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連載50回記念!:シリコンバレーと世界
Vol. 50
2000年12月から掲載を続けてきた、こちらの『Silicon Valley Now(シリコンバレー・ナウ)』シリーズも、なんと、記念すべき50回目を迎えました。よくぞここまで続いたものだと、自分でも驚いています。
そんな記念すべき今月号は、いつもより視野を広げ、シリコンバレーとそれを取り巻く世界との関係を、至極真面目に書いてみたいと思います。
<経済>
8月に筆者がのんびりとヨーロッパ旅行をしていた間、シリコンバレーでは、サンノゼ・マーキュリー紙上で熾烈な論争が起こっていました。あるコラムニストが、経済のグローバル化が進む中、地元の仕事が一部海外に移ってしまうのは止めようがないし、その現実に慣れるしか仕方がないと述べたのに対し、怒りののろしが上がったのです。
2000年初頭から米国経済には陰りが見え始め、その翌年に "不景気(recession)" と宣言されて以来、シリコンバレーでは20万人、全米では270万人が職を失っています。その多くは、より安い労働力を求め海外に業務移管した企業や、外国の安価な製品にかなわず倒産していった製造業でした。
顧客サービスのコールセンターを全面的に海外に移した金融・ハイテク企業、台湾との合弁組織に設計を頼るハードウェア会社、インドや東ヨーロッパの依託エンジニアを登用するソフトウェア会社、中国製品に破れ倒産した繊維会社など、枚挙に暇がありません。
米国政府のリポート上は、2001年11月には不景気から脱出したということですが、現実には、毎月確実に就業者数は減少しています。9月上旬に労働省が発表した統計でも、予想に反し、8月だけで9万3千の職が全米で失われたことが明らかとなり、いつまでもプラスに転じない悲観的な傾向を示しています。
少し過去を振り返ってみると、1970年代後半から80年代にかけて、アメリカでは日本式経営術がもてはやされました。大学のビジネスのクラスでも、多くの時間が日本型マネージメントに割かれていました。
1980年代半ばになると、デトロイトの三大自動車メーカーが、日本のメーカーに駆逐される恐れありと、逆に日本叩きが始まりました。自動車産業や鉄鋼業だけではなく、もうひとつの自国の牙城であるハイテク産業に、日本の "支配" が広まるのを懸念していたのです。当時のアメリカから見ると、日本はとても不気味な存在だったわけです。
そして、空前の好景気もどこへやらの今、1980年代と同じことが起きています。少し様相が異なるのは、以前よりもっと大きなスケールで、世界を巻き込み経済が動いていることでしょうか。
そういった中、アメリカの一般市民は、どこに怒りをぶつければいいのかわからない状況に陥っています。そして、彼らが憤懣の矛先として前面に押し出したのは、中国とインドです。
"貪欲な経営者が、海外に職をアウトソーシングするのを禁止してしまえ!" だとか、"アメリカ製品をろくに輸入しない国に、我々の製品を買わせろ!" とか、"労働ビザを与えてエンジニアを雇えるなら、同じように、ジャーナリストも外国人を雇え!そうすれば、ジャーナリストだって職を失った辛さがわかるだろう" といった意見が、メディアにどしどしと寄せられています。
勿論、そういった批判のすべてが、根拠のない感情論というわけではありません。たとえば、米国政府も指摘しているように、過去十年以上、人工的に低く抑えられている中国の貨幣価値は、中国製品の海外市場での優位性を増長する一因となっています。これでは、フェアな戦いはできません(反面、中国元の価値が上がったにしても、日本の前例にもあるように、物の値段を下げることで、中国側はいくらでも対抗できるという主張もあります)。このように、地球規模で、改善点がないわけではありません。
しかし、多くのアメリカ人は、資本主義の根底には、"自由競争" という原則があることを半分忘れてしまっているようにも見受けられます。海外に職が流れるのは、自分達に責任の一端はないのかと、厳しく自問する人は少ないようです。中国の工場で働く人々が、どれほどの努力をしているのか、実情を知る人は少ないようです。アメリカ人の生産性(productivity)は世界一だと、あぐらをかいているけれど、今は、いったい何がアメリカ製となるのか定義も難しいという現状からは、離脱してしまっているようです。
