思い出話:本のご紹介を兼ねて

2008年12月10日

Vol. 112(2008年11月号)

思い出話:本のご紹介を兼ねて


 さてさて、ようやく「Silicon Valley NOW(シリコンバレー・ナウ)」の新しい掲載スペースが整いました! 

 「あれ、何も変わっていないじゃない」とお思いの方もいらっしゃるでしょうが、「何も変わらない環境」を作っていただくのにえらく苦労したのでした。


 というわけで、めでたく新しい場所が完成した今月は、ちょいと過去を振り返って、思い出話などをいたしましょうか。いえ、わたしの思い出なんてつまらないので、あるご仁のお話となります。

 8年前に誕生した、この「Silicon Valley NOW」シリーズの生みの親は、プーマテクノロジー株式会社でした。シリコンバレーのサンノゼに本社を持つソフトウェア企業の日本子会社です。「シリコンバレーの暮らしをちょっと紹介してちょうだい」、そんな気楽なご依頼があって、毎月連載のシリーズ物に発展したのでした。

 ご承知の通り、プーマテクノロジーはその後、事業内容の変遷に伴い、プーマテック、そしてインテリシンクと名称を変え、2006年2月には、携帯端末最大手のノキアに買収されることとなりました。買収後も、日本子会社だけは、独立事業会社として「インテリシンク」の名で存続してきたわけですが、そのインテリシンク日本支社の社長さんを昨年まで努めた荒井真成氏(あらいまさなり、現・株式会社シンクロア取締役会長)のエピソードをご披露しようと思います。

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 すでにご存じの方も多いとは思いますが、荒井氏は先月、『世界シェア95%の男たち~IT創成期を勝ち抜いた企業の"光と影"』という題名で本を出版されました(イースト・プレス発行)。
 単身シリコンバレーに渡る直前からノキア買収後のインテリシンクを去るところまでをまとめた経営版自叙伝となっているのですが、読み手の経験や関心のありどころによって、いろんな風に解釈できる本だといえるのかもしれません。たとえば、絶大な世界シェアを勝ち取るためには、成熟した市場に後続で参画するのではなく、まったく新しい分野を自ら創造すべきことや、文化の違う日米両国でビジネスの架け橋となるためには、「狩猟採集民族型」のシリコンバレー企業のあり方を理解し、同時に日本市場への細やかな対応を本社機構に働きかける必要性があることなども読み取ることができるでしょう。
 こんな風に、ちょっと毛色の変わったビジネス版自叙伝となっているのですが、自叙伝ともなると、いったいどんな背景でこんな人間ができあがったのかと、本には出てこないところに興味がわいてくるのではないかと思うのです。
 そこで、僭越ながら、この本の執筆を担当させていただいたわたくしが、子供の頃の荒井氏をちょっとだけ再現してみることにいたしましょう。

 北海道に生まれ育った荒井氏は、「裕福な家のお坊ちゃん」というわけではありませんでした。月々のお小遣いもわずかなもので、覚えのないまま、ふっと消えてしまうのでした。
 そこで、あるとき、友達3、4人を組織して、ビンを回収することを思い付きます。昔はプルトップのアルミ缶やペットボトルなんてものは存在しなかったので、ジュースの類はみなビンに入っていました。あちらこちらに捨てられたビンを回収すると、小さいもので一本10円、大きなもので一本30円になりました。大きい方なんて50本に一本の「ラッキー」ではありましたが、10円ビンだってコツコツと集めれば、子供にとってはなかなかいい収入源ではありませんか。
 そうやって手に入れたお金は、みんなで稼いだお金です。自分ひとりのものではありません。貯めたお金で、仲良く銭湯に行ったり、好物のお菓子を買ったりと、みんなで平等に分配しておりました。

 こんなこともありました。ある日、小学校のクラスメート数人とキャンプに行くことになりました。まずは、みんなのお金を集めて、朝早くから市場に買い出しに行きます。駅の裏には賑やかな常設市場があって、新鮮な材料がふんだんに手に入るのです。北海道名物のジンギスカン(バーベキュー)にするお肉や野菜、獲れたての魚介類と、おいしそうなものをリュックにギュッと詰めて、列車に乗って意気揚々とキャンプ場に向かいます。
 海沿いのキャンプ場に着くと、何はともあれ、みんなの役割分担を決めます。「君は、森から薪(たきぎ)を集めてくれ」「それから君はバーベキューの材料を準備してくれ」と、それぞれの適正を考えてテキパキと指示を出します。

 と、ここまでは物事は順調に運んでいたのですが、ふと大事なことに気が付きます。ここは自然のままの、のどかなキャンプ場。バーベキューグリルなんて洒落たものはありません。グリルがなければ、せっかくのジンギスカンができないではありませんか。
 そこで、何かないかとあちらこちらを探したところ、いいものが目に留まりました。マンホールのふたです。鉄でできたマンホールのふたが立派にグリルの代役を果たすのではないかと、子供ながらに科学的に分析してみたのです。
 さっそく浜辺に大きな石を並べて土台とし、「マンホールのふた」ならぬ「鉄板」を乗せてグリルを造ります。風で火が吹き消されてはいけないので、石と石の間は、しっかりと砂で塗り固めました。さあ、これでグリルの完成です。
 やってみると、マンホールのギザギザがジンギスカン・グリルの溝の役割となって、ちょうどいい具合に、肉の脂を落としてくれます。お陰で、その日は、みんなで仲良くジンギスカンを堪能したのでした。もちろん、誰かが落っこちてはいけないので、マンホールのふたは、ちゃんと洗って元に戻しておきました。

