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ちょっといい話:最近の明るめニュース集
Vol. 35
ちょっといい話:最近の明るめニュース集
日本は今、サッカー一色のいいムードだと思います。ところが、こちらの方はそうでもなく、テレビをつければ、テロ活動復活の兆しありだとか、新聞を開くと、第二、第三のエンロン疑惑が市場の信用回復に暗い陰を落としているだの、良からぬ話ばかりが続いています。
そこで、今回は、日本の明るいムードにあやかって、できるだけ好ましいお話を選んでみました。
<先生、どうか逃げないで>
昨年初頭、3回に渡り、シリコンバレーの住宅事情を特集いたしました(2001年1月26日から2月9日掲載)。あの時は、あまりの売り手市場に、土日営業をお休みする不動産業者が現れるほどの白熱ぶりでした。シリーズ2回目では、学校の先生達がこの状態に苦労している様子をお伝えしましたが、その中でご紹介した、サンタクララ市統合学区の新しい試みである、先生専用のアパートが完成し、いよいよ4月から入居が開始されました。
このアパートは、学区が8億円ほどを投じ、住宅街の真ん中の古い学校跡に建てたもので、サンタクララ市で働いて3年以内の先生を対象に、市価の半分の賃貸料で貸し出されます。ベッドルームひとつと、ふたつのタイプ計40戸があり、すべてに洗濯機・乾燥機、個別パティオ、そして高速インターネット・アクセスが完備されています。ガレージが付いているので、車を持つこともでき、学校への通勤がとても楽になります。
"こんな新しい、きれいな所に住めるなんて、それだけでありがたい" と声を弾ませる2児のシングル・マザー教師や、ゆったりとした造りに歓声を上げながら、キッチンのキャビネットを子供のように開けたり、閉めたりする新米の先生もいます。
この試みは、住宅事情が悪く、区内800人の先生達がなかなか居着いてくれない学区の苦肉の策で、新しくて快適なアパートに住むことで、少しでも長く、優秀な先生達が安心して教鞭を取ってほしいという希望の表われです。このように学区がスポンサーとなるアパートは、州でも初めての例ですが、似たような計画は、サンノゼ市、パロアルト市など、他の自治体でも見られます。
残念ながら、希望者多数のため、入居者は抽選で選ばれ、幸運にも入居が決まった人でも、賃貸は最長5年に限られます。しかし、この5年間の安い賃貸料のお陰で、家を購入する頭金を貯めることもできるし、やはり前回の記事でご紹介した、インテル社と学区の共同提供する、住宅ローン補助プログラムで、家を持ち易くもなります。
慢性的に住宅事情の悪いシリコンバレーとは言え、一昨年末から昨年初頭をピークに、家の値段もアパートの賃貸料も、確実に下がって来ていました。ハイテク産業の職が大幅に減ったこともあります。一戸建てやアパートの供給が増えたこともあります。
しかし、今春あたりから、じりじりと値段が上がり始め、結局、一年前のレベルまで戻りつつあるようです。連邦準備銀行の40年来の利下げをきっかけに、消費者の購買意欲が高まっていて、売り出された家には、また何人もの買い手候補が現れているようです。
この先どうなるのか、何の保証も無い中、サンタクララ学区の試みは、すべての人のニーズを満たすものではないとしても、少なくとも喜ばしい第一歩だと言えます。
<ケーブルテレビがタダで見られます>
サンフランシスコから南へフリーウェイ280号線を2マイル程行くと、コルマ(Colma)という街があります。人口1200人に満たない小さな街です。先月、ここの町議会では、住民のケーブルテレビの加入料を、全面的に肩代わりすることが議決されました。今後、この決定がひっくり返されるまで、325世帯全部が街の恩恵に与ることになります。
実は、コルマはとても風変わりな街で、生きている住人よりも、死んでいる住人の方が圧倒的に多い街として知られています。既に他界している住民は、150万人以上いるとも言われています。街のほとんどが霊園で占められ、存命する人の住宅には、弱冠の土地が残されているだけなのです。
1887年、カトリックの司祭がこの地を霊園に最適の場と選んで以来、サンフランシスコからの地の利もあり、次々と新しい霊園が設けられました。1902年にサンフランシスコ市内での埋葬が禁止されたこと事が、これに拍車を掛けたようです(その後、市内の埋葬はほとんどコルマに移設させられ、現在市内に残される墓地は、18世紀後半スペイン人により建てられたドロレス布教教会と、長らく軍隊の駐屯地だったプレシディオの2箇所にしか残されていません)。
