長い道のり
- 2008年08月01日
- エッセイ
前回のエッセイで、結婚式や花嫁さん(と花婿さん)のお話をいたしました。
けれども、考えてみると、結婚というのはゴールじゃなくって、ほんとうはスタートラインなんですよね。
まあ、互いに他人のふたりが結婚というゴールにたどり着いたのは大変おめでたいことではありますが、実は、このゴールはまた新たなスタートになっていて、これから先、長い道のりにはいろんな「障害物」が出てくるわけですね。
ある意味、結婚生活というのは、二人三脚でやる障害物レースみたいなものでしょうか。
(こちらの写真は、中国・上海市で撮影した屋外結婚式)
そうですねぇ、日本だけじゃなくって、アメリカでも結婚というのは婚約時代の暢気さとは大きく異なるものでして、やはり結婚ともなると、あちらの家とこちらの家の結び付きみたいな意味合いが強くなってくるのですね。そう、本人たちだけの問題ではなくなってくるみたいな。
わたしのお友達が、以前、こんな体験談を語ってくれました。5月に結婚した彼女は、その年の11月末の感謝祭に、ダンナさんの両親を新居にお呼びすることにしました。
最初の感謝祭であり、しかも初めて新居にお招きするということで、彼女は張り切ってお料理に挑戦しました。「お袋の味」を再現しようと、ダンナさんからお義母さんのレシピも聞き出したし、料理の本を買ってきて感謝祭ディナーの基本もしっかりと学んだようです。大きな七面鳥の丸焼きに加えて、ダンナさんの好物であるミートローフとマッシュポテトは絶対にはずせません。
彼女の頑張りの甲斐あって、感謝祭のディナーはおおむね良好に進んだようですが、食後のひととき、暖炉の前に立っていたお義母さんがこんなことを言ったそうです。「あらまあ、ここがきちんとお掃除できてないわぁ。」
お義母さんは、暖炉のマントルピースの上にうっすらとたまっているホコリを指摘していたのですが、そう言うお義母さんの方を見ると、「ほら」と言わんばかりに人差し指が立っていたそうです。そう、ツーッと人差し指をマントルピースの上に這わして、どれだけホコリがたまっているかチェックしていたとか!
わたしはこの話を聞いて、日本の障子を思い出してしまいました。義理のお母さんが新居にやって来ては、障子の桟(さん)に指を這わせ、「あら花子さん、ここにホコリがたまっているわよ」と嫁に指摘する構図を。
いやはや、アメリカもまったく同じなんですねぇ。なるほど、日本の障子とアメリカのマントルピースは同じ役目を果たしているのでしょうか。
お料理に夢中だった彼女が、マントルピースにまで気配りができなかったのはよくわかるのですが、もしかしたら、彼女自身お掃除が苦手で、それをやんわりと(?)お義母さんが指摘していたのかもしれませんね。
彼女のダンナさんは、東海岸はボストン近郊の出身で、お父さんは自分で設立した会社を成功させた方だそうです。そんなわけで、今はお手伝いさんを雇う余裕もあるのでしょうが、結婚した当初は、お母さんが一生懸命に家事と子育てに専念なさっていたことでしょう。そういう「主婦業のプロ」からすると、彼女がいかにも頼りなげに見えたのかもしれません。
このように、新婚時代は義理の両親との「遭遇」があるわけですが、そのうちにまた別の問題が起きてきますよね。そう、子供の問題。
実は、アメリカでも「お世継ぎ」みたいな概念がありまして、男の子には跡継ぎの男の子が生まれて欲しいと願う人もたくさんいるようです。もともとアメリカは、イギリスから移住してきた清教徒の農耕文化をもとに発展した国ですものね。農家が男の子の跡継ぎを願うのは、ごく自然な伝統だったのかもしれません。
これに関しては、先日、新聞の相談欄にこんな悩みが掲載されていました。
わたしは17歳のときに、もう子供ができないと医者に告げられたのですが、4年前に結婚した相手はそれでもまったく構わないと納得してくれています。けれども、彼のお父さんが問題なのです。お義父さんはひとり息子なので、自分のひとり息子である主人に男の子を作ってほしいと願っていて、「死ぬ前には、孫息子の顔を見てみたいものだ」と、いつもプレッシャーをかけてくるのです。
主人は正直に話すべきだと言うのですが、お義父さんたちに嫌われたくありません。それに、何か言われたら、わたし自身が悲しくなってしまうと思うのです。わたしはどうすればいいのでしょう。
それに対する回答は、「ご主人に賛成です」でした。ご両親にざっくばらんに事実を話すべきですと。
お義父さんには、彼の言うことがどんなにあなたを傷つけているのか、理由を含めてちゃんと説明してあげてください。もしそれであなたが嫌われることになったら、それはあちら側の問題ではありませんか。それに、仮にあなたに子供ができたとしても、それが女の子でない保証などまったくないではありませんか。
そう、わたしも回答者に賛成でした。いくら願っていても、叶えられないことはたくさんあります。それで誰かに嫌われるかもと悩むのは、心の健康に悪いではありませんか。
アメリカでは、日本以上に養子制度が発達していて、養子を取ること(adoption)を「あっぱれなことだ」と歓迎する風潮もあります。そんな国だからこそ、この方だって養子を考えてもいいのになと思ったことでした。
と、結婚というスタートラインを踏み出したカップルが直面しそうなことを書いてみましたが、ある程度、結婚生活が続いてくると、互いの心にも少しずつ変化が訪れてきますよね。
そう、だんだんと落ち着いてくるような感じ。
実は、おもしろい学説があって、新婚当初は、人間の体の化学作用も大いに結婚生活の助けになっているというのです。
これは、ドイツのマックス・プランク研究所のアンドレアス・バーテル博士という若い研究者がおっしゃっていることですが、人が恋に陥ると、ふたつのことが脳の中で起きるのだと。
ひとつは、恋心を感じることで、脳の中で幸せを感じる物質がどんどん分泌され、幸福や喜びや刺激をもっと強く感じるようになる。そして、それと同時に、冷静に判断を下す部分の働きが鈍り、客観的な判断を下せなくなる。
要するに、恋をするとフワ〜ッと感じると同時に、相手のことが何でもいいように見えてくるということでしょうか。英語のことわざにもこんなのがありますよ。Love is blind(愛は盲目)。日本語ではこうでしょうか。痘痕(あばた)もえくぼ。
どうして、こんな風な化学作用が起きるのかというと、結婚して子供が生まれた場合、お父さんとお母さんが仲良くふたりで子育てができるように、種の保存のメカニズムになっているのだということです。
そして、この作用が続くのは、最初の2、3年だけ。そう、2、3年経つと、この「Love is blind」マジックは消えてなくなるのです。
すると、そこで愛は消えてなくなるのでしょうか。いいえ、多分、そこからは本当の愛情が生まれるのでしょうね。
そうそう、結婚70年のイギリスのおじいちゃん、おばあちゃんが、とってもいいことをおっしゃっていましたよ。
「一時的なのぼせあがりが消えてなくなると、そこに初めて本物の愛情が生まれるものだよ (When infatuation settles down, that’s when love comes)」と。
毎日ケンカを繰り返しながらも、70年も一緒に暮らした方々がそうおっしゃるのですから、結婚とはきっとそんなものなのでしょう。
タッチ方式花盛り:アップルさまのiPhoneとマイクロソフトSurface
- 2008年07月30日
- 業界情報
タッチ方式花盛り:アップルさまのiPhoneとマイクロソフトSurface
そう、今年に入って、ブッシュ大統領はアフリカ、ヨーロッパ、アジアと精力的に観光旅行に出かけておりましたが、先日は、ワインの名産地である北カリフォルニアのナパにまでやって来ました。史上稀に見る山火事の惨事を視察するという名目ですが、2時間滞在したナパでは、その実、ヘリコプターツアーの後に、おいしいワインでも試飲していたのでしょう。
さて、そんな7月は、シリコンバレーの最近の表情をお伝えすることにいたしましょう。今回は、おまけの話も入れて5つありますので、どうぞごゆるりとお読みくださいませ。もちろん、アップルさまの「iPhone 3G」ははずせませんね!
<違反者が妙に少ない!>
先月号のおまけ話で、「DWT(Driving While Talking)」という新しい交通用語をご紹介いたしました。そう、7月1日から、カリフォルニア州では携帯電話のハンズフリー機能が義務化され、違反者はどんどん摘発されることとなりました。
ところがどっこい、「違反を厳しく取り締まってやる!」と意気込んでいたカリフォルニア・ハイウェイパトロール(CHP)の期待は、見事に裏切られる結果となりました。なぜって、ハンズフリー条例は州内津々浦々まで行き渡り、違反者の数が思いのほか伸び悩んでいるからです。
条例施行初日、サンノゼ市界隈では、違反者はたったの12人。施行から1週間で、州内の違反者はわずか991人。このままのペースでは、州全体で一年に5千人しか違反者が出ないことになります。スピード違反は年間117万人、シートベルトを着用しない違反者は、年間20万人もいるのに。
もちろん、違反者が少ないのはいいことですが、警察の収入源が減ってしまうのではないかと、ひとごとながら心配してしまいます。ただでさえ、カリフォルニア州はお金がなくて困っているのに。
このハンズフリーの違反者の少なさは、そのまま携帯電話に対する一般消費者の関心の高さを表していると思うのです。「運転中にケータイは迷惑!」とか「ケータイを長時間利用すると脳に悪影響を及ぼすかも」なんていう話題には、人々の関心が一気に集中するのです。まさに「ケータイ」のひと言は、新聞の見出しやウェブサイトのヘッドラインにはもってこいなのです。
けれども、個人的には、それだけではないような気がしています。なぜって、近頃、車を運転する人が減っているように見受けられるからです。ドライバーの数が減ると、自然と違反者も減ってくるでしょう。
たとえば、こちらは、7月中旬の平日午後5時の写真です。シリコンバレーの幹線道路のひとつであるフリーウェイ280号線を撮っています。普段なら、平日午後5時ともなると、フリーウェイの混雑はピークではありませんか。けれども、近頃はこんなにすいているのです。ということは、車を使って通勤している人が激減した(?)
そうなんです。5月下旬に、シリコンバレーあたりのガソリン平均価格がガロン当たり4ドルを突破したあと、ずっと4ドルから5ドルの間で高止まりしています(1ガロンは、3.8リットル)。大きな車を満タンにするには、軽く100ドル(約1万円)を越えるそうで、「こんなんじゃやってらんないよ!」と、バス、電車、列車、フェリーの交通機関に乗り換えたり、「いっそのことオフィスには行かないよ!」と在宅勤務にスイッチしてみたりと、ライフスタイル自体を変えてしまった人が増えているようです。
なんでも、全米公共交通機関協会によると、ここまで公共の交通機関が愛用されているのは、半世紀前の1957年以来の現象なんだそうです!
ガソリン価格の高騰に対抗しようと、こんな光景も見かけるようになりました。トヨタのハイブリッド車「プリウス」など、新しいコンセプトの車が大受けするシリコンバレーでは、ドイツのダイムラーの子会社スマート(Smart GmbH)が製造するスーパーミニカーが街に出回り始めたのです。
こちらの写真は、同社のかわいい二人乗りミニカーをサンノゼの街中で試乗しているところです。
環境保護や新しいテクノロジーにうるさいシリコンバレーでは、トヨタのプリウスは大ヒット作となっています。昨年7月には、「シリコンバレーのベストセラー車」とうたわれていましたが、それは今でも変わっていないのではないかと思います。
そこに、スマート社の超小型ガソリン車「ForTwo」が加わったことで、プリウスとForTwoとどっちにしようかなと迷う人も出てくるのかもしれません。
まあ、厳密に言うと、ForTwoの燃費はプリウスには劣るようですが、「僕は環境問題をしっかりと考えているんだよ」と意思表示をするには、かなり目立つ、好材料となりますね。
実は、わたしもスマート社のスーパーミニカーを利用したことがあって、小型ながら、その馬力には驚いた記憶があります。
エーゲ海に浮かぶギリシャのサントリーニ島でレンタカーとして借りたのですが、狭くて入り組んだ街中やアップダウンのある幹線道路を運転するには、まさに最適の車でした。
大型車の多いアメリカでは、安全性の面で若干の不安は伴いますが、オフィスに通ったり、家の近くを移動したりする分には、充分かもしれません。
だってアメリカ人って、基本的にケチなんですよね。ガソリン代が浮くと聞けば、どんな方法でも採用したいと思うのかも。
< You can do it! >
いえ、たいした話ではありません。ビジネス番組で車の燃料効率(fuel efficiency)を取り上げていたのですが、キャスター曰く、「ホンダのフィット(コンパクトなガソリン車)の燃費が、フォードのSUVエスケープのハイブリッドモデルとまったく同じなら、なにも、無理してハイブリッドモデルを買わなくてもいいんじゃない? だって、ハイブリッドモデルなんて普通より高いし、第一、ハイブリッドとは名ばかりで、燃料効率はぜんぜんよくないじゃない」と。
なるほど一理ありますが、ゲストとして招かれた車業界のアナリストは、やんわりとこう反論していました。「あら、フィットなんてとても小さいから、人がいっぱい乗れないし、ライフスタイルに合わない人はたくさんいるのよ。みんながみんなホンダのフィットでいいわけはないわ」と。
それを聞いていたわたしは、意地悪くこう思ったのでした。それは、あなただからそう思うのであって、ホンダのフィットにもフィットする(スリムな)人はたくさんいるでしょうと(現にさっき、4人が乗ったフィットを見かけましたよ)。
こういう実話があるんです。テキサスの刑務所で、ある男が脱獄しました。彼はコンビニ強盗の末、人殺しまでしでかした凶悪犯なのですが、彼の脱獄ルートは、通気孔。エアコンの通気孔は独房にも完備してあるわけですが、そのわずか30センチ四方の隙間をすり抜けて、まんまと外界へ。
身長180センチの大柄な彼が、小さな穴を抜けるのは難しい。しかし、刑務所に服役した4月中旬からの3ヶ月、ひたすらダイエットに励むことで脱獄に成功したようです。
ふむふむ、目的意識さえあれば、ダイエットでも何でも可能だということでしょうか。 アナリストさん、You can do it(君ならできるよ)!
