Turin or Torino: Either one will do (どっちでもいいよ)
前々回の「Turin? Torino?」では、英語ではトリノのことを トゥリン と言うので、トリノオリンピックというのはいったいどこで開かれているのか、多くのアメリカ人が混乱したというお話をいたしました。
そのとき、「どうしたわけか、英語では外国の地名を勝手に変更して呼ぶ場合が多く」と、悪口を書きました。が、どうやら、事「トリノ」に関しては、勝手に「トゥリン」と呼び始めたわけではないようです。
トリノは、ピエモンテ(Piemonte)という地方の首府だそうですが、その地方の方言では、トリノは、後ろにアクセント付きの「トゥリン」と言うそうです。
一方、イタリア語では、トリーノと言うので、結果的には、どちらでもよい(Either one will do)ということです。
トリノ、トゥリン、どちらも「小さな雄牛(Little Bull)」という意味だそうです。
この採決を下したアメリカン・イタリアン協会のメンバーは、どうせアメリカ人が気取って「トリーノ」と言ったところで、厳密な発音からすると間違っているので、トリノ、トゥリン、どっちでもいいじゃないかということでした。
そういえば、8年前の長野オリンピックのとき、みんなが長野のことを「ナァーガノゥ」と呼んでいるのを聞いて、バカみたいと思ったことでした。
ところで、上に掲載した写真は、6年前イタリアを旅行したときに購入した陶器です。トスカーナ州フィレンツェの40キロほど南の、山の上にあるサン・ジミニャーノ(San Gimignano)という街で買いました(残念ながら、トリノには行ったことはありません)。
ここは、尖塔がにょきにょきと生える、地元ワインが自慢の中世の街なのです。なんでも、尖塔が高いほど、家が繁栄した証拠だそうです。
イタリアといえば、あの人もこの人もここで生まれたのねと感心するほどの芸術の国ですが、食べ物もおいしいのです。サン・ジミニャーノのラ・マンジャトイア(La Mangiatoia)というレストランで食べたニョッキは、もう最高でした。
さて、トリノオリンピックでは、荒川静香選手の金メダルの演技に、思わず涙してしまったものですが、アメリカでは、残念ながら、涙を流す場面は少なかったというのが大方の評です。
まあ、せいぜい記憶に残ったのは、ショートトラックのアポロ・アントン・オーノ選手が、500メートルで金メダルを獲得して、「完璧なレースだった(It was a perfect race)」と素直に喜んでいたこととか、エッセイの欄でもご紹介したとおり、ジョウイー・チーク選手が金銀メダル賞金の4万ドルを快く慈善団体に寄付したことくらいだろうか、というものです。
開会前オリンピックの顔ともなっていたわりに、メダルがひとつも取れなかった、アルペンスキーのボウディー・ミラー選手などは、「試合よりもパーティーが大事な飲んだくれ」と、報道陣の酷評の矢面に立っていましたね。
けれども、一番手厳しい批評を受けたのは、女子スノーボードクロスで、惜しくも銀メダルとなった、リンジー・ジェイコベラス選手でしょうか。
彼女は、ゴール直前のジャンプで、バランスを崩して転倒したので、後続のスイスの選手に金メダルをさらわれてしまったのでした。3秒もリードしていたのに。
そして、批判の矛先は、このジャンプに向けられています。She was just showing off「どう見てもかっこつけのジャンプだった」というのです。
(show offというのは、「見せびらかす」という動詞で、showoff というのが「自慢屋さん」という名詞になります。She’s such a showoff などと、批判的に使います。類似の言葉で、showboat という名詞もあります。「目立ちたがり屋」という意味で、やはり、こちらもテレビの解説で使われていました。)
テレビのコメンテーターは、皮肉交じりにこう指摘します。Don’t count your chickens before they hatch。
(「生まれる前から、自分の鶏を数えないように」。つまり、「捕らぬ狸の皮算用」という意味ですね。最後の hatch は、「ひながかえる」という意味です。)
これに対し、ご本人は、I was caught up in the moment「その場の雰囲気に飲まれてしまった」と弁明しています。
(直訳すると、the moment「その瞬間」に、was caught up「捕らわれてしまった」という文章ですね。)
やれ「かっこつけ」だの「皮算用」だのと、まだ二十歳の女の子にとっては、ちょっと酷なお言葉じゃないかと個人的には思うのです。本人は、銀メダルでも充分に嬉しいと言っているのに。
「失敗を許す文化」のアメリカで、ちょっと珍しい光景ではありますが、それだけ、彼女に対する金メダルの期待が大きかったということでしょうか。