コルマの霊園は、まさに歴史の縮図のようなもので、カトリック、ユダヤ教、ギリシャ正教、無宗派といった宗教上の分類だけではなく、イタリア系、中国系、日系、セルビア系といった民族別の区分けもなされています。百年前からある日系墓地では、漢字、ローマ字、家紋が混ざった墓石が、故人を後の世に伝えています。アメリカの事ですから、ペット専用の霊園も半世紀前に設けられ、人間の物ほど大きくはないまでも、かなり立派な墓石が芝生の上に並んでいます。
この "追悼の街(Memorial City)" コルマには、長いこと、霊園と関連業種、住宅地、農地としてしか土地を利用できない規則がありました。例外的に、霊園がつぶされた跡に、ゴルフ場ができたことはありました。けれども、時代の流れには勝てず、近年、自動車ディーラーだの、大型ディスカウントショップだの、ショッピング・モールだのが建設され、少し賑やかになって来ました。小さなカジノまで登場しています。
そして、街には、たくさんの税金が入るようになりました。この税金の使い道の長い論議の末、ケーブルテレビの無料提供が生まれたのです。街には、図書館やプールといった娯楽施設が何もなく、年間9万6千ドルの予算で住民に気に入ってもらえれば、安い投資と言えます。既にケーブルテレビに加入している人も、そうでない人も、一様に、なかなか悪くない案だと評価しているようではあります。
ところで、このコルマの街の近くを運転していると、葬列に出会う事があります。葬儀会場から霊園に向かう、参列者の車の列なのですが、間違ってもこれに割り込んではいけません。ニューオーリンズで見られるジャズ演奏の賑やかな葬列とは違い、ごく地味でわかりにくいのですが、フロントグラスにある、"Funeral" と書いた赤やオレンジの札が目印です。これを隣の車線に見つけたら、フリーウェイで降りたい出口があっても、諦めて次で降りてください。彼らも絶対に列に入れてくれませんから。
<アーティストに見習え>
これはベイエリアのお話ではありませんが、同じく、もしくはそれ以上に交通事情の悪いロスアンジェルスの話題です。蜘蛛の巣のようにロスアンジェルスを覆う道路網の中、ダウンタウンを南北に走り抜けるフリーウェイ110号線(別名、ハーバー・フリーウェイ)を、北のパサディナ方面に向かうと、カリフォルニア内陸を縦断する幹線道路、5号線に分岐します(別名、ゴールデンステート・フリーウェイ。カリフォルニアから北へ、オレゴン、ワシントン州を結んでいます)。
実は、この110号線から5号線への分岐は、表示が至って不十分で、間違ってパサディナまで行ってしまった人も、今まで数え切れません。"北方面(North)" だけでは、わかる方がおかしいのです。トンネルを4つくぐった後、突然分岐がやって来るのも、災いしています。
この状態に業を煮やしたのが、長い金髪が自慢の地元のアーティスト、リチャード・アンクロム氏でした。彼はアーティストらしく、州の運輸局の細かい仕様に則り、緻密に5号線の目印を作り上げ、昨年8月のある朝、堂々と "北方面" の看板に、その目印を貼り付けました(ワイングラスのグラス部分のような形の枠に、上部には赤地に白で州間を表すInterstate、下は青地に白で5号線を表す5と書かれた標識)。
大きさはひとりで持てるほどだったので、友人がビデオカメラを廻し一部始終を記録する中、単独で犯行に及びました。怪しむ人が出ないように、オレンジ色の道路工事用のベストを着込み、ヘルメットの下の金髪は、短く切り揃えました。
完成して9ヶ月間、運輸局の誰も問題にすることなく、アンクロム氏の目印は、そのまま一日15万人の通行に役立っていました。ごく最近、地元の新聞に紹介され、標識が偽物だったことが暴露されたのですが、"あまりにも精巧にできていたので、誰もが運輸局内部の仕事だと思った"、とスポークスウーマンは語っています。
アンクロム氏は、2年以上前から5号線の分岐に不満を持っていて、運輸局への苦情を考えました。しかし、きっと苦情は、役所のどこかでうやむやになってしまうに違いないと、自分で事を起す決心をしたそうです。自分の芸術は、現代社会で役に立つ証明をしたい気持ちもありました。きちんとやり遂げれば、ひとりが世の中を変えることを知らしめたい気持ちもありました。そして、何よりも、一個人が州の運輸局に一泡吹かせたのも、なかなかいい気分のようです。
勿論、目印はそのまま残され、アンクロム氏は、不法侵入や偽造などの罪には問われないそうです。
<合併の副産物>
昨年9月に発表されて以来、揉めに揉めていたヒューレット・パッカード社とコンパック・コンピュータ社の合併案が、ようやく5月に終決しました。今後、新生HPは、ビジネスの統合とコスト削減、そして会社文化の融合に全力投球することとなります。