<お見逸れいたしました、アップルさま>
はい、はい、わたしが悪うございました。何がって、アップルさまの新しい「iPhone(アイフォーン)3G」が、こんなに人気が出るわけはないとタカをくくっていたのです。
まあ、少しは人が並んでいるだろうと、7月11日の発売初日、のうのうと午後3時にアップルストアに向かうと、そこには予期せぬほどの長~い列。
列の最後尾にアップルストアのお兄さんが立っているので、「ここが列の最後なの?」と軽く尋ねてみました。すると、ディズニーのティーンエージャー向けの映画にも出られそうな、まつげのクリッとしたかわいいお兄さんは、こう答えるのです。「いや、違うよ。ここからは見えないけれど、ショッピングモールの外に延々と列が続いているんだよ。」
ここは、昨年の元祖iPhoneの発売時に、アップルの創設者のひとりであるスティーヴ・ウォズニアック氏が一晩キャンプしていたアップルストア。サンノゼ市とサンタクララ市にまたがるバレーフェアというショッピングモール内の新し目のアップルストアです。
今年は、ウォズニアック氏は午前4時にドーナッツを持って現れ、居並ぶアップルファンたちをねぎらったとのこと。ウォズニアック氏といえば、サンノゼ市ダウンタウンの道路にも「ウォズ・ウェイ(Woz Way)」として名が使われているほどの名士(サンノゼ生まれのウォズニアック氏の愛称はウォズ)。やはり、「ウォズ氏」ゆかりの場所には、たくさんのファンが集まるのです。そして、そんな長い列をテレビ番組のクルーが取材しています。
アップルのお兄さん曰く、最後尾だと軽く4、5時間は待つことになるけれど、果たして在庫がもつかどうかは僕にはわからないと。なんでも、オンラインで行う携帯キャリアAT&T Mobilityとのサービス契約と、ひとりひとりのカスタマイズ(ユーザごとのセットアップ)に時間がかかり、なかなか列が進まないとのことです。たしかに、一度に10組を入れ替えるカタツムリのようなスピードでは、なかなか顧客ははけないのでしょう。
というわけで、アップルストアはあきらめ、AT&T Mobilityのショップに向かったわけですが、もう夕方になるのにショップは大混雑。普段はAT&Tショップなんて、どこもガラガラと相場が決まっているのに、この日ばかりは様子が違います。
ちゃんとiPhone 3Gの見本(模型じゃなくて本物)が2台も置いてあるので、もしかしたら在庫ありかと期待しながらショップの担当者に尋ねると、ちょっと呆れ顔でこう返事するのです。「iPhoneなんて、もう何時間も前に売り切れているよ。」
きっとアップルストアに比べショップには配給が少なかったのでしょう。次の在庫は、いったいいつ配達になるのかわからないといいます。ショップの前では、午前6時には長蛇の列となっていたそうですが、それもむなしく、何十人かで「打ち止め」となったのでしょう。
それにしても、アップルストアでもAT&Tショップでも痛感したのですが、並んでいる顧客層が昨年と違うのには驚いてしまいました。
昨年のiPhone発売当日には、やはりどう見ても「テクノロジーおたくっぽい人(geeks)」が集っていました。そう、あたりには「ギークの祭典」の雰囲気が漂っているのです。チラチラ見かける女性客だって、なんとなくグーグルにでも勤めていそうな、ハイテク系の香りがしていました。
ところが、今年は、若いアップルファンに混ざって「普通の消費者」と見受けられるお父さんやお母さんが目立ちました。やはり、値段がグンと下がったお陰で、iPhoneの裾野はどんどん広がっているに違いありません。
まあ、そのせいで、ギークであってもすぐには買えない!という大きな弊害が出てきましたが、裾野が広がることはアップルさまにとっては大歓迎でしょう。
最初の3日間で、全世界で100万台。今年末までには、目標1000万台。発売1年で600万台売れた元祖iPhoneを、大きくしのぐ勢いですね。
<マイクロソフトの優れもの>
「iPhone 3G」発売から数日たったある日。連れ合いがアップルストアに行くと、「1時間45分待ちだよ」といわれたそうです。列でおとなしく待つなどという芸当のできない連れ合いは、今度はAT&Tショップに向かいました。しかし、当然のことながら、そこには在庫なんてありません。その日はあきらめて、すごすごと帰って来ました。
そして、発売から10日ほどたったある日。もう我慢できないから予約しに行くといいます。とりあえず、愛用している元祖iPhoneのソフトウェアをアップグレードするという手もありますが、それをやったら途端に遅くなったという嫌~な体験談も耳にします。やっぱりどうしても新しいのを買わないといけないのでしょう。
そんな連れ合いに同行し、AT&T直営店を訪れました。月曜日の午後なので、広い店内はガラガラです。平日だからというよりも、ここには在庫がないことを皆が嗅ぎ分けているのでしょう。
まあ、何日か待つのは仕方がないと、カウンターのお姉さんに16GBモデルを注文したのですが、「いつ入手できるの?」という質問に、「そうねぇ、10日から2週間かしら」と、なんとも暢気な答えが返ってきます。ということは、7月末!
そんなやり取りを聞いていたわたしの目には、何やら新しいものが飛び込んでくるのです。なんとマイクロソフトの新手の製品が置いてあるではありませんか!
いえ、ウィンドウズ・モバイルOSを搭載した、パーム社の新しい「Treo 800w」ではありません。だって、今のところTreo 800wを販売しているのは、携帯キャリアSprintだけですから。
見かけたのはケータイの新機種ではなくって、「サーフェス(Surface)」という名のおもしろい製品。しかも、広々としたフロアには4台も置いてあるのです。
マイクロソフト「サーフェス」とは、とってもお利口さんなテーブルでして、表面を手で触ったり、いろんなものを置いたりすると、それを認識してちゃんと反応してくれるのです。製品名のSurfaceとは、「表面」という意味ですね。
大きさは昔の喫茶店のゲーム機をちょっと大きくしたくらいで、30インチのディスプレイがはめ込まれています。テーブルの表面はツルツルではなく、ちょっとザラザラっとした感じですが、きっと指紋や傷がつきにくくなっているのでしょう。
アップルのiPhone登場以来、手で触るタッチ方式、しかも複数の指で触るマルチタッチ方式は、今や大流行となっています。iPhoneの場合は、二本の指をビュッと広げれば、触れた画面が大きくなったりするわけですが、マイクロソフトは、独自のマルチタッチ方式を「サーフェス・コンピューティング」と呼んでいます。
キーボードやらマウスやらと、ともすると人と機械の接点(インターフェイス)は仰々しくなりがちですが、表面を触るだけで機械が動いてくれるようなると、ユーザにとっても一段と敷居が低くなるはず。しかも、テーブル型にすれば、もっともっと親しみ易くなるだろう。そんなコンセプトで「サーフェス」の開発が始まったようです(あとで種明かしをいたしますが、ユーザがどこを触ったか表面で直接センスするiPhoneのタッチ方式と比べ、サーフェスは異なるメカニズムを持っています)。
この「サーフェス」という製品は、アメリカでは昨年5月に発表され、それ以来メディアでも話題となっておりました。しかし、実物となると、ほとんど人の目に触れるものではありませんでした。広くお披露目となったのは、今年1月初頭のコンシューマ・エレクトロニクスショー(通称CES)あたりからでしょうか。
ラスヴェガスCES会場のマイクロソフトブースでは、群がる見学者を前に、サーフェスのさまざまなデモが行われました。
まず、写真のように、指や絵筆を使ってフリーハンドでお絵描きができるでしょう。画面上のパレットから好きな色を選べば、子供が画用紙に絵を描くように、ほんとに自由にお絵描きができるのです。
それから、デジカメをテーブルの上に置くと、あら不思議。撮影したデジタル写真が画面いっぱいに出てきます。
それを一枚、一枚、見やすいように指で動かしたり、二本の指を使ってビュッと拡大したりと写真を自在に扱えるのです。
もちろん、指定した写真をテーブル内蔵のパソコンのフォルダーに保存することもできますし、携帯電話など新たなデバイスをテーブルに置いて、そちらの方にコピーするなんて芸当もできるのです。保存やコピーをするのに、ケーブルなんていらないのです。
このCESの頃から、幅広い分野のパートナーに試験的に導入されるようになり、たとえば、シェラトンホテルを持つスターウッド・グループでは、ホテルのロビーに置かれているそうです。顧客が自分で好きな音楽を選んで聴いたり、食事やドリンクをオーダーしたりするのに使われているようです。
理論的には、顧客が選んだ音楽を自分の携帯デバイスにコピーすることもできますが、これは著作権の問題が絡んできそうですね。
おもしろいもので、サーフェスはレストランでも応用できるのです。
たとえば、ワインを注いだグラスをサーフェスの上に置くと、バーチャル・コースターがピッと現れ、そのコースターの回りにワインに関する情報が出てきます。
これは何という種類のワインで、どこで採れたブドウを使ってどんなワイナリーで造ったかとか、このワインに合うお料理はどんなもの(food pairing)だとか、そんな細やかな情報ももれなく教えてくれるのです。
このワインは好きとか嫌いとか、自分で採点もできるようになっています。
わたしが実機を見たAT&Tショップでは、さまざまな携帯電話の紹介に使われていました。
こちらの写真は、CES会場で紹介された携帯キャリアT-Mobile向けのプログラムですが、AT&Tショップでは、たとえば、モトローラ「Razr2 V9」、リサーチ・イン・モーション「BlackBerry Curve」、そしてLG「Shine」といった売れ筋の機種をサーフェス上に置くと、各々の機能やサービスプランなどを的確に紹介してくれるようになっていました。
それから、2台を同時に置き「Compare(比較)」というメニューを選ぶと、2台の機能紹介が並んで出てきて、さて、どちらがいいかなと吟味できるようになっているのです。
AT&Tでは、今年4月から本格的にサーフェスを各店舗に導入しているようです。
こんな風に、サーフェスとはなにやらマジックのようなテーブルではありますが、種明かしをいたしますと、テーブルの表面はアクリル板になっていて、その表面を赤外線の発光ダイオードが底から照らし出しています。ユーザが表面を指で触ると、そこから反射した光をテーブルに内蔵する赤外線カメラ数台が逐一追い、「ユーザがどこを触ったぞ」という情報をWindows Vista搭載コンピュータに伝達する仕組みとなっています。
上記のワイングラスやAT&Tショップの携帯電話などの物体の場合は、裏側や底の部分に小さなタグが貼られていて、これでサーフェス内蔵のコンピュータが機種や種類を識別し、各々の情報を画面に表示する仕組みとなっています。
そして、サーフェス上に置いたデジカメから写真を取り出すというトリックには、デジカメにWiFi機能の付いたものを利用し、写真やデータの保存・コピー先として使用する携帯デバイスには、Bluetooth機能が付いたものを利用します。各種デバイスと内蔵コンピュータの間で近距離の無線通信を行い、データのやり取りを実現するのですね。
わたしはAT&Tショップでサーフェスを見て、すごくありがたいなと思ったのでした。なぜって、これさえあれば、ショップ担当者が堂々と告げる「誤報」で顧客が振り回されることもなくなるからです。シリコンバレーあたりでは、ショップの担当者よりも顧客の方が製品に詳しいことも多々あります。だって製品仕様なんて、発売と同時にテクノロジーサイトで明らかにされるでしょう。だから、ときには、担当者よりも機械の方が安心な場合もあるのです。
それに、何よりも、ショップにとってもありがたいのではないでしょうか。だって説明要員に大人数を雇うこともなくなりますので。とくにAT&Tショップでは暇そうな人が多いので、AT&Tのマネージメントもちょっと頭をひねったのかもしれませんね。1台買うのと、人を雇うのはどっちがお得かって。
<おまけのお話:iPhoneを出せるアップル>
日本でもiPhone加熱はすごいらしいと、海を渡ってアメリカにも映像や情報が届いております。あの東京・表参道での華々しいカウントダウンは、CNNやシリコンバレーのローカルニュースでも目玉映像として取り上げておりました。
当然のことながら、iPhoneはアップルの製品だから人気が出るといっても過言ではないわけですが、そのアップルを取り仕切るCEO(最高経営責任者)スティーヴ・ジョブス氏のことが、ちょっと心配なこの頃ですね。
7月中旬、アップル本社のCEOフロアでジョブス氏を見かけた知り合いが、「もう信じられないくらいに痩せてたよ。腕なんか、ガリガリに細いんだから」と、ジョブス氏の様子を語っていました。
すると、それから間もなく、7月21日の第3四半期業績発表の後、アップルの株価はガクッと下がってしまいました。今期の利益は伸び悩みそうだとの予測もさることながら、「いよいよジョブス氏の健康状態は芳しくないんじゃないの?」との噂が駆け巡ったからです。
ご本人は、4年前にすい臓ガン(摘出で完治する珍しいタイプ)を克服して以来、ちょっと栄養の面で問題があると近しい人に述べているそうですが、「ちょっと心配だなあ」というのが正直な感想ではあります。悪い噂をかき消そうと、ジョブス氏ご自身がニューヨーク・タイムズ紙のビジネスコラムニストに「大丈夫だよ」と電話をかけてきたそうですが、「もしかして、それってアップルお得意の作戦?」と、わたしなどはかえって懐疑心をあおられているのです。
1997年、12年ぶりにアップルに戻ってきたジョブス氏は、それこそ目を見張るほどに会社の建て直しに成功しています。やはりアップルは、ジョブス氏でなくてはならないんです。
そして、ここシリコンバレーには、これから世界に羽ばたく若者を叱咤激励してくれる名士がなくてはならないのです。
「自分が情熱を持てるものを探し出せ。自分の心に正直に生き、自らの直感を信じる勇気を持て。ハングリーであれ、おバカさんであれ!(Stay Hungry. Stay Foolish.)」と。
出典:これは、2005年6月のスタンフォード大学卒業式にてジョブス氏がスピーチした内容を抜粋したものですが、これほど美しく、ストレートに心に響くスピーチも珍しいものだと思います。
全体は三部構成になっていて、一部では彼の人生を、二部では情熱を、三部では死を語っています。生れ落ちてすぐにジョブス家に養子に出されたスティーヴさんは、大学をドロップアウトし、ウォズニアック氏とアップルを創設して大成功を収めたものの、自分の会社をクビになり、新たに設立した会社がアップルに買収され古巣に戻るという、波乱万丈の人生を歩まれてきました。
とくにすい臓ガンの摘出手術を受けてからは、「もし今日が最後だったら」という意気込みで生きてこられたそうですが、こんな風にも語っていらっしゃいます。「死こそ、生命の最上の発明だよ。だって、死は古いものを排除し、新しいものを迎えてくれる。だから、時間は限られているんだ。この限られた時間を他人の人生を送って無駄に過ごしてはいけないよ」と。
ここで全文を和訳できないのが残念ですが、もし英語がお得意であれば、ぜひこちらをお読みください。
夏来 潤(なつき じゅん)
ナパの小さなワイナリー
- 2008年07月09日
- Life in California, アメリカ編, 歴史・習慣
一昨年の10月、ナパのふたつのワイナリーと題し、ワインの名産地ナパ(Napa)にある、新旧ふたつのワイナリーをご紹介いたしました。
そして、つい先日、久方ぶりにまたナパに行って来ました。そこで、今日は、そのときに訪れた、小さなワイナリーふたつをご紹介することにいたしましょう。
今回の小旅行は、アメリカの独立記念日(7月4日)を目前に控えた一泊旅行だったのですが、3連休を控えた週にしては、道路もあまり混むこともなく、シリコンバレーの我が家からは、2時間ほどで到着です。
そんなドライブにはちょうど良い距離ですので、カリフォルニアきってのワインの産地、ナパやソノマ(Sonoma)方面へは、もう何回も足を運んでいます。けれども、その度に何かしら新しい出会いがある、そういった魅力に尽きない土地柄なのです。
この旅で訪ねたワイナリーはふたつ。観光旅行で来ると、精力的に5つも6つもワイナリー巡りをしようと思ったりするものですが、この旅は、あくまでも骨休めのバケーション。訪ねるワイナリーも最小限にいたしました。
まず、ひとつ目に訪ねたワイナリーは、カサ・ヌエストラ(Casa Nuestra)。スペイン語で「わたしたちの家」という意味です。
このワイナリーは、一般のワイン小売店には流通していないので、今まで見たことも聞いたこともありませんでした。レストランでも、ワインリストでその名を見かけた記憶はありません。
なのに、なぜここを訪れたかというと、ナパの幹線道路のひとつであるシルヴェラード・トレイル(Silverado Trail)を北上していて、ふと、ヒマワリ畑が眼に入ったから。
ちょうど、チェックアウトしたホテルの人とヒマワリの話をしていて、ヒマワリ畑に遭遇する前、わたしの頭の中では「ヒマワリ、ヒマワリ」とヒマワリ連呼が響いていたので、これは寄らない手はないと、わざわざ車をUターンさせ、満開のヒマワリ畑に立ち寄ったのでした。
ヒマワリなんて久しぶりだなぁと一面の黄色を愛(め)でつつ、ふと子供の頃を思い出したりするのです。だって、夏休みとヒマワリは、切っても切れない関係ですものね。
すると、土ぼこりの道の突き当たりに、「ワイン・テイスティング」の看板がチラリと見えるではありませんか。なんだか農家みたいな、変わった雰囲気のワイナリーですが、「どんなワイナリーなんだろう?」と興味が勝って、寄ってみることにしました。
敷地に入ると、なんと、テントの下でテイスティングをやっています。どうやら、農家風の黄色い木造の家は、内部を改装中で、仮のテントでお客様の応対をやっているようです。
普段は、電話をかけて予約しないと、テイスティングの客を受け付けないそうですが、まさか帰れとも言えないのでしょう、「今度からは電話してね」と言いながら、ちゃんと応対してくれました。
