Essay エッセイ
2016年07月12日

ことば遊び

アメリカの独立記念日に、日本からカリフォルニアに戻ってきました。

 

 東京あたりでは、今年は「カラ梅雨」で、そろそろ朝顔の花が似つかわしい季節なのでしょう。

 

 その一方で、両親が住む街では、ほとんど毎日雨に降られて、

 

 足の先からカビが生えるんじゃないか? と想像するほど、湿気に悩まされました。

 

 やはり、夏は一滴も雨が降らないカリフォルニアと比べると、梅雨どきの湿気はこたえますね。

 


 けれども、梅雨は嫌いではありません。

 

 ひとつに、大好きな紫陽花(あじさい)が咲くころですから。

 

 銀座の鳩居堂(きゅうきょどう)では、季節にふさわしい、木の皮でこしらえたハガキを見つけました。

 

 青い紫陽花が描かれていて、

 

 母に頼んで、書(しょ)を添えてもらいました。

 

何を書いてもらおうかと迷ったんですが、前回のエッセイでもご紹介した、わたしが小学校の頃につくった俳句にしてみました。

 

 通学路 大きな傘が 歩いてく

 

 梅雨どきの通学路は、まるで傘が歩いているようにも見えると、そんな日常のひとコマです。

 

 まあ、たいした句ではありませんが、筆で書いてもらうと立派に見えるから不思議です。

 

 普段、書をたしなむ方は、変体仮名(へんたいがな)を用いるのですが、「あなたには読めないだろうから、通常のカナを使うことにしましょう」と、母はさっさと書の構成に入ります。

 

 「歩いてく」というところは、さらにわかりやすく「あるいてく」にしてくれました。

 

 変体仮名というのは、同じ発音の漢字をくずして、ひらがなの代わりに使うことで、たとえば「あ」には「阿」をくずしたり、「い」には「以」をくずしたりと、いろんな風に文字を当てはめて変化をつけること。くずされた漢字が読めないと、書を楽しむことができないという難点もあります。

 

 そう、変体仮名を駆使するのは、とっても高度で風流な「お遊び」みたいなものでしょうか。

 

 何が「おさまりが良い」のかと、それぞれの感性が生きてくるのです。

 


こちらは、もう一句、母が書道のお題目の中から選んでくれたもので、

 

 やはり、梅雨どきの様子を詠んだもの。

 

 紫陽花や 白よりいでし あさみどり

 

 紫陽花の花びらが、白から浅緑(あさみどり、薄い緑)へ、そののち濃い青やピンクへと変わっていく様子が、美しく描かれています。

 

 こちらは、俳人・渡辺 水巴(わたなべ すい)が、晩年の昭和20年(1945年)に詠んだものだそうです。

 

紫陽花は、別名「四葩(よひら)」とか「七変化(しちへんげ)」と呼ばれるとか。

 

 かわいらしい四つの花びらが、日ごとに色を変化させるのが、梅雨どきの楽しみでもあります。

 


 こちらは、やはり母が選んで書いてくれた、与謝 蕪村(よさ ぶそん)の句。

 

 みづうみへ 富士をもどすや 五月雨

 

 この句では、変体仮名が使われていて、「みづうみへ」の「へ」には「遍」を、「富士を」の「を」には「越」が使われています。

 

 「湖」や「富士」には、ひらがなを使い、「へ」と「を」は漢字をくずして変化をつけているのです。

 

 「五月雨」は、普通は「さみだれ」と読みますが、この場合は「さつきあめ」と読みますね。「五月の雨」ではありますが、新暦の梅雨(6月)の季語だそうです。

 

 なんでも、霊峰・富士には、琵琶湖から湧き出したという神話があるそうで、降り続く大雨で、その霊峰をも引き戻しそうなくらいに水かさが増えた湖を描いた句だそうです。

 

 奥が深い一句ではありますが、わたし自身は、「しとしとと降る雨つぶが、まるで本物の富士山を湖面に(バーチュアルに)再生しているようだ」と、ヘンテコリンな解釈をしていたのでした。

 

 けれども、やはり「富士をもどすや」というのは、「湖に霊峰を引き戻す」と解釈すべきなんでしょうねぇ・・・(なんとも難しいものです)。

 

というわけで、時節がら、もう梅雨の季語ではなく、真夏の季語を使わなくてはならない時期にきているのでしょう。

 

 けれども、もう少し紫陽花の「七変化」を楽しんでいたい気もするのです。

 

 

追記: 与謝 蕪村の句の解釈については、以下のブログを参照いたしました。

 

Yahoo!ブログ 『雁の棹』(t38*4*04氏執筆)より、

2011年6月11日掲載「五月雨、皐月雨:蕪村の絵画的俳句」

 

 なんでも、夏を表す季語には「短夜(みじかよ)」というのもあるそうです。夏は、日が長くて、すぐに夜が明ける、という意味。

 

 こちらは、上記ブログで紹介されていた蕪村の句です。

 

 短夜や 浅井(あさい)に柿の花を汲む

 

 ある夏の早朝、浅井戸の水を釣瓶で汲んでみると、偶然にも柿の花が浮かんでいた、という美しい一句。

 

 「短夜」も「柿の花」も夏の季語ですが、「紫陽花」と同じように、6月の季語だとか。

 

 どこまでも、梅雨どきの季語に心ひかれるのでした・・・。

 

 


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