 危ないこともありました。あるとき、友達3人でスキーに行くことになりました。寒い北海道ですから、冬の娯楽はスキーかスケートとなるのですが、このときは雪深い場所に住んでいたので、山に向かいます。
 残念ながら、懐(ふところ)には帰りのバス賃とリフト回数券の分しかないので、行きはヒッチハイクをすることになりました。「あらまあ、子供のくせにヒッチハイクなんて」とお思いでしょうが、その頃はのんびりとしたもので、スキー場の宿泊施設に向かう物資輸送のトラックが快く荷台に乗せてくれました。
 けれども、ここは北海道。冬の天候には厳しいものがあるのです。最初のうちは良好だったお天気も、だんだんと曇りとなり、そのうちに雪が舞い始めます。さらに標高が上がってくると、チラチラと舞う雪も吹雪となって、みんなで荷台のビニールシートにもぐり込んで寒さをしのぎます。

 いよいよ目指すスキー場にたどり着いてみると、そこはもう大吹雪。リフトすら止まっています。仕方がないので、スキーで滑りながら山を降りることにしたのですが、視界は横なぐりの雪でほぼゼロ。向かうべき道はわかり辛いし、3人が連なっていても目の前の背中すら見失いそうです。
 すると、ふいに後ろの一人が姿を消してしまいました。道を誤って、間違った方向に落ちてしまったようです。そっちは谷底。なかなか容易には這い上がれません。スキーの経験のある方ならおわかりでしょうが、滑り降りるのは簡単でも、雪の中を上るのは大変なことなのです。
 けれども、いかに大変でも、彼を置き去りにすることなどできません。「こっちだぞ、がんばれ!」と声をかけながら、友達が這い上がって来るのをじっと待ちました。ここで下手に助けに行けば、残る二人まで行き先を見失う恐れがあったからです。
 どれくらい時間が経ったのでしょうか、ようやく、スキー板を肩に担いだ友達が、あえぎながら二人の前に姿を現しました。そして、今度は互いを見失わないようにと、注意深く、みなで連なって斜面を滑り降りて行きました。

 このときばかりは、「遭難」という言葉が頭の中をチラチラと行き交ったようですが、谷底に落ちた友達を声で導くという判断はきっと正しかったのでしょう。北海道の大自然にあっては、まかり間違えば、3人とも谷底の雪に埋もれてしまう可能性だってあるのですから。「人知れず、翌年の春まで」なんてこともあり得ないことではなかったでしょう。

 というわけで、大人になった荒井氏の著書からはほど遠いお話となってしまいましたが、こうやって子供の頃のエピソードを伺ってみると、どんな場面においても「リーダー」となる資質というものがあるのではないかなと思われるのです。それが生まれ持ったものなのか、育った環境による後天性のものなのかはわかりませんが、大きな組織であれ、ごく小さな組織であれ、仲間をまとめる人には、ある共通点が備わっているのではないかと思うのです。

 それは、まわりにいる人が「ぜひ協力したい」と自然と思うようになる資質。誰かが何かを無理矢理強いるのではなく、自然とみんなが協力し合う体制を作り上げてしまう資質。

 たとえば、11月初頭の米大統領選挙戦で勝利をおさめたバラック・オバマ氏も、そんな資質を持っているのかもしれません。もちろん、彼自身も非常に頭の切れるお方ではあるけれど、それ以上に、まわりにいる人たちが「彼に協力したい!」と願うようなオーラを持つ人物ではあるようです。
 そんな協力者たちが上から下へとピラミッド構造になって、全米の有権者をがっちりと手中におさめた。オバマ氏に会ったことのない人でも、「わたしはオバマ氏の味方よ」と胸を張ってボランティアに参加していた。そして、選挙の終わった今でも、ボランティアたちは組織を解こうとはせず、オバマ新政権の今後の政策展開に協力していこうではないかと、決意を新たにしているのです。

 小説家の北方謙三氏が、おもしろいことをおっしゃっていました。北方氏は、宋の時代の革命記『水滸伝』をご自身で壮大な叙事詩に改編したことがあるくらい、中国の歴史・風俗に精通していらっしゃるのですが、曰く、中国の革命家には、「茫洋としていて、つかみどころがない」人物が多いと。
 つまり、「(その人間性に)余白が多いからこそ、下で支える人々が自分の存在や自らの思いを投影して、懸命にリーダーを支えたのではなかろうか」と。(NHK番組『知るを楽しむ・「水滸伝」から中国史を読む』のテキストを引用)

 してみると、仲間をしっかりとまとめるためには、ある程度「抜けて」いないといけないということでしょうか。「あの人には僕がいないとダメなんだ」と思わせるような、ぽっかりと抜けた部分が。

 いつの間にやら話が逸れてしまいましたが、子供の頃からのいろんな出来事を振り返ってみると、ひとの人生というものは、実におもしろいものではありますね。だから、世の中には、伝記や自叙伝が存在するんでしょうけれど。

 けれども、それは、決して「あの人だからおもしろい」というわけではなくて、おもしろくない人生なんて、この世にひとつもないのだと思うのです。
 「誰の人生でも一冊の本になる。」 これは、常日頃のわたしの持論なのです。
 

夏来 潤(なつき じゅん)

 

 

 

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