テイスティングで紹介しているのは、5種類のワイン。白のリースリング(Riesling)とシェニン・ブラン(Chenin Blanc)、メルローとカベルネ・フランで作ったロゼ、そして、赤のカベルネ・ソーヴィニョン(Cabernet Sauvignon)とブレンドボトル。
白の2種もロゼも、いずれもかなりドライな味で、甘味はほとんどありません。一般的なカリフォルニアワインと比べると、かなり違った印象のワインです。実にストレートな、淡白なお味となっています。
赤のカベルネ・ソーヴィニョンは、珍しく、他に何もブレンドしていない100%もの。一方、ブレンドボトルの方は、ワイナリーの目の前のブドウ畑で採れた、9種のブドウをブレンドしているそうです。そのせいか、なんとなくつかみどころのない、不思議なお味。
ふ~ん、わざわざテイスティングをしていただいたのに、何も買わないのは気がひけます。それに、テイスティング担当の女性(オーナー?)を手伝って、夏休み中のティーンエージャーの娘さんも助っ人となっていることでもありますし。
そこで、白のシェニン・ブランと、赤のカベルネ・ソーヴィニョンを一本ずつ購入することにいたしました。それでも、赤は一本55ドルだったので、思ったよりも高価なお買い物となりました。
このカサ・ヌエストラは、ほんとに、ナパとは思えない印象のワインを造るワイナリーではありますが、使っているブドウは、すべて自分たちで手塩にかけて育てたもの。そして、もちろん、自然にも体にも優しいオーガニック(有機栽培)なのです。
敷地からは青々としたブドウ畑や黄色いヒマワリ畑が望めたり、庭の柵の中には、ヤギさんが放し飼いになっていたりと、なんとも豊かな自然を感じる、のんびりとしたワイナリーなのでした。
カサ・ヌエストラを後にして、シルヴェラード・トレイルを少しだけ北上すると、そこはもう、カリストーガ(Calistoga)の街。一昨年のナパ旅行では、このカリストーガの森の中に宿泊いたしました。いわゆる「ナパバレー(Napa Valley)」と呼ばれる地域の中では、最北の街となります。
この街は温泉や間欠泉でも有名なんですが、よく知られているわりに、ダウンタウンはほんの数ブロックしかありません。
目抜き通りでは、独立記念日のパレードがあると聞いていたのですが、それは、どうやら明日の記念日当日。この日は、訪れる人もまばらで、警官ふたりが暇そうに街を巡回していました。
そこで、気になっていたワイナリーに電話をかけてみます。「今から行ってもいいでしょうか」と。
そう、気になるワイナリーとは、前夜ディナーを食べたレストランで勧められたワインを造っているところ。
カサ・ヌエストラと同じく、それまで見たことも聞いたこともないワイナリーでしたが、レストランで飲んだ白のソーヴィニョン・ブラン(Sauvignon Blanc)がとても気に入り、ぜひ行ってみたいと思ったのでした。
すると、電話に出た女性が、「明日じゃダメかしら」と言うのです。そこで、「今日はもう帰るから、今日じゃないとダメ」と食い下がると、「それじゃあ、いらっしゃいな」ということになりました。
ワイナリーなのに、テイスティングを渋っていた理由は、間もなくわかりました。ここは、まだワイナリーの建物すらなく、あるのは、数人のスタッフが働く小さな事務所だけ。新しく、小ぎれいな事務所ではありますが、ここで細々とワインの受注やら発送手続きをやっています。ワインは、どこか別の場所で造っているのでしょう。
この小さなワイナリーの名は、ソース・ナパ(Source Napa)。
ソース(source)というのは、お料理のソースではなくって、原点とか、起源という意味ですね。つまり、原点に帰って、少しずつ大事に育てたブドウだけを使い、自分の合点がいくように、こだわりを持ってワインを造る。そういったワイン造り(winemaking)の哲学に則った名前なのです。
その名が示す通り、ブドウはナパバレーやごく近郊の地域で採れたものだけを使い、各々の変種(varietals)が持つ特性に、気象条件や土壌や収穫日といった細かい要素を加味しながら、ブドウの味を最大限に生かすことを念頭に置いているのです。
一年に何百万本も大量生産する大きなワイナリーとは、ひと味も、ふた味も違っているのですね。
まあ、そんなワイン哲学は置いておいて、ソース・ナパの事務所にたどり着くと、スタッフの方がドアの外に出て来て、「よく来たねぇ」と歓迎してくれます。
そして、奥の小さな会議室に通されると、スタッフに呼ばれて出てきたおじさんが、「やあ、やあ、こんにちは。僕は、トム・ギャンブルです」と、名刺を差し出します。実は、この方こそがオーナーのひとり、昨晩レストランで飲んだ「Sauvignon Blanc “Gamble”」の Gamble さんなのです。
わたしたちは、このギャンブル(賭博)という名に惹かれて、ワインを選んだというのもあったのですが(「これを選ぶのは賭け?」みたいな感じ)、何のことはない、ギャンブルというのは、苗字だったんですね。1916年の昔から、ナパの地で作物を育て酪農を営む、農業一家の名前。
そして、ワインの正式名称は、「Gamble Vineyard Sauvignon Blanc」。そう、ギャンブルさんのブドウ畑で採れたブドウを使った、ソーヴィニョン・ブランという意味。
(写真では、前面に座っていらっしゃる方がトム・ギャンブルさん。そして、後ろのふたりはスタッフの方です。)
このトムさんは、相棒のビル・デイヴィースさんと共に、2000年からワイン造りに挑戦するようになりました。相方のビルさんとは、まさに「一緒に育った」とも言える間柄。出会ったのは、近所の保育園なのです。
ワインのラベルにも使われている写真は、出会った頃の子供のふたり。トムさん一家の農場で遊んでいるスナップショットです。
相棒のビルさんの家族は、昔からワインを作っていたそうですが、トムさんにとっては、ワイン造りなんてまったく初めての経験です。
「僕は、シリコンバレーのハイテク産業で成功し、ワイン造りに転向したような今どきのオーナーじゃなくって、根っからの農民なんだよ」とおっしゃいます。
けれども、そのトムさんだって、農業技術研究で有名な、カリフォルニア大学デイヴィス校を卒業し、ちゃんとブドウ栽培(viticulture)を勉強したお方。彼のワインの説明には、そういった基礎が、しっかりと表れています。
そんなトムさんは、まず、わたしたちが一目ぼれ(?)したソーヴィニョン・ブランのコルクを開けます。
わたしたちが惹かれた理由は、よくありがちな淡白なソーヴィニョン・ブランとは違った、奥深い味わいにあったのですが、トムさんご自身も、「この複雑な(complex)味わいが自慢なんだよ」とおっしゃいます。
なんでも、これを造るには、プレストン・ソーヴィニョン(Preston Sauvignon)とマスケー(vrais Sauvignon Musque de Loire)というふたつの亜種を混ぜているそうで、そのブレンド加減が、とても奥行きのある、舌の上で変化するような、おもしろい味を出しているのですね。
(プレストン・ソーヴィニョンは、フランス・ボルドー地方から伝わったブドウの亜種で、マスケーは、パイナップルやメロンみたいな香りを持つ、トロピカルな風味のブドウです。後者は、大変デリケートなブドウなので、育てるのが難しいようですが、ワインに特徴を出すためには、ブレンドに持って来いのブドウのようです。)
もちろん、ブドウをしぼったジュースを発酵させるには、自然のイースト菌を使っています。合成のものなど使いません。その方が、優しいお味を引き出せるのだとか。
それから、秘密がもうひとつ。このソーヴィニョン・ブランの発酵には、シャルドネ(Chardonnay)を造るのに使ったオーク樽を使用しているそうです。だから、より複雑さが増しているのですね。
(細かく言うと、すべてをオーク樽で発酵させているわけではなくって、スチールタンクで発酵させたソーヴィニョン・ブランを3割ほど混ぜているのです。一般的に、ソーヴィニョン・ブランにはオーク樽をまったく使わないワイナリーもあるようですが、オーク樽とスチールタンクのワインを混ぜることによって、スッキリ味も出せるようになるのですね。)
さて、白のソーヴィニョン・ブランのお次は、赤4種の出番です。メルロー(Merlot)のブレンド、100パーセントのカベルネ・ソーヴィニョン(Cabernet Sauvignon)、高級ブレンド、そして、シラー(Syrah、または Shiraz)の4種類です。
ここで、トムさんのこだわりが言葉の端々に表れてくるのです。
たとえば、赤の代表選手とも言えるカベルネ・ソーヴィニョン。これは、トムさん一家のオークヴィルにある農園で作っているそうですが、東向きに植えたブドウと、西向きに植えたブドウは、性質が異なるのです。
ナパでは、西向きに植えた方が日照時間は長く、早く成熟する。だから、いち早く収穫することになる。そして、西向きを採り終えた頃に、ようやく東向きが収穫の時期を迎える。だから、すっかり収穫するには、何度もブドウ畑に足を運ばなければいけないのですね。
(ゆえに、収穫の担当者がブーブーと文句を言うらしいです。ちなみに、上でご紹介した白のソーヴィニョン・ブランだけで、18日間に渡り、8回も収穫に出かけたそうな。赤も入れたら、全部で何十回?)
そして、ブレンドにも使われているメルロー。自分たちで育てているメルローには、日照条件に加え、土壌という厳しい条件もあります。
そう、東向きと西向きに囲まれた真ん中の畑は、日当たりはいいけれど、サーパンティン(Serpentine soil)と呼ばれる土壌となっていて、植物にとっては過酷な土。なぜって、この蛇文石(じゃもんせき)を含んだ土は、マグネシウムの含有量が高く、窒素・ポタシウム・リンといった植物が必要とする栄養素を欠いているからです。
なんでも、マグネシウムは、植物の中に入ると、人間の血管中の悪玉コレステロールみたいな働きをし、植物の生命維持に悪さをするんだそうです。けれども、もともとカリフォルニア北部の土壌は、このサーパンティン系が多い。
だから、カリフォルニア大学デイヴィス校での研究の結果、サーパンティンに適合する根を持つ、画期的なブドウの新種を開発するに至ったんだそうです。
そんなメルローを使った、赤のブレンド。「女性がお好み」と言うだけあって、そのまろやかなお味は、まさに、わたしの好みでした。
このお味からは、土がどうのこうのというのは、まったく関係のないことですね。
いやはや、5種類のワインをテイスティングして、顔がちょっと赤らんできたトムさんでしたが、さすがに、ワインのことを話し始めると、とめどがないことをよく自覚していらっしゃるようでした。
「あ、いけない、ついオタクになっちゃった」と言いながら、わたしたちが退屈しないようにと、独立記念日の花火や、現在建築中のワイナリーの方に話題をすっとそらします。
そう、2010年には、ナパバレーのオークヴィルに、新しいワイナリーが完成する予定だそうです。きっと、小さいながらも、快適なワイナリーとなることでしょう。
このオークヴィルの地には、90年を経た、トムさん一族の家があるそうですが、今度ナパに来るときには、ぜひ家の方にいらっしゃいと誘っていただきました。そこでテイスティングをした後、ぶどう畑を案内してあげるからと。
今回は立ち寄る余裕はありませんでしたが、きっと趣のある家なんだろうなぁと想像してみたのでした。
そして、後日トムさんから送られてきたお手紙にも、「またいらっしゃい」と書き添えてあったのでした。
追記:言うまでもなく、ソース・ナパ(Source Napa)で使っているブドウは、すべてオーガニックです。けれども、以前「ナパのふたつのワイナリー」で登場したホワイト・ロック(White Rock Vineyards)と同様、わざわざ「オーガニック」であるとはうたっていません。だって、それは、ワインを造る上では当たり前のことでしょうという前提があるのですね。
それから、ワインというものは、まったく人の好みによりますので、今回ご紹介したワインは好きではないという方もいらっしゃると思います。わたし自身は、たとえばニュージーランド産のソーヴィニョン・ブランなどは苦手としているのですが、そういったワインを口にして、「こんなにおいしいワインは初めてだわぁ」とおっしゃる方もいらっしゃいますしね。
究極的には、ワインには、たった2種類しかないのです。そう、好きなワインと、好きじゃないワイン。いろんな人が、まったく違った意見を持っているので、だから、ワインはおもしろいのですね。
補記: ここでご紹介したソース・ナパは、2009年5月に Gamble Family Vineyards と改名しております。「ギャンブルさん一家のワイナリー」といった呼び名ですね。ラベルのデザインやウェブサイトもリニューアルしておりますが、中身は今まで通り「こだわりのワイン」となっています。
登場間近!:アップルさまの次世代iPhone
- 2008年06月30日
- 業界情報
Vol.107
登場間近!:アップルさまの次世代iPhone
北カリフォルニアは、山火事だらけの今日この頃です。北カリフォルニア全体で、千の山火事が燃え盛っているとも聞いています。その多くは稲妻による自然発火だそうですが、たった一日の稲妻の嵐で、一気に八百もの山火事が起こったということで、今さらながら、自然の脅威とそれに相対する人間の小ささを感じるのです。
山火事が起きると、いつも悩まされるのが、空気の状態。喉の弱いわたしなどは、近頃ずっと屋外に出られない生活を強いられています。シリコンバレーの辺りはちょっと先も見えないような、こんな状態(写真)が続いているのですが、これが春霞だと、どんなに風流なものかと痛感しております。
さて、そんな6月は、ちょっとハイテク系のお話にいたしましょう。シリコンバレーの有名人、アップルとヤフーのお話のあと、大統領選に絡むお話なども続きます。
<普通の電話になっちゃった!>
忘れもしない昨年6月29日の金曜日、鳴り物入りで登場したアップルさまの「iPhone(アイフォーン)」。アップルさまが手がけた初めての携帯電話も、間もなく、満一歳を迎えます(ご記憶にあるかとも思いますが、このiPhone売り出し初日の大騒ぎについては、昨年7月号のおまけ話でご報告しております)。
そして、すでにご存じの通り、待ちに待った今月初め、サンフランシスコで開かれたアップルさまのワールドワイド・デベロッパーズ・コンファランスで、CEO(最高経営責任者)スティーヴ・ジョブス氏が、次世代「iPhone 3G」を発表いたしました。更にパワーアップし、8GBモデルと16GBモデルの2機種となり(現行は4GBモデルと8GBモデル)、3G(第3世代)携帯ネットワークにも対応しています。
ジョブス氏曰く、3G対応のお陰で、iPhoneでのウェブアクセスも「驚くほど速い(it’s amazingly zippy)」とか(ジョブス氏によると、同じ3Gによるウェブアクセスにしても、ノキアN95やTreo 750よりも、3割方速いとのこと)。
もちろん、3Gでの消費電力を考慮し、バッテリーも強化されています(3G通話時間は約5時間)。
おまけに、GPS機能も内蔵していて、iPhoneの居場所が常にわかるようになるのです。すると、たとえば自分がいる場所から目的地までの道順だとか、近くにある行ってみたいお店だとか、まわりの道路の混雑状況だとか、そんなものがグンと検索し易くなるのです。もしお友達がiPhoneを持っていれば、「誰か近くにいるかな?」と、まわりにいるお友達を探し出したりもできるのです。GPS衛星、WiFiホットスポット、携帯電話の電波塔と、3重の構えでiPhoneの居場所を追うんだそうです。
加えて、次世代iPhoneでは、アプリケーションの開発者もグンと増え、現在、新手のビデオゲームやリアルタイムのニュース・スポーツ速報、使い易いブログソフト、人気オークションサイトへのアクセスソフトと、魅力的なソフトをたくさん準備中だそうです。新しいiPhoneの発売とともに、アプリケーション専用ショップ(iPhone App Store)も店開きするそうで、iPhoneの使い道はどんどん広がっていくのです。
いよいよ7月11日、次世代iPhoneは、本国アメリカと日本を含む世界21カ国で一斉に発売開始となります。そして、今年の終わりまでには、販売市場は70カ国にまで広がるそうです。
アメリカ市場における一番の魅力は、何といっても、そのお値段。現行の8GBモデルをとってみると、発表時599ドル(約6万円)だったものが、その後すぐに値下げされ399ドル(約4万円)に。しかし、それに比べ、新しい8GBモデルは、たったの199ドル(約2万円)! 16GBモデルだって、299ドル(約3万円)しかしません。
今まで、値段が高いのが玉に瑕(きず)で、多くのアメリカの庶民にとっては「高嶺の花」となっておりました。お陰で、iPhoneを持ち歩く人は、テクノロジーや新しい物に目が無い「おたくっぽい人(geeks)」に限られる嫌いもありました(アメリカでは一般的に、携帯キャリアや端末メーカーによる払い戻しが大きいので、だいたいの携帯電話は20ドル、30ドルで購入できるのです。日々の生活を切り詰める庶民は、自然とそちらの方に流れてしまいます)。
けれども、iPhoneの値段がここまで下がったお陰で、今まで購入を躊躇せざるを得なかった人たちも、思い切って買うことができるようになるでしょう。そして、裾野はグンと広がるはず。
このアメリカ市場における大幅な価格カットの影には、独占的にiPhoneを提供している携帯キャリアAT&T Mobilityの協力があります。今までのiPhoneには、AT&Tの補填がまったくなかったのですが、次世代からは補填が付くために、低価格で販売されることになりました。
しかし、これには条件があります。今までアップルさまにはAT&Tが利用者から徴収したデータ通信料の一部がキックバックされていましたが、これからは、それも無し。これまで、月に一律40ドルの通話料と20ドルのデータ通信料が、次世代はデータ通信料30ドルと値上げされるわりに、これをすべてAT&Tが懐にすることとなります。
そして、もうひとつ。世界のあちこちで使えるように細工する「SIMロック解除(unlocking)」を防止するために、AT&Tとの2年契約付きでしか、iPhoneを買えなくするそうです。AT&Tに2年サービスを誓わないと、iPhoneを持って店から出られなくなる!!