"自由競争"という言葉の中には、また、"自然発生的な" という意味も含まれています。資本主義経済は、まったく統制のない自由放任形式(laisser faire)でも成り立たない代わりに、がんじがらめの統制のもとでも成り立たないものです。統制しても、人は流れるし、物は流れる。流れを止めようとしても、止められない。メキシコからは製造工場が撤退し、バングラデシュの縫製工場では、他国との競争にあえぐ。
世界がひとつの大きな社会となりつつある現在、こういった流れは、各国の産業構造を急激に、根本的に変えようとしています。人が好むと好まざるとにかかわらず。
<貿易>
アメリカや日本に限らず、景気の低迷は、ヨーロッパも同様です。たとえば、EU(ヨーロッパ連合)第二のフランスなどは、失業率9.6パーセントを記録しています。歴史的に就業が安定するスウェーデンでも、失業率は前年の4.1パーセントから5.4パーセントに上がっています。イタリアは、先日、正式に "不景気" だというレッテルを貼られました。インフレ率も、夏の暑さと干ばつの影響で、多くのEU加盟国でターゲットである2パーセントを越え、不安材料となっています。
そんな中、EUはこんな主張を始めました。今まで、世界中で乱用されていた特産品の名前を、産地以外では全面的に使用禁止にしてしまえ、というものです。イタリアのパルマ・ハム、パルメザン・チーズ、キヤンティ・ワイン、フランスのコニャック、シャンペン、ボルドー、そして、ギリシャのフェタ・チーズに、スペインのマンチャ・サフランと、41の人気特産品がリストに挙げられています。外国製のものが名前を偽って市場に出回り、本物が締め出されているというのが理由だそうです。
EUは、9月上旬、メキシコで開かれたWTO(世界貿易機構)の国際会議で、これを採択してもらいたかったようですが、先進諸国と新興勢力の衝突で、会議そのものがお流れとなってしまい、思惑通りには行きませんでした。
けれども、アメリカやカナダは、開会以前から、自国の産業に影響ありと、難色を示していたのでした。スターバックスやマクドナルドの偽物が世に出回ると、やはり同じ行動を取るでしょうに。
実は、ヨーロッパほど知名度はないものの、アメリカでも、特産品が危機を迎えています。たとえば、ロスアンジェルス市の北に位置するヴェントゥラ(Ventura)郡からは、州の名物、ヴァレンシア・オレンジが消えようとしています。大きくて、種がなく、むき易いオーストラリアや南アフリカ産のオレンジが、ヴァレンシアに取って代わろうとしているのです。オレンジ農家は、次々と、値崩れしにくいアヴォカドや、レモン、ピーマン、セロリへの植え替え作業を進めています。
シリコンバレーの南の端、ギルロイ(Gilroy)でも嫌な兆候が見えています。ここは、アーティチョークやイチゴで有名な農村地帯ですが、昔から、"ガーリックの世界の首都" と自慢するほどのニンニクの産地です。何でも、1920年代、ここに移住して来た日系人が、ニンニク栽培を始めたとか。今も、毎年7月下旬になると、ガーリック・フェスティバルが開かれ、何十万人もの客が、ガーリック・アイスクリームや、ニンニクを使った飾り物などを目当てにやって来ます。
ところが、困ったことに、最近、ギルロイ産のニンニクが、中国産に押される傾向にあるようです。中国産の方が安い上に、大きくて渋みが少なく消費者受けすると、スーパーやレストランからはギルロイ産の注文の取り消しが出ているようです。
こういった外国産との摩擦が生じる中、米国繊維業界からは、中国からの繊維製品の輸入に割り当て制度を設けるべきだと、米商務省に嘆願書が出されています。この業界では、過去二年間で、四分の一に当たる27万人が解雇されています。
