オリエント急行で気取った旅を ~ パート2
考えてみれば、寝台列車の旅なんて、もう何年もしたことがないですね。
きっと最後に乗ったのは、東京の上野駅から北海道の札幌に行く寝台列車だったと思います。
やはり食堂車が付いていて、豪華なディナーを楽しんだ記憶があります。そして、車内で一夜を過ごすなんて、それだけで旅情も倍増なのです。
けれども、「オリエント急行」がちょっと特別なのは、1920年代、30年代の昔ながらの車両を使っているところでしょうか。
それこそ、車両全体が骨董品といったイメージです。
そんな美術品のような列車ですから、内部には職人芸の光る手の込んだ細工がしてあったり、狭い空間にもいろいろと工夫がなされていたりと、ひとつひとつを発見する楽しみもあるのです。
各車両を歩いてみると、座席の色や織柄はそれぞれ違いますし、壁面の装飾も違います。
寄せ木細工のような組み込み文様があったり、切り絵のようなシンプルな模様が施されていたりと、細部にも手を抜くことがありません。
各部屋の扉の裏側にも、部屋の壁にも、手の込んだ細工がしてあります。扉を閉じれば、そこにいる乗客だけが楽しめる、そんな贅沢さがあるのです。
部屋の中には、ハンガーや小さな扇風機、ライトのスイッチに時計掛けと、いろんなものが備え付けられています。
部屋の隅の扉の中には、小さな洗面所まで隠されているのです。
「これは何だろう?」といいながら、部屋のスイッチをパチパチと動かしていたら、「何か御用ですか?」と係員が駆けつけてきました。
座席脇の丸いスイッチを押すと、廊下のライトが光って、係員を呼ぶ合図となるのです。
でも、この廊下のライトは、ぺこっと押すと光が消える仕組みになっているので、間違ってスイッチを押しても、あわてる必要はありません。
そして、3両ある食堂車は、どれも違った趣(おもむき)の内装が施されていて、どの車両でお食事することになるのかしらと、ちょっとドキドキするのです。
わたしは、ルネ・ラリックのガラス細工が壁に光る、落ち着いた配色の車両が気に入っていたのですが、「誕生日を祝う」というリクエストを出していたら、ここの4人掛けテーブルをふたりで使わせていただきました。
それだけで何となく贅沢な気分になって、ゆったりと食事を堪能することができました。
贅沢といえば、部屋はシングルではなく、ダブルを依頼していたのでした。
これは、ふたつの個室を仕切る扉を開け放って、ひとつを寝室用に、もうひとつを座席専用に使えるようにしたものですが、単にふたつの個室をつなげただけとはいえ、気分的にだいぶゆったりとできたのでした。
いえ、わたしはエレベーターのような狭い空間が苦手なので、個室では息がつまるのではないかと恐れていたのです。その分、若干お値段は高いですが、それだけの価値はあったのではないかと思うのです。
ディナーに出ている間に係員がベッドメーキング(座席を二段ベッドに作り替える)をしてくれるのですが、ごちゃごちゃした手荷物はもうひとつの部屋に移動できたので便利でもありました。
そういえば、お隣のイギリス人老夫婦は、ふたりとも体の大きな方でした。
そのふたりが個室に仲良くクチュッと収まっているのは、ほほえましい光景ではありましたが、あれでは、かなり手狭だろうと想像していたのでした。
実際、「この空間ではねぇ」と、わたしたちに向かって愚痴らしきものをこぼしていらっしゃいましたっけ。
自分たちは西洋人に比べると小柄なのに、ダブルキャビンなんて贅沢すぎたかしらと反省した瞬間でしたが、そんなわたしたちだって、ベッドは小さい!と思ったのでした。
たとえば、身長170センチを超える人だと、足をゆっくり伸ばせないくらいにベッドは短いし、幅だってかなり狭いのです。
「あの南部のレディーたちは、どうやって夜を過ごしたのだろう?」と、廊下を通ったふくよかなアメリカ人レディーたちが、ちょっと心配になってしまいました。
きっと昔の人のサイズって、こんなものだったのでしょうね。
そんな風に、意外な感想を持ったりもしたのですが、やはり、オリエント急行は、昔のままの旅を楽しむもの。
いまだにトイレは共同だし、シャワールームはありません。お湯だって、石炭を燃やして温めているのです。でも、それは、昔ながらの形式を忠実に守っているからなのです。
何でも便利にできる時代に、あえてレトロな旅をする。そして、ひとたび列車に乗ったら、日頃のゴチャゴチャは忘れて、優雅な時間を過ごす。
これが、オリエント急行で行く気取った旅の真髄でしょうか。
わたしなどは、24時間の旅では物足りなかったので、次回はもっと長い行程にしようと密かに考えているところなのです。
こぼれ話: 実は、このオリエント急行に乗りたい! と思ったきっかけは、アメリカの公共放送で放映された紹介番組(Masterpiece Mystery “David Suchet on the Orient Express”)にありました。
アガサ・クリスティの生み出した名探偵エルキュール・ポアロが主人公となる『ポアロ(Poirot)』というイギリスのテレビシリーズがありますが、この番組でポアロ役を演じるデイヴィッド・スーシェー氏がホストとなって、実際にオリエント急行に乗り込む番組なのです(ポアロは、まさに『オリエント急行殺人事件』を解いた名探偵ですね)。
わたしがこれを観たのは、今年初頭に手術を受けた直後。歩くのもままならない状態となると、旅行番組を観るのがとっても楽しみになるのですが、そこで番組に感化されて、「自分も乗りたい!」と旅行計画を始めたのでした。
この番組では、とくに印象に残るシーンがあって、それは上にも出てきた座席脇のスイッチのお話なのです。スイッチを押したら、廊下のライトが点灯して、係員を呼ぶ合図になるという。
スーシェー氏の担当となった係員は、かなりのベテランのようでしたが、新婚カップルを担当したときに、何度か間違って呼ばれたことがあると。
いえ、狭いベッドにふたりでもぐり込んで、つい間違ってスイッチを押してしまう・・・そんなお話です。
印象に残っているお話ではあるのですが、実際に乗ったらそんなことは忘れてしまって、「これは何だろう?」と、用もないのに押してしまいました。ごめんなさい。
それから、フォトギャラリーのセクションで、もっと写真を載せてみました。興味のある方は、どうぞこちらへ。