わたしにとっては、これが何ともいやらしいところなんですよ。今までは、こうでした。おしゃれなアップルストアで、これまたおしゃれな黒い箱に入ったクールなiPhoneを買い、大事にお家に持って帰る。そして、箱を開け、ピカピカの(誰の指紋も付いていない)iPhoneを取り出し、パソコンのiTunesに接続して、オンラインでAT&Tとサービス契約をする、という一連の儀式があったわけです。
ところが、AT&Tの2年契約が義務化されるってことは、AT&TショップでiPhoneを買えってことでしょうか? え、あのオレンジ色の安っぽいAT&Tショップで、iPhoneを買うんですか? ショップのスタッフがベタベタと触ったiPhoneをですか?
もちろん、あちらさんの悩みはよくわかります。なんでも、今までアメリカで売れたiPhoneの3分の1から半分くらいは、AT&Tとのサービス契約がまったくなされていないそうですから。それくらいは、(非合法に)海外に流れているということですね。一台に付き200ドルも次世代iPhoneの補填をして、その上、利用者の契約なしでは、AT&Tとしては泣きっ面にハチですものね。
けれども、ショップで買うiPhoneなんて、普通の携帯電話と変わらないじゃないですか。いえ、機能的には、申し分ないくらいに優れています。iPhoneの命であるウェブアクセスも格段に速くなり、その上GPS機能まで付くとなると、ちょっとやそっとでは、他のメーカーが追随できるはずもありません。
でも、感じが出ないではないですか。他のケータイではなく、iPhoneを買ったぞっていう感じが。大事な宝物を買ったんだっていう楽しみが・・・。
追記: アメリカの国の法律では、自分自身の携帯電話でSIMロック解除を行うのは許されるそうです。けれども、他人のロック解除を有償で行ったり、解除の方法を有償で教えたりすると罪になる。iPhoneの場合は、海外に流して儲けている人もいるようですから、これは立派な罪となるわけですね。
やはり、世界6カ国でしか売られていないとなると、「欲しい~!」という人は、限りなく存在するのです。
それから、世界のスマートフォン市場を見ると、iPhoneのマーケットシェアはまだまだですね。ノキアの「シンビアンS60」OS搭載機は、世界市場の実に45パーセントを牛耳っている。次いで、リサーチ・イン・モーションのブラックベリー端末は13パーセント、iPhoneは5パーセントだそうです(2008年第1四半期、出展:Canalys)。
もちろん、iPhoneは、ノキアスマートフォンやブラックベリー機に比べ、娯楽性が強く、ユーザ層も異なるわけです。けれども、次世代のiPhone 3Gが出ると、プッシュメール機能なども追加され、垣根が徐々にぼやけて来るのかもしれませんね。
< Microsoft Wants You! >
忘れもしない、2月1日の金曜日。我が家のファイナンシャルアドバイザーが、「今日、会社を辞め、新しいところに移ったよ」と、突然電話をしてきました。まあ、過去にも何回かあったことで、今度の金融機関は4社目。それでも、ここ何年かは一社に落ち着いていたので、ちょっとびっくりではありました。
そして、その2月1日。もうひとつびっくりな出来事がありました。それは、マイクロソフトがヤフーに対し、かなり強引な買収話を持ちかけたこと。
もちろん、マイクロソフトがヤフーを買いそうだという噂は、以前にもありました。しかし、正式に「これでどうだ!」と買収価格を提示されると、いきなり噂がシビアな現実となってしまうのです。
その翌週末、シリコンバレーから小1時間南に下ったペブルピーチという有名なゴルフ場では、毎年恒例のプロ・アマ・トーナメントが開かれました。が、出場予定だったヤフーCEOのジェリー・ヤン氏は、急遽欠場となりました。
我が家のファイナンシャルアドバイザーは、「僕のところに移ってくれたら」と、手土産にトーナメントのチケットを持って来てくれたのですが、晴れ渡ったゴルフ日和、いそいそと現地に出向いてみると、やはり、楽しみにしていたヤン氏の姿はどこにもありませんでした。
もちろん、ヤン氏は、ゴルフなどできる状態ではありません。ゴルフの腕前はかなりのもののようですが、あの状態でトーナメントに出場すれば、「何を考えとるんじゃ!」と、株主たちから首を絞められていたことでしょう。
ご存じの通り、3ヶ月に渡るすったもんだの末、5月初旬、マイクロソフトは475億ドル(約4兆8千億円)の買収案を取り下げました。しかし、これに対し、富豪投資活動家であるカール・アイカン氏が、どうしてもマイクロソフトがヤフーを買収すべきだとの物言いをつけ、話はどんどん複雑怪奇になっていきます。そのアイカン氏は、現在、8月1日に開かれるヤフーの株主総会で、ヤン氏をCEOから引きずり下ろし、取締役会役員を全員クビにしようと画策中です(アイカン氏自身も、新役員候補に名乗り出ています)。
その一方で、多くのヤフー株主は、マイクロソフトの買収案をヤフーが却下してしまったことに、怒りを感じています。ヤフーの株価はせいぜい二十数ドルのところ、せっかくマイクロソフトが一株33ドルで買い取ってくれると言っているのに、その大事な取引が、CEOヤン氏の「独立を保ちたい」という個人的な感情のお陰でオジャンになったと。そして、このヤン氏の采配に憤懣をあらわにする一部の株主は、カリフォルニア州とデラウェア州でヤフーを相手取り株主訴訟を起こしています。
そんな中、当のマイクロソフトは、再度ヤフーにアプローチし、今度はヤフー全体を買収するのではなく、サーチ広告ビジネスに1億ドルを支払い、ヤフー株の16パーセントを8億ドルで買い取ると持ちかけたようです。が、これに対しても、ヤフーはかたくなにお断り申し上げています。そして、すかさず、「サーチ広告分野でグーグルさんと協力することにしたからね」と発表しています。
このように、なんともドロドロとした(耳にしたくもないような)争いが続いている最中ですが、次にマイクロソフトが何を始めたかご存じでしょうか?
実力行使に出たんです。どうしてもヤフーの経営陣が耳を貸さないなら、直接ヤフーの従業員を盗んでやるもんね、という実力行使です。
こちらは、6月23日付のサンノゼ・マーキュリー新聞の中で、ビジネス欄に掲載された一面広告です。ヘッドラインは、「マイクロソフトだって、バレー(シリコンバレー)にサーチの仕事を持ってるもんね(Microsoft Has Search Jobs in the Valley)」というもの。(言うまでもなく、マイクロソフトはワシントン州レッドモンドの会社でして、シリコンバレーのお仲間ではありません。)
マイクロソフトだって、シリコンバレーには2千人の従業員を抱えていて、サーチやオンライン広告の分野には真剣なんだよ。魅力的な仕事はいっぱいあるから、君たちにとってもエキサイティングな進展となること請け合いだよ。ぜひうちに参加してみてよ、とゴチャゴチャと書いてあります。
マーキュリー紙によると、リクルートしようとしている人材は、サーチ関連のエンジニアに限らず、今年1月には、ヤフーのマーケティング部門のスタッフに宛て、マイクロソフトが直接勧誘メールを送っていたそうです。「あなたのお名前は、かねがね伺っておりました。きっと今後の行く末に不安を抱いていらっしゃることでしょう。が、あなたには、マイクロソフトでのキャリアチャンスが待っています」と。マーケティング部門に続き、エンジニアたちも、同様の勧誘メールを受け取っていたそうです。
まあ、当のヤフーのスタッフとしては、今年2月には大量人材解雇も行われているわけですから、こういったマイクロソフトのお誘いに、大きく心が揺り動かされていることでしょう。ヤフー勤務ではありませんが、「わたしのまわりなんて、マイクロソフトに勤めたい人ばっかりよ」と明言する、バレーの友人もいるくらいですから。
前線で働くエンジニアにとっては、楽しい仕事ができて、給料や福利厚生が良ければ、それに越した事はありません。それに、多くの若いエンジニアにとって、マイクロソフトがいかなる手段でネットスケープをつぶしたかなんて、まったく知る由もないでしょうから。
マイクロソフトがヤフー買収案を提示したあと、ヤフーからはトップマネージメントの離脱が続いています。とくに、二度目のマイクロソフトのアプローチを却下してからは、その離脱のスピードも速まっているようです。
1995年に設立され、人気ポータルサイトとしてインターネット第一世代の象徴ともなったヤフー。このネットの老舗が今後どうなってしまうのか、これからの成り行きが、とても気になるところではあります。
<女性大統領候補>
いやはや、残念です。残念至極です。何がって、言わずと知れた民主党の大統領候補者選びのお話です。年初はあそこまで優勢だったヒラリーさんが、どうしてオバマ氏に敗れたのでしょうか? なんだか、狐につままれたような気分です(夢だったら、どうか覚めて~)。
今年1月号でも書いておりますが、まあ、アメリカには、女性なんかには絶対に投票しないぞという有権者が多いのも事実です。「女性大統領は歓迎だけれど、ヒラリーだけは絶対にイヤ!」とうそぶく人は、その実、「女性大統領だけは絶対にイヤ!」と言っているようなものなのです。
ここアメリカ社会では、ひと昔前まで「male chauvinist(メイルショーヴィニスト、男性偏重主義者)」という言葉が横行していましたが、その言葉が死語となりつつ今も、事態はあまり変わっていないのかもしれません。相変わらず、女性初の連邦下院議長が誕生すると大騒ぎになるし(サンフランシスコ選出のナンシー・ペローシ議員)、50州もあるのに、女性州知事も極めて少ないです(現職の女性州知事は8名。デラウェア、ハワイ、ミシガン、アリゾナ、カンザス、コネチカット、ワシントン、アリゾナの8州です)。
「ガラスの天井(glass ceiling)」という言葉も、今ではあまり耳にしなくなりましたが、職場で女性が経験する数々の障壁は、いまだ健在のようです。シリコンバレーのハイテク産業だって、例外ではありません。企業の大小を問わず、女性の重役は数えるほどだし、女性CEO(最高経営責任者)ともなると、「果たして、わたしで世間の信用を得られるかしら?」と本気で心配しています。肩書きありと肩書き無しと、二種類の名刺を使い分ける女性CEOもおりますし、報道陣からのインタビューに率先して答えていると、「ちょっと待ってよ、あなたはもういいよ。僕たちは責任者に意見を聞きたいんだよ」と、発言を妨げられるCEOもいます。
今年3月末まで、オークションサイトのイーベイ(eBay)で長年CEOを務めたメグ・ホイットマン氏には、こんなエピソードもあります。ある年の株主総会で、ホイットマン氏が壇上に登場すると、「さあ、こちらがCFO(最高財務責任者)のホイットマン氏です」と、進行係に紹介されました。当のメグさんは、かなりユーモアのある方で、「はい、わたしがCFOのホイットマンです。でも、社員食堂のシェフって言われないだけ良かったわぁ」と、会場の笑いを一身にさらったそうです。
そう、政治の世界も、IT業界も、女性の参加者が少ない分、どうしても男性主導となりがちなんですよね。そして、その男性主導型が、女性が参画を躊躇する原因ともなっている。だから、ヒラリーさんが大統領になってくれればと、多くの職業婦人たちはヒラリーさんの善戦に望みを託していたことでした。
6月初頭、ヒラリーさんが敗北宣言をすると、不思議なことに、あちらこちらでメディアの自己反省が始まりました。「どうも僕たちは、ヒラリーに対し、一方的に厳し過ぎたのではないか」と。それは、ヒラリーさんの夫であるクリントン前大統領も度々指摘していたことではありますが、今頃になって自己反省とは、遅きに失するではありませんか。そんなに後悔するくらいなら、最初からピーヒャラピーヒャラと軽口をたたかなければいいのに(そういうのって、ジャーナリズムの基本中の基本でしょうに)。
けれども、そこは芯の強いヒラリーさん。6月下旬、さっそく上院議員のお仕事に戻った彼女は、まわりの暖かい拍手と声援ににこやかに応えました。そして、「さあ、これからわたしは、ベストな上院議員になれるように努力するわ」と抱負を述べています。
このヒラリーさん復帰の日、前回2004年の大統領選挙で、惜しくもブッシュ大統領に敗れたジョン・ケリー上院議員は、闘いに敗れて議員の仕事に戻るのは難しくないかとの質問に対し、こう答えています。
「息をついて、少し落ち着いたら、自分が今までよりももっといい、実力のある上院議員であることを自覚するんだよ。だって、大統領選に参加したことで、一介の州選出の議員であったときよりも、もっとたくさん国中のことを見てきているし、政策に関しても違った視点で考えられるようになるからね」と。
ヒラリーさんは、議員序列はまだまだ下の方で、重要な党のポジションや、議会の各種委員会の議長を務めることなど到底できません。けれども、ひと回り大きくなった彼女は、これからいい政治家になることは間違いないでしょう。
そうそう、この際、ここできっぱりと断言いたしましょう。誰だかはわかりませんが、日本の方が、いち早く女性総理が誕生します!
<おまけのお話: DWT >
「 DWT 」とは、何やら暗号のようですが、以前ご説明したこともある「 DUI 」の親戚となります。
DUIの方は、Driving Under the Influence。つまり、酒や麻薬(または処方薬)で体に影響を受けながらも、違法に車を運転すること。
そして、DWTの方は、新しく登場した言葉で、Driving While Talking。つまり、ケータイでおしゃべりしながら、違法に運転すること。
今までも何回かご紹介したことがありますが、今年7月1日からは、カリフォルニア州で携帯電話の「ハンズフリー」が義務化されます。Bluetoothなどのハンズフリー機能を使わなければ、車を運転しながらケータイで話ができなくなります。(いろいろと議会の事情があって、ケータイでメールを打つことは違法にはなりませんでした。そして、push-to-talk、つまりケータイのウォーキートーキー機能は、例外的に許されています。どうも、ケータイそのものを耳に当てて話すのがダメなようですね。)
一方、今年2月号でもご紹介した通り、18歳未満の未成年となると、運転しながらケータイで話すことも、文字を打ってテキストメッセージを楽しむことも違反となります。運転中、ケータイなどの電子機器を手にすること自体が禁止となるのですね。
というわけで、フリーウェイには早々と、こんな電光掲示板がお目見えしています。「Hands-free phone. July 1st. It’s the law.(7月1日からはハンズフリー電話、これは法律だよ。)」
2006年の制定後、この法律の施行までは2年もありました。だから、充分に周知されたものとみなされ、7月になると、違反者はバリバリと摘発されることになります。カリフォルニア・ハイウェイパトロール(通称CHP)も、違反者を取り締まることを、それはそれは楽しみにしています。
一回目の違反者は、20ドルの罰金にいろいろ付いて100ドル(約1万円)を取られ、2回目ともなると、それが190ドル(2万円近く)にもはね上がるそうです。カリフォルニアにいらっしゃって車を運転しようという方は、充分にお気を付けくださいね。
そう、7月1日からは、カリフォルニアのハンズフリー。7月4日は、楽しいアメリカの独立記念日。そして、7月11日は、アップルさまの「iPhone 3G」。 これだけは、カレンダーに書き込んでおきましょう!
夏来 潤(なつき じゅん)
花嫁ビ〜ム!
