桜
日本は寒いなどと前のエッセイにも書きましたが、今回、里帰りしたのは、桜を見に帰ったようなものなのです。いつも桜が満開の時期を逃していたので、久しぶりに見てみたかったのです。
今年は、せっかくの桜の季節が思ったほど暖かくなくて、ちょっとがっかりではありましたが、東京では、あちらこちらで満開の花を楽しめました。こんなにたくさん桜の木があったなんて、ちょっと驚きです。
東京に滞在していた期間、一番近い桜の名所は青山霊園でした。着いた翌日、さっそく咲き始めの桜を見に、お散歩です。まだまだ満開ではありませんが、咲き始めの花には、たいそう勢いがあるものです。
青山霊園に足を踏み入れたのは初めてのことでしたが、そこここに桜の大木が植わっていて、中心の大通りには、立派な並木が延々と続きます。これが満開だったらと、想像するだけでうきうきとしてきます。
それにしても、どうして霊園には桜が多いのでしょう。青山霊園も都内切っての名所ではありますが、豊島区の染井霊園は名だたる桜の名勝ですね。それどころか、日本で一番広く知られるソメイヨシノは、この染井の地から来たのですね。
ソメイヨシノ(染井吉野)は、昔、江戸末期から明治初期にかけて、ここ染井村の植木職人がオオシマザクラとエドヒガンを掛け合わせてつくった種類だとか。あの品のいいピンク色と、清楚な花びらが、あちらこちらの人々の心をくすぐったのでしょう。今では、桜の代名詞ですね。
お墓に桜が多いのは、きれいな花の下で眠りたいという、多くの日本人の願いなのかもしれませんね。
数日後の夜、ほぼ満開の青山霊園を歩いてみましたが、立派なデートコースになっているのに驚きです。でも、屋台が出ていることに、もっとびっくりです。いくら桜の名所とはいえ、お墓で花見とは、あまり気持ちのいいものではありませんよね。
桜の花をめでるためには、「屋台を出してはいけません」という規則もなんのその!
満開の桜は、上野公園で楽しみました。4月1日の土曜日、ちょうど満開を迎えた週末に、広い公園はたくさんの人でごった返します。「たくさんの人」というのは充分な表現ではなく、桜の花のトンネルでは、前に進むこともままなりません。百万人くらい殺到したのではないでしょうか?
園内すべての桜の木の下では、さっそく花の宴が開かれます。文字通り、足の踏み場もありません。週末なので、会社の集いよりも、学生と見受けられる若いグループが目立ちます。何十人が集まっての大宴会も珍しくありません。きっと場所取りの下級生は、夜の寒さに苦労したことでしょう。
それにしても、さすが日本人は綺麗好きなもので、ゴミの収集場所もきちんと完備されています。燃えるゴミと燃えないゴミの分別だけではなく、リサイクルの材料も、実に細かく分類されています。アメリカ人だったら、せいぜい燃えるゴミとリサイクルの2種類で挫折でしょうか。
週末の上野公園は、子供向けのお面の屋台が出ていたり、大人向けにおでんの屋台が登場したりと、まさにお祭りの風情でした。
外国人もたくさん見かけましたが、ちょうど満開の桜の時期に日本を訪れるなんて、ラッキーなことです。美しい日本の春も、彼らの家族や友人の輪に広まることでしょう。
京都も花の名所です。両親と旅した春の京都は、心に深く残るものでした。
今年の京都は、東京よりも寒さが厳しく、花はなかなか咲いてくれませんでした。それでも、何泊かするうちに、硬いつぼみも少しずつ開き始め、京都を後にする頃は、染井吉野は八部咲きくらいにはなっていました。
この旅では、ひとつ大事なことを学びました。それは、染井吉野だけが桜ではないということです。
もともと京都の桜といえば、山桜(やまざくら)や彼岸桜(ひがんざくら)のことを指し、染井吉野は、どちらかというと東から来た亜流のようです。
野山に自生する山桜は、平安時代から愛される奈良県吉野山の桜や、京都御所の左近の桜(さこんのさくら)に代表されるそうです。今年は例年よりも遅咲きのようで、吉野に行ってみたいという母を連れて行ってあげられないのが残念でした。
立派に枝を張る御所・紫宸殿(ししんでん)の左近の桜も、寒さのためか、まだまだ満開とまではいきませんでした。
街中でよく見かけるエドヒガン系の枝垂れ桜(しだれざくら)には幾種かあって、薄い桃色のものは、染井吉野よりも先に咲き、京への訪問客をもてなしてくれます。平安神宮の枝垂れ桜は、庭園の水にもよく映えます。
一方、色の濃いものは、染井吉野の後、4月の後半に咲くようです。薄いものと同時に咲くと、どんなに綺麗なことかと願っても、それは人間の勝手な言い分ですね。
京の桜の名所・仁和寺(にんなじ)の御室桜(おむろざくら)も、遅咲きのものです。ここの桜は、背丈の低いのが特徴で、花(鼻)が低いので、別名「おたふく桜」とも呼ばれるそうです。
何も知らずに、期待して仁和寺に出向いたものの、桜園の木々は、つぼみすらまだ小さいものでした。
遅咲きといえば、大阪の造幣局の桜も、染井吉野が散った後に楽しむものだそうですね。「造幣局に行きたい」と告げると、大阪のタクシーの運転手に笑われてしまいました。
なんといっても、京都で一番印象に残った桜は、円山公園(まるやまこうえん)の枝垂れ桜です。ある日の夕刻、冷たい風に震えながら公園に向かうと、丘の上に立つ巨大な桜の木が暖かく出迎えてくれました。
「そうだ、京都に、行こう。」というコピーで有名なポスターに登場する桜です。その立派な枝ぶりは、見る角度によって違った表情を見せてくれます。
夕暮れのライトアップは、幽玄を演出します。
一度は切られそうになった桜ですが、助けられたことに感謝でもするかのように、毎年、人々を楽しませてくれるのです。
京都は紅葉の頃が一番という地元の人が多いけれど、ほんのわずかな間、咲くか、咲かぬかと気をもみながら待つこの季節も、なんとも風情があるのです。
桜は、日本の象徴ともいえるもの。
春になると、「桜前線」がどこまで来たかと浮かれ立ち、ひとたび開花すると、桜の花を思う存分めでるように。そういう風に、日本人の遺伝子にはちゃんと書かれているのでしょうね。
こんなに風流な国民は、世界広しといえども、そうたくさんいるものではないでしょう。