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歴史的瞬間: オバマ大統領の誕生
Vol. 114
歴史的瞬間: オバマ大統領の誕生
早いもので、新しい年2009年も、間もなくひと月目を終えようとしています。
ドイツにいるお友達が、今年はものすごく寒いんだと言っていましたが、同様に、日本でも、この冬は寒さが厳しいと聞いております。アメリカでも、中西部に始まった極寒がニューヨーク周辺の北東部にも広がり、まさに「しばれる冬」に悩まされているようです。
ところが、どうしたわけか、シリコンバレーのある北カリフォルニアは、1月に入って「暖冬」の気配を見せていて、1月中旬には、連日最高気温の記録を塗りかえるほどの暖かさになりました。12日、サンノゼ市では摂氏25度にも達し、その後の陽気で、我が家の「二月の花」は、もう春だと勘違いして早々に紫の花びらを開かせています。
今年は、気象的には「ラ・ニーニャ」の年だそうですが、アメリカ北西部(イチロー選手のいるシアトル辺り)とロスアンジェルスを中心とするアメリカ南西部の狭間にある北カリフォルニアでは、「ラ・ニーニャちゃん」がどのような影響を及ぼすのかはまったく予測できないのだそうです。そんな中、早くも、今年は水不足に悩まされることになるぞと、嫌な予言も聞こえています。
そんな今月は、やはりオバマさんのお話にいたしましょう。シリコンバレーでは、1月に入って、アップルのCEOスティーヴ・ジョブスさんが6月末までお休みするとか、新しいCEOを探していたヤフーでは、ジェリー・ヤンさんの代わりにキャロル・バーツさんが舵取りをすることが決まるなど、大きな話題が続きました。けれども、何と言っても、オバマさんのお話は大きいのです。
<歴史的瞬間>
「あの瞬間に、あなたはどこにいた?」というのは、歴史的出来事によく使われる表現ですが、そう聞かれてすぐに思い出すのが、わたしの場合はジョン・レノンがニューヨークで撃たれた瞬間なのです。
今の若い方はビートルズのメンバーだと聞いても、何のことだかわからないのかもしれませんが、忘れもしない1980年12月8日の夜(日本時間では12月9日午後)、わたしは家で人気テレビドラマ『大草原の小さな家』を観ていました。すると、突然、画面には硬い表情のアナウンサーが現れ、レノンさんが自宅前で撃たれたことを伝えていたのでした。
(そのわずか3ヵ月後には、就任直後のロナルド・レーガン大統領が首都で撃たれ、一命をとりとめているので、きっとあの頃は今よりも物騒な世の中だったのでしょう。)
それと同じくらい、生涯忘れない歴史的出来事であるはずなのに、1月20日の朝、目を覚ましてみると、すでにオバマ大統領が誕生したあとなのでした。首都ワシントンD.C.で正午から行われた大統領就任式(Presidential Inauguration)でしたが、西海岸ではそれは朝の9時になります(完全に夜型のわたしには、まだ早朝なのです)。
「あー、あの瞬間をミスッたー」と多少がっくりではありましたが、それでも、その朝の目覚めは、とても良かったですね。「今はもう、晴れてオバマ大統領の御世(みよ)なんだ!」と思いまして。
その日、最初に「オバマ大統領」を中継で観たのは、連邦議会のメンバーとの午餐会のスピーチでした。何だかこわばった顔で、いったいどうしたのだろうと心配していると、その直前に会場でエドワード(テッド)・ケネディー上院議員(故ジョン・F・ケネディー大統領の末の弟)が倒れるハプニングがあって、救急車で病院に運ばれたケネディー議員を気遣っていたからのようでした。
それに、今のアメリカの置かれた立場を考えてみると、ブッシュ前大統領のように、ヘラヘラと笑ってなどいられないでしょう。スピーチをしながらニタニタと笑っている方が、よほど信用できないのです。出口のないふたつの戦争、未曾有の経済危機、戦いが再燃した中東情勢、日に日に悪化する地球環境と、新大統領が就任翌日から直面する問題は、挙げればきりがありません。
