も迷子になるほど大きくて、目をつけたものにはなかなかたどり着きません。
勿論、カリフォルニアでもそういった"文化"は楽しめます。けれども、ニューヨークは、狭い中に、便利にちまちまと集約していて楽しいです。
街歩きも、なかなか楽しいものです(豪雪でなければの話ですが)。建物がヨーロッパ風で、美しい細工が施されたりしていて、ウィンドーショッピングに興味のない筆者は、上ばかり見て歩いていました。
由緒ある建物に、アップル・コンピュータのショップが入っていたりして、そのちぐはぐもまたおもしろいものです。
と、ここまでいい事を書いてきたわけですが、カリフォルニアから来た筆者にとっては、違和感もあります。
ニューヨークは"人種のるつぼ"と言われながら、そうでもないように感じるのです。
勿論、カリフォルニアやベイエリアは、中国系を中心に、アジア系住民が多い地域です(ベイエリアでは2割)。それにしたって、マンハッタンにもうちょっとアジア系アメリカ人がいてもいいんじゃないかと思うのです。
昨年初めて、ニューヨーク州の下院議会に、アジア系議員が選出されたそうですが、これはちょっと驚きでした。
カリフォルニア選出の連邦下院議員、ロバート・マツイ氏などは、1978年には州都サクラメントを代表し首都に向かいました(連邦議会に26年間勤めたマツイ議員は、元旦に急病で亡くなっています)。
サンノゼ市では、1971年に日系市長が選ばれています。このノーマン・ミネタ氏は、前クリントン政権で初のアジア系長官となり(商務長官)、現在も運輸長官として活躍中です。サンノゼの空港は、正式にはNorman Y. Mineta San Jose International Airportといいます。ミネタ氏の功績を称え、3年前に改名されたのです("まだ私は生きているのに"と、本人もちょっとびっくりでした)。
残念ながら、ニューヨークでは、"なんであんたみたいなアジア人が、ここにいるの?"という態度を取られたこともありました。マンハッタンは、7割が民主党支持者だといいますが、きっと、残り3割の共和党支持者に当たったのでしょう。
グランドセントラル駅の食べ物街では、ベンチに座っていたホームレスの男性を、警察官に通報し退去させている女性もいました。ただおとなしく座っていただけなのに。外に追い出したら、凍えてしまうかもしれないのに。こういう事に関しては、女性の方が、許容範囲が狭いようです。
ニューヨークには、なんとなく、ヨーロッパ文化から受け継がれた堅苦しさも残っているようです。
大晦日の晩、タイムズ・スクウェアを後にして、42番ストリートを歩いていたら、5番街と6番街の間で、Harvard Clubなるものを発見しました。
どうやら、ハーヴァード大学の同窓生専用のクラブらしく、ちょうどカウントダウンのパーティーをめがけ、着飾ったカップルが次から次へと中に入って行くところでした。男性は黒のタキシード、女性はイヴニングドレスに黒のロングコートと、皆きらびやかな出立ちです。
胸を張って、得々と入り口を目指す男女とすれ違いながら、こんな集まりもあるんだなあと、幼稚園から大学院を公立学校で過ごした"庶民派"の筆者は思っていました(後日わかったのですが、ハーヴァードクラブのちょうど裏手に、プリンストンとコロンビアのクラブもありました)。
シリコンバレーのスタンフォードに、そんなクラブがあるのかは知りませんが、あったにしても、もうちょっとくだけた感じに違いありません。博士をファーストネームで呼ぶような所ですから。
そんなわけで、短い旅が終わり、サンフランシスコ空港に着いた時は、ほっとしていました。中国語やベトナム語で間違い電話がかかってくるのも、なかなか乙なものです。
ひとことお断りですが、マンハッタンもカリフォルニア・ベイエリアも、典型的なアメリカではありません。メインストリームのアメリカから見ると、どちらも変てこな所なのです。
<クリスマスに懸ける情熱>