- 2008年06月30日
- エッセイ
6月といえば、ジューンブライド( a June bride )。そんな6月のうちに、ちょっとお話を書きたいなと思っておりました。
この前のゴールデンウィーク、日本に戻った折に、北海道の連れ合いの実家を訪ねました。
すると、連れ合いのお母さんが、思い出したように、こんなことを言っていました。
そういえば、我が息子は、あなたと初めて出会った時、想いがつのって食事も喉を通らず、ずいぶんと痩せたと言っていましたよと。
かなり前のことなので、当の本人もよく覚えていないようでしたが(覚えていないふり?)、そうやって、お母さんというものは、我が子のことを何でも覚えているものなのですね。
まあ、連れ合いが痩せたというのは本当のようですが、時が経つと、最初の興奮はどこかへと消え、代わりに違った感覚が育ってくるものではないでしょうか。
どっちがいいとか、悪いとか、そんなことではなく、それが自然の成り行きに沿った、感情の進化というものなのでしょう。
そんなことを考えながら、北海道から東京へ戻ると、いつも東京でお世話になっている方が、じきにご結婚なさるニュースを耳にしました。
ご本人から、「わたし、もうすぐ結婚するんですぅ!」とストレートに伺ったのですが、こちらは、そんな気配も感じていなかったので、エ〜ッと声を上げてびっくりしてしまいました。
けれども、連れ合いとは、「近頃、彼女きれいになったよねぇ」と話していたので、やっぱり、花嫁さんというものには、特別なオーラがあるに違いないと、ふたりで納得したのでした。
そう、まわりに、いつも、幸せの「花嫁ビ〜ム」を撒き散らしているような、そんな特別な光を放っているのです。
彼女は、表参道にある教会で結婚式を挙げたそうですが、この教会は、表側がおしゃれなカフェになっていて、結婚式が終わると、このカフェの辺りまで、新郎・新婦のカップルが行進して来るお膳立てになっているのです。
わたしも過去2回ほど、このカフェで新郎・新婦のお披露目に行き当たったことがあるのですが、結婚式に招かれていなくとも、花嫁さんと花婿さんを見るのは、何だか得したような嬉しい気分ですし、見ず知らずのカップルでも、にこにこと笑顔を振りまいてもらうと、元気をいただいたような気分になるものなのです。
(こちらの写真は、そういった偶然に遭遇した結婚式なのですが、白いタキシードに「よだれかけ」の新郎の甥っ子くんが、とってもかわいいですよね。なぜ甥っ子くんってわかるかって、新郎さんによく似ていますもの。)
そんな風に、花嫁さんを見かけると、近頃、目の奥がジ〜ンとするようになったのですが、「わたしなんてまったく関係ないのに、なんだか恥ずかしい」と思いながら、カフェの隣のテーブルをふっと見ると、やっぱり花嫁さんとは関係のない女性客の目に、うっすらと涙が浮かんでいたりするのですね。
そうなんです。近頃、教会の結婚式に招かれたりしても、涙をこらえるのに苦労してしまうのです。家族でも、親戚でもないのに、きれいな花嫁さんを見ると、祝福したい気持ちと同時に、ほっとしたような気になってしまうのですね。ほんとに、親でもないのに・・・
きっと、教会の中には、花嫁ビームがあちらこちらにエコーして、「ウルウル光線」が満ちているのではないか、なんて思ったりしているのですが。
そうそう、近頃きれいになった彼女の結婚式は、折悪しく、わたしたちがアメリカに帰る日だったので出席できなかったのですが、もし都合が良ければ、無理矢理にでも押しかけていたのにと、とても残念でした。
出席なさった方によると、「いつもとはまったく雰囲気が違っていて、とってもきれいだった」ということでした。いつもはハキハキとなさっているのですが、きっと「おすましさん」で、違った一面を見せていらっしゃったのでしょう。
どうぞ、いつまでもお幸せに!
お知らせ
- 2008年06月22日
- エッセイ
ここでちょっと、お知らせがあります。
このウェブサイト 『 夏来 潤のページ 』 では、あちらこちらで別のウェブサイトへとリンクを張っております。
そのほとんどは、わたしが毎月連載中の 『 シリコンバレー・ナウ( Silicon Valley NOW )』 というコラムへのリンクとなっておりますが、昨年11月、このコラムを掲載してくださっているインテリシンク株式会社のウェブサイトが一新されたため、こちらのページからのリンクがうまく動かなくなっておりました。
(注:現在は、『シリコンバレー・ナウ』のコラムは、当ウェブサイトに統合されております。)
本来は、一新されたときにリンクをすべて手直しすべきだったのですが、なかなか時間に余裕がなくって、そのままの状態になっておりました。が、ようやく、先日、手直しを完了し、今までの不都合をめでたく解決するに至りました!
(わたし自身もときどき経験するのですが、せっかくリンクがあるのに、それがうまく行かないと、ちょっとがっくりですものね。)
まあ、半年以上も放っておくな!というところではありますが、その辺は、どうぞご勘弁くださいませ。
というわけで、ここでちょっと、前回のエッセイのおまけ話などをいたしましょうか。
先日は、「 暑~い夏至、小鳥編 」と題し、小鳥さんたちの水浴びの様子をお伝えいたしました。
すると、今朝もさっそく、噴水には前回の登場人物である、お腹が赤い小鳥さんと黄色い小鳥さんがやって来ました。
相変わらず、その鮮やかな色で、見る者の目を楽しませてくれています。
けれども、不思議なことに、例のオレンジ色の「我が物鳥」がいないと、ふたりとも水浴びをしないんですよ。
今日は、昨日ほど暑くはないので、水を飲むだけで、水浴びすることもないかなぁと思ったのでしょうか。
それとも、我が物鳥がいないと、相手の目を盗んで水浴びするスリルが味わえないから、つまらないなぁとでも思ったのでしょうか。
いろいろと思いをめぐらせているうちに、ハタと気が付いたことがありました。
それは、赤い小鳥も黄色い小鳥も、違う個体なのではないか。つまり、とってもよく似ているけれど、先日の小鳥さんたちとは「 別人 」なのではないかと。
たしかに、そうやってよく見ると、黄色い小鳥さんの方は、どうも種類から違っているようです。お腹の黄色いところや、体のサイズはとても似通っているのですが、頭や背中の色が微妙に違っているようです。今朝の黄色鳥さんは、もっと色が薄いようなのです。
そして、赤い小鳥さんの方は、種類は先日とまったく同じでも、明らかに別人の雰囲気を持っています。
ひとつに、今朝の小鳥には、つがい(夫婦)となる相手がいるようだったし、第一、態度がまったく違うのです。
背筋もピッと伸びて、「ここは、僕の領地だ」と言わんばかりです。
そして、座っている位置もまるっきり違う! まるで王様の玉座のように、一段高い所に構えています。
実は、とってもおもしろい調査があって、小鳥の世界では、「おしゃれな男の方が圧倒的にモテる」そうなのです。
これは、れっきとした科学的な調査で、コロラド大学とアリゾナ州立大学の研究者たちが実験を行った結果として、生物学の科学雑誌 『 Current Biology 』 に掲載されたものです。
実験とは、ツバメ( barn swallow )のオスの羽根に、ちょっとした細工をすること。オスの羽根の黒い部分を、人間さんがマジックでもっと黒く塗ってあげるというものなのです。
なんだか、とても単純な細工ではありますが、実は、これが、ものすご~く効果があるのだそうです。
マジックで塗られ、より黒い羽根を持つオスは、メスにとってはとてもセクシーな異性と映り、とたんにモテるようになる(そして、交尾の回数も増える)。
まあ、そこまでは、3年前の実験でも確認済みだったことですが、今回の実験では、モテることにより、男性ホルモンであるテストステロン( testosterone )の分量も増えるということがわかったそうです。
メスが自分に魅力を感じていることがわかると、だんだんと気分がよくなって、自信もついてきて、ホルモンの増加という体内の化学変化をももたらすのではないか、と推論されています。
なんでも、体内の化学変化は、ものの一週間のうちに現れるそうです。まさに、効果テキメン! そして、見た目も、グンとスリムになる。
しかも、まったく逆に、黒く塗られなかったオスの方は、ホルモンのレベルが半分に減ってしまったとか!
なんとも過酷な実験ではありますが、この実験を行った研究者曰く、
「やはり、“服が男を作る( clothes make the man )” なのよ!」
そう言われてみれば、今朝の自信たっぷりの赤い小鳥さん、先日の赤い小鳥さんよりも、赤が鮮明だったような・・・
先日の小鳥さんは、やっぱり赤が薄いでしょ?
後記:それにしても、近頃、日本では、きな臭い事件や大地震などの天災が連続して起きているようですが、こちらの「人畜無害」のウェブサイトで少しでもホッとできるようにと、これからもがんばります!
暑~い夏至、小鳥編
- 2008年06月21日
- エッセイ
前回の「暑~い夏至」というエッセイで、ここ数日間の暑さのせいで、庭の小さな芝生もあえいでいるということを書きました。
あえいでいるのは、植物ばかりではありません。
ここまで暑いと、小鳥さんたちも辛そうにしています。そこで、我が家の小さな噴水は、恰好の水浴び場へと変身するのです。
そう、ちょうど、こんな具合に。体全体をザブンと水に浸け、「あ~、気持ちいい」と、満足げなご様子。
名前はわからないのですが、この小鳥は、お腹の部分が全部オレンジ色です。小鳥としてはかなり大きめで、前から見ると、とても華やかな雰囲気です。
いつもは、羽根に覆われフワフワとした印象ですが、水に濡れると、こんな風に、結構スリム。
この小鳥さんは、春の終わりに噴水の水を入れると、真っ先に我が家にやって来るようになった小鳥。そのせいか、「この噴水は自分のテリトリー(領地)だ」と、完全に勘違いしている。
普段は、水を飲みにやって来るのですが、ここまで暑いと、朝に夕にと水浴びに終始します。そして、自分が水を使っているときは、「ここは俺のもの!」とばかりに、我が物顔に他の小鳥を追い払う。
不思議なことに、この「我が物鳥」がやって来ると、それにつられて、他の小鳥たちがやって来るんですね。
そう、ちょうど、こんな風に。
「僕も水浴びした~い」と、ちょっと遠くに座って、順番待ちをするんです。(網戸越しに撮ったので、ちょっとボケていてすみません。)
「我が物鳥」の方は、気分がいいと、ちゃんと水を共用してあげるのです。が、気分が悪いと、エイッとアタックする振りをして、相手を威嚇する。
我が物鳥がバシャッ、バシャッ、バシャッ。
右端に見えている赤い小鳥は、それをジ~ッと、物欲しそうに見据えています。
けれども、幸いなことに、そのうちに我が物鳥も気分が良くなったようです。ジリッ、ジリッとにじり寄る赤い小鳥さんに対しても、寛容に接しておりました。
「まあ、いいだろう。許してやろう」と、言わんばかりに。
おかげで、小鳥さんも、ようやく噴水の淵まで来られました。
ところがどっこい、そうやすやすと水に入ることはできません。だって、いきなり水に入ったら、我が物鳥に怒られそうで。
そこで、赤い小鳥さん、噴水の淵にちょこんと腰掛けたまま、不動の構え。
そのままの姿勢で、約1分。我が物鳥の様子をじっと窺(うかが)います。
パチャッ、パチャッ!
ちょっと遠慮気味に、もひとつパチャッ!
この頃になると、さすがの我が物鳥も、「もう、どうでもいいやぁ」と言いたげな、投げやりな態度。
どうでしょう。
「あ~、気持ちよかったぁ」と、なんとも満足げな、ふたりの顔。
こちらは、お腹が黄色い小鳥さん。きっと赤い小鳥さんの水浴びを、遠くから見学していたのでしょう。
我が物鳥の気分を損ねないようにと、噴水の反対側にパッと着地し、水浴びを始めます。
パチャッ、足からパチャッ、お腹をパチャッ!
あくまでも、遠慮がちに、冷たい水で涼をとります。
エイッ、とやって来ては、とたんに黄色い小鳥を追い払います。
「フン、こっちの側だって、俺様の領域だいっ」と言わんばかりに。
かわいそうに、黄色い小鳥さん、ほとんど水の恩恵にあずかることができませんでした。
思うに、この黄色い小鳥さんは、赤い小鳥さんのように「にじり寄る」ことをしなかったからかもしれませんね。ジリッ、ジリッとにじり寄りながら、自分の存在を相手に知らしめることを怠った。
「これからお邪魔しますよ」と、ちゃんと仁義を切らなかった。
と言いながらも、もともとこの噴水は、我が物鳥のものではないのに・・・
ところで、この噴水には、ハミングバード( hummingbird、和名 ハチドリ) も水を飲みにやって来るのです。かなりの常連さんとなっていますが、彼は賢いので、我が物鳥がいないときにやって来ます。
ちょっとピンボケの写真なので、全体に灰色っぽく見えますが、実際には、緑色のつややかな羽根を持っています。
裏の大きな木には、どうも、このハミングバードくんが住みついているようで、噴水が始まったり、ホースで水撒きをしたりしていると、水の流れに寄って来るのです。きっと、キラキラと光る水の柱に吸い寄せられるのでしょうね。
ハミングバードの大好物は、こちらのハニーサックル( honeysuckle、和名 スイカズラ)。
なんともいい匂いの、黄色と白のかわいい花を咲かせます。花言葉は、ずばり、「愛の絆(きずな)」。これは、ハミングバードとの固い絆を表すのでしょうか。
春ともなると、我が家の脇には、ハニーサックルが咲き誇り、ハミングバードがご飯を食べにやって来るのです。
ブ~ンと、蜂のような羽音がしたと思えば、ハミングバードが耳元で羽ばたいているのです。かなり大きな羽音なので、熊ん蜂かとびっくりしてしまうのですが、ときに、チチチッと鳴きながら、あちらへこちらへと忙しく飛び回っています。
意外なことに、ハミングバードはあまり人間を恐がったりはしませんが、今朝、ボ~ッとした頭でハニーサックルの辺りを歩いていたら、あわてて逃げて行きました。きっと、ご飯の途中で大きな影がヌッと現れたものだから、さすがにびっくりしたのでしょうね。
ご存じの通り、ハミングバードはとてもすばしっこいので、写真を撮るのは至難の業です。きっとプロの写真家の方でも、相当苦労するのだと思います。じ~っと何時間もカメラを構えて、偶然やって来たところを瞬時のシャッターチャンスとする。
わたしも、もう何年もいい写真を取りたいと願っているのですが、庭の雑草取りなんかをしていると、「何してんの~?」と言わんばかりに、間近に寄って来たりするんです。もともとハミングバードって、かなり好奇心の強い生き物なんだと思います。
でも、そういうときって、絶対にカメラなんか持っていませんけれどね。
追記:それにしても、夏至ともなると、猛烈に暑いです。小鳥だけじゃなくって、こちら人間さんも、鼻の中の粘膜すらカラカラに乾いている!
午後4時には、仕事場の室温が90度(摂氏32度)となりました。さすがに、エアコンの助けを借りねば、やっていけません。
なんでも、この日は、我が家の辺りでは、最高気温は105度(摂氏40.5度)だったそうです。近くのアルマデンの谷間では、109度(摂氏42.7度)を記録したとか!
サンノゼ市のダウンタウンでも、103度(摂氏39.4度)まで上がったそうですが、これは、1973年に観測された102度という記録を(見事に?)破ったようです。
いつもは、夕方ともなると、とたんに涼しくなるシリコンバレーの夏ですが、この夏至の日ばかりは、寝苦しい夜となりました。
暑〜い夏至
- 2008年06月20日
- エッセイ
北半球では、一年で一番昼が長い日。
その昼が長〜い一日は、シリコンバレーでは、暑〜い一日となります。
今日の最高気温は、我が家の近くでは、華氏99度(摂氏37度)くらいまで上がるんだとか。もしかしたら、温度計は、もう100度を越えているのかもしれません。
ここ数日は、いやに暑い日々が続き、もうまわりの草原は、カラカラの褐色。前庭の小さな芝生も、とたんに黄色味を帯びてきました。水がいくらあっても、暑い太陽にあえいでいるようです。
こちらは、アガパンサス( agapanthus、和名:紫君子蘭)。南アフリカ原産の彼岸花の一種です。そういえば、花の形は、日本の赤い彼岸花によく似ていますよね。
こちらの株は、植えた覚えはないのですが、いつのまにか芽吹き、今年から花を咲かせるようになったもの。アガパンサスはあちらこちらに「飛び火」し、生命力はとても旺盛なのです。
こちらは、マグノリア( magnolia、和名:モクレン)。
夏が近づくと、白い大きめの花を次々と咲かせるのですが、その純白の清楚さと、なんとも言えない、上品な香(かぐわ)しさが気に入っています。
我が家のものは、「小びと(矮性)のマグノリア( dwarf magnolia )」と呼ばれ、丈はあまり成長しません。庭からの眺めを損なわないようにと、小型のものを植えてみたのですが、シリコンバレーでは、10メートルはあるかと思われるモクレンの大木を、あちらこちらで見かけます。
とくに、パロアルトの閑静な住宅街には、道沿いにずらっと植えられていて、濃い緑の立派な街路樹となっています。
こちらは、オレアンダー( oleander、和名:夾竹桃)。
夏になると、入れ替わり立ち替わりずうっと咲いているので、庭の彩りとしては、とっても重宝しています。
夾竹桃は、犬などのペットには毒となるので、嫌う人もいるようですが、乾いた土地にも元気に順応するので、我が家のまわりにも、たくさん植えられています。手入れもほとんど必要ないですしね。
白や赤、淡いピンクに濃いピンクと、色もほんとにあでやかです。
そして、こちらは、お隣さんの赤い花。名前はわかりませんが、毎年この頃になると、グングンと塀を乗り越えて来ては、鮮やかな花を咲かせます。
去年は、庭木担当のおじさんが、塀を乗り越えた時点でチョキチョキと切ってしまって、「せっかく花を楽しみにしていたのに」と、文句を言うことになってしまいました。つぼみがたくさんあるのに、切ってしまったんですよ!
