俳句の思い出
梅雨の日本にやってきました。
成田に到着すると、前日からの雨も上がって、
翌朝になると、気持ちのいい朝焼け。
浜離宮恩賜庭園(はまりきゅう・おんしていえん)にある「中島の御茶屋」の窓にも、水面に映る朝日が、キラキラと反射しています。
この朝は、東京の日の出は4時半くらい。
夜は6時でも、まだまだ明るく、日没は7時近く。
梅雨どきの曇天ではわかりにくいけれど、夏至に向かって、確実に日が長くなっているんですね。
普段アメリカでは出会わないような、記憶のひだが、細やかに再現されるのでしょうか。
たぶん人の記憶は、匂いとか、似たような光景とか、いろんなものが刺激となって戻ってくるものなんでしょう。
この季節の「肌ざわり」みたいなものが、子供の頃つくった俳句を、頭のすみから引っ張り出してくれました。
通学路 大きな傘が 歩いてく
これは小学校の宿題でつくった俳句で、梅雨どきの登校の様子を詠んだもの。
先生が「これはいい!」とみんなの前で発表してくれたんですが、
わたしはそのとき、「これでいいのかな?」と戸惑ったのでした。
これがいい作品かな? という疑問もあったんですが、それ以上に、これってほんとに自分の頭から出てきた一句? と、自分自身でわからなくなったのです。
なぜなら、俳句が宿題と聞いて、瞬間的に浮かんだものだったから。
どうしてそんなにすんなりとできたのか、もしかしたら先生が「例題」としてみんなに教えていたんじゃないかと、先生がみんなの前で発表するのが怖くなったのでした。
「ねぇ、あの子って先生の真似してほめられてるよ」と、クラスメートに陰口をたたかれるんじゃないかって・・・。
幸い、そんなことはなかったので、「やっぱり自分の頭に浮かんだ句なんだろう」と思い直すことにました。が、そのときの戸惑いは、今でも鮮明に覚えています。
それでも、少しは嬉しくなって「学校でほめられた」と母に話したのでしょう。
「この子ってね、この前いい俳句をつくって先生にほめられたのよ~」と、母が叔母たちに自慢したのもよく覚えています。
いえ、あのときは、ほんとに頭に「降りてきた」といった感じでした。
大人になった今でも、何かをつくろうとすると、かなり苦労するものですが、このときばかりは、すんなりと言葉がつながって句が生まれた、という感じ。
それ以来、いくら俳句を詠もうと思っても、なかなか頭に浮かばないんですけれどね。
それから、この句を思い出したきっかけは、季節の「肌ざわり」とともに、お店で見つけた「手描きハガキ」にもありました。
銀座の鳩居堂(きゅうきょどう)で見つけた、かわいらしいハガキ。
「Ka.」とサインがあるだけで、どなたの作品かはわかりませんが、わたしが小学校のときに句に添えてみたイラストとそっくりだったのです。
子供って、大きな傘をさすと、足しか見えない。
そんなシーンが俳句を生み、この方のイラストを生んだのでした。
わたしのイラストには、大好きな紫陽花(あじさい)も添えてみました。
普段は、かさこそとした、はかないイメージの花ですが、雨の日には、とたんに元気を取り戻す。
そんな凛と輝く梅雨どきの花が、通学路を明るくしてくれるのです。