ちょっとタイミングを逃してしまって恐縮ですが、最後に、クリスマスの飾り付けのお話などをいたしましょう。
今まで、アメリカ人のクリスマスライティングはすごいんだと書いたことがありますが、筆者自身は、ごく近所を見て廻るくらいで、街中に探索に行ったことはありませんでした。近所も、それなりにすごいからです。
ところが、昨年のクリスマス、シリコンバレーのあちらこちらに見学に行った筆者は、自分の浅はかさを知ることとなりました。一部の人にとっては、クリスマスのライティングとは、リオのカーニヴァルくらい、一年のエネルギーを注ぎ込む行事なのです。
お金持ちが集まるモンテ・セラーノという静かな街では、市議会まで巻き込んで擦った揉んだがありました。
毎年、アーツさん一家は、自宅の大きな前庭をディズニーランドよろしく飾り付けます。単にライティングだけではなく、人間サイズの人形たちがクリスマスキャロルを歌い、そのまわりをおもちゃの列車が走り、スノーマシンが人工雪を降らせます。
多分、シリコンバレーでは一番有名な、大掛かりな飾り付けで、例年、11月末の感謝祭からクリスマスのひと月、十万人を超える人が見学に来ます。クッキーやココアが見学者に配られるのも、人気の一因だったのかもしれません。ここでのおもちゃの寄付は、シリコンバレー中、一番多かったとか。
ところが、昨年末、市議会がこんなルールを作ったのです。"大きなイベントを開催するときは、事前に許可を取るように"と。まあ、毎年クリスマスの時期、2万台を超える車が、静かな、行き止まりの道に入り込んで来るのです。
隣人は、道が混んでお買い物にも行けないし、とにかくうるさいと、何年か前からこぼしていました。多分、この隣人が、市議会に働きかけたのでしょう。
この展開に怒ったアーツさん、もう飾り付けはするもんかと、15万ドル分の仕掛けを全部、倉庫に仕舞いこんでしまいました。コミュニティーのためを思ってやっているのに、議会の判断はフェアじゃないというのが言い分です(見学者のクッキーやココアには7千ドル、おもちゃの寄付には5千ドルを使っています)。
隣人さんは、間もなくここから出て行くそうなので、もしかしたら、今年は復活するのかもしれませんが、それにしても、いくら人様のためとは言え、隣人の苦悩も理解できるような気がします。
と、前置きが長くなりましたが、飾り付けの実例をご紹介いたしましょう。
まず、キャンベル市にある集合住宅です。ここは、二階に住むデビーさんが、感謝祭の翌日から屋根に登り、ほとんどひとりで飾り付けするそうです。世界平和を願うサインや、軍隊をサポートするメッセージなど、あくまでも中立の立場を守ります。
中庭には、デビーさんご自慢の小さな池と滝があって、世界中からの人形が所狭しと並んでいます。自分で集めなくとも、自然と集まるとか。ここのお飾りは、1月3日まで続きます。電気代にと、募金箱も置かれています。
シリコンバレー最南端のサン・マーティン市には、近年、お屋敷が建ち並んでいます。この家では、広大な敷地の全体を、7万5千のカラフルなライトや、宙づりのサンタたちが覆います。
裏庭も忘れずに飾り付けられていて、その奥には、馬小屋と馬場があるようでした(この辺りは、もともと畑で暗いのですが、馬の匂いが漂っていました。実際、この街は、馬を持つ家族が好んで住む所なのです)。
最後に、サンノゼ市の代表例です。ここは、マーキュリー新聞のライトアップリストの一面を飾っています。
この家は角地にあり、サンタさんやディズニーのキャラクターが、家の前面と側面すべてを埋め尽くします。窓には、はしごを登るサンタなど、心憎い細工も施されています。クリスマスの晩、ご馳走を食べ過ぎた家族たちのそぞろ歩きを、何組も見かけました。
最近は、仕掛けが動くなんて当たり前。FMラジオ局とタイアップし、音楽に合わせてライトがチカチカという、エンジニアならではの二軒合同の飾り付けもありました。今年もまた、車の少ない静かなクリスマスの晩、街中に繰り出そうかな。
夏来 潤(なつき じゅん)