塀のところまで、きっちりと短く刈り込んでいるので、そのときは、お隣さんに謝りの電話をかけたくらいです。
まあ、切った側は、「隣の植物が塀を乗り越えてきたら、切ることになっている」と、四角四面のことを言っていました。が、それにしても、つぼみの頃に容赦なくチョキンなんて、まったく風流さに欠けますよね。
ほら、こんな風に、こちらに垂れて来る様子が、なんとも風情があるでしょう。
日本には、「借景(しゃっけい)」という概念もあるではありませんか。遠くにある山や、垣根を越えて見える樹木を、まるで自分の庭の一部みたいに取り込んで、造園することですね。
だから、お隣の花も、我が家の庭に取り込んでみると、かなり芸術的だと思うのですが。
それにしても、今日は暑いです。
そう思って、部屋の温度を見ると、89度(摂氏32度)もありました!
先日、「定冠詞 the 」のお話をいたしました。
すると、これを読んでくれたお友達が、こんな意見を送ってきてくれました。
わたしも、アメリカの学校では定冠詞でとても苦労したけれど、一番記憶に残っているのは、こういう the の使い方ですと。
I want to go to the beach.
(わたしビーチに行きたいわ。)
I need to go to the bank.
(わたし銀行に行かなくちゃいけないの。)
そう、こういう場合は、どこのビーチとか、どこの銀行(支店)とか決まっていないのに、the を付けなければならない。固有名詞や特定の場所という定冠詞のルールには則していないのに。
それが、ちょっと理解に苦しみますよねと、彼女は言っていました。
たしかに、ビーチや銀行には、慣用句のように the を付けます。
つまり、go to the beach とか、go to the bank という風になります。
同様に、病院とかお医者さんにも the を付けます。
I have to go to the hospital.
(病院に行かなくっちゃ。)
I should go see the doctor.
(先生に会わなくっちゃ。注: この文中の go see というのは、go to see の簡略形です。)
(ちなみに、上の海の写真は、シリコンバレーから1時間ほど南にある観光地、モントレーの海岸です。パシフィック・グローヴという小さな半島沿いの遊歩道で撮りました。)
その一方で、ややこしいことに、the を付けない場所もあります。
たとえば、学校や教会には、the は付けません。
I go to school every day.
(わたしは毎日学校に行っています。)
I go to church every Sunday.
(毎週日曜日には、わたしは教会に行きます。)
このように、the が付かない場所もあるものですから、こればっかりは、慣れるよりしょうがないのです。お友達もこう言っていました。こういうのは、日本語の「てにをは」みたいに、感覚的に覚えるしかないんですよねと。
もしかしたら、言語学的には何かしらの法則があるのかもしれませんが、一般人にはわかり難いです。やはり、人間の言葉ですから、規則どおりに何でもカチカチと決まっているわけではないのかもしれませんね。
ちなみに、「学校に行く、go to school 」には、おもしろい表現があって、「この学校に通っている」というのを、go here と言ったりもします。
I go here.
(わたしこの学校に通ってるの。)
Do you go here? (あなたはこの学校に通っているの?)なんて質問されたりしても、びっくりしないでくださいね。
さて、話は変わりますが、前回の「ザ・定冠詞」では、道路のお話をいたしました。果たして、フリーウェイの号数に the を付けるのか、付けないのか。101号線は、「 the 101 」なのか、それとも、単に「 101 」なのかと。
前回は、北カリフォルニアでは the を付けないのに対し、南カリフォルニアでは the を付けるというご説明をいたしました。
このお話は、シリコンバレーの地元紙サンノゼ・マーキュリー新聞を参考にさせていただいたのですが、そんな重要な問題提起をした同紙の交通欄では、先日、読者による投票が行われました。北と南は、どっちが正しいのかと。
すると、それが大反響を呼びました。もちろん、96パーセントの人は「絶対に the なんか付けない!」という反応だったのですが、そんな地元住民の熱い意見をどうぞお聞きくださいませ。(2008年6月14日付、サンノゼ・マーキュリー新聞より)
NO NO NO NO NO NO. And NO ! Understood ?
(いや、いや、いや、いや、いや、いや、そして、いや!わかったわね!)
(注: 絶対にイヤだという意思表示をするときには、このように、No を7回繰り返すことがあります。ゴロがいいんですよね。)
それにしても、この方は、南の習慣がよほどお気に召さないようですね。
こういう女性もいらっしゃいました。息子がロスアンジェルスの大学に行ったとたん、フリーウェイに the を付けるようになってしまった。だから、こう言い放ったのだと。
I told him I wouldn’t tolerate that language in my house !
(彼には「わたしの家では、そんな言葉は許されないのよ」と言ってやったわ。)
「LAイズム」、つまり「ロスアンジェルス信仰」を問題にする方もいらっしゃいました。
Creeping L.A.–isms are invading our airwaves !
(忍び寄るLAイズム(ロスアンジェルス信仰)が、わたしたちの電波を占領しようとしている!)
この方は、サンフランシスコのラジオ局の放送を聞いていたら、フリーウェイ380号線に the が付けられていて、非常に憤慨したというものでした。
「 The を付けるのは、SoCal(南カリフォルニア)だけにしてくれ。だって、あっちの真似なんかしていたら、気が付かないうちに、交通渋滞だろ、スモッグだろ・・・そんな悪いものが全部押し寄せて来るよ。」
それから、こんなご意見も。
Adding “the” to freeway numbers is purely an L.A. thing, and it hurts my ears.
(フリーウェイの号数に the を付けるのは、純粋にロスアンジェルスの習慣だよ。そんなのを聞いてると、耳が痛くなってしまう。)
この方は、テレビコマーシャルに余計な the を聞き取り、非常に憤慨したそうですが、このコマーシャルがロスアンジェルスで作られたに違いない事実に、大いなる憤りを感じているのです。ベイエリアにやって来てまで、我々の仕事を奪い、その上、彼らのおかしな言葉を押し付けるなんて。
How dare they come up to the Bay Area, steal our jobs in advertising and try to force their funny language on us !
(注: How dare ~ というのは、「よくもまあ、そんなことができたもんだね」というような、毒づくときの慣用句です。)
一方、こんな冷静なものもありました。
まあ、the Santa Monica Freeway (サンタモニカ・フリーウェイ)だとか、the Golden State Freeway (ゴールデンステート・フリーウェイ)だとか、ニックネームを聞けばだいたいの場所はわかるわけだけれど、405号線のことを the San Diego Freeway (サンディエゴ・フリーウェイ)と名付けてしまうような人たちを信用できる?
だって、サンディエゴ・フリーウェイなんて、1マイルたりともサンディエゴ郡を通っていないんだよ。
Can you trust a group of people who named 405 “the San Diego Freeway” even though not a single mile is in San Diego County?
そして、そのサンディエゴからは、こんな投稿がありました。
これって「LAイズム」の最たるものなんだけど、僕みたいなサンディエガン(サンディエゴの住民)は、ロスアンジェルスと十把ひとからげにされるのが、何よりもイヤなんだよ。
This is L.A.–ism, and there’s nothing a San Diegan like me hated more than to be lumped in with L.A.
だから、この「後退した言語表現」が、ロスアンジェルスからメキシコ国境まで根付いているのを見ると、悲しくてしょうがないのだと。
なんでも、フリーウェイの号数に the を付ける習慣は、ロスアンジェルスの南にあるサンディエゴに限らず、北に位置するサンルイスオビスポ( San Luis Obispo )辺りでも息吹いているそうです。
サンルイスオビスポは、ロスアンジェルスとシリコンバレーのほぼ中間地点にあり、学生の集まる大学街( California Polytechnic State University、通称 Cal Poly のお膝元)としても有名なところです。
(写真はこの街の観光スポット、1772年に創設されたサンルイスオビスポ・ミッション、San Luis Obispo de Tolosa です。)
だとしたら、SoCal (南カリフォルニア)と NorCal (北カリフォルニア)の境界線はいったいどこ? フリーウェイに the を付ける(変てこな)習慣は、いったいどこまで侵食しているの?
マーキュリー新聞の交通担当記者ゲリー・リチャーズさんによると、観光地として有名な、海沿いのモントレー( Monterey )辺りではないかと。
でも、それだと、かなりシリコンバレー寄りではありませんか・・・
追記:日本でも、スターバックスを「スタバ」と呼ぶとか、ミスタードーナッツを「ミスド」と呼ぶとか、地域によっていろいろと違いがあるようですが、その境界線はいったいどこなのかって興味がありますよね。
「うどんの汁が濃い、薄い」の境界線は、名古屋辺りだというようなテレビ番組を観た記憶があるのですが、言葉にしても、習慣にしても、地域性というものは大事にすべきだと思います。だって、国中全部が同じだったら、まったくつまらないですものね。
ところで、数年前、ロスアンジェルス近郊のフリーウェイについて、風変わりなお話を書いたことがあります。110号線(通称ハーバー・フリーウェイ)から5号線(通称ゴールデンステート・フリーウェイ)への分岐箇所についてですが、ここでの問題を解決しようとアーティストのヒーローが現れたお話です。
興味のある方は、こちらへどうぞ。3つ目のお話「アーティストに見習え」です。
ちなみに、このお話に出てくる5号線( Interstate 5 )の看板とは、こんなものですね。
そうそう、ご説明するのを忘れておりましたが、フリーウェイの名前にもなっている「ゴールデンステート( the Golden State )」というのは、カリフォルニア州のニックネームですね。1848年の金の発見に始まる、ゴールドラッシュから来ているのでしょう。
キャーッ!
気が付けば、この「英語ひとくちメモ」のセクションを最後に更新して、一年近くではありませんか!月日が流れるのは、なんとも早いものですねぇ。
そう、最後に更新したのは、去年の7月6日。ちょうどその頃、本の執筆に取りかかり、毎日インタビューをしていたときでした。それ以降は、執筆に追いまくられ、まったく余裕がなくなって・・・と、一応言い訳をしておきましょう。
ちなみに、この本とは、いわゆる「ゴーストライター(出版業界では構成と呼ばれる)」として執筆したものでして、シリコンバレーに生まれたIT業界スタートアップ企業の成長過程や、日本とのビジネスのやり方の違いなどに焦点を当てたものです。(9月初旬に刊行予定となっております!もちろん、日本語です。後日訂正:刊行は10月上旬のようです。)
というわけで、久方ぶりの英語のレッスンは、「定冠詞 the」にいたしましょう。
なんだか、地味なお題ではありますが、実は、the の使い方というのは、英語の中でも最も難しい部類だと個人的には思っているのです。この the を使いこなせるようになれば、「あなたの英語も大したもの!」と言えるのではないでしょうか。
逆に言うと、間違ってたって、大して問題にはなりません。だって、難しいんだから、外国人が間違うのも当然みたいな感じでしょうか。
白状いたしますと、定冠詞にはとっても苦労させられた思い出がありまして、「ここに the が抜けている」だの、「ここは a じゃなくて、the だよ」だのと、論文が真っ赤になって返ってきたことも度々なのです。
いやはや、一番苦労したのは、大学院の卒業論文でしょうか。論文審査委員会の教授のひとりから、「定冠詞もめちゃくちゃで、とっても大学院生のレベルの英語ではない!」と、第一版を却下されたときには、もう泣きそうでした。
お陰で、ちょっとは慣れましたけれど・・・
というわけで、ここでちょっとだけ規則のお話をすると、不特定の名詞に付ける「不定冠詞 a」に対して、「定冠詞 the」の方は、固有名詞の前に付けたり、一度出てきた名詞を再度指すときに使いますよね。
たとえば、固有名詞の場合だと、こういうのがあります。
The Central Intelligence Agency
そう、通称 CIA のことですね。世界のあちらこちらで、スパイ活動を行っています。厳密に言うと、略語の場合でも、the CIA みたいに、最初に定冠詞を付けるのが正しい言い方です。
一方、前述の名詞がもう一度出てきて、定冠詞を使う場合だと、こういう文章があるでしょうか。
There is a house on the hill. The house has a green door.
(丘の上に家があります。その家には、緑色のドアがあります。)
まあ、ふたつ目の文章では、「その家」というのを it と置き換えることもできますが、あえて house という名詞を使ってみると、the house となりますね。
そして、このふたつの用法以外にも、前置詞 of を伴う名詞に、the を付ける慣習などもありますね。
たとえば、in the vicinity of downtown (ダウンタウンの付近)みたいに。
このように、いろいろと規則はあるわけですが、ちょっと難しいのは、固有名詞の場合でも、the が付いたり、付かなかったりと、はっきりしていないことでしょうか。
たとえば、「サンノゼ市役所」には、the は付きません。San Jose City Hall と言います。
こちらがその市役所なんですが、なんとも、近未来的な建物でしょう。2005年の夏にオープンしたばかりの新品の庁舎ですが、この写真は、まだオフィスに人が入居する以前の、できたてのホヤホヤの頃に撮影したものです。
いつかまた、サンノゼの歴史を詳しくお話するときに、市役所の場所の推移など、裏話をご披露いたしましょう。
それから、学校にも the は付けないのが普通です。たとえば、「サンノゼ州立大学」は、San Jose State University といいます。
シリコンバレーにある公立の大学というと、サンノゼ州立大学が筆頭に挙げられますが、この大学は、1857年に創設された由緒ある学校なのです。シンボルとなっている建物( Tower Hall )にも、風格がありますよね。
学校ができた1850年頃というと、サンノゼの人口もまだ4千人ほどでした。
今では、アメリカで10番目に大きい街(人口100万人弱)となり、高層ビルもだいぶ増えてきました。
こういう風に、固有名詞であっても、the が付いたり、付かなかったりするものですから、英語がネイティヴであるアメリカ人の間でも、混乱を招くこともあるようです。
最近、この辺りで話題になったものに、こんなものがありました。「フリーウェイの号数に、 the を付けるか、付けないか?」
たとえば、カリフォルニア州を南北に突っ切る101号線( US Route 101 )は、「 the 101 」なのか、それとも、単に「 101 」なのか?
いやはや、どうしてこんなに面倒くさい話題が取り上げられたかというと、サンフランシスコやシリコンバレーを中心に、カリフォルニア北部では、フリーウェイの番号に the を付けないのが普通であるのに対し、ロスアンジェルスやサンディエゴなど、カリフォルニア南部では、the を付けるからなのです。
よくテレビやラジオで、交通情報がありますよね。そういうとき、カリフォルニア北部では、こういった言い方をします。
Northbound 101 is heavy from Bayshore Boulevard to 280 due to an accident.
(101号線の北方向は、事故のため、ベイショア通りから280号線まで混雑しています。)
ところが、ロスアンジェルス辺りでは、こういう言い方をするのです。
There’s an accident on the 101.
