夏の到来:ドライブシーズンに考える

2006年6月29日

Vol. 83

夏の到来:ドライブシーズンに考える


 夏至を迎え、シリコンバレーは、早くも夏の雰囲気です。そんな季節に考えるのが、ドライブとバケーション。今回は、そんなトピックを選んでみました。


<おバカさんの論理>

  勝手に不定期に載せている「おバカさんシリーズ」。アメリカで見かけるおバカさんを取り上げるシリーズです。 さて、今回はちょっとシリアスなおバカさん。自動車業界に登場です。

 ガソリン価格の高騰が騒がれて久しい今日この頃。「価格高騰(price hike)」なる言葉に、消費者はそろそろ鈍感になりつつあります。
 そんな消費者の脳ミソに活を入れようと、General Motors(GM)は、カリフォルニアとフロリダで新たなマーケティング戦略を展開しています。
 「7月5日までにGMの車を買ってくれたら、ガソリン代1ガロン当たり1ドル99セントを越えた分は、一年間わが社が負担してあげます」と。(ちなみに、現在、ガロン当たり3ドルを切ることはありません。1ガロンは、3.8リットルです。)

 勿論、すべての車種ではなく、GMの中でも燃費が悪く、近頃とみに不人気の車が対象となっています。たとえば、SUVのキャデラックSRX、スポーツセダンのポンティアック・グランプリ、軍用トラック改造車のハマーH2とH3。
 同じく対象車となっているSUVのシボレー・タホなどは、近頃モデルチェンジを経て売れ行きはいいそうですが、何か目玉となるものが必要なのでしょう。GMが言うに、シボレー・タホの2007年モデルを購入した場合、平均して月に100ドル(1万円ちょっと)くらいはお金が戻ってくる計算とのこと。 連日、テレビのコマーシャルでは、消費者に扮するモデルがこう叫びます。「どうして今まで誰も、ガソリン価格に対して何もしてくれなかったの?」と。

 ここで、賢い人はすぐに気が付くのです。これって本末転倒だと。ガソリン価格が高いのは、需要と供給のバランスの悪さの表れ。だったら、需要(消費)を減らす、つまり、燃費をよくする方法を、自動車業界は考えていくべきじゃないの?と。
 けれども、アメリカの自動車会社には、そんな論理は通用しないのです。燃費が悪くて人気が落ちたら、叩き売りすればいい。それが彼らの論理なのですね。

 一方、消費者の方はといえば、そこまでおバカさんではないようです。それが証拠に、アメリカ国内の新車の販売台数でいくと、GMのシェアはどんどん落ちているのですね。2005年通年で26パーセントだったところが、2006年に入ると24パーセントに落ちています。しかも、今年に入って、販売台数は毎月じりじりと下がっていて、5月は前月比12パーセント減(人気のシボレー・タホですら、5パーセント減)。
 それに比べ、トヨタの5月の販売台数は、前月比プラス17パーセント、ホンダはプラス16パーセント。トラックを除く自家用車でいくと、トヨタは実に25パーセント増、ホンダは21パーセント増だとか。
 燃費のいいカムリやシビックの人気セダンや、新規投入のヤリスやフィットのサブコンパクト車に加え、ガソリンと電気で走るハイブリッドも日本の車会社のイメージを助けます。最近は、ハイブリッド車のテクノロジーもだいぶ進んでいるようで、たとえば、トヨタのSUVハイブリッドなどは、ガソリンだけで走る姉妹モデルよりも、加速が良かったりするそうです。「燃費は日本車」というイメージが、消費者の脳裏に刻み込まれているのですね。

 昨年末あたりから、会社更生法(米国破産法11条、通称「チャプター11」)の適用申請がまことしやかにささやかれるGM。6月16日のインタビュー番組では、CEOリック・ワゴナー氏は、「それは、お粗末な戦略だ」と、きっぱり噂を否定します。
 けれども、その一方で、GMはアメリカ史上最大の早期退職(contract buyout)プログラムを打ち出します。6月23日の締め切り日までに、従業員の4分の1に当たる3万人が応募したようです。