また、ベトナムからのキャットフィッシュ(ナマズ類の白身の魚)には、ダンピングという決定が下され、3割から6割の関税が新たに課せられることとなりました。ミシシッピ・デルタのキャットフィッシュ養殖業者が商務省に訴え出ていたのです(呼び名も、ベトナムのメコン・デルタ産は "トゥラ" か "バサ" に変更するよう、先に決定が下されていました)。この裁決を受け、米国南部のエビ養殖業者は、ベトナム産のエビにも関税を掛けるよう嘆願することを検討しています。
このような政策が、"保護貿易主義(protectionism)" かどうかの議論はさて置いて、世界経済の嵐に巻き込まれ、どこも自国を守ることに必死にならざるを得ない状況のようです。
9月中旬には、EU加盟国スウェーデンの国民投票で、ユーロ導入反対が採択されていますが、これもある種、自国の経済を他から守りたい意思の表れかもしれません。ユーロ推進派の外相の命が奪われたのは、歴史上の汚点ではありますが。
<政治>
カリフォルニア州民に物申す!以下の議論を論破できるなら、あなた方にノーベル賞でも何でも授けようではありませんか。
あなた方は、昨年11月、デイヴィス州知事を再選したのではありませんか?その時と今と、いったい何が変わっているのでしょうか?景気の低迷で、個人や法人からの税収は激減し、消費税も思うほど延びていない。1979年という遠い昔に住民投票で採択された "提案13" のお陰で、固定資産税にも足枷が課せられている。収入が減る割に、住民たちの勝手な投票で、支出ばかりが増えている。誰が州知事だって、収支が赤になるのは、わかりきっているでしょう。
デイヴィス知事が電力危機を回避できなかったことを怒っているのなら、それはお門違いというものです。規制緩和などという愚かなことを決定したのは、前任者のウィルソン知事だし、エンロンとそのお仲間といった腹黒いエネルギー事業家には、誰だって太刀打ちできなかったでしょう。
あなた方が怒っているのは、本当は単純な理由からではないのですか?自動車の登録税が、帳簿上3倍になったり、公立大学の授業料が2、3割上がったりと、身近なことで怒りを感じているのでしょう。
しかし、車の登録税の方は、ここ3年間、以前の半分にカットされていたし、公立大学の方は、このままで行くと、教育を受けられない学生が続出する。皆が私立に行くのは不可能でしょう。税金を上げないと口では言っている候補者は、嘘をついているのか、何もしないで任期が切れるかのどちらかなのです。
リコール戦に何千万ドルを掛けるのであれば、それを子供たちの教育に携わる先生たちに廻した方がいいとは思いませんか。"California is nuts(カリフォルニアは気違いだ)" と言われているのを知っていますか? 一こま風刺漫画に、"California" と一言発しただけで、大爆笑を得るコメディアンが描かれているのを知っていますか? 少しは冷静になって、よく考えてみたらいかがでしょう。
<スポーツ界>
砂漠気候と言ってもいいほどのシリコンバレーでも、9月を迎えると、真夏とは違った心地よい風が吹くようになります。行く夏を惜しむ、ユーミンの昔の歌が頭に浮かんだりして、ちょっとおセンチになる季節でもあります。
しかし、そんな感傷も束の間、9月は、アメリカン・フットボールのシーズンが始まる大事な時期なのです。大学フットボール、そしてプロのNFLと、次々と開幕します。
サラリーマンのたしなみであるゴルフ、テニス、スキーは、筆者も一応こなすものの、スペクテーター(観賞用)スポーツとして一番楽しいのは、やはりフットボールだと感じています。目が離せない緊張感は、野球以上です(神聖なスタジアムを、友達とおしゃべりする社交場と勘違いしている輩(やから)がいる点でも、野球の負けです)。まあ、背骨を折るのが怖いので、フットボールは自分では絶対にやりませんが。
多くのアメリカ人にとっても、フットボールのシーズン開幕は待ち遠しいようで、NFLシーズンの最初の日曜日となった9月7日、ゴルフ場には、朝早くからウィークエンド・ゴルファーたちが殺到しました。ゴルフはしたいけれど、10時、1時、5時半とテレビで放映される全米のゲームを見逃したくないのです。朝6時を過ぎると、スタート前の練習場にいそいそと集まり、電線のスズメよろしく、横一列にずらりと並んで球を打ち始めます。
