モントレーのおみやげ話
前回のエッセイでは、ケータイの「待ち受け画面」を「待ちぶせ画面」だと勘違いした友人のお話をいたしました。
「あなた、『待ちぶせ画面』に娘の写真があったわよね」と、ダンナさんのケータイで、かわいい娘を披露しようとした友人です。
その「自慢の娘」が、ひと月間カナダにホームステイするので、最初の2泊をサンフランシスコ・ベイエリアで過ごすことになりました。
ついでに友人夫婦もサンフランシスコまで付いて来るというので、まずは、サンノゼの我が家に家族3人で泊まることになりました。
娘さんは2泊ののち、カナダのバンクーバーまで飛び立つので、彼女を見送ったあとはサンフランシスコ市内に移動し、4泊して日本に戻るというスケジュールです。
我が家は、それなりに日本からの来客を歓待したことがありますので、サンフランシスコ・ベイエリアで受けそうなところは知っているつもりです。
たとえば、サンノゼの我が家からドライブするとしたら、南に1時間ほど下った、海沿いのモントレー(Monterey)やカーメル(Carmel)。
以前、フォトギャラリーでもご紹介しましたが、ここは太平洋に面した美しいカリフォルニアの海岸線を存分に満喫できるところです。
歴史的にもとっても重要な地でして、モントレーには、スペイン人がカリフォルニアを領土としようとした時代(1770年)に建てられた、プレシディオ(Presidio、要塞)があります。
プレシディオというのは、兵隊さんを駐屯させる基地みたいなものですね。
スペイン人は、最初のうちは船の上からカリフォルニアを観察していたのですが、そのうちにメキシコから探検隊を派遣し、どんな土地なのかとさぐりを入れ、魅力的な場所だとわかると、プレシディオを築いて新世界戦略の基地としたのでした(写真は、ソノマにある兵舎)。
実は、モントレーという街の名は、当時のメキシコ総督の位(メキシコのモントレー伯爵)からきていて、この方がカリフォルニアに探検隊を派遣したので、新しく「発見」したモントレー湾を彼にちなんで名付けたそうです。
メキシコはスペインの統治下にあって、スペイン国王がメキシコ総督を任命し、「新しいスペイン(New Spain)」として支配していた時代です。
その頃は、ロシアもアラスカに足を伸ばそうとしていたので、カリフォルニアを我が物とするためには、モントレーにプレシディオを建てて、しっかりと押さえておきたかったのですね。
(メキシコは1821年にスペインから独立し、カリフォルニアを統治するようになるのですが、写真は、19世紀前半のメキシコの統治時代に使われていたモントレー税関。その頃、モントレーはメキシコのカリフォルニア領土の首都となっていて、モントレー湾に停泊する船はすべて、こちらの税関検査を受けなければなりませんでした)
カリフォルニアを統治したスペイン人やメキシコ人が去ったあと、長い間、モントレーのプレシディオは米国陸軍の駐屯地となっていましたが、現在は、防衛省管轄の防衛語学研究所が置かれています(敷地には軍隊関係者しか入れませんが、プレシディオ博物館(Presidio of Monterey Museum)は無料で一般公開されています)。
モントレーと同じ頃(1769年)には、南カリフォルニアのサンディエゴ(San Diego)にもプレシディオが建てられていますので、スペイン人の時代からアメリカ人の時代へと、カリフォルニアの海沿いは、軍事上とても大切な場所であるというわけです。そう、サンディエゴには、西海岸で一番大きな海軍基地がありますものね。
そして、スペイン人の「新世界戦略」といえば、近くのカーメルには、先住民族をキリスト教化するための拠点とした、ミッション(Mission、カトリック教会)があります。
1770年、カーメルの丘の上に建てられた教会(Mission San Carlos Borroméo del río Carmelo)で、今でもカトリック教会として立派に機能しています。
歴史ある教会の中庭には美しい花が咲き乱れ、散策するだけでも、心の静まりを感じるのです。
以前、ここで執り行われた結婚式に出席し、とっても荘厳な結婚の儀に感動したことがありました。
(でも、残念ながら、彼らは数年後に離婚してしまいました・・・ダンナさんは、婚姻前にプロテスタントからカトリックに改宗したのですが、だいたい、カトリック教徒の離婚はご法度では??)。
というわけで、プレシディオ、ミッションと、ほんの少しスペイン人の時代の歴史をひも解いてみましたが、モントレーやカーメルは、今では観光地として名高いですね。
モントレーには、ひなびた感じのフィッシャーマンズウォーフ(Fisherman’s Wharf、漁船が着く埠頭)や、昔は缶詰工場だったキャナリーロウ(Cannery Row、缶詰工場の並び)があるのです。
ずっと前、わたしがサンフランシスコに来た頃にお世話になっていたおばあちゃんは、夫とともに日本から移住してきた方で、このモントレーの地に缶詰工場を持ち、たくさんの従業員を雇って、手広くやっていたそうです。
夫が亡くなり缶詰工場は人手に渡りましたが、サンフランシスコのサンセット地区で悠々自適の生活を送っていらっしゃったので、日系移民の中でも、立派に成功を収めた方なのでした。
そう、モントレーは漁港ですので、昔はイワシ(sardine)などの缶詰をつくって、全米にジャンジャン出荷していたのですね。だから、最盛期には、ここに缶詰工場が立ち並んでいた。
今では、缶詰工場跡は観光客相手のお店に変身していますが、今でも近くの海では、アワビ(abalone)が獲(と)れたりするそうですよ。
アワビといえば、先住民族の方々も大好きだったそうですが、19世紀中頃、中国人が労働者としてカリフォルニアに入ってくるようになると、彼らが海に出てアワビ獲りを始めたんだそうです。
1851年、モントレーのちょっと南のポイント・ロボス(Point Lobos、写真)に住み始めたのが最初の居住区となり、そこからカーメル、モントレーと北に移動していったのです。
そう、もともとモントレーに漁港を築いたのは、中国人の方々だったんですね!