 かつては、アメリカ市場で50パーセントのシェアを誇ったGM。そんなGMの捨て身の「ガソリン代戦略」が、吉と出るか凶と出るか?
 まあ、常識で考えると、いくらガソリン代をカンパしてあげても、ちょっと難しい売りではあります。けれども、そこはアメリカのこと。目の前に札束をちらつかせるセールス戦略に、消費者の目がくらまない保証はありませんね。


<誰が電気自動車を殺したの?>

 これは、筆者が付けたタイトルではありません。ある映画のタイトルなのです。原題は、"Who Killed the Electric Car?"といいます。間もなく封切られるドキュメンタリー映画です(Sony Pictures Classics配給)。

 この映画の主役はEV1。General Motorsが開発した電気自動車で、1996年にアメリカ市場で発表されたコンパクト車です。充電式のバッテリーを搭載するので、ガソリンは一切使いません。
 1980年代、90年代を通し、カリフォルニアの大気汚染は大いに深刻化し、一番の原因である排気ガスを取り締まる法律が施行されました。その流れで誕生したのがEV1。
 これをGMから借り受けたドライバーの間では、熱心なファンが生まれました。なにせ、無公害なのですから。おまけに、ガソリン燃焼車ではないので、壊れにくい。必要なメインテナンスといったら、タイヤのローテーションくらいでしょうか。これに、静かで速いという要素が加わったら、もう非の打ち所がありません。

 ところが、事態は一転し、2001年、GMは突然EV1の製造を打ち切ります。ちょうどGMが、軍用トラックを製造するAM Generalの買収を完了した頃です(AM Generalは、イラク戦争勃発後、アメリカで大人気を博した軍用トラック改造車ハマーで有名です)。

 今は、EV1たちはどうなっているのか?愛用者から剥奪され、アリゾナの砂漠で粉々に引き裂かれ、置き去りに。

 この映画のクリス・ペイン監督は、自身もGMからEV1を借り受け、没収されるまでの5年間、EV1を愛用してきました(リース期間が終わるとすぐに「購入したい」と申し出たのに、GMに固く断られたそうです)。没収後は、トヨタが一時的に販売していた電気自動車RAV4 EVを購入し、今でもこれを運転しています。
 そのペイン氏が、「いったい誰が電気自動車を殺したのか?」と問いただします。そして、EV1を製造したGMに留まらず、電気自動車をめぐる問題の多面性を披露します。フォード、クライスラー、トヨタ、ホンダの電気自動車は、みんな同じように撤収・廃車の憂き目に会っています。ガソリンを使わないし、壊れにくい。ある意味で、社会にとっては大きな欠点なのです。そして、気が付いてみると、カリフォルニアの大気汚染の規制も骨抜きに。

 ペイン氏自身は、この問題にかなり深く関わってきた御仁のようで、確固たる信念を持っているようです。
 たとえば、ガソリンの代替として脚光を浴びる水素。実現までには何十年とかかるとも言われていますが、問題は他にもあるようです。ペイン氏が指摘するに、水素燃料電池で走る車は、電気自動車に比べ3~4倍のエネルギーが必要となる。おまけに、水素がガソリンに変わる燃料となっても、その配給のパラダイムはガソリンと同じではないか。水素の配給会社が燃料スタンドに配給し、消費者はやむなくそこで燃料補給するという形。
 電気自動車がいなくなった今、消費者に残される選択はガソリンと電気のハイブリッド。ペイン氏は、従来のハイブリッド車を一歩進めた、プラグイン(plug-in)ハイブリッド車を推奨します。消費者が自宅で充電することによって、最初の50マイルくらいはすべて電気で走らせる。そして、電気が消費された時点で初めてガソリンを使用するという新しいタイプ。ありがたいことに、電気は太陽光でだって生み出せるじゃないか。

 こうして、突き詰めて考えてみると、最後に何を選ぶかは、消費者である私たちにかかっている。

 このドキュメンタリー映画は、6月28日にロスアンジェルスとニューヨークで封切られます。その後、南カリフォルニア、北カリフォルニアと広まり、夏には全米で公開される予定です(これを書いている時点では、まだ公開されていません)。
 マイケル・モーア監督の「華氏911」ほどの人気となるかはわかりませんが、おもしろそうなドキュメンタリー映画であることは確かです。