最後にこの大騒ぎをお伝えして以来(4月8日掲載)、まさに昼メロそのものの展開がありました。合併を決める臨時株主総会の二日前に、HPのCEOフィオリナ氏が自社のCFOウェイマン氏に残したヴォイス・メイルが、何者かの手で、サンノゼ・マーキュリー新聞社の留守番電話に残され、フィオリナ氏が大手株主のドイツ銀行に賛成投票を促す圧力をかけた証拠か、と大騒ぎになりました。
その後、デラウェア州では、合併が有効か無効かの裁判があり、フィオリナ氏とHPを代表する9人の弁護士、反対陣営の総指揮者ウォルター・ヒューレット氏と仲間の7人の弁護士が参加し、携帯電話も没収され立ち見で傍聴する報道陣が見守る中、盛り上がった法廷劇となりました。コンパックのCEOカペラス氏の、悲観的な日記の一節すら、反対派の証拠として証言台に登場しました。
結局、裁判は短期間でスピード結審し、負けたヒューレット氏も、全面的に合併を支えていく声明を発表しました(とは言うものの、ウォルター一家やヒューレット財団は、HP株をどんどん売却しているようです。また、ヒューレット一族は、今後、HPに影響を与えるグループ協議を止めてしまうそうです)。
HPとコンパック両社の製品ラインやサービスの統廃合もさることながら、この合併でちょっと気になるのは、過去に何度もご紹介してきた、サンノゼ・アリーナの呼び名です。昨年春、アイスホッケーのプロチーム、サンノゼ・シャークスの本拠地が、"コンパック・センター(at San Jose)" となってしまった事はお伝えしました(2001年3月19日と4月23日掲載)。
その後、合併案が出てきて以来、もしかしたら、コンパック・センターという呼び名からおさらばできるかもしれない、と地元住民は淡い期待を持ち始めました。コンパックの本社はテキサス州ヒューストンにあり、地元に馴染む名前ではなかったからです。新名称が気に入らず、あだ名の "シャーク・タンク" で応戦したファンもいました。
そして、今回、合併が本決まりになり、自社のパソコンにあやかり、呼び名を "HPパビリオン" と変更したいとフィオリナ氏が発言して以来、ますますその期待は高まっています。名称変更には、建物の持ち主であるサンノゼ市の議会と、運営を担当するアイスホッケーリーグの承諾が必要となりますが、今のところ、正式な検討はなされていないようです。
一年ちょっと前にコンパック・センターとなって以来、建物の表示やネオンサインを変更するだけではなく、フリーウェイや道路の看板にも、新しい標識を用意する必要が出てきました。建物や道路の表示変更には、今まで、1億円以上掛かっています(市とコンパックが負担)。
幸いにも、フリーウェイ16箇所の新標識の方は、まだ作成前だったので、早速注文をキャンセルしたということです。莫大な費用の掛かかった今回の合併劇での、数少ない節約のようではあります。
<マサイ族の親切>
最後に、遠く離れた、アフリカのお話です。アフリカ大陸の東海岸、ケニアとタンザニアの国境近くの草原に、マサイ族の居住区があるのですが、先日、エヌーサエンという村で、14頭の牛の清めと、引渡しの儀式が行なわれました。牛を受け取ったのは、ナイロビにあるアメリカ大使館の副大使です。
きっかけは、現在スタンフォード大学に留学中のキメリ・ナイヨマ氏でした。彼は、学校の休みに一時帰省した折、昨年9月のニューヨークでの惨事を、村のみんなに語りました。あの日、たまたまニューヨークにいて、自ら惨事を体験していたのです。村の人達は、ラジオでおぼろげに遠い国の事件を聞いてはいましたが、ナイヨマ氏の生々しい体験談に心を打たれ、アメリカの人達に何かしなければと皆が賛同しました。そこで思いついたのが、一番大切な持ち物、牛を贈ることでした。
彼ら放牧民にとって、牛は単に乳や肉を供給する家畜ではなく、その血を酒と混ぜ儀式で飲み、その皮を衣服や飾りに仕立て、その排泄物も家の上塗りに使います。花嫁をもらう時は、代価として父親に差し出しもします。牛は、最も神聖な動物であり、それを食すると、超自然の感覚を味わいます。
残念ながら、牛をそのままアメリカに運ぶのは難しいので、贈られた14頭は市で売られ、代わりにマサイ族の宝飾品がアメリカに送られます。広い草原に生き、アカシアやキリンくらいしか高い物を見たことがないマサイ族にも、マンハッタンの巨大なビルでの出来事は、共に心を痛める一大事だったようです。
ナイヨマ氏が晴れて学校を卒業し、医者となって村に帰って来た暁には、この村とアメリカの絆も、もっと深くなるのかもしれません。
夏来 潤(なつき じゅん)