それでも、若さあふれる、半分有色人種の大統領の誕生に、「これからアメリカは変わるんだ!」と期待している人も多いことでしょう。
NBCの朝番組のキャスターが、「僕たちふたり(キャスターと相棒)よりも大統領の方が若いんだよねぇ」としみじみとつぶやいていましたが、バスケットボールが大好きで、まだ7歳と10歳の女の子のお父さんというオバマ大統領は、ともすると政治に無関心になりがちな若い世代との意思疎通も、きっとお上手にやっていくことでしょう。
大統領選挙キャンペーンでも、インターネットや携帯電話などのテクノロジーを駆使した、新手の「草の根運動」が実を結んだわけですが、そんなオバマ氏自身、かの有名なBlackBerryサービスの大ファンで、ブラックベリー端末を片時も手放すことができません。
ご存じのとおり、リサーチ・イン・モーション社のブラックベリーサービスは、日本の携帯電話会社が提供するメールシステムとは異なり、会社や個人の既存のメールアカウントに携帯端末でアクセスできるようにするサービスです。初代機から数代は、仕事のメールに最小限のネットアクセス、ビジネスオーガナイザーと地味な白黒端末でした(写真は初代機)。ゆえに、日本ではケータイメールが一般ユーザに広がったのに比べ、アメリカではおもに、ビジネス界や政界で支持されてきました。
さすがに今は、電話機能やデジカメ、音楽・ビデオ再生機能の付いたおしゃれな端末となっていて、一般ユーザにもファンを増やしていますが、四六時中ブラックベリー端末を手放せない中毒者を「クラックベリー(CrackBerry)」と呼ぶことは有名ですね。それから、「ブラックベリーの祈り(BlackBerry Prayer)」なる言葉もあります。小さな画面を覗き込みながら、大きなお指で懸命に操作する様子が、頭(こうべ)を垂れてお祈りしているように見えるからです。家族の手前、隠れて仕事をしている意味合いもあるのかもしれません。
もう充分に「クラックベリー」の範疇に入るオバマ氏には、就任前、「ブラックベリーだけは止めてくれ」という要望があちらこちらから寄せられていました。なぜなら、大統領のケータイコミュニケーションがどこかで傍受されたら、それはお国の一大事ではありませんか。それに、大統領がやり取りする文書は、いかなる形式であっても、きちんと保存しなくてはならないという法律があって(the Presidential Records Act of 1978)、今まで使っていた個人的メールなんていうのはホワイトハウスでは許されないのです。
そして、大統領たる者、四六時中シャカシャカと手元で情報を得るのではなく、ときには自分の殻にこもってじっと熟考すべきである、との意見も聞こえていました。
多分、オバマ大統領は泣く泣く愛用のブラックベリー端末を机の引き出しにしまったのではないかと思いますが、どうやら最終的には、彼の勝ちとなりそうです。
ジェネラル・ダイナミックス(General Dynamics)という会社が作った「Sectera Edge」端末が、すでにオバマ大統領に手渡されたようです(機種は明らかにされていませんが、この端末ではないかといわれています)。
なんでも、3350ドル(約30万円)もするこのデバイスは、ブラックベリー端末が2台合わさったようなものだそうで、一方は普段用(unclassified)、もう一方は機密用(classified)と、右下の赤いボタンで切り替えが可能なんだそうです。機密用を使えば、ホワイトハウスのメールシステムと大統領専用電話回線に繋がるのです。どちらを使っているのか間違えないようにと、機密用は画面が真っ赤になります。
これから先オバマ氏は、側近やごく親しい友人とのコミュニケーションにのみこの端末を使うそうですが、アメリカの暗号諜報機関であるNSA(the National Security Agency、国防省管轄の国家安全保障局、つまり暗号や盗聴の専門集団)のお墨付きをもらうまでは、お預けとなるようです。もともと「Sectera Edge」端末は、NSAのために軍事用に開発されたそうですが(ジェネラル・ダイナミックスは国防省の請負企業)、ハッキングできないシステムはないといわれるこの世の中で、NSAが最終的に「うん」とうなずくかは未定です。