追記:6月9日、公共放送PBSの番組「NOW」で放映された、クリス・ペイン監督へのインタビューを参考にさせていただきました。
 なお、映画「Who Killed the Electric Car?」には公式ウェブサイトがあります。英語ではありますが、とてもわかりやすくできているので、興味をお持ちの方は、ぜひ覗いてみてください。自動的に流れる映像が終わったら、この画面の上の"enter site"という文字をクリックしてください。
http://www.sonyclassics.com/whokilledtheelectriccar/


<恐竜さんの産物>

 ここまで来ると、大いに疑問に感じるのです。どうして私たちは、こうまでガソリンに頼るのかと。

 まあ、石油を掘る人がいて、原油をガソリンに精製する人がいて、ガソリンを売る人がいるからでしょう、というのが答えではあるわけですが、では、一体全体、どうして石油を掘って売ることができるのでしょうか?
 石油って、何億年も前の太古の生物や数千万年前に絶滅した恐竜さんたちが堆積して、そのお陰でできた産物なのでしょう。だったら、もともと誰のものでもないではありませんか。
 百歩譲って、ある国の下に埋まっているものは、その国のものとしましょう。けれども、それは国のもの、つまり国民全体のものでしょう。どうして、民間の石油会社が、自分のものとして売れるのでしょうか。

  理屈はこうですね。地下何千メートルに埋まっている石油を掘り出すには、それなりの技術と財力が必要となる。それを国に成り代わって、石油のプロである私たちがやってあげましょう。その代わり、国には採掘権の使用料(royalties for drilling rights)として、何パーセントかを還元いたしましょう。

 けれども、もし充分に国に還元されていなかったら?公共の資産が盗まれているのに、国民はまんまとだまされている? 実際、石油産油国のアメリカでは、そんな恐れがあるのですね。

 アメリカでは、19世紀にこんな法律ができたそうです。石油会社は、収入の12パーセントを国に還元するようにと。けれども、最近になって、採掘をめぐる状況が変わってきて、とくにメキシコ湾岸の海底油田の採掘を促すために、使用料の一部をチャラにする法律が議会を通ったのですね(正式には、the Deep Water Royalty Relief Act of 1995といいます)。
 それ以降、ブッシュ政権の誕生も手伝って、なし崩しに、使用料を払わなくていい採掘量が増えたり、海底油田でなくとも法律が適用されたりして、国の徴収額が思うように伸びない。
 それと同時に、使用料の計算のごまかしも疑われています。石油会社は市場よりもずいぶんと低い値段で採掘量を換算するし、使用料を徴収すべき内務省の鉱物管理部もころりとだまされる。もしくは、見て見ぬふり。そんなこんなで、未回収の使用料は雪だるま式に増えているようです。
 議会の監査機関GAO(US Government Accountability Office)の推定でいくと、未回収の額は、今後25年間で600億ドル(約7兆円)にもなるということです(今年3月に出されたGAOの草稿より)。

 まあ、石油会社を相手取って、「ちゃんと使用料を払え」と、裁判はいくつも起こされているわけです。けれども、そのたびに石油会社が逃げ勝ったり、少量の額を支払い、無理やり決着をつけたりして、国民への還元は低く抑えられているのですね。

 こんなお話もあるくらいです。ある内務省の担当者が石油会社に正しい使用料の徴収を迫ると、自分の上司からこう言われたそうです。「君はどうしてそんなことをやっているのだね?」と。上司は、連邦議会の議員からクギをさされたのですね。余計なことをするなと。
 この正義感に燃える職員が、裁判で闘う意志を見せると、彼は役所をクビになったとか。

 石油や天然ガスの採掘権使用料は、連邦政府にとっては、所得税の次に大きな歳入項目だそうです。そこに大きな欠陥があるとすると、国民は何のために税金を払っているのか?と自問したくなるのです。