最初はアワビ獲りから始まったものの、あまりに海が豊かなので、タラ(cod)やヒラメ(halibut)、カレイ(flounder)、ブリ(yellowtail)、イワシ(sardine)、イカ(squid)と、いろんな魚を獲るようになりました。
海辺ではカキ(oyster)など貝類も獲れたそうですが、このあたりの海には、ラッコ(sea otter)もたくさん住んでいますので、漁師さんとラッコちゃんは、ともに仲良く豊かな海の恩恵にあずかっていたのです。
ここで獲れた鮮魚はサンフランシスコにも運ばれて行ったそうですが、乾燥したアワビやフカヒレ(shark fins)は、遠く中国の広東省にも輸出されたそうですよ。その頃には、中国系漁師さんは大繁盛で、今のキャナリーロウのあたりには、立派な中華街ができていたとか!
1890年代には、日系人も住むようになり、漁をしたり、缶詰工場を建てたり、近くに農地を開墾したりして、モントレーには日本街もできていたのでした。
けれども、19世紀末には、カリフォルニア全体でアジア系移民に対する差別や偏見が厳しくなったことと、モントレーの漁港にはイタリア系の漁師が入ってきたこともあって、モントレーの街はどんどん様変わりしていくのです。
きっと、モントレーのフィッシャーマンズウォーフにイタリア系レストランが多いのも、このときのイタリア系漁師さんたちの末裔ではないでしょうか。
今では、モントレーの街には中華街も日本街も見かけませんし、近くのカーメルは、芸術家が住むようなオシャレな街(写真)に変身していますし、中国人居住区ができた頃のおもかげは、どこにも残っていません。
でも、それは、差別の中にあっても、中国系や日系の方々がたくましく別の産業に従事するようになり、このあたりの漁場や農地から離れて行ったことを示しているのかもしれませんね。
というわけで、なんとなく散漫なモントレーのお話になってしまいましたが、実は、友人家族はショッピングに夢中になっていて、歴史のお話をする機会も限られていたので、「モントレーのおみやげ」の代わりに、ここにつづってみた次第です。
追記: 文中に出てきた「わたしがサンフランシスコに来た頃にお世話になっていたおばあちゃん」ですが、この方は、ある俳優さんのおばあちゃんです。学校でピアノのクラスをとっていたとき、ご自宅のピアノで練習させてもらったり、ご自慢のパウンドケーキをいただいたりと、大変お世話になりました。
モントレーの地を訪れると、必ずおばあちゃんを思い出すのですが、まさにモントレーの歴史を体現なさる方なのです。
それから、ご参考までに、サンフランシスコ市内から「シリコンバレーの首都」サンノゼまでは、車で南に1時間くらいの距離です。サンフランシスコ空港からは、北へ20分行くとサンフランシスコ、南へ40分行くとサンノゼといった位置関係です。
来年1月には、サンノゼ~成田間にANAの「ドリームライナー」ボーイング787が就航しますので、サンノゼにもグンと来やすくなりますね。
参考文献: モントレーのプレシディオについては、米国陸軍「Presidio of Monterey」ウェブサイト“History of the Presidio” by Dr. Stephen M. Payne を参考にしました。
中国系移民が築いたモントレーの漁業については、モントレー郡歴史協会(Monterey County Historical Society)ウェブサイト“Chinese Start Monterey Fishing Industry” by Jonathan Kemp を参照しました。
また、日系人のモントレー地方での活躍については、カリフォルニア日本街(California Japantowns)ウェブサイト“Monterey”を参考にいたしました。