オバマ大統領のメールを受け取った人は、転送などご法度だそうですが、そもそも特別に暗号化されたメールを民間人はどうやって読むのかなと、疑問の声も上がっています。
それに、「Sectera Edge」端末は、マイクロソフトのOS(基本ソフト)を搭載しているそうなので、独自のブラックベリーOSを搭載する「ブラックベリー機」とは呼べないですよね。(ちなみに、リサーチ・イン・モーション社はカナダの会社なので、ブラックベリーサービスを利用すると、米国内のコミュニケーションにしても、一旦カナダのデータセンターを経由します。いくらカナダがアメリカの親友とはいえ、それじゃ、まずいでしょと、スパイ集団がブラックベリーに「ダメ出し」をしたのでしょう。それにしても、ブラックベリーという名が、完全に一人歩きしてますね。)
まあ、大統領専用「ブラックベリー類似機」の行方はわかりませんが、新居であるホワイトハウスのウェブサイトでは、これから先、オバマ氏自身がブログを載せることもあるのではないでしょうか。
就任当日には、早々と新しいホワイトハウスのウェブサイトも公開され(www.whitehouse.gov)、このアメリカの象徴の地にも大きな変革が訪れたことを告げています。
国民との親密なコミュニケーションと情報の透明性は、オバマ大統領が最も重要視していることのようなので、新しいウェブサイトは、政権と国民との大きな橋渡し役となることでしょう。
とはいえ、ホワイトハウスの裏側ではかなりのゴタゴタがあるようで、少なくとも就任式から丸2日間は、ウェブサイトへの新しい掲載が完全にストップしていました。
なんでも、ホワイトハウスのコンピュータシステムというのは「原始時代」にあるようで、アップルのマックに慣れきった新スタッフにとっては、6年前のマイクロソフト・ソフトウェア搭載のコンピュータは謎だらけのようです。「いったいどのコンピュータを何に使ったらいいの?」と、そんな基本的なことからわからないんだそうです。
さて、就任前のオバマ氏には「ブラックベリーを止めてくれ」という要望が寄せられていたわけですが、それと同じくらい、「タバコを止めてくれ」という嘆願もたくさん寄せられていましたね。
オバマ氏はこれまで、ストレス的状況に陥るとタバコを吸い始めていたそうですが、それが2年にも及ぶ大統領選挙戦となっては、いつまでも止められなかったのでしょう。けれども、歴代ホワイトハウスで喫煙する人などほとんどいなかったわけですし、国民の模範となる「父親像(father figure)」である大統領ともなると、喫煙など許されないわけです。
これから、最低4年間は元気に過ごしてもらわないといけないことを考えると、国民としても「禁煙」のご注進に及ばざるをえなかったのですが、その願いは果たして聞き届けられるのでしょうか。
追記: ご存じのとおり、オバマ大統領の宣誓式(the swearing-in)は、一回目は「ちょっと法的に怪しいぞ」ということで、翌日の夜、ホワイトハウス内で二度目の宣誓式が行われました。わたしは内心、「いよいよ本物が観られるぞ!」と喜んでいたのですが、二度目は非公開だったので、やっぱり歴史的瞬間を逃してしまいました。
ちなみに、米国憲法第2条のセクション1-8で、宣誓は以下のとおりに規定されています。
I do solemnly swear (or affirm) that I will faithfully execute the Office of President of the United States, and will to the best of my Ability, preserve, protect and defend the Constitution of the Unite States.