(101号線で事故がありました。)
北部の人間にしてみれば、「わざわざ the を付けるな!」と言いたいところなのですが、南部の人にしてみれば、この定冠詞を付ける習慣には、ちゃんとしたわけがあるらしいのです。
どうも、ロスアンジェルス近郊のフリーウェイには、the Hollywood Freeway (ハリウッド・フリーウェイ)だの、the Santa Ana Freeway (サンタアナ・フリーウェイ)だのと名前が付いていて、普通は名前で呼ぶんだそうです。そのニックネームを聞けば、フリーウェイの番号がなくても、だいたいどこを通っている道路とか、行き先はどこかとか、現地の人にはわかるようになっているらしいのです。
ところが、たとえば the Ventura Freeway (ヴェンチュラ・フリーウェイ)になると、101号線と134号線の両方が含まれていて、いったいどちらの道かわからない。そういう場合は、仕方なく番号で呼ぶことになるわけですが、いつものクセで、番号にも the を付けてしまうらしいのですね。だから、「 the 101 」となってしまう。
常日頃、カリフォルニアの北と南は、あんまり仲が良くありません。当然の事ながら、何かにつけて、「ふん、やっぱりあっちはおかしいのさ」とお互いが思っているわけです。
まあ、こういうフリーウェイの名称論争に、どちらが正しいも間違っているもないことではありますが、なんとなく相手のすることが気に食わないのですね。
ちなみに、サンフランシスコの辺りでも、ちゃんとフリーウェイに名前が付いてはいるのですが、こちらは地名ではなく、人の名前が多いのです。どちらかというと、郷土に貢献した人の名前を儀礼的に付けているので、名前を聞いただけでは、いったいどの道路かわからないという事情はあるのですね。
たとえば、シリコンバレーの幹線道路ともなっている、280号線( Interstate 280 )には、Junipero Serra Freeway という区間や、John F. Foran Freeway といった区間があります。
ジュニペロ・セラさんは、カリフォルニアに最初にやって来たスペイン人の神父さんで、18世紀後半、いまだ先住民族の部族しかいなかったカリフォルニアのあちらこちらに、カトリック教会(ミッション)を建てた人です。
一方、ジョン・フォランさんの方は、カリフォルニア州選出の連邦上院議員を務めた方だそうです。
それから、280号線には、CHP Officer Hugo Olazar Memorial Highway という名前の区間もあります。きっと、これは、フリーウェイ上で殉職した、カリフォルニア・ハイウェイパトロールの警察官( CHP Officer )の方の名前なのでしょう。
そういえば、あちらこちらで「 Officer ~ Freeway 」というのを見かけますが、職務を全うしようとして犠牲になった警察官の方々に敬意を表するものなのでしょう。
というわけで、カリフォルニア北部のフリーウェイには人の名前が使われているので、誤解を生まないようにと、しっかりと号数を使う習慣ができあがったようですね。そして、その番号には、the は付けない!
ほら、看板もこんなにすっきりでしょ。280号線の南方向( 280 South )から101号線( 101)への分岐も、とってもわかりやすく表示されています。この辺りに初めて来た人にも、ちゃんとわかるようになっているんですね。
追記:実は、道路の番号だけではなくて、地域の名前にも、the を付けたり、付けなかったりと、かなりややこしいのです。たとえば、サンフランシスコ近郊の「ベイエリア」というときには、the Bay Area といいます。けれども、「シリコンバレー」は、Silicon Valley といいます。こちらには、the は付きません。
これは、多分、ベイエリアの方は、ちゃんとした地理的な表記であるのに対し、シリコンバレーの方は、地図にもない、ニックネームであるところから来ているのだと思います。
キューポラのある風景
- 2008年06月04日
- Life in California, アメリカ編, 歴史・習慣
キューポラ。なんとなく、かわいい響きですね。
英語では、cupola。同じく、キューポラと発音します。
昔から耳にしたことはあったけれども、長い間、その正体が何なのかは知りませんでした。
調べてみると、キューポラにはふたつの異なる意味があるのですが、どうやら、わたしが知りたかった方は、建築用語だったようです。屋根やドームの上に付いた、飾りみたいな、円型の小さな部屋のことだそうです。
そう、ちょうど、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂のドームに付いているような、帽子みたいに、チョコッと乗っかった部分です。
多くの場合、キューポラは単なる飾りではなく、見張り部屋として使われたり、灯台のような役目を果たしたり、通気孔として利用されたりと、かなり実用的なものだったようです。そんなキューポラの先端には、十字架や風見鶏のような飾りが付いていて、キューポラをもっと大きく、華麗に見せるような効果もあるようです。
名前のキューポラとは、ラテン語の「小さなカップ」に由来するそうで、ちょうど上品なカップを伏せたような形から来ているようですね。
なるほど、そうやってヨーロッパの写真を見直してみると、キューポラはいろんな所で使われているようですね。
たとえば、こちらの写真。これは、スイス中部にあるルツェルン湖です。湖畔に建ち並ぶホテルなどの建物に、つんつんと飛び出た部分がありますが、これが、キューポラの一種のようです。ちょうど、日本の「物見やぐら」のように、遠くが良く見えそうですよね。
どうして突然、キューポラが気になったかというと、家の外観をリモデル(リフォーム)する番組を観ていて、「キューポラ」という言葉が出てきたからなんです。
そのお家は、大きな道に面した角地にあって、もうちょっと外見でアピールしたい。だったら、持ち主の大好きなカウボーイ風の外観にして、屋根の上に、トタンで作ったキューポラを置きましょうと。職人さん手作りのキューポラは、四角い家の形をしていて、しっかりと固定するために煙突にすっぽりとかぶせ、その上に風見鶏の飾りも付きました。
さあ、これで、外観のアピール度もグンとアップです!
(こういった外から見た家のアピール度を、curb appeal 「歩道から見たアピール」と言い、アメリカでは、結構大事な要素なんですね。ちなみに、このときのキューポラは単なるお飾りで、本来のキューポラではありません)。
実は、ヨーロッパだけではなく、アメリカでも、キューポラは昔から人気のあった建築様式らしく、ニューヨーク州の北部やニュージャージー州、そして、ペンシルヴァニア州北部でも、頻繁に使われていたそうです。
一説によると、先住のインディアンの部族に備えるため、「見張り台」として使われていたということですが、それよりも、遠くまで風景を眺めるための「見晴台」という意味合いの方が強かったのでしょう。
なるほど、キューポラとは、アメリカの東側の建築様式のようではありますが、その正体がわかった今、カリフォルニア北部のサンフランシスコやシリコンバレーの写真を見直してみると、キューポラは西海岸でも健在なのですね。
たとえば、こちら。これは、サンフランシスコの市役所( City Hall )です。何とも立派な建物ですが、数年前、改築工事を経て、さらに美しく仕上がりました。金色の繊細な飾りは、そのときに付けられたものです。
こちらも、サン・ピエトロ大聖堂よろしく、立派なキューポラが空に向かってそびえ立っています。逆に、これがないと、かなり間抜けなドームになってしまいますよね。
こちらは、キューポラの拡大写真です。よく見ると、土台は円形で、本体は四角のようですね。そうなんです、キューポラは必ずしも円形ではなく、正方形や長方形、そして八角形のものもあるそうです。
おまけに、手すりが付けられているところを見ると、やはり見晴台、もしくは見張り台の意味合いが強いようですよね(何かのイベントのとき、ここに登れるのでしょうか? ぜひ登ってみたいものです!)。
「シリコンバレーの首都」とも自負するサンノゼ市にも、こんなキューポラがありました。こちらは、ダウンタウンにある聖ヨセフ・バシリカ聖堂( the Cathedral Basilica of St. Joseph )です。
ダウンタウンの目抜き通り、マーケット通りには細長い公園( Plaza de Cesar Chavez )がありますが、その道を隔てた反対側に建っています。
1803年、まだまだサンノゼが村だった頃、この場所に最初の教会が建てられましたが、その後、地震や火災で何度か建物が崩れ、現在のバシリカ聖堂は、1877年に再建されたものだそうです。
この場所がサンノゼの中心地となったのは、1797年のこと。当時は、レンガ造りの家がいくつか集る小さな村でしたが、わずか数年後には、ここに教会が建てられました。そんな古い歴史から、バシリカ聖堂は、サンノゼのカトリック教会の中でも、中心的な存在となっているのです。
たしかに、聖堂の正面階段も立派なものだし、屋根に乗っかるキューポラも、まるで背の高いウェディングケーキのように、青い空にそびえていますよね。こちらのキューポラは、どちらかというと、建築上はドームとキューポラの中間みたいな位置付けなのかもしれませんね。
歴史的な建物に限らず、キューポラは現代の建築にも生きています。こちらは、シリコンバレーのど真ん中、マウンテンヴュー市にある市役所と劇場です。同市の中心部ともいえる、賑やかなカストロ通りに建っています。
左が市役所で、右が劇場ですが、市役所の方には、四角いキューポラが付いています。
建物全体がいくつもの層に分かれ、何となく複雑なデザインですが、このキューポラからの眺めは、さぞかし素晴らしいものでしょう。なぜって、シリコンバレーには、サンノゼのダウンタウンを除いて、ほとんど高層ビルがないからです!
現代のキューポラ探し。その気になってみると、結構いろんな場所で見かけるものなのです。
こちらも、そうでしょうか? 近くの小学校の屋根に付いた、飾りのような突起物です。夕日に映えて、なかなかいいシルエットです。でも、こちらは、厳密にはキューポラではないかもしれません。想像するに、ここは吹き抜けになっていて、見晴台ではないはずなので。
けれども、「屋根に何もないと寂しいから、飾りを付けましょう」といった観点から考えると、キューポラみたいな役目を果たしているのかもしれませんね。
そうそう、これは勝手な推測なのですが、きっと家計に余裕ができると、屋根の上にキューポラを付けるというのが、昔の流行りだったのではないでしょうか。ご近所さんに対しても、ちょっと鼻高々みたいな。そういう意味では、日本の「うだつ」と同じことかもしれませんね。
そう、「うだつが上がらない」の「うだつ」。これは、どこから来ているかご存じでしょうか。実は、「うだつ」とは、屋根の上に一段高く取り付けた小屋根のことでして、これを上げるには、ある程度の財産が必要だったのですね。だから、うだつが上がった家は、財をなした家。そして、うだつが上がらない家は、残念ながら、ぱっとしない家。あまり好ましくない表現ではありますが、そういったところから、「うだつが上がらない」という言葉が生まれたのですね。
だから、西洋でも同じように、キューポラのある家は、「うだつが上がった家」だったのかもしれませんね。
この「キューポラとうだつの類似説」って、かなり説得力があるんじゃないかと自分では思うのです。が、いずれにしても、歴史的な建築様式ひとつ取っても、いろんな意味が隠されていて、「いったいどうしてだろう?」と想像を膨らましてみると、なかなかおもしろいものですよね。
追記:キューポラには、もうひとつ別の意味があって、鉄を溶かす熔銑炉(ようせんろ)のことを指します。きっと、日本で一般的に使われているのは、こちらの意味がほとんどなのかもしれません。
たとえば、『キューポラのある街』という映画の題名を聞いたことがありませんか。児童文学者の早船ちよさんの同名の原作をもとに、1962年に公開された映画ですが、鋳物職人のお父さんを持つ少女が、数々の問題に直面しながらも、まっすぐに生きていくお話なんだそうです。鋳物職人が使う熔銑炉という意味で、『キューポラのある街』という題名が付けられたのでしょうね。
主人公ジュンには、デビューしたての吉永小百合さんが扮しているそうですが、17歳の高校生だった彼女の名演技が光る、とてもいい映画となっているのでしょう。機会があったら、ぜひ観てみたいと思います。
ゴールデンウィークの旅路:やっぱり、北海道は大きいね!
- 2008年05月30日
- 旅行
Vol.106
ゴールデンウィークの旅路:やっぱり、北海道は大きいね!
いつの間にか、5月も過ぎ去る頃になり、時の経つのは早いものだと痛感しています。シリコンバレーでは、いきなり摂氏40度に達するかのような暑い日々が続いたと思えば、その次の週には、雨季の戻りのような肌寒さが続いたりしています。ここまで天気が不安定だったことは、過去にはあまりないと記憶しているのですが、やはりこれは地球温暖化の一種なのだろうかと、多少の不安も感じています。
さて、そんな今月は、ゴールデンウィーク中に旅行した北海道のお話にいたしましょう。旅行のお話といっても、いつもの通り「普通の旅行記」とは程遠いものではありますが、わたしにとって印象深いエピソードをいくつかご紹介いたしましょう。
<北の大地>
この北海道の旅は、彼の地への12回目の旅となりました。生まれ故郷と東京を除き、最も頻繁に足を運んでいる場所となります。北海道出身者を連れ合いに持つと、半ば故郷ともなってくるのでしょうか。
今回は、北海道は初めてという両親の記念旅行を兼ねていたのですが、わたし自身は四季を通して様々な名所を経験しているので、果たして行く先々で再度感動することができるのかと、それが少々気がかりな旅ではありました。
けれども、そんなことは杞憂でしかありません。飛行機が新千歳空港に降り立つとき、見渡す限り広がる木々の群れに、「北の大地」という重い響きを思い浮かべます。いったい誰が言い始めたのかはわかりませんが、この言葉は、北海道を実にうまく表現したものだと感じます。
そして、空港という都会との接点を後にして、いよいよ大地の上を駆け巡るとき、白い木々の上にチラチラと輝く新緑や、新緑を背景に山桜の淡いピンクや針葉樹の力強い緑が混じる景色に、言葉も無く見とれるのです。北海道の風景に飽きるということは決してありません。
ここには、「大地」を感じ得る場所はたくさんあります。穀倉地帯として名高い十勝平野や、どこまでも広がる道東の釧路湿原は、訪れる者に自然の雄大さを教えてくれます。
ラベンダーで有名な富良野や、その少し南に位置する美瑛(びえい)の丘陵は、北海道を初めて訪れる人々に最も好まれる場所かもしれません。この辺りをドライブすれば、まさにヨーロッパの田園風景と見まがうばかりの美しい景色の連続となり、「いったい、これが日本なのか?」と、誰もがため息をつくことでしょう。
けれども、わたしにとって一番印象的な「大地」は、ニセコの周辺かもしれません。
蝦夷富士(えぞふじ)とも呼ばれる均整のとれた羊蹄山(ようていざん)と、尻別川を隔てて対峙する主峰ニセコアンヌプリを始めとする山々に囲まれたニセコの地は、冬場はスキー客でたいそう賑わいますが、雪に閉ざされた長い冬が終わり、緑が一斉に芽吹き始める季節も、実に美しい所なのです。函館から小樽に向かう函館本線が、山を縫うようにこの辺りを通っているので、きっと古くから開けていた土地なのでしょう。
そして、このニセコの地に、かつて有島農場という農園がありました。明治31年(1898年)、後に文豪と呼ばれる有島武郎(ありしまたけお)の父が取得した農地です。
武郎の父武は、明治の藩閥政府の高級官吏で、大蔵省勤務の後、横浜税関長も務めるようなエリート役人でした。その父が、自分に万が一の事があっても家族が路頭に迷うことのないようにと手に入れたのが、狩太村(現ニセコ町)の農園でした。440ヘクタールを越える、広大な農地です。もちろん、有島家の人々が農業に従事するわけではなく、小作人たちが畑を耕すのです。
大正5年(1916年)父が他界し、いよいよ長男である武郎に農場が譲られることになると、彼は大いに悩み始めます。このまま自分は、「搾取」で成り立つ地主と小作人という理不尽な関係を続けていいのかと。
その頃、母校である札幌農学校(当時は東北帝国大学農科大学と改称)の教官を辞し、本格的な作家生活に入っていた武郎は、数年間思い悩んだ末、前代未聞のことをやってのけます。「農地解放」を宣言し、小作人全員が共有する形で有島農場をすべて無償解放したのです。そして、その翌年、自ら命を絶ってしまうのです。