第一ホール目をスタートしても、ピーチクパーチクとNFLの話に花が咲きます。最近は、チームに課せられるサラリーキャップ(選手へのサラリー合計額の制限)の影響で、選手の異動が激しく、どこが強いのか予想が難しいのです。NFLは "Never Figure League(訳がわからないリーグ)" だと言われるゆえんです。
だから、嬉しいことに、議論の余地は充分にあるわけです。そんなに朝早くから興奮していると、ゴルフ後のビール1本や2本で、ソファーの上で高鼾となり、肝心なフットボールを逃してしまうのに。
ところで、この界隈の多くの人は、サンフランシスコ49ersのファンです。ベイエリアのプロチームの中で、一番の古参という歴史もあります。サンフランシスコの対岸のオークランドRaidersや、自分の出身地のチームが好きな人もいます。お向かいさんなどは、インディアナポリスColtsのファンですが、この辺でColtsを応援するのは、珍しいです。
オークランドは、地理的にはシリコンバレーに近いですが、Raidersを熱烈に応援するのは、ハイテク産業の人間にはちょっと抵抗があります。アメリカには、複雑な一面があるのです。
サンフランシスコ49ersについては、以前、監督とスター選手の確執をご紹介しました(2001年11月掲載の "ベイエリアの昼メロふたつ")。マリウチ監督とテレル・オーウェンズ選手のふたりは、とにかく馬が合わなかったのです。
幸い、昨シーズンは、ふたりの間で大爆発はなかったものの、シーズンが終わった直後、突如としてマリウチ監督が解任されました。ファンの半分は、監督は何も悪いことはしていないのにと彼を惜しみ、半分は、あんな "殺人本能(killer instinct)" のない監督なんか、いなくなってよかったと歓迎ムードでした。確かに、マリウチ氏は、女性ファンにも人気の "ナイスガイ" ではあったけれど、時として消極的な采配は、スター・レシーバーであるテレル・オーウェンズのチャンスを、ことごとくつぶす結果になっていました。
マリウチ氏が、さっさとデトロイトLionsという新居を見つけた後も、49ersの新監督選択のプロセスは長引き、泥沼化を呈していました。後任が誰になるかもわからないのに、監督をさっさと辞めさせたのかと、非難ごうごうです。それでも、大方の見方は、内部から助監督を昇進させるか、それともチーム初の黒人監督の誕生となるかとされていました。
ところが、結局、土壇場になって、有力候補者以外から白人監督のデニス・エリクソン氏が選ばれ、皆を驚かせることとなりました。候補に挙がっていた人の中には、自分たちは単なるカムフラージュだったのかと、法廷に訴え出ようとする勢いの人もいました(監督候補者の中には人種的にマイノリティー(少数派)とされる人を必ず入れ、公平に個人の能力を審査せよというNFLの規則があるので、審査に不満があれば、起訴することも可能なのです。現に、マリウチ氏がデトロイトに移った時には、他に確たる候補者を立てなかったので、LionsはNFLから罰金を科せられています)。
今シーズンは、エリクソン新監督がどこまでチームの成績を伸ばせるのかと、注目の的となっているわけですが、一番厳しい目で見つめているのは、毎週日曜日のスケジュール調整に余念がない、巷(ちまた)のファンであるということを、くれぐれもお忘れなきように。
<後記>
ひとつめのお話で書いたように、アメリカは今、国中がさまざまな怒りに包まれています。じりじりと上がる失業率、いつまでも回復しない景気、消費者と一般投資家を巻き込む企業スキャンダル、そして、巨額の黒字から空前の赤字へと転落した国や州の財政事情。
そういった怒りをうまく煽り、実現に漕ぎ着けたのが、今回のカリフォルニア州知事のリコール運動です。そして、今、その暗いうねりに対抗する、新たな "怒り" が州内外で生まれています。民主政治を守るために立ち上がろうと。
世界中からの移民の融合体であるアメリカでは、民主制(democracy)とはその根底に流れるものです。詰まるところ、政治を動かすのは政治家ではなく、一般市民なのだということを、怒りに包まれたアメリカ人は、身を以て教えてくれているような気がします。
夏来 潤(なつき じゅん)