たった35個の単語の羅列ですが、faithfully の場所を間違えてしまったのですね。
<Yes We Can!>
ご存じのとおり、「Yes We Can!」というのは、「みんなで変革をもたらそう」というオバマ大統領候補のキャンペーンスローガンでしたね。とってもわかりやすく、覚えやすいキャッチフレーズでした。
とはいえ、今は国中がバラバラに引きちぎられたような状態にあって、「変革(Change)」を旗印に掲げるオバマ新大統領にとっては、問題はあまりにもたくさん山積しているのです。
もちろん、彼が真っ先にやるべきことは、経済の建て直しでしょう。日に日に状況が悪化する中、アメリカ経済がどうにかして元に戻らなければ、世界経済など復活しないでしょうから。けれども、それと同じくらい、わたしが新大統領に期待しているのは、外交問題なのです。
歴代の「サラブレッド育ち」の大統領に比べて、ケニア人を父に持ち、インドネシア人の継父と現地で暮らした経験も持つオバマ大統領は、フェアな国際感覚を持ち合わせているのではないでしょうか。
さらに、ハーヴァード大学の法律学校の頃から、たとえ敵対する立場であっても、相手の言うことには熱心に耳を傾けることで知られていて、やれ共和党だ、民主党だと真っ二つに分かれる一党主義(partisanship)の国内だけではなく、各々の信条によってバラバラに分断される世界をうまくまとめていってくれるのではないかと期待しているのです。
少なくとも、現時点では、ブッシュ前大統領と敵対していたイランのアフマディネジャド大統領が静観の構えを見せているので、それだけでも大したものだと感服するのです。
アフマディネジャド大統領曰く、「(オバマ氏の)政権が何をするのか、我々は静観させてもらおうではないか。」 けれども、アメリカへの牽制も忘れてはいなくて、「米国で政権の座に就くいかなる政府も、その影響力を己(おのれ)の領域内に制限すべきである。世界のすべての問題や戦争の根源は、外交問題への米国の要らぬ干渉にあるのだ」とも述べています。
それから、オバマ大統領には、アメリカの「イスラエルべったり政策」も見直して欲しいなと、個人的には思っているのです。もう少し中立の立場を採るべきではないかと。
わたしは中東問題の専門家ではないので、偉そうなことは言えませんが、イスラエルの独立以来60年も続いているパレスチナとの紛争の根源には、人間の性(さが)みたいなものが見えるような気がするのです。ひとたび「暴力」という手段に訴えたら最後、争いは消えるどころか、永遠のループに入り、更に激化していくという、人間社会の悲しい性が。
最初は、「やったらやり返せ」の精神で叩き合いをしているのでしょうが、そのうち、何代も時が経つと、もともと何で争っていたかなんてどうでもよくなって、単に、「うちとあそこは仲が悪いことになってるんだ」と片付けてしまうようになるのでしょう。ただただ「恨み」だけが心の糧(かて)となって。
長い間、わたしは、聖書の中にある「だれかがあなたの右の頬(ほほ)を打つなら、ほか(左)の頬をも向けてやりなさい」という言葉を、ひどく不可解に感じていました(新約聖書「マタイによる福音書」5章39節より)。
けれども、近頃は、これはまさに人の性をうまくとらえている言葉なのだと思うようになりました。
頬を打たれ、「恨み」を抱いて相手を打ち返すよりも、もう一方の頬を差し出すことで、自分自身で永遠の争いのループを終わらせなさいということなのでしょう。「目には目を、歯には歯を」の精神では、人の世はどうにもならないことがあるのでしょう。それは、たとえ何教徒であろうと、無信教であろうと、当てはまることではないかと思うのです。
政権二日目、オバマ大統領はさっそく国務省を訪れ、新しく国務長官となったマダム・クリントンとともに、スタッフの前で外交方針演説を行いました。その中で、「わたしは(戦禍をこうむった)パレスチナの人々のことを想っています(My heart goes out to the Palestinian people)」と率直に述べていたのが印象に残りました。
きっとオバマ氏は、歴代の大統領とはひと味もふた味も違う大統領になってくれるのではないかと感じた次第でした。
<アメリカの縮図、オバマ氏>
褒めたあとでこんなことを言うのは何なのですが、オバマ大統領という人は、決してスピーチ(演説)がお上手な方ではありません。選挙キャンペーン中、ヒラリーファンだったわたしが「カリスマを感じない」と批評していたのもそのせいですし、現に、大統領就任のスピーチを「どの言葉も心に残らない、普通のスピーチだった」と酷評しているコメンテーターもいました。それが、右寄りのFox Newsチャンネルなどではなく、オバマ氏の所属する民主党寄りとされるCNNで言われていたことなので、世の中には、いろんな解釈の仕方があるものなのです。