そんなある意味型破りな有島武郎の生涯を記念し、ニセコ町の有島農園跡には、有島記念館が建っています。羊蹄山とニセコアンヌプリふたつの名峰を望む、立派な記念館となっています。
そして、この記念館を訪れるとき、今まで有島文学にはまったく無縁だった人も、いったいどんな人物だったのだろうかと思いを馳せるのです。
東京の裕福な家庭に生まれた武郎は、幼少の頃を東京と横浜で過ごしました。学習院に入学した頃は、当時の皇太子(後の大正天皇)のご学友にも選ばれ、土曜日ごとに吹上御所に参上していたそうです(写真は、東京・麹町区下六番町、現・千代田区六番町にある旧有島邸付近。右側が有島邸跡で、道を隔てて左側は文豪・泉鏡花旧居跡)。
しかし、どちらかというと病弱な体質であったらしく、学習院中等科を卒業すると、東京での生活を避け、札幌農学校に編入します。ここに、武郎の北海道との深い結びつきが始まります。
この農学校時代からキリスト教や西洋文学に親しみ、間もなく、アメリカへの留学も果たします。4年間に渡る欧米留学中、経済、歴史、労働問題を専攻する一方、ノルウェーの劇作家イプセンや、農奴解放を唱えたロシアの文学者トルストイとツルゲーネフ、そしてトルストイの影響を受けた思想家クロポトキン等の作品をも読みふけり、自分は百姓になるのか、教育者になるのか、それとも文学者になるのかと、大いに悩んだといいます。武郎が20代後半の頃でした。
その後、農学校の教官と作家という二足わらじをはくことになるわけですが、38歳で本格的な作家生活に入った翌々年、旺盛な創作の日々を送る武郎が発表した中に、「生まれ出づる悩み」という短編があります。文庫本80ページほどの短い作品ですが、これが作家有島武郎の代表作のひとつともされています。
そして、この作品を読むとき、いまだ身分階級制度が脈々と生き残る時代に、あえて時代の流れに逆行してまで、生活にあえぐ小作人たちに自分の農場を解放した訳がわかるような気がするのです。
この「生まれ出づる悩み」の主人公は、小作人ではなく、積丹(しゃこたん)半島・岩内から船を出す漁師です。積丹の漁村は、かつては鰊(にしん)で大いに栄えたのですが、その頃はだんだんと鰊も獲れなくなり、スケソウから鱈(たら)、鱈から鰊、鰊からイカと、漁師たちは四季を通じて厳しい漁の生活を強いられていました。
少年時代、「私」を訪ねて来たこともある主人公・木本は、抜きん出た絵の才能を持ち合わせ、将来は画家になりたいとの夢を持っていました。しかし、東京での学生生活を途中で打ち切り、故郷の岩内に戻って漁師となるのです。もう鰊が獲れないとなると、父と兄を助け、自分も船に乗らなければならないからです。
あの少年はいったいどうしただろうと思いを巡らしながら、10年目に漁師となった木本が訪ねて来て、「私」はようやく彼の生活を把握するに至ります。そして、世の不条理にさいなまれるのです。あれだけ絵の才能があり、片時も絵のことが頭を離れないくらいに自然に対する洞察力と審美眼を持ちながら、どうして彼は絵描きにはなれないのかと。世の中には、何の苦労もせず、好き勝手に生きている人間もいるというのに、彼は単に生きるために、遭難の憂き目を見ながらも、海と戦い、生活の糧である漁を続けなくてはならないのだと。
この短編を読むとき、もしかしたら、こんな武郎の熱い思いが「農場解放」に結び付いたのではないかと感じるのです。そして、その熱い思いは確固たる理想と昇華し、彼が農場解放の記念碑に刻もうと書き記した案文の中にも、如実に表れているのです。
「この土地を諸君の頭数に分割してお譲りするといふ意味ではありません。諸君が合同してこの土地全体を共有するやうにお願ひするのです。誰れでも少し物を考へる力のある人ならすぐ分かることだと思ひますが、生産の大本となる自然物即ち空気、水、土地の如き類のものは、人間全体で使ふべきもので、或いはその使用の結果が人間全体の役に立つやう仕向けられなければならないもので、一個人の利益ばかりのために、個人によって私有さるべきものではありません。(後略)」(写真は、ニセコ町の有島記念館に展示される農場解放記念碑案文)
今回の旅では、15年ぶりに有島記念館を訪ねてみました。豊かな自然に囲まれ、外見的には何も変わらないような平和なたたずまいの中にも、新しい事実を発見することができました。
一般的に、武郎の死は、人妻である『婦人公論』記者の波多野秋子との恋に身を焦がし、軽井沢の別荘での心中に至った「情死」と言われていますが、最近の研究で、そればかりではなかったのではないかという疑問が出てきたようです。
当然の事ながら、「農場解放」は当時の体制を揺るがす大事件。だから、お上や特高(思想犯を取り締まる特別高等警察)や現地の警察には大いに睨まれていた。そんなとき、有島農場の灌漑工事を理由に、武郎の片腕として農場を取り仕切っていたリーダー格の男性が、公金横領の罪で捕まり、裁判にかけられる。そして、法廷で有罪判決が下り、男性の服役が決定した一週間後、武郎は軽井沢に出向き、命を絶ったのです。
いずれにしても、武郎の死の真相は永遠に謎に包まれたままでしょうが、終始彼が悩み多き人生を歩んでいたことだけは確かなようです。
それから、先にご紹介した短編「生まれ出づる悩み」には、実在のモデルがいらっしゃるのですね。木田金次郎という、積丹半島・岩内町出身の漁民画家です。恩人とも言える武郎が亡くなった翌年、金次郎は画家に専念する決意を固めたそうですが、故郷の岩内には、彼の作品と生涯を紹介する木田金次郎美術館が建っています。
ごく新しい美術館のようで、旅から戻るまでその存在を知らなかったのですが、積丹半島の西の玄関である岩内町を訪ねるときには、ぜひ足を伸ばしてみようと思います。近くには義経伝説も残る奇岩の海岸線が連なり、きっと風光明媚な土地なのだろうと、旅のリストに載せてみました。
追記: 「生まれ出づる悩み」を収録する『小さき者へ・生まれ出づる悩み』は、新潮文庫のものを利用し、有島武郎の生涯については、巻末にある編集部作成の年譜を参考にさせていただきました。現在、書店では、岩波文庫(緑の帯)の同タイトルの方がお求め易いかもしれません。
主人公の木本が海で遭難しかかる場面などは実にうまく書けていて、失礼な言い方ですが、それを読むだけでも充分に価値のある作品かもしれません。この場面を読みながら、エドガー・アラン・ポーの短編「メールストロムの旋渦」(新潮文庫『黒猫・黄金虫』所収)を思い浮かべていたのですが、いずれの作品も「作者の体験記か?」と疑いたくなるほど、筆の力量を感ずるものなのです。だから自分は小説家にはなれないのだと、快く思い知らされたことでした。
<アイヌを感じる>
いえ、残念ながら、アイヌの血を引く方にお会いしたわけではありません。けれども、今回の旅では、アイヌ文化を身近に感じることがあったのです。
旅の二泊目は、小樽でした。石狩湾に面し、海産物で有名な地ということで、その晩は、ホテルに鮨屋さんを紹介してもらいました。
観光名所の運河近くの鮨屋さんの扉をくぐると、何やら、ニラ臭い匂いが立ち込めています。「これは、ほんとに鮨屋なの?」と後悔が頭をかすめたものの、これから外に出るわけにもいかず、仕方なくカウンターに腰掛けます。
間もなく、先客も一気に立ち上がり、狭い店内には、カウンターの隅に陣取る紳士と私たちだけになりました。すると、それまで忙しくしていたマスターは、遠来の客である私たちに、地元北海道で獲れた海の幸を次々と自慢げに披露してくれます。イカソーメンにウニ、イクラ、苫小牧のホッキ貝と、北の海ならではのレパートリーです。
そろそろ満腹になった頃、マスターが「これだけは食べて行ってね」と、一押しの隠しメニューを差し出します。巻物になったその中身は、鉄火巻きのマグロでも、かっぱ巻きのキュウリでもありません。緑色のその野菜は、ずばり、店内に充満するニラ臭さの張本人!
いえ、そんじょそこらのニラではありません。その名を「ギョウジャニンニク」と申します。北海道では「キトピロ」とか「アイヌネギ」などとも呼ばれている、ネギ科の多年生の高山植物です。外見はスズランの葉っぱに似ていて、アイヌ民族の間では、料理に使われていただけではなく、薬としても珍重されていたそうです(抗菌作用や血圧安定の効果があるようです)。
「プクサ」という名で呼ばれ、アイヌ文化にはとても重要な植物だったので、古来、衣服の文様にも使われていました。よく目にする「網の目」みたいな文様、これがプクサを表します。「悪いものを追い払い、健康でいられますように」、そんな願いを込めて、襟の部分にプクサ文様を愛用したと言われています(写真では、左の脚絆がプクサ文様の変形かと思われます)。
この霊験あらたかなギョウジャニンニク、鮨屋のマスターは、軽くゆがいて醤油漬けにしていたようですが、とにかく、体にいいらしいです。2週間ほど食べ続けると、血がサラサラになるのだとか。今話題の「メタボ対策」には、まさに持って来いの食材なんですね。
けれども、ここで注意しなければならないことは、食べた後の臭いが強烈なので、決してひとりでは食べないこと。そう、みんなで食べれば恐くない。そんな食べ物なのです。
臭いの正体はつきとめたものの、どうしてそこまで鮨屋の店内に「キトピロ臭」がこもっていたかと言うと、これまた訳がありました。実は、マスターの奥方が台湾出身の方で、彼女が店の奥で「キトピロ入り餃子」をこしらえていたのです。まかない用として作っていた餃子ですが、台湾の話で盛り上がった後、気を良くした奥方が、わざわざ水餃子にして出してくれました。さすが、本場物の餃子のおいしいこと!もちろん、皮から手作りです。
この愛想のいい奥方、なんでも、台湾のある村の村長さんの娘さんで、結婚式は大変だったんだとか。何百人という村人が集り、皆が祝いの酒を注ぎに来るので、花婿であるマスターは、何杯目か以降はまったく記憶なし。「なんとも、ふがいない花婿じゃ」と村長さんに呆れられたかどうかは知りませんが、東京で修行し、アムステルダムでも鮨を握っていたという、コスモポリタンなマスターならではのお話でございました。
追記: ちなみに、キトピロの臭いは、歯を磨いても取れません。翌朝、口の中に残る強烈な臭いは、めでたく牛乳で解消いたしました。
それから蛇足ですが、小樽という街は、昔は札幌よりも都会だったんですよ。明治期に北の玄関口として急激に発展した小樽は、大正期にかけて、札幌などの近隣の街々を大きくしのいでおりました。北前船と鰊。それが小樽の繁栄のラッキーカードです。そうそう、有名な「ソーラン節」というのは、沖で鰊を引き上げるときの沖揚げ音頭だそうです。
今は観光名所となっている小樽運河は、華やかかりし頃の荷役作業の名残ですが、現在の運河は、半分埋め立てられ整備された形になっています。「だって、あんなに運河が小さかったら、船が通れるわけないっしょ!」とは、鮨屋のマスターのお言葉でした。
<北海道弁>
もうすぐ北海道に行くんだよという話をすると、シリコンバレーでお世話になっている鍼の先生が、こんなことを言っていました。母国の中国では、ハルビン辺りの言葉が、一番標準の中国語とされているのだけれど、日本では、北海道の言葉が一番標準に近いのでしょうと。
彼女は秋田で暮らしていた経験もあり、かなりの日本通。日本語だって上手です。それに、確かにアメリカでも、ハルビンや北海道のように、雪の多いコロラド辺りが標準米語を話す地域だともされています。でも、それにしたって、北海道って訛りがあるでしょ!
そう思って、我が家を訪れた札幌出身者に聞いてみると、彼も「それは疑わしい」と同意してくれたのでした。彼曰く、「実は僕も、本州に行くまでは自分の言葉は標準語だと信じ切っていたんですけど、あるときそれが思い違いだとわかりました」と。
彼の体験はこうでした。雪でぬかるんだ道を誰かと歩いていたとき、つい「つっぱね上がるよねぇ」と言ってしまったのです。相手が「え~ 何?」と怪訝な顔をしたので、「あぁ、これは北海道弁だったんだ」と瞬時に理解し、それ以降、彼は自分の認識を改めたそうです。ちなみに、「つっぱね」とは、歩くとぴちゃぴちゃとズボンに跳ね上がる「泥はね」のことだそうです。
すると、それを聞いていた北海道出身の連れ合いが、さっそく話に参加してきました。僕も東京に行ってみて初めて、自分の言葉が必ずしも標準語でないことを認識したと。
彼の場合、再認識のきっかけは「ばくる」でした。「ばくる」とは「交換する」という意味ですが、東京の後楽園でチケットを交換して欲しいと思い、「ばくってください」と願い出たのです。当然、相手は、「はあ?」という表情をしたので、そこで素早く状況を判断したのでした。
ちなみに、聞くところによると、「ばくる」の「ば」は馬のことだそうで、馬子が宿場で疲れた馬を交換するところから来ているのだそうです。
そうそう、北海道弁で有名なところでは、「なまら」がありますね。「とっても」という意味ですが、たとえば「しばれるねぇ、なまら寒いんでないかい」などと使います。ついでに、「冷たい」ことは、「しゃっこい」とか「ひゃっこい」と言います。
それから、「なげる」というのは、「投げる」こととは限りません。「捨てる」という意味があります。初めて北海道に行ったとき、白鳥たちを見学しようと、千歳空港の南にあるウトナイ湖に立ち寄ったのですが、ここのトイレにこんな張り紙がしてありました。「トイレにゴミをなげないでください」と。
ちょっと不思議な響きの中に、「じょっぴん」というのがあります。じょっぴんとは鍵のことだそうですが、もしかしたら昔の錠前から来ているのかもしれませんね。錠前を開閉するとき、ピンと音がしたとか。「じょっぴんかったかい?」とは、すなわち「鍵は掛けたかい?」ということです。
同じく、外国語のような響きに「ほいどたける」というのがあります。「卑(いや)しい」という意味だそうです。「ほいど」というのは、俗に言う「物乞い」のことだそうで、「たける」という部分は、長ける(盛んになる)から来ているのでしょうか。
「はんかくさい」とか、「あずましくない」という言葉は、北海道弁中級レベルかもしれませんね。なんとなく聞いたことのあるような言葉でしょう。
「はんかくさい」は「バカみたい」とか「恥ずかしい」という意味で、「あずましくない」は「落ち着かない」ことだそうです。子供がバタバタと部屋の中を走り回っていると、「あ~、あずましくない」と、大人たちから注意されるのです。一方、「はんかくさい」の「はんか」という部分は、「おバカ」といった意味合いでもあるのでしょうか?
開拓時代、北海道には日本全国から人々が集って来た影響で、言葉もいろんな地域の方言が混ざっているようです。連れ合いのお母さんの言葉には、ちょっとした東北弁の響きに、どことなく九州弁が混じっているようにも感じます。たとえば、「田中さん方ば訪ねる」といった言い方をするのです。「~を」というところを「~ば」と言うのは、広く九州地方で使われている助詞ではないでしょうか。
そういえば、幼少のみぎり、北海道を転々としていた連れ合いは、あるとき函館に転校して愕然としたそうです。え、あんなにかわいい子が、「~だべ」なんて言ってるよと。
北海道の南端に位置する函館は、津軽海峡を隔てて青森に面しているので、津軽弁の影響が色濃く残るようです。語尾に「~だべ」「~べさ」「~んだっぺ」を使うばかりではなく、「んだ、んだ」という返事をしたりするそうです。
函館をこよなく愛し、この地をどうしても離れたくなかった連れ合いは、その後、道東の釧路に引越し、言葉の面でも苦労することとなりました。
けれども、今となっては、テレビなんかの影響で、正調北海道弁をしゃべる人は少なくなってきているのでしょう。それも寂しいことではありますよね。方言とは、現地独特の文化や歴史を如実に表すもの。「かっこ悪い」などと、簡単に捨て去るべきものではないという気もするのですが。
釧路を後にして、日本各地から学生の集う大学に進んだ連れ合いは、工学部の実験室で、こんな会話を耳にしたことがあるそうです。
学生A「よかんべか?(準備はいい?)」
学生B「よかたい!(OKさ)」
なんとも、コスモポリタンな会話ではありませんか!
後記: やはり、思った通り、まったく旅行記の体をなしておりませんでしたが、一応、今回の旅の順路は、新千歳空港から洞爺湖へ、ニセコ・余市経由で小樽へ、グイッと足を伸ばして大雪山系の黒岳・層雲峡へ、そして富良野・美瑛経由で札幌へと、北海道の西側をカバーしたものでした。
久しぶりの日本のドライブで、最初のうちは車道の左側を通るのが非常に恐ろしかったのですけれど、洞爺湖では、夏に開かれるサミットのお歴々の先を越して、湖面を見下ろすホテルに泊まってみましたし、層雲峡温泉では、部屋付きの温泉風呂から黒岳を仰ぎ見るという贅沢を味わったりもしました。
次回は、知床半島や釧路湿原、摩周湖や屈斜路湖と、道東の雄大な自然を両親にも味わってもらいたいと思っています。
夏来 潤(なつき じゅん)