追記:6月16日放映のPBS番組「NOW: Crude Awakening」を参考にさせていただきました。


<ライフスタイル・サバティカル>

 最後に、ちょっと趣向を変えて、バケーションのお話です。バケーションと言っても、普通の休暇ではありません。

 近頃、アメリカでは、「ライフスタイル・サバティカル(lifestyle sabbatical)」というのが、静かなブームとなっているらしいのです。 

 もともと「サバティカル」という言葉は、大学とか会社の研究機関とか、おもに研究職に携わる人の間で使われていました。何年間か勤めたら、充電期間として何ヶ月かお休みを取れる制度のことです。
 それが、最近では、自ら進んで休職(退職)し、息抜きの時間を取り、外国で現地の人に混じって生活するアメリカ人が増えてきたのです。そういう特殊な「長期休暇」を総称して、「ライフスタイル・サバティカル」と呼ぶようになったのですね。
 外国の街でアパートを借り、近くの市場で食材を買って自炊し、現地の生活を現地人の目で楽しむ。ときには一年、もっと長く。子供たちも一緒に、家族全員でお引越し。ローマやフィレンツェは、多くの人が目指す人気の街。近頃は、そういった人たちを支援する団体やビジネスがいくつもできているそうです。

 どうしてアメリカでライフスタイル・サバティカルが流行ってきたかというと、どうもブッシュ政権の誕生に端を発しているらしいのですね。以前もどこかで書きましたが、2000年の大統領選挙のときは、「ブッシュが大統領になったら、わたしは絶対にアメリカから出て行く!」と豪語していた人が多かったのですね。2004年の大統領選も同じ。実際、それを実行している人はあまりいないわけですが、それでも、いくらかは実行に移した人がいて、それがだんだん増えていって、静かなブームとなったようなのです。
 まあ、それだけではなく、自分の世界をもうちょっと広げてみたいというのが、大方の理由なんでしょうけれど。
 

 ごく最近、この言葉を知ったとき、これは我が家で話しているプランと同じではないかと思ったのです。我が家のバージョンは、各国のビザの問題を回避するために、ヨーロッパの国々を12ヶ国、ひと月ずつ移り住むというものですが、もともとのコンセプトは同じですね。単なる旅行じゃなくて、現地人のように生活してみたい。
 まあ、国によっては、アパートを借りるのに、いろいろと面倒なことがあるとは思いますが、だったら、長期滞在型のホテルでもいいかなと。
 実際、わたしのお友達にもいるんです。子供をふたり連れて、家族で世界の放浪の旅に出ている人が。間もなく、年初から住んでいたサンフランシスコ・ベイエリアを離れるようですが、彼曰く「半年もひとつの場所にいると、生活がちょっとマンネリ化する」と。
 そんな彼の娘さんは、かなりの人見知りだそうです。小学校に行っても、あまり言葉を発することがないので、先生が心配して片言の日本語を覚えてくれたぐらいとか。でも、家に帰ってくると、別人のように活発に近所の子と遊び始めるのです。そんな遊びを通して、滞在2週間で単語を並べて友達と意思疎通を始め、2ヵ月後には自己主張することを覚え、ケンカまでするようになったのです。それでも、依然として学校では無口。
 そういった彼女も、3ヵ月後には、学校にも仲のよい友達ができ、毎晩電話で長話するまでになったそうです。そして、6月、学期が終わるとき、「日本から来たときはまったく英語が話せなかったのに、すごく上達しました。そして、算数と絵が素晴らしかった」と、先生からお褒めのお言葉をいただいたそうです。

 少し長い「休暇」を取って外国に住みたいけれど、まず仕事と子供のことが心配。それからお金も。そんな障壁はたくさんあるけれど、一番大事なのは、やり遂げるぞという意志だそうです。誰でも不安があるのは当然。でも、意志と綿密な計画があれば、何ごとも可能になると、ライフスタイル・サバティカルの専門家はアドバイスします。

 我が家の実現はいったいいつになることやら。でも、夢だけは持ち続けているのです。

 
追記:「ライフスタイル・サバティカル」という言葉は、ギリシャ旅行の帰り、パリへ向かう飛行機で読んだNewsweek誌で初めて知りました(5月15、22日合併号)。

 それから、写真はヨーロッパではありません。シリコンバレー・サンノゼ市の新名所、サンタナ・ロウ(Santana Row)です。ここは、一階にブランドショップやレストラン、カフェが並び、上の階はマンションとアパートになっています。「車を運転しなくても、生活には困らない街づくり」そんなコンセプトでできあがった地区です。アメリカにも、ヨーロッパや外国の街並みに学ぼうという動きはあるのですね。


夏来 潤(なつき じゅん)

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