けれども、どうしてあれだけ大勢の人がオバマ大統領の誕生を心待ちにして、寒空の中、わざわざ就任式に駆けつけ、スピーチにボロボロと涙を流していたかというと、それは、オバマ氏が半分黒人の血を引いているからなのでしょう。肌の色の濃い大統領の誕生というのは、アメリカ人にとっては特別な意味があるのです。
そして、黒人の解放に命をかけたマーティン・ルーサー・キング牧師を祝う日(Martin Luther King, Jr. Day)が、ちょうど大統領就任式の前日になったことも、何かしら運命的なものを感じるのです。
ご存じのとおり、アメリカの黒人(今はアフリカン・アメリカンと総称)の祖先は、17世紀中盤以降、奴隷としてアフリカ大陸から連れて来られた人々でした。
新天地での奴隷制度確立から200年、南北戦争(1861-65年)によってようやく奴隷解放がなされ、憲法にも自由人の権利を保障する条項が追加されています。しかし、実際に黒人が自由と権利を獲得するまでには、それから100年にも及ぶ闘争の歴史がありました。
とくに、マーティン・ルーサー・キング牧師が公民権運動(civil rights movement)を盛り上げた1950年代、60年代は、白人の黒人に対する風当たりは激化し、各地で暴動が起きたり、黒人が暴力のターゲットになったりもしました。1963年9月、南部のアラバマ州バーミンガムの教会が爆破され、11歳から14歳の4人の女の子が命を落とした事件は、その最たる例かもしれません。当時は、警察だって白人の味方でした。
長年の闘争の結果、1964年7月には、リンドン・ジョンソン大統領が「1964年の公民権法(the Civil Rights Act of 1964)」に署名し、人種差別を禁止する画期的な法律が誕生しました。けれども、その4年後にはキング牧師自身がテネシー州メンフィスで暗殺されたところを見ると、とくに南部では、人種差別撤廃が実現するまでには、それから何年もかかったのでしょう。
法律があっても、有名無実。そんな辛い経験を積んできた高齢の黒人有権者にとって、闘争の記憶など決して風化するものではありません。
しかも、あからさまな人種差別は過去の話となったものの、現在も有色人種に対する偏見はまだまだ根強く残っているし、社会的な格差は歴然と存在しています。たとえば、シリコンバレーとほぼ同義語とされるサンタ・クララ郡では、黒人の平均年収は、白人やアジア系住民のわずか半分だそうです。法的には平等となった今でも、社会的には解決すべき問題がたくさん残されているのです。
そんな中で颯爽(さっそう)と現れたオバマ氏は、多くの有色人種にとって「救い主」にも見えたことでしょう。それと同時に、「救い主」は自分が生きている間には現れることはないとあきらめていた人々にも、たくさんの希望を与えてくれました。
わたし自身ですら、ヒラリーさんやオバマさんが現れるまでは、自分の生涯で白人男性以外の大統領を拝めるようになるとは夢にも思っていませんでしたから、闘争を肌で知っている方々は、なおさら喜びをかみしめていらっしゃることでしょう。
オバマ大統領誕生の日、人々が流した涙には、何代にも渡って流された涙が合わさっているのでしょう。
追記: 冒頭にあった「マーティン・ルーサー・キング牧師の日」は、牧師の誕生を祝う日ですが、実際の誕生日である1月15日ではなく、1月の第3月曜日が祝日となっています。一方、新しい大統領の就任は、憲法修正第20条で1月20日の正午と定められています。ということは、必ずしもこのふたつの日が連続するとは限らないので、今年はそうなったことに運命的なものを感じた人も多いのだと思います。
先日、初めて公開された英BBCの1964年のインタビューによると、キング牧師は、「40年後には黒人大統領が誕生するだろう」と述べていたそうです。その記念すべき就任の日、牧師が予言した初の黒人大統領のパレードを率いるのは、「ローザ・パークス・バス」でした。
1955年、アラバマ州バーミンガムの市バスで、「白人の座席に勝手に座り、白人に席を譲らなかった」罪で、黒人のローザ・パークスさんが逮捕されるという事件がありました。この愚かな過去を繰り返さないようにとの固い決意を象徴するバスが、「ローザ・パークス・バス」なのでした。
もしキング牧師が存命であったなら、このパレードを見て、いったい何とおっしゃったのでしょうか。
それから、以前、平等社会を目指す公民権運動について、ちょっとだけ書いたことがあります。もし興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、こちらをご覧ください。
www.natsukijun.com/svnow/post_75.html
夏来 